第19話 ラプナール城の血浴(3)
「ラットリーも立派になったものですね。父上」
「うむ。そうじゃな」
王宮の中庭でラットリーが戦っている間、宴が催されていた大広間では安全のため扉が中から施錠され、貴族らは酒を飲むのをやめて部屋の片隅に寄り集まりながら不安げな様子で彼女が戻るのを待っている。そんな中、メクスワン王とピムナレット王女だけは幼い頃からよく知るラットリーの勝利を信じて疑わず、席に着いたまま悠然と思い出話に浸っていた。
「人質として王都に来た時にはまだ九歳の可愛らしい少女だったが、今やゼノクの力を抜きにしてもこの宮廷で指折りの勇士じゃ。時が経つのは早い」
「あの子はルワンにも本当によく尽くしてくれて……足の悪いルワンの世話を、子供ながらに一生懸命してくれたものです」
六歳の時に火事の後遺症で右足が麻痺してしまった直後のルワンはまともに歩くことさえできず生活全般が困難だったし、治療のために様々な訓練にも取り組まなければならない苦労だらけの毎日だった。それを親身になって支え、世話や介助を献身的にしてきたのが家臣で従姉でもある三歳年上のラットリーだったのだ。その甲斐あって今やルワンの足の具合はかなり回復しており、メクスワンとしてもいずれ彼女に対しては王子を絶望から立ち直らせた比類なき大功ありと讃えて格別な褒美を与えなければならないと考えていた。
「ルワンも順調に成長しておるようで何より、と申すべきかの」
ほろ酔い気分に浸っていたメクスワンは、ここで不意に気難しげな顔をして声を低めた。父王の苦悩を察したように、ピムナレットも急に暗い表情になってそっとうつむく。
「足の麻痺が少しずつでも快方に向かうのは喜ばしいことですが、記憶の方はどうなるか……いつか、突然のように昔の自分を思い出す日がやって来るのでしょうか」
どこか遠くを見ながら語るピムナレットの声がわずかに震える。愛する娘の不安を打ち消そうとするかのように、メクスワンはわざとやや粗暴な仕草で空になった盃を突き出し、酒を
「そうなった時はどうなるか、まだ分からぬがな。余の愚かな私情と言われればそれまでだが、万一の時は今まで我らがルワンにかけてきた愛情が歯止めとなってくれるのを願うばかりじゃ」
「いえ、決して愚かだなどとは……やはり私たちは、何も知らずにあの子に愛着を抱き過ぎました」
偉大な名君と讃えられた父のメクスワン五世ならば、このような甘く中途半端で危険な措置は決して取らないだろう。そうは思いながらも、当代のナピシム国王は非情に徹することができずにいた。そんな父親の思いを肯定するように、ピムナレットはゆっくりと盃に酒を注ぎながら柔らかく微笑む。
「とにかく、今しばらくはこのままの方針で行く。人里離れたあの僧院に籠もり、修業を積みつつ国家安康を神に祈る日々を送っておる内はさしたる危険はあるまい」
「御意。半ば幽閉のような形になるのは、いささか可哀想ではありますが……」
ピムナレットがそう言った時、それまで離れた場所にいたチェンロップが王の前に進み出て拝跪した。あまり飲んではいなかったのか、その顔はほとんど赤らんでおらず動作にも酔いが回っている様子はない。
「いかがした。チェンロップよ」
「畏れながら、陛下と王女様にお見せしたきものがございます」
あまりに唐突な申し出にピムナレットは不思議そうな顔をし、メクスワンも何を言っているのかと不快げな素振りを見せる。
「外で魔人が暴れておるというこの大変な時にか。宴の余興ならラットリーが無事に戻ってからにいたせ」
今はラットリーがすぐ近くで戦っている最中であり、その戦闘の結果によってはここも危険となる恐れもある。空気が読めないのかと叱るメクスワンだったが、チェンロップは恐縮する様子もなく言葉を続けた。
「いえ、それからでは遅いので……入られよ!」
主君の承諾も得ないまま、チェンロップは振り向いて窓の外へ合図を送る。すると突如、外の暗闇の中に妖しく光る二つの大きな球体が映った。
「なっ――!」
それは奇怪な
「ゼノク……!」
「ご紹介いたします。ゾフカール帝国より参られたコサックの戦士、トロフィム・ムハマディエフ少尉。つい先刻、イムリス平原の会戦で見事な武勲を立てられた大いなる勇者にございます」
赤い大きな複眼を発光させながら野獣の如く咆えるリベルラゼノクを、チェンロップは敬意を込めて指し示しつつ哂った。
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