第3話 トカゲとドラゴン

 ドラゴンという存在について、俺が知っていることは多くない。

 本という文化を持たないリザードマンの集落で情報を探すのは至難の業だったし、他種族や外の世界に興味を持つ奴なんて片手で数えるほどしかいなかったからだ。

 つまり俺と、長老と、ギルと——その程度。


 それでも手に入れた数少ない情報をまとめると、だいたいは前世の創作と似たようなものだ。

 翼があって、炎を吐く、四足歩行の怪物。彼らには人並みの知性があるし、言葉も話せる。

 だが、人間の姿になるというのは初耳だった。それも、まだ子供だ。


「なあ、こいつ——」

 言いかけて、俺はひどく憂鬱な気分になる。

 ふざけるな、と誰かに悪態をつきたかったが、そんな相手もいなかった。こんなわけのわからない状況に、俺を置いて行かないでほしかった。

 理不尽な怒りだとはわかっていたが、俺はそう思った。


 女はすでに、死んでいた。


「シヴェラ」

 少女がつぶやく。この女の名前だろうか。

「死んだの?」


「——ああ」

 ずいぶん淡白な問いだった。普通こういう状況では、そんな、とか、死なないで、とか、そういう言葉を吐くのではないのか。

 死体を眺める少女の顔に、悲しみや怒りのような感情は見えなかった。


 ——いや。

 俺は頭を振る。余計なことを考えすぎだ。

 こいつらがどういう関係だったのかなんて、俺は知らない。他人の心の中なんてもっとわからない。

 そんなことを考えるよりも、やるべきことが俺にはあった。


「なにをするの?」

 女——シヴェラに近づく俺を見て、少女が首を傾げる。


「埋めるんだよ。文化的な奴はそうするんだ」

「いいえ。そういうことはしなくていいって、シヴェラは言ってた。時間がないから」

「——そうか」

 俺は頷く。本人がいいと言うのなら、異論はなかった。

 やるべきことがひとつ消えたが、当然もうひとつある。


「なら、さっさと行くぞ」

「はい」

 ドラゴンの、護衛。引き受けたからには、途中で投げ出すつもりもなかった。


 俺たちは歩き出す。

 まずはこの森を抜ける必要がある——その先のことは、まあ、その先になったら考えればいい。未来のことを思案するには、俺は混乱しすぎていた。


 少女の姿を、横目に観察する。

 俺の腰よりも少し高いくらいの身長に、なめらかな白い長髪。色素の薄い肌と、やけに整った顔立ち。

 深窓の令嬢だと言われても納得できそうだったが、起伏の少ない体はシンプルな布のシャツに包まれていた。

 持ち物らしい持ち物は、ほかには見当たらない。


 ドラゴンを名乗ったという事実を除けば、いたって普通の少女に見えた。

 俺は当然の疑問を口に出す。


「なあ、お前、本当にドラゴンなのか?」

「はい」

「さっき落ちてた白いドラゴン——あれがお前か?」

「はい」

「……あのさ、もうちょっと詳しく教えてくれないか。なんで落ちてたのか、とか」


 初対面で、かつ先ほど知り合いと死別したばかりの少女と話す態度としては、少々乱暴すぎただろう。

 だが、最低限の情報を知る必要はあった。

 俺の腹にも槍が刺さるような事態は、もちろん回避したい。

 思い返すように、少女は見上げる。


「……攻撃された。シヴェラを乗せて飛んでいたら、いきなり。私たちは戦おうとしたけど、でも、だめだった」

「敵の姿は。見たのか?」

「いいえ。それで、私は限界だった。だから、落ちた」


 ——なるほど。

 あまり上手な説明だとは言えなかったが、だいたいのことは理解できた。

 シヴェラに致命傷を与えた、あの黒い槍の使い手——そいつは、なんらかの飛行手段を有している。それも、空の王者たるドラゴンの不意をつくほどの強力な手段を。


 羨ましい話だったが、追っ手としては最悪だ。遮るものもない空からの視線をかわすのは容易ではない。

 木の葉が俺たちの姿を隠してくれている間に、なにか手を考える必要があった。


「飯にしよう」

 俺は立ち止まる。

「いいえ。急げと言われた」

「誰が追ってくるのかもわからないまま、一日中逃げ続けるのかよ? 護衛を任されたのは俺だし、こっちの指示に従ってもらう」

「それは——」

 しぶしぶといった様子で、少女は頷いた。


