第6話 魔の眷属(2)

 奴隷貿易の現場を取り押さえたサムライたちの前に立ちはだかった奇怪な魚人。ゼノクと呼ばれる魔の眷属の一員であるさばの化身・スコンベルゼノクに変身したエルナンは、それまでの軽薄な印象の人柄とはかけ離れた、獰猛な野獣のような咆哮を船の貨物室の中に響かせた。


「どうだ。驚いたか! サムライ如きが、このゼノクの力には手も足も出ねえだろ」


 スコンベルゼノクは魚のヒレのような刃がついた両手を振り回し、サムライたちを次々と蹴散らしてゆく。一人がたちまち肩を斬られ、もう一人が脚から出血して倒れ、更に別の一人が磨き抜かれた瑞那刀で斬りつけるが、鋼よりも硬いゼノクの全身装甲には傷一つつけられない。


「矢も効かぬか……いや、効くはずもないな」


 康繁が遠距離から続けざまに矢を射るが、スコンベルゼノクの装甲には刺さるどころか傷一つ付けられない。力自慢の盤渓が肩に薙刀を叩きつけても、スコンベルゼノクは怯む様子もなく薙刀の刃を掴んで彼を軽々と壁際まで押し返した。


「くっ……!」


 藤真は仲間を助けようと愛刀・清正を振るって斬りかかるが、結果は同じだった。素早く身を屈めてスコンベルゼノクの横薙ぎのヒレの一撃を避け、その勢いのまま貨物室の床を転がった藤真は奴隷商人たちに囚われていた少女の元へ駆け寄ると、手足を縛っている縄を刀で切り落として口の猿轡を外す。


「大丈夫か。怖いだろうが、拙者が守るので安心いたせ」


「は、はいっ」


 怯える少女を支え起こし、魔人の攻撃から守ろうと身を楯にして刀を構える藤真。それを見たスコンベルゼノクは二人に狙いを定めて襲いかかろうとしたが、その前に景佑が割り込むように立ち塞がった。


「待ちな。この俺が相手だ。ぶっ倒してやるぜ」


「何だと……?」


 先ほどとは逆に、今度はスコンベルゼノクの側が相手の突拍子もない発言に耳を疑う番だった。いくら景佑の刀の技が優れていようと、通常の武器ではほとんど歯が立たないのはここまでの戦闘で既に分かりきったことである。愚か者め、と醜悪な魚人の仮面を歪ませて哂うスコンベルゼノクを、景佑は線の細い美貌に嫌味な冷笑を浮かべて負けじと煽り返した。


「命知らずめ。ただの人間風情がゼノクに勝てるつもりか?」


「思慮の浅い奴だな……。ゼノクってのは、この国にテメエしかいねえ訳じゃねえんだぜ」


 景佑はそう言って鞘に仕舞った刀を足元に置くと、自由になった両手を広げて全身に力を込め、スコンベルゼノクを鋭く睨みつけながら気を高めた。


「何っ!? まさか貴様も……」


「ああ。そのまさか、だ」


 景佑の体内から湧き上がった群青色の魔力が収斂して鎧となり、長く鋭い剣のようなトゲを体中に生やした針鼠はりねずみの魔人へと彼を変貌させる。まさに凶刃の塊とでも呼ぶべき魔の超戦士・エリキウスゼノクと化した景佑は、固唾を呑んで見守っていた奴隷商人らを脅かすように掌から青白い光弾を放ち、彼らの背後の壁を爆破して大きな穴を開けた。


「覚悟しな。クズ野郎。テメエの武運は既に尽きた」


「ふざけるな……くたばれ!」


 激昂して飛びかかってくるスコンベルゼノクの手刀を片腕で防ぎ、鋭い蹴りを放って弾き返したエリキウスゼノクは左右の肩に生えた長いトゲを掴んで引き抜くと、両手に構えて二刀流の得物とする。スコンベルゼノクは両手のヒレから光線を放って反撃するが、エリキウスゼノクはそれを二振りのトゲの長剣で難なく斬り払った。


「うっ……ウォォォォッ!!」


「これで終わりだ!」


 想定外の事態に正気を失ったかのように、声を裏返して絶叫しながら突撃してきたスコンベルゼノクをエリキウスゼノクは右手の刃で横に、続けて左手のもう一本の刃で縦に斬断する。青い破壊魔法の光が灯った長剣で胴体を十文字に斬られたスコンベルゼノクは爆死し、炎と煙を巻き上げながら砕け散った。


「おいおい……もう少し周りのことも考えながら頼むぞ。景佑」


 室内に渦巻く爆風から少女を守りつつ、勝負の行方を見届けた藤真が苦情をつける。それを聞いたエリキウスゼノクは、抜いた二本のトゲを両肩に差して元の状態に戻すとにやりと牙を剥いて答えた。


「そういうのはお前の仕事だろ? こういう戦闘じゃ役に立たねえんだからそれくらいはしやがれっての」


「言ってくれるな。魔人が相手だとおぬしに頼るしかないのは面目ない限りだが」


 景佑の毒舌は味方に対しても――特に馬の合わない藤真に対しては全く容赦がない。いつも通りのやり取りに疲れたように苦笑いしつつ、藤真は仲間を倒されてうろたえる宣教師と奴隷商人たちに太刀を向けた。


「まあ、そのような訳でおぬしらもこれまでだ。あの針鼠の化け物に串刺しにされたくなくば、大人しく縄につかれよ」


「ううむ……神は我らをお見捨てになったか」


 事ここに至ってはもはやどうする術もなく、両手を挙げて降参した奴隷商人たちとハメスはサムライたちの手によって捕縛され陸へと連行された。ゼノクの出現という想定外の事態で多数の負傷者を出しながらも、悪党退治と誘拐された少女の救出劇は見事成功に終わったのである。


「ケッ、これじゃ準備運動にもなりゃしねえぜ」


 獣人型の全身装甲を光に変えて霧散させ、人間の姿に戻った景佑が船の甲板の上で柵にもたれかかりながらそう呟く。一体何の準備だ、と訊ねようとした藤真だったが、それは単なる言葉尻をあげつらった意地悪にしかならないと思ったのでやめておいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る