1.発見
「チカ。ちょっと速いのう」
秋山弘は、娘の千景にもう少し、ゆっくり石段を上ってほしいと頼んだ。
「チカ」とは、秋山千景。
石鎚山高専の二年生。
弘と景子の娘だ。
弘は、竜王神社までの石段をまだ半分以上上らなければならない。
元々、逃げ足は、速いのだが、持久力には自信がない。
おまけに、寝不足だ。
「けど、あれ見て。お母さんは、もう竜王神社に着いとるで」
千景が、石段の一番上を指差した。
本当だ。
お母さんは、旧姓を山科景子と云う。
出身は祖谷国森。
剣山の近くだ。
だから、なのだが…。
景子は、眉山市内の高校を卒業して、眉山市内の石鎚山銀行へ就職していた。
その後、何度か転職を経験している。
秋山弘は、讃岐百々津出身。
関西の私立大学を卒業後、地元の医薬品卸会社へ就職した。
隣接する四県の地元卸、四社の合併した。
合併の最中、また眉山市の地元卸との合併が、秘密裏に進行していた。
弘は、その合併処理に当たっていた。
その合併する会社に、景子が居た。
合併処理中、二人は事件に巻き込まれた。
そして、景子と一緒に、事件を解決した。
その後、弘は景子と結婚した。
と同時に、会社を退職した。
実は、景子の同居人だった寺井冴子に誘われていた。
寺井社長とは、合併処理の際知り合った。
景子は、寺井社長の紹介で女性の弁護士が所長をしている、浅井弁護士事務所へ就職した。
土、日曜日と祝日が休日になっている。
寺井社長は、「何でもするゾウ」と云う何でも屋を始めた。
しかし、事業がなかなか軌道に乗らなかった。
そこで、弘は二十四時間営業のスーパーマーケット「アックス」でアルバイトを始めた。
現在は、何とか、「何でもするゾウ」も軌道に乗って来た。
しかし、今も「アックス」でアルバイトをしている。
実は、龍河洞へ行く日は「アックス」の勤務になっていた。
弘は、「アックス」の店長と休暇の交渉をする事になった。
意を決して、店長に、その旨伝えた。
「それで、どこへ行くんや」
険しい表情で、店長が尋ねた。
「龍河洞」
申し訳なさそうに、弘が答えた。
「そうか」
晴々とした顔で、店長が云った。
今度、開店したアックス龍河店の、夜間の状況を見て来てくれ。と云う。
でも、弘は日帰りのつもりだ。と応えた。
出張費を支給するから。との事だ。
ちょっと、夜間に新店舗に寄るだけで、出張費を支給するなんて、考えられない。
出張費を支給すると云うからには、理由がある筈。
新店舗には、社長以下、幹部が視察のため臨店する。
そして、店長は、その新店舗へ異動になる。
更に、店長は一度、龍河店へ出張している。
日中の店舗状況を見て来たらしい。
正社員は、店長、ドライ、レジ、夜間の四名。
生鮮、惣菜部門で六名の十名程度。
後は、各部門の契約社員とアルバイトばかりだ。
昼間のドライ、レジ、生鮮、惣菜部門は、何とか人数は揃ったようだ。
しかし、夜間部門は…
ここで、また交渉だ。
勿論、出張費を三人分支給してもらう交渉だ。
弘は、アルバイトとはいえ、夜間勤務の古株だ。
特に、土曜、日曜日の夜間主任が休む時には、弘が夜間主任の代わりを勤めている。
通常は、土曜、日曜、月曜日の零時から八時までの勤務だ。
八時間拘束の一時間休憩で七時間の勤務だ。
しかし、夜間主任として勤務する場合は、前日の二十二時から、翌日の八時までの勤務になる。
つまり、十時間拘束で二時間休憩の八時間勤務になる。
もっと云えば、正社員の夜間主任よりも、業務に詳しい。
土曜、日曜日は、店舗にとって一番肝心要の時間だ。
こうなってくると、弘の方が優位に立つ。
「分かった」
店長が了承した。
満額回答だった。
そう云う訳で、昨日から龍河市へ来ている。
市内で、アックス龍河店に近いホテルに、宿を取った。
ホテルから、アックス龍河店まで、徒歩十分掛からない。
