第10話 コサックの宣戦布告(1)

「お待たせいたした」


「わぁー、美味しそう!」


 その夜。夕餉のために藤真が作ったのは野菜や豆やキノコを炒めたサラダと温かいスープ。デーンダー僧院の本堂でルワンと話をしながら待っていたラットリーは、出来上がった料理を藤真が運んでくると思わず歓声を上げた。


「さすがはフジザネね。いつもこんな感じのお食事なの?」


「うん。フジザネは剣の技だけじゃなく料理も達人だからね。修業中の身としては、食べるのが少し申し訳なくなるくらいだけど」


 苦笑混じりに、ルワンは藤真の料理の腕をラットリーに自慢するように話す。曲がりなりにも寺で出される食事とあって、トゥリエル教では僧侶が食べることは禁じられている肉類は避け、華美な贅沢さを敢えて抑えて作ったいわゆる精進料理なのだが、料理上手な藤真の手にかかるとそんな質素な献立すらもなかなかの味に仕上がってしまうのだ。


「まあ、成長期の殿下にとっては体作りも大事なお年頃ですからな。戒律ゆえ肉を入れる訳には参りませぬが、栄養に関しても不足なきよう考えて作ってござる」


「そうは言うけど、やっぱり殿下には美味しい物を召し上がっていただきたいって気持ちもあるんでしょ? あまり甘やかすと修業にならなくて良くないわよ」


「いやいや、決してそのような……殿下のご修業の邪魔立てなど滅相もござらん」


 藤真の気持ちを見透かしてニヤニヤと笑みを浮かべながら指摘してくるラットリーに、藤真はあくまでそんなつもりはないと白を切る。楽しげな二人のやり取りを聞きながら、ルワンは藤真の心遣いに感謝しつつ箸を動かし、一口ずつよく味わって静かにサラダを食べていた。


「ところでラットリー。バヤーグとの戦に出ておられる兄上たちのご様子はどう? 王都に何か報せは入ってる?」


 不意に箸を止めて不安げにルワンが訊ねたのは、軍勢を率いて北の国境地帯に赴いている三人の兄王子たちのことである。その話題が出ると、ラットリーもスープを飲むのをやめて真面目な顔になった。


「今のところ膠着状態だと聞いています。バヤーグ族の兵が何度か村を襲って民から略奪しているのを撃退したりとか、まだ本格的な戦と言うよりは小競り合いの段階ですね。でも決戦は近いと思われます」


「そうか……」


 バヤーグ族とは、ナピシムの北に広がる草原地帯に暮らしている騎馬遊牧民の部族集団である。かつてビルグンハーンという英雄に率いられて世界各地を征服し、ナピシムにも攻め込んで国中の寺院を破壊するなど甚大な被害をもたらしたが、ビルグンの死と共に帝国は瓦解し、その後しばらくは故郷の草原に退いて鳴りを潜めていた。そのバヤーグ族が近頃、大軍勢を集めて国境侵犯を繰り返し、再びナピシムを脅かそうとしているのだ。


「お案じなされますな。殿下。アピワット殿下も弟君たちも武勇に優れた名将。それに草原の騎馬民族が猛威を振るったのは、まだ鉄砲がなかった昔の話にござる。飛び道具が発達した今となっては、騎兵の突撃など恐れるに足りませぬ」


 三百年前のバヤーグ軍による侵略はナピシム国内に多くの破壊の爪跡を残し、ナピシム人たちの記憶に今もなお拭い去れない恐怖を刻み込んでいる。そうした歴史的背景を共有していない異国人の藤真が冷静に所見を述べても、ルワンの心配は消えないままだった。


「でも、バヤーグ族を背後で操っている者がいるという噂もあるじゃないか。確か、コサックと言ったっけ」


 西方のアレクジェリア大陸に君臨する専制国家・ゾフカール帝国が東方植民の尖兵として用いている精鋭の戦士集団。コサックと呼ばれる勇猛な彼らが、バヤーグ族を臣従させ今回のナピシム攻めに駆り出したという噂もある。もしバヤーグ族がゾフカール軍の尖兵でしかないのであれば、実質的にはナピシムは軍事技術が遥かに進んだアレクジェリア大陸の強国を相手に戦わねばならないことになるのだ。ルワンの懸念にうなずきつつ、ラットリーは自分自身の不安を打ち消そうとするように言った。


「ゾフカールのコサックについては、正直なところ私たちもまだ情報不足が否めません。でも国境地帯には我がマノウォーン家からも精鋭部隊を派兵してますし、それにフジザネの仲間のサムライたちも数多くいます。もし敵軍がかさにかかって総攻撃に出て来たとしても、きっと勝てますよ」


 このラハブジェリア大陸の北部の平原地帯の西半分を既に制圧したとも言われるコサック軍団の強さの程はラットリーにも、藤真にも正確には分からない。だがそれでも、二人は戦う前から怖気づいたりは決してしなかった。


「もしバヤーグやコサックの兵がここまで攻めて来たら、フジザネが僕を守ってくれる?」


 すがるようにそう訊いてくるルワンに、藤真は腰から外した愛刀・清正を持ち上げて力強く答えた。


「勿論にござる。例え何千、何万の敵が押し寄せて来ようとも、こいつで片っ端から斬り倒してやりますよ」


 ようやくルワンが少し安心したように微笑むと、藤真がれてくれたジャスミン茶を飲み干したラットリーは器を置きながら明るくはにかんで言った。


「とにかく、今日は殿下がお元気で修業も頑張っておられるのが分かって何よりでした。国王陛下にも、しっかりお伝えさせていただきますね」


 普段はラプナールの王宮に出仕しているラットリーの役目は、このデーンダー僧院にいるルワンの様子を定期的に視察して父王のメクスワン六世に報告することである。今回もまた嬉しい知らせを持ち帰れると喜びながら、食事を終えた彼女は席を立って大きく伸びをした。


「もう帰っちゃうの? ラットリー」


「ええ。報告は可能な限り早くしないと、国王陛下も首を長くしてお待ちですから。空をひとっ飛びすれば王都までは半刻もせずに着きます」


 既に夜道は暗いが、蝶の化身であるパピリオゼノクになって高速飛行すれば馬で移動するよりも遥かに早く安全に目的地に到着できる。心から敬愛している三歳年下の主君に一礼して別れの挨拶をすると、寺院の庭に出たラットリーは魔力を纏って変身し、羽ばたいて星空の彼方へと消えていった。

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