第17話 ラプナール城の血浴(1)

 夕刻。イムリス平原の惨劇をまだ知る由もないラプナール城の大広間では戦勝を期して晩餐会が催され、集まった王族や貴族らが昼間の多忙な役務の疲れを癒しつつ酒と食事に興じていた。


「しかしゾフカール帝国との戦争とは……これは一大事となりましたな」


「同じアレクジェリア大陸のジョレンティアやユリアントを通じて、情報収集を急がねばなりますまい」


「果たして勝てるかどうか……いや無論、栄光ある我がナピシムが敗れるはずはないと信じてはおりますが」


「コサックがいかに勇猛でも、ミズナのサムライほどではあるまい。恐れるに足りずだ!」


「いやいや、そのように異国の傭兵に頼りきりではいかんと、セタウット殿下やジラユート卿も常々仰せではありませぬか」


「平和な世が続いたせいか、我がナピシムも近頃は昔のような気迫がない兵士が多くなって困ったものよな」


 貴族にとって宴の席とは重要な社交の場に他ならない。いよいよ始まったゾフカールとの戦争について諸侯は口々に所見を語り、互いに議論し合っていた。そんな中、宰相のジラユートだけは他の貴族らと歓談せず、娘のラットリーに酌をさせながら不機嫌そうに一人で酒を呷っている。


「陛下はどうにも煮え切らん……。稀代の名君と呼ばれたお父上のメクスワン五世陛下に比べて、いまひとつ決断力がない。ゾフカールとの戦争というこの未曽有の国難においては、わしの方で事が迅速に動かせるよう取り計らっておかねばなるまい」


 深酒をしているジラユートの苛立ちの源は、サムライの処遇に関する昨日の密談にあった。メクスワン王はひとまず進言を容れて考え直す様子を見せたものの、直ちにサムライたちを追放するといった断固たる措置までは取らなかったのだ。国王に対しても無遠慮な父親の愚痴に、ラットリーは不愉快そうに顔をしかめて苦言を述べた。


「陛下にご無礼ですよ。父上。陛下には何かお考えがあって時機を見計らっておられるのかも知れません」


 王家の外戚としてナピシムの王朝内で強大な権力を振るうジラユートは、年下で妹婿の国王に対しても時折こうして上から目線の物言いをする。ラットリーとしては父親のそうした不敬とも取れる態度は気に入らず、それが年頃の反抗心とも相まって親子の間に冷たい隙間風を吹かせる一因ともなっていた。


「陛下が迷っておられるようなら、我らが進むべき道を示して差し上げるのが王家と血を交えた外戚たる者の務めじゃ。それが国のためであり、陛下のためでもある。今や我がマノウォーン家は国内に並ぶ者なき有力貴族。その背負うべき責任の重さを、そちもよく心得ておかねばならぬ」


「有力だろうと王家と血を交えていようと、私たちはあくまで一貴族。父上のそうしたお考え、臣下としては出過ぎた真似に思えて好きになれません」


 忖度無しにただ能力だけで比較すれば、王よりも父の方が政治的手腕に優れているのだろうということはラットリーにも分かる。だがそれでも、彼女が自分なりに考えている主君に対する忠義のあり方と、時に国王を蔑ろにして自らの手でまつりごとを動かそうとするジラユートのやり方は根本的な姿勢の部分でどうしても相容れないものがあった。近頃は小生意気に口答えもするようになってきた娘に、苦笑したジラユートは遠くの席にいるチェンロップの方に視線を向ける。


「民を売り飛ばそうとしていた南蛮の奴隷商人どもを退治するとは見事な働き。褒美に盃を取らせるぞ。近う寄れ。ヤスシゲ」


「ははっ、ありがたき幸せ」


 昨日の奴隷貿易の摘発から帰還したばかりの梅原康繁とその配下のサムライたちに、チェンロップは酒を注いでその功を褒め称える。本来ならばこのような王侯貴族の晩餐会に傭兵が出席すること自体が異例であり、ジラユートにとってはそうした身分をわきまえない無礼講は不快極まりない話であった。忌まわしげに目を背けて、再び娘の方を向いたジラユートはくどくどと高説を垂れる。


「ラットリーよ。そちもあのフジザネという男とあまり親しくするものではないぞ。陛下にも申し上げたが、所詮奴らは異国人。忠義だの武士道だのと立派な御託を並べていても、胸の内には何を隠しておるか分からぬ」


 幼い頃から人質として王家に預けられて育ったラットリーは従弟でもあるルワンと王宮で共に幼少期を過ごして絆を強め、国王からルワンの世話を任されている藤真とも今や親友と呼べるほどの間柄になっている。藤真のことを悪しざまに言われたラットリーは、心外そうに口を尖らせて言い返した。


「父上は、フジザネのことをよくご存じありません」


 昔から、酔った勢いで長々と納得の行かない説教をしてくる父親のことは鬱陶しく思えてならない。藤真の忠誠を疑っているジラユートに、ラットリーは強い口調で反駁した。


「確かに彼は私たちと同じナピシム人ではありません。でもこの国を心から愛していて、武力で踏みにじろうなんて全く考えていませんし、むしろそうする者たちを憎んでいます。それに……」


 この国で傭兵として戦う藤真の独特な心情や美学は、独特ゆえに他人が簡潔に言語化して説明するのは難しい。ラットリーが言葉を探して一瞬言い淀んだその時、不意に部屋の外で大きな爆発音が響いた。


「何事じゃ……!?」


「申し上げます!」


 貴族たちがざわめく中、王宮内の警備をしていた衛兵が慌てた様子で大広間に駆け込んでくる。爆発の際にすすを浴びたのか、その顔は黒く汚れ、軽傷ながら火傷も負っているようであった。


「王宮の中庭に魔人が現われました! トカゲかヤモリのようなゼノクが暴れ、火災を起こして周囲を破壊しております!」


「ゼノク……!」


 ラットリーはすぐに立ち上がった。幸い、まだ最初の乾杯と共に輸入品の葡萄酒をほんの一口すすって味見しただけの彼女には戦闘に支障が出るような酔いは全くない。このような事件が起きた際、同じゼノクの力を用いて鎮圧に当たれるのはラットリーと傭兵の景佑しかいないが、今は景佑はこの場に不在のため、もし彼女がすっかり酔い潰れてしまっていたらどうしようもないところであった。


「陛下、すぐに退治して参ります! どうかここを動かれませぬよう」


「うむ。武運を祈るぞ」


「ありがたきお言葉!」


 メクスワンの激励に力強く返事をしたラットリーは急いで大広間を飛び出し、戦いに出るため王宮の長い渡り廊下を駆けていった。


「よし……時は来たようじゃな」


 宴席を中座した彼女の後ろ姿を見送りながらチェンロップが哂い、康繁ら配下のサムライたちにそっと目配せしたことに気づいた者は、今回も誰一人としていなかったのである。

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