第07話 与謝野アキコ、不倫する(上)
※※※※
ところで、同時期に与謝野テッカンは鳳アキコからだけではなく、別の女性からも片想いをされている(こいつモテモテじゃねーか。爆発しろ)。
その名を、山川トミコという。彼女は丸メガネをかけたおさげ髪のスタイルで、大人しく、どこかおどおどした雰囲気の少女だったと記録に残っている。
トミコはその日、雑誌『明星』の編集合宿に参加した。荷物をいっぱい背負い、周りの男たちに「オレが代わりに持ってあげるよ、トミコちゃん!」と声をかけられていたという。
「えあ、えへ、ありがとうございます」
トミコはそう答えると、向こうから歩いてくる鳳アキコの存在に気づいた。
――あっ! アキコちゃんだ!
そう思った。
トミコは史実によれば、アキコに友情のようなものを抱いていたらしい。自分よりも活発で、どうやら詩の才能もあるらしい彼女を尊敬していたとしても別に不思議ではない。
「アキコちゃん! おはよう! みんなで頑張って良い雑誌にしようね!」
そう言ってトミコはアキコに近づいたのだが――すぐに異変に気づいた。
アキコは傷だらけだった。
左腕に西洋医術の包帯を巻いて、右頬にはガーゼを貼られていた。
「どっ、どどど、どうしたのアキコちゃんそれェ!?」
「あん? 転んでケガしたんだよ。ま、あんまり気にすんな」
大嘘である。全て、与謝野テッカンの妻・林タキノに路地裏で殴られ蹴られしてできたものだ。
「き、きき、気にするなって言われても――気にするよそんなの!」
「くどいぞ。アタシが気にするなって言った」
アキコはぶっきらぼうにそう答えた。
数分すると、主催者の与謝野テッカンと林タキノが集合場所に歩いてきた。タキノはアキコとトミコの両方を嫉妬まじりに睨みつけると、「じゃ行きましょうか」と宣言する。
彼女も編集委員の一人というわけだった。
テッカンはただ、三人の女たちに囲まれながら男たちに「みんなで良い雑誌にしよう。今回は、そういう会にするつもりだ」とだけ、静かに言った。
真面目な良い子、トミコ。妻のタキノ。そしてケダモノのような目をして歌を書き続けるアキコ。
トミコはタキノとアキコの間に、多くの共通点と決定的な違いを見つけている。
タキノは髪を美しく伸ばして、垂れ目がちな瞳のなかにスナイパーみたいな殺意を宿している女だった。それは、愛した男は決して逃がさないという決意の表れみたいなものに見えた。
当時、女は男に依存しなければ生きてはいけない世の中だったらしい。そう考えれば、タキノの生きかたは誰にも責められるものではない。
だが、アキコのほうは違った。彼女はライオンのような目つきで世界の全てを見つめようとしていた。
男がどうかという問題ではない。彼女は、ほしいと思ったものはなにもかも手に入れないと気が済まない――そういう雰囲気を宿していたという。
トミコはアキコのことを、カッコいい、と思った。肩のあたりで切られたアキコの髪は、とくに風情など構わないというキャラゆえか、風に揺られてただ乱れていたと彼女はのちに述懐している。
みだれ髪。
それは、アキコが最初に出す歌集のタイトルだったと記録に残っている。
「なあトミコ」
みんなで歩きながら、アキコはトミコに小声で話しかけてきた。
「なっ、なに、アキコちゃん?」
「アンタもテッカン先生が好きなのか?」
「えっ、ええ、えっ」
トミコは耳まで真っ赤になって口ごもったあと、ただこう答えた。
「でも、無理だよ――だって、だって先生にはタキノさんがいるんだもん」
それに対して、アキコは「ふぅん」と言った。それからこう呟いた。
「アタシには理解できねえな。
アンタはゴールキーパーがいたらシュートを打てないサッカー選手なのか?
考えてみろ。相手の男が独身だったらトーナメント予選出場になるけどな、ライバルが独りなら最初から決勝戦だぜ?」
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