「しかたない。管理者権限はすでに譲渡されている。いまは、あなたが私の飼い主」

「飼い——」

 座れそうな場所を探していた俺は、石につまずいて危うく転びかけた。

「なんだよ、その呼び方。やめてくれ」


「いや?」

「嫌だよ」

 俺にそういう趣味はないし、そういう趣味だと思われるのも嫌だ。

 だが、なにを勘違いしたのか、少女はさらに最悪な二択を提示する。


「なら、ご主人さま? お兄さま、でもいい」

「両方断る。その二択はどこから来たんだ」

「シヴェラが隠していた本で、学んだ」

 故人の秘密の趣味なんて、できることなら知りたくはなかった。俺はため息を吐く。


「俺には名前があるんだ——ガル、でいい」

「そう。わかった、ガル」

 少女はあっさりと納得した。呼び捨てなのが気になったが、そこはまあ良しとしよう。

 ふと思いついて、俺は尋ねる。


「お前、名前はあるんだよな?」

「竜士部隊所属騎竜、十七番。前にも言った」

「ああ——それ、名前だったのか」

 十七番。ずいぶん無機質な名前だ。

 少し考えた。ひとつとななつ。子供にしか見えないドラゴン。


「なら、ヒナだな」

「ヒナ?」

「ああ。なんか気持ち悪いんだよ、人を番号で呼ぶのは」

 人にははっきりとした名前があるべきだ——少なくとも、それが文化的な考えであるはずだ。ネーミングセンスに自信はなかったが、番号よりはたぶんマシだろう。


 少女は口の端をゆがめた。喜びなのか怒りなのかわからない、複雑な表情だった。


「管理者権限がある、以上、私は従う。ガルがそう呼びたいなら、わかった」

 権限については不明瞭だが、どうやら俺の言うことを聞く気はあるらしい。

 黒い瞳を瞬かせると、少女——ヒナは地面の上に膝を抱えて座り込んだ。


 俺も手近な岩に腰を下ろす。

 皮袋の口を閉めていた紐を解くと、中からレンガのように硬い食感のパンを取り出した。味はともかく、携帯食料としては優れている代物だ。


 視線を上げると、ヒナが俺の手をじっと見ていることに気づいた。正確には、パンをつかんでいる方の左手を。

 意外とわかりやすいところもあるらしい、と俺は思う。


「ほら」

 パンを投げ渡す。器用なことに、ヒナはそれを口でキャッチした。

 そのままもごもごと咀嚼する。相当頑丈な歯が生えているらしい。


 リザードマンは農耕をしないが、近くにある人間の村との交易を行うことがたまにある。

 俺の共和国語も、基本的にはそこで覚えたものだ。リザードマン語はリザードマンにしか通じないし、通じたとしても喧嘩を売っていると思われる。


 ひとかけらも残さずにパンを飲み込んだあと、ヒナはつぶやいた。


「おいしくない」

「奇遇だな。俺もそう思う」

「なにか、ほかにないの?」

「あとは干し肉が少しと——あ、おい!」


 一瞬の隙をついて皮袋をひったくったヒナは、俺が大事に残しておいた燻製干し肉の塊にかぶりついた。

 数日ぶんの食料がものすごい勢いで消費されていく。俺が社交的な生活を心がけていなければ、今ごろ戦闘になっていたかもしれない。


 ——まあ、いい。

 情報料だと思って諦めることにした。

 食料はまだ充分あるし、目的の街は近い。平原を突っ切って行ければ、三日とかからずにたどり着ける。


 だが、そうだった。問題はそこだ。

 どうやって三日もの間、身を隠す場所もない平原で空からの監視を逃れればいい? 


「ガル」

 走っていくのは絶対に無理だ。ドラゴンを落とせる戦力——ヒナがたいしたドラゴンではない可能性もあるが、用心するに越したことはない。草を全身に巻き付ける? 追っ手の夜目が効く可能性もある。それでどこまで誤魔化せるのかは、やってみないとわからないし——


「ガル!」

「なんだよ。いま、作戦をまとめてるんだ。飯の話ならあとに——」

「いいえ。これは?」

「これって」


 間抜けなことにその瞬間まで、俺はまったく気づいていなかった。

 少しずつ大きくなる地面の振動。ざわざわと揺れる木の葉。明らかに近づいてくる、唸り声のような音。流れる砂粒——そして、その隙間に見えた巨大な牙。


 休む場所はもっとよく選ぶべきだったと、俺は後悔した。



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