アックスの夜間部は、二十二時から翌日八時までだ。
ただ、本当に忙しいのは、二十二時から翌一時迄と、五時から八時迄だ。
だから、弘は、ホテルから二十二時前に外出した。
店長との約束だ。
弘は、アックス龍河店へ向かった。
昼間の業務、つまり、ドライの業務がとこまでなのかは分からない。
しかし、二十二時過ぎに、ロングカートがレーンのエンドに寄り添っている。
つまり、いつ入荷したのか分からないが、商品の積まれたロングカートが、売場に、そのまま放置されている。
夜間業務を熟しながら、この物量を品出し出来るのか。
弘は、二時間掛けて、売場を眺め歩いた。
値引、廃棄漏れの商品が、いくつかあった。
作業している夜間主任に、期限切れの廃棄商品を声掛けして渡した。
わざわざ、親切に夜間主任へ渡したのに、礼の一つも無かった。
一旦、ホテルへ戻ったのは、零時過ぎだった。
景子と千景は寝ているようだ。
弘は、部屋暫く横になって、また五時前にアックス龍河店へ出掛けた。
店舗内は、昨二十二時頃のままだ。
これは、悲惨な状況だ。
本部からの日配品が、入荷している。
おそらく、在庫補充も前日分入荷の品出しも出来ていないだろう。
八時まで、後、三時間。
とても、売場が立ち上がるとは、思えない。
それを見ただけで、弘はホテルへ戻った。
また二時間程、横になっただけだった。
つまり、弘は殆んど寝ていない。
長々と説明したが、弘は、寝不足なのだ。
だから、竜王神社へ上る石段が辛いのだ。
長々と言い訳したが、龍河洞へ来たのには、理由がある。
今年は、九月になっても暑い。
山に登れば、涼しいだろう、と云う事になった。
山に登るのは、しんどいのだが。
千景は、夏休みで帰省している。
夏休みと云っても、学校からの膨大な課題に四苦八苦している。
食事が終わると、すぐ自室へ戻って、課題と格闘しているようだ。
そして、その千景は、九月の下旬に、鈴音寮へ帰寮する。
つまり、後一週間で、寮に戻ってしまう。
そこで、帰寮前に涼しい龍河洞へ出掛ける事にした。
ただ、龍河洞が涼しいかどうかは分からない。
しかし、鍾乳洞だから、涼しいのは間違い無い。
筈だ。
やっと、石段を上り詰めた。
千景は、冒険コースを歩きたいらしい。
どうやら、冒険コースというのも、あるらしい。
しかし、前日に予約が必要との事だった。
しかも、現在は、立入禁止になっている。
何でも、大学の探検部員が、冒険コースの奥の未開の洞で、行方不明になったらしい。
未だに、発見されていない。
そう云う事情なら仕方無い。
それでは、今度、立入禁止が解除になったら、冒険コースに申し込んで、入洞しよう。と約束した。
「今度」がいつになるのか、分からない。
千景は、怪しむように弘を見ている。
しかし、そのうち忘れるだろう。
それで、龍河洞の観光コースへ入った。
しかし、それはそれで楽しく歩いた。
龍河洞からの帰り道、硯川の土手道を下流に向かっていた。
木々の茂みを眺めながら、のんびりと歩いていた。
「あれ。何やろ」
千景が川の向う岸を見ている。
川の水嵩は高い。
蛇なのか、うなぎなのか、川面に泡を立ててうねった。
「うなぎ、やろ」
弘は応えた。
「違う。あれや。人や!」
千景が指差して云った。
あっ!
人だ。
成程、青いいジャケットが見える。
作業服かツナギのようだ。
確かに、頭も見える。いや髪の毛だ。
死体だ。
「お母さん。警察に電話や」
千景が叫んだ。
またか。
龍河洞なら涼しいだろう、と云っていた。
涼しかったかどうかは、意識していなかった。
石鎚山、剣山に続いて、龍河洞でも、また死体を発見してしまった。
涼しいどころか、背筋が寒くなった。
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