第5話 魔の眷属(1)
ナピシム王国の王都・ラプナール。その中心にそびえる豪壮華麗なラプナール城は、代々この国を統治しているパトムアクーン王家の居城である。
「畏れながら陛下に申し上げます」
その城の奥にある一室が、今は重苦しい空気に包まれていた。国王メクスワン六世が人払いをし、信頼を置く重臣たちだけを集めて開いた密談の場。不機嫌そうに肘掛けに体重を預けて座っているメクスワンの前に恭しくひれ伏しながら、ラットリーの父であるジラユート・マノウォーン宰相は丁寧な、しかし毅然とした物腰で王の施政方針に諫言している。
「チェンロップ大臣の肝入りで、近頃急速に増えつつあるミズナ人の傭兵たちのこと、陛下も大いにお気に召されておるご様子にございまするが、あまり信用なさるのは危険かと存じます」
メクスワン六世は四十歳。一国の君主としてはまだ若い部類に入る年頃で、父の代から仕えてきた宰相のジラユートには今もなかなか頭が上がらない。歳の離れた末の妹姫をメクスワンに嫁がせ王家の外戚として権勢を振るうジラユートは、王妃として四人の王子と一人の王女を産んだその妹が死去した今もなおナピシムの王朝内に絶大な影響力を持つ有力者であった。
「なぜ危険だと思うのじゃ」
サムライを傭兵として登用することを王に具申したチェンロップ・ブアナーン大臣が硬い表情でうつむく中、声をいくらか強張らせて王が訊ねると、ジラユートは待っていたとばかりに滑らかな弁舌で自論を述べる。
「ミズナのサムライは確かに勇敢で刀の技にも優れ、傭兵として我が国のためにこれまでずっと目を見張る働きぶりを見せて参りました。されど彼らはあくまで異民族。我らナピシム人とは文化も気質も全く違う者たちなれば、腹の底では何を考えておるか知れたものではございませぬ」
「そうは申すがな。余が聞いたところでは、サムライは忠義を重んじ、裏切りのような卑怯な振る舞いを恥とする価値観を持っておるとのことじゃ。戦功に対する報酬さえ十分に与えておけば、おかしな真似はせぬと思うが」
サムライの強さと忠誠心を大いに気に入って重用してきたメクスワンが反論すると、他の貴族たちからもうなずく声が漏れる。だが老練で経験豊富なジラユートはどこまでも慎重だった。
「確かに武士道とはそのような誇り高き戦士の哲学であると、私めも聞き及んでおります。ですが先ほども申し上げました通り、それは我が国には馴染みのない遠く離れた異国の思想。ナピシム人である我らが、表面的な知識だけで彼らの心を完全に理解できたと考えるのは迂闊でありましょう」
サムライたちは表向き従順で、反乱を起こそうとする気配などはどこにも見て取れない。だがジラユートはどこか得体の知れない恐怖心を彼らに抱いていた。ナピシムの宮廷政治の中で長年揉まれ、弁論術にも長けたこの老人にすら上手く言語化することのできない、自分たちの想像を超えた不気味な何かがあるような予感がするのだ。
「他の者たちはどう思うか」
集まっていた他の貴族らに王が意見を求めると、それまで沈黙を保っていた者たちも次々と口火を切り、議論はたちまち沸騰した。
「畏れながら、ジラユート卿の仰せの通りにございます!」
「己の武威を鼻にかけ、立場をわきまえずに図々しく国政にまで口出しをしてくる。忠義を重んじるなどと申しながら、実際には主君を軽視しているあの者たちの傲慢さは近頃目に余るものがございます!」
「奴らはとんでもない野蛮人です。敵の首を刈ったり自分の腹を切ったり、信じられないような恐ろしいことを平気で行なうサムライたちの精神性は、我らナピシム人の理解力を超えたものと申さざるを得ませぬ」
などとサムライへの非難の声が上がる一方、
「されど、我が国を植民地にせんと企むアレクジェリア大陸の列強からこのナピシムを守るのに、サムライたちの武勇はもはや欠かせぬ。彼らに疑いをかけて粛清などしてしまえば、後のことは一体どうするのだ?」
「夷をもって夷を制すという格言もある。サムライたちの力は確かに脅威だが、我が国を虎視眈々と狙うジョレンティアやユリアントの連中とぶつけ合わせて上手く利用すれば良いだけで、過剰に恐れる必要はなかろう」
と主に実利的な観点から反対する貴族もいる。場の空気が白熱してきたのを見たメクスワンは、ずっと発言を控えたまま自分の隣で静かに議論を見守っていた自分の娘に声をかけた。
「ピムナレットよ。そなたの目には、あの者たちはどう映る?」
ピムナレット・パトムアクーン王女は二十歳。聡明さと気品が漂う美しい顔立ちの姫で政治にも明るく、こうした問題に際しては王家の一員として意見を述べることも少なくない。父王の方を向いて折目正しく一礼したピムナレットは、上品さの中にも才気を感じさせる柔らかくも明瞭な声で貴族たちに説くように言った。
「サムライが……と彼らをひとまとめにして考えても、きっと良い答えは出ないでしょう。彼らとてこの国で傭兵として生きる理由や心情は様々であり、武士道と呼ばれる教えの解釈にも個人差があります。私たちに忠誠を固く誓っている者もいれば良からぬ企みを胸に抱きかねない者もおり、例えば父上が特にお目をかけておられるクランド・フジザネという男は私には信用に足る人間に見えますが、全員が彼と同じだとは言えません」
ピムナレットの意見はどちらか一方に賛成や反対を示すものではなく、もっと慎重で精緻な議論をすべきだという提案である。確かにそうだ、と多くの者がうなずく中、サムライたちを人一倍信頼しているはずのチェンロップだけが微動だにせず、ただ暗い表情でじっと押し黙っているのが王には気になった。
「いかがした? チェンロップ。サムライたちの忠誠について、そちから何か弁護はないのか」
あわよくばこの議論を引っ繰り返すような鋭い反対意見を出してはくれないかと半ば期待も込めてメクスワンは発言を促したが、恭しく頭を垂れたチェンロップから返ってきたのは意外な言葉だった。
「全ては国王陛下の御心のままに……。ジラユート宰相のお言葉も確かに一理あるやも知れませぬが、まずは姫様が仰せられた通り、サムライたち一人一人の胸の内をよく探り見極める必要がございましょう」
「ううむ……」
チェンロップの返答は毒にも薬にもならない、ただこれまでに出された意見を無難にまとめただけのものでしかない。渋々という様子で、王はジラユートらの提言に応える形でこの論議を締めくくることにした。
「サムライたちの処遇についてはよく考えておく。余もいくらか認識が甘かったかも知れぬ。もし彼らが傭兵としての身の程をわきまえず内乱を起こそうと企てるのであれば、断じて許す訳には参るまい」
それまで仮面のように硬く強張っていたチェンロップの表情がその一瞬、わずかな笑みに歪んだことに気づいた者は、その場には誰一人としていなかった。
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