一章
「準備、出来ちゅうか」
大山直樹が、峰岡聡志に尋ねた。
常に準備は出来ている。
黙って頷いた。
龍河洞の西洞の奥。
鍾乳石の柱が、いくつも垂れ下がっている。
更に、その奥を目指している。
大山も峰岡も龍河大学の学生。
大山は四年生で、峰岡は三年生だ。
二人は、学術探検部に所属している。
二人は、同じ学術探検部員三名と、龍河洞へ調査入洞している。
石鎚山大学の学術探検部員五名。
栗林大学の探検部員五名とOB一名。
眉山大学の探検部員四名。
各大学、合わせて二十名が参加している。
三人一組で七班に分かれて、調査を開始した。
大山と峰岡の班には、龍河洞の案内人に入ってもらっている。
今回は、四日間で、西洞から北に続く、鍾乳石の柱の間を分け入って奥へ進む。
昔から、西洞の北の奥に湖水が広がっている。と伝えられている。
戦国時代の古文書にも、記さるている。
しかし、峰岡は、読んだことがない。
何度か洞の調査を実施している。
しかし、鍾乳石の柱に阻まれて、湖水の発見には至っていない。
龍河大学学術探検部も、二度、調査している。
今回の調査に当たって、龍河大学学術探検部には、大きな問題があった。
計画は、一年近く前から準備していた。
今年一月、学術調査の計画中に事件が起こった。
龍河大学学術探検部員の一人が、殺害された。
被害者は、当時二年生の板井洋太。
龍河市内、硯川の中流、町中の橋桁で発見された。
死後一週間程経っている。
だから、亡くなったのは、年末くらいだ。
身体中に打撲痕があった。
左腕は骨折していた。
致命傷は、頭部の打撲傷だ。
脳挫傷が死因だった。
水を呑んでいなかった。
だから、殺害した後、川に遺棄したと思われる。
後日、硯川の上流で、板井の物と思われるリュックが見付かった。
板井は、その服装から、硯山付近へ山歩きに出掛けていたと思われる。
峰岡は、板井と比較的、親しかった。
よく板井に誘われて、部活とは別に山歩きに出掛けている。
板井と一緒に出掛ける時、もう二人居た。
一人は、板井と同じ中学、高校出身の女性と男性だ。
女性の名は、西原妙子、龍河大学の当時、二年生だ。
男の方は、樋田和夫、龍河大学の当時、二年生だ。
石鎚山へも剣山へも、四人で登った。
四万十川も、四人で歩いた。
勿論、龍河洞へも、四人で出掛けた事がある。
ただ、西原さんも樋田も、学術探検部には、所属していない。
板井の葬儀に、学術探検部員全員と、西原さん、樋田も参列していた。
ただ、西原さんも樋田も、他の学術探検部員とは、面識がなかった。
峰岡は、二人を構内で見掛ける事はある。
しかし、山歩き以外で、一緒に行動する事はなかった。
その日、二人と久しぶりに会った。
樋田が、ちょっと飲みに行こうと云う。
三人で飲みに行く事になった。
峰岡は、着替えて、待ち合わせた居酒屋へ出掛けた。
初めてだ。
一緒に飲みに行った事はない。
思い返せば、板井とも飲みに行った事がない。
居酒屋での話題は、勿論、板井の事だ。
樋田が喋り始めた。
板井は、激しい暴行を受けて亡くなった。
誰かと、トラブルになっていたのか。
しかし、そんな話しは、聞いていない。
だから、硯山で、突発的にトラブルに会ったとしか思えない。
しかし、その二人も、板井が硯山へ出掛けるとは、聞いていなかったそうだ。
西原さんが、ちょっと気になる事があると云った。
硯川の上流で、板井の所持品が見付かった。
青い、大き過ぎるリュックだ。
両親が確認したそうだ。
板井の母親が、西原さんに話した。
青いリュックに見覚えはなかった。
中に入っていた衣類は、間違いなく板井の持ち物だったそうだ。
普段、所持していたリュックは、濃緑の、もう一回り小さい。
普段、と云っても一緒に山歩きした時だけだけど。
硯山に出掛けるに当たり、新しく購入したのかもしれない。
二人は、何か考え込んだ。
峰岡には、何の情報も無かった。
二時間程で、居酒屋を出た。
それから七ヶ月。
犯人は、未だ捕まっていない。
そんな時に、学術探検を実施して良いのか。
しかも、龍河洞は、板井が殺害されたと思われる硯山の近くだ。
学術探検部でも、実施すべきかどうか、話し合っていた。
結論が出ないまま、学校側へ相談した。
学校は、板井が殺害された事と、部活とは、全く関わりが無いとの見解だ。
学術探検部の判断を支持する。との回答だった。
学術探検部としては、一年近く計画を練っていた。
他大学から、参加の申し出を受けている。
結局、計画を実行する事になった。
実は、殺害された板井が、龍河洞の学術調査に、参加する事になっていた。
板井の代わりに、峰岡が学術調査に加わる事になったのだ。
一日目が終わった。
何等、湖水の発見に繋がる収穫はなかった。
各班、次々に龍河洞から出て来た。
その頃になって、洞内案内人の様子が怪しくなった。
何人もの案内人が騒がしく、洞に出入りしている。
「中橋さんの班で、何かあったらしいんよ」
石鎚山大学の女性部員が、大山先輩に云った。
「中橋さん」とは、中橋仁美。
龍河大学四年生、学術探検部員だ。
今回の調査に参加している。
中橋さんの班には、他に沢井駿斗、四年生と小川卓志が居る。
暫くすると、中橋さんと小川先輩が、洞から出て来た。
大山先輩と峰岡に近寄って来た。
「沢井が居らんようになったがや」
小川先輩が焦った様子で云った。
中橋さんの班は、確か、西洞の北を探索していた。
興奮しているのか、話しが前後して、状況がはっきりと分からない。
はっきりと分かっているのが、沢井先輩が、行方不明になった。
と云う事だ。
鍾乳石の柱が入り乱れた場所だ。
確かに、上級者でなければ、足を踏み入れる場所ではない。
しかし、中橋班の三人は、何度か挑戦していた。
だから、かなり奥まで入り込んだそうだ。
小川先輩が先頭だった。
真ん中に中橋さん、最後尾が沢井先輩だった。
先頭の小川先輩が、引き返して来た。
その先が、行き止まりだったそうだ。
中橋さんが、沢井先輩に戻るように、伝えようとした。
沢井先輩が居る筈の地点まで戻った。
鍾乳石の柱が立ち並ぶ、小さな横穴のある地点だ。
沢井先輩が居ない。
横穴に向かって呼び掛けた。
応答が無い。
中橋さんは慌てた。
沢井先輩が行方不明だ。
出口方向に向かって、呼び掛けたが、応答が無かった。
急いで西洞の入口に戻り、案内人に伝えた。
中橋さんと小川先輩の説明を聞いた。
大山先輩は、深刻な表情で、何か考え込んでいる。
一瞬、中橋さんを睨むように見た。
だが、何も云わなかった。
これは、大変な事になった。
日中が長くなったとは云え、今から捜索は無理だ。
当然だが、学術調査探検は中止だ。
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