第76話 ジョシュアの恋

 マリアベルが部屋に入ってきた瞬間、ジョシュアはソファから立ち上がる。


「どうしたマリアベル。遅かったではないか?」

 彼はマリアベルを待ちわびていたようだ。 


 しかし、マリアベルは質問には答えず、逆に彼に問いかけた。


「ジョシュア様、最近学園にも来られないし、どうかなさったのですか?」

「いや、……どうもしない」

 途端にジョシュアの歯切れが悪くなる。


「学園ではいろいろ噂されています」

「噂だと? 私は公務が忙しくて休んでいるはずだが?」

 ジョシュアがかすかに不快そうな表情を浮かべる。


「お義姉様との婚約を破棄するとか、前国王のご不興を買って軟禁されているとか?」

「何だと? サミュエルが話したのか? それともアリシアか?」

 マリアベルは驚いて目を瞬いた。


「え? お義姉様とサムは知っているの? もしかして、お義姉様とサムは仲がいいのかしら」

「私は、あの二人にはめられたんだ」

 するとマリアベルが笑い出す。


「まさか、お義姉様がそんなことするわけないわ?」

「何がおかしい? どうして、そう言い切れるんだ」

「お姉様はお祖父さまに庇護されて、ほんの少し調子に乗っているだけ。今まで誰にも好かれてこなかったから。サムに利用されているのかも。私、お義姉様が心配だわ」


「お前にアリシアの何がわかる」

 ジョシュアはマリアベルの態度にいら立ちを隠せなくなってきた。


「小さな頃から一緒に育ったお義姉様だもの。わかっているつもりよ。あ、それとお父様から聞いたのだけど、次の王太子はデズモンド様って本当?」


「どうしたのだ。マリアベル、今日のお前はどうかしている? 私に会えて嬉しくないのか?」

 ジョシュアの瞳が揺れる。


「だって、おかしなことばかりなんですもの。いつもだったら、王妃陛下がいらして、庭園でお茶を飲んだり、お菓子を食べたり、時々お義姉様を呼んだりして楽しくお話するでしょ? それがこんな部屋に二人きりなんておかしいわ」

 ジョシュアの表情はますます険しくなる。


 明らかに今日のマリアベルは変だ。いつもはジョシュアにしなだれかかってくるのに、今日は不愉快な質問ばかりしてくる。


「マリアベル。今日呼ばれた理由はわかっているだろう?」

 マリアベルは愛らしく小首を傾げた。


「いいえ、どのようなご用件でしょう?」

「私たちの子供だ。お前の腹の子は順調に育っているか?」

 ジョシュアが聞くとマリアベルが戸惑いの表情を浮かべる。


「でも私たち、結婚の許可がおりていないのよね?」

「だから何だ。子ができたことには変わりはない」


 マリアベルはちょっと考えるそぶりを見せると口を開いた。

「そうしたらこの子は誰が育てるのですか?」

 ジョシュアの苛立ちは頂点に達しそうだったが、何とか感情を抑えた。


「母親のお前に決まっているだろう。どうしたんだ、マリアベル。子ができたと喜んで知らせてきたのはお前ではないか? 母にはもう報告済みだ」

 ジョシュアの言葉にマリアベルがぎょっとした顔をする。


「嘘でしょ? なんで、王妃にいっちゃったの? 冗談だったのに」

 ジョシュアは聞き間違いかと思うほどの衝撃を受けた。


「冗談、だと? いったいどういうことなのだ、マリアベル!」

 マリアベルが残念そうに深々とため息をつく。


「本当は妊娠なんてしていないの。ジョシュア様は王太子じゃなくなるだろうし、お義姉様のものでもないから、魅力を感じない。なんだか外れを引いた気分」


 それを聞いたジョシュアの顔が蒼白になるが、マリアベルはお構いなしに先を続ける。


「決めた! 私、サムにする。お義姉様と仲がいいようだし、サムは綺麗でかっこいいし、ロスナー家を継いだお金持ちだし。あんな事件を起こしたのにまだ人気者で、お義姉様にはもったいないと思うから、私がもらっちゃう」

 マリアベルはそう言って悪びれない笑顔を浮かべた。


 ジョシュアの怒りは頂点に達する。彼は壁に立てかけた剣をとると抜き放つ。

「貴様、裏切ったな!」

 マリアベルに刃先を向けると、マリアベルが大きな悲鳴を上げた。


 その瞬間バタンと扉が引かれ、外にいた立ち番の兵と衛兵がなだれ込んできて、ジョシュアを取り押さえた。


 そこで、ジョシュアは初めて、マリアベルにはめられたと気づいた。彼女はジョシュアと手を切るためにわざと彼を激昂させたのだ。


(馬鹿なふりをして、したたかな女だ。しかし、所詮は……)

 その瞬間ジョシュアは冷静になる。


「大丈夫だ。彼女が私に嘘の妊娠報告をしていてね。少し懲らしめようとしただけだ。この女はとんでもないあばずれだ。私は王宮で刃傷沙汰を起こす真似はしない。だから放してはくれないだろうか?」


 ジョシュアの言葉で全員一歩引いた。

 彼はまだ王族として敬われているのだ。


 そして、マリアベルはまだ怯えたような芝居を続けている。

「マリアベル。そう、怯えるな。私が悪かった」

 ジョシュアは優しく微笑んでマリアベルにゆっくりと近寄る。

 次の瞬間、懐から短剣を抜き出し、マリアベルの顔を斬りつけた。

「ギャー―ッ!」

 醜い悲鳴を上げるマリアベルを見てジョシュアは笑った。


「お前は下賤の娘、切ったとて、たいした罪にはとわれない」

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