第6話 ドッペルはどんな感覚か?

 冷たい風に吹かれながら登校すると、見慣れた面々が忙しなく荷物を運んでいた。主に男子達が運び手となり、慌ただしく行き来している。その中に混じって、丹羽ボスが荷運びしていた。

 おかしい。うちのボスは汗をかくような活動は人にやらせるのが主義だというのに。人が大変そうなのを見て愉快そうに酒を呑むような人なのに。

 塩湖は不思議になった。

 これはどうした風の吹き回しだろう?

 丹羽は荷物を運びながら、ちら、ちら、と視線を一点に持っていく。その先には、女子に囲まれて指揮を取る優男。見たことのない顔だ。ぼうっと観察しながら塩湖は歩く。

 研究室のある第二棟を潜ろうとした頃、遠目に、額に汗を滲ませた、段ボール箱を抱える八家が見えた。

 彼がふとこちらを見る。

 思わず塩湖は目を逸らした。

「塩湖だ! 労働力が来たぞぉ!」

 八家の声に丹羽の目が光った(ように、少なくとも塩湖には見えた)。メデューサに睨まれた気分で硬直していると、

「何ぼさっとしてるの、さっさと運んで!」

 丹羽の一声で、塩湖は感電したように動き出した。

「君が塩湖君かい?」

 例の優男が訊く。

「はい、まあ、多分。貴方は?」

「僕はスペシャルクリエイターの助手アシスタントをしている、相磯怜太あいそれいたです。多分ね」

 くすっとして、彼は船を見やった。

「彼女は訳あって、ホログラムとして参加することになって。至らないところは、僕が補助することになります」

「補助というのは、物理的なものですか?」

 繊細なナノドローンでは扱えないような、例えば重たいものを持ち運ぶ──とかであろう、と塩湖は想像して訊ねた。

「うん、まあそんなところかな」

「あのー、些かご無礼を承知でお訊きしたいんですが──貴方は運ばれないんですか?」

 がっ、という音を立てて塩湖の後頭部は削られた。丹羽が抉ったのである。酷い人だ、と涙目でボスを睨んだ。

「駄目に決まってるでしょ。彼は病弱で儚げなイケメンなんだから」

 丹羽は早口で捲し立てると、うっとりとした眼差しを相磯に注いだ後、さっさと行ってしまった。塩湖は腕を組み、問い質す。

「今のは本当ですか?」

 相磯は苦笑しながら首を横に振った。どうやら夢の話らしい。

 荷物は港へあると言うので行ってみると、モーターボートが停泊しているのが見える。運転手と思しきサングラスをかけた男が、中から荷物を取り、学生達に渡していた。隣では、陣間教授がニコニコとして見守っている。

 仕方なく塩湖もその列に並んだ。荷物を受け取り、八家の横に並ぶ。

「僕を売ったな」

「仕方ないだろう。それにこうも言うだろ、持つべきは友だってな」

「少なくとも荷物じゃないね。持たされるのは」

「友達は荷物だって言いたいのか?」

「そうなると荷物は友達になっちゃうよ」

「反論じゃなくて否定をしろよ。それにな、俺はお前に荷物を持たせたんじゃない。もたらしたんだ」

「君やかましいね」

 軽口を叩き合いながら、ゼミ室と港とを行き来すること十数分。室内は安全のためと言われてマットが敷き詰められていた。机やら機器類やらは隅に追いやられている。やがて器具が全て揃ったと見えて、部屋の中央に蚊柱が立った。そこへ真場の姿が浮かび上がるなり、

「皆、お疲れ様!」

 と、眩しそうに笑う。それを見て、塩湖を含んだ男子諸君の疲れが吹き飛んだ。

「僕ら、現金だね」

 塩湖は八家に耳打ちする。

「ああ。揃いも揃ってな」

 女性陣もまた、相磯という空気清浄機のお陰もあって、むしろ輝きを増したように見える。目の錯覚だろうか。目がハートになっている。

 つまり、彼女がこの場を掌握したのだ。塩湖はちらりと真場を盗み見る。この瞬間、力関係が確立されたような気がした。

 真場は皆を集めて「さて」と言い、

「お集まりいただきありがとうございます。それでは早速、これから皆さんには、デスゲームをしてもらいます」

「おいおい」八家が呆れた。

「というのは、半分冗談です。ぺろっ」

 舌を出して、真場は訂正する。

「さてと、これから皆さんにはAIの気持ちを分かってもらうべく、この装置を運んでもらったわけだけど……これが何かと言うと、感覚遮断装置ね」

 見た目は三角コーンのような代物を見て、塩湖達一同は微妙な空気になった。そんな空気を、清浄機のような男、相磯の近くに居る丹羽は免れている。

「この装置と連動させた指輪を身に付けると、筋肉に微弱な電気を流し、あら不思議。触覚が何も感じなくなるのです……ハネムーン症候※5みたいに」

「それって人体に害は無いんですか?」塩湖は心配になる。

「直ちに影響はありません」

「良かった……」ほっと胸を下ろす。

「良くねえって! 遅効性ってなだけじゃねえか!」

 八家の叫びに、真場はくすっとして、安全性は相磯で確認済みだから心配しなくて良いと言った。彼はどこか遠い目をする。塩湖と八家は互いに目を合わせ、それから相磯がせめて苦しまず逝けるよう祈った。

 それはともかくとして。

 指輪を身に付けて、装置を作動させてみる。と、次第に頭から血の気が引いていくような感覚があった。まるで無重力環境にあるかのような錯覚。というよりは、肉体が消えて無くなってしまったかのようだ。

 非常に不気味。

 指先一つすら動かせず、塩湖は立っていられなくなって、柔らかく倒れた。追随するように、八家や丹羽もくずおれていく。

 瞬きの動作すら難しい。呼吸はどうすれば良いのだろう。そう考えているうちに、息が辛くなってきた。意識してしまったからか、普段出来ていたことなのに、出来なくなった。

「はい、体験終了ー」

 真場の合図で装置が停止される。止めたのは相磯だった。窒息する手前という、絶妙なタイミングだったと言える。お陰で助かった。塩湖は既に、ぐったりとした疲労感を覚え、よろよろと力なく立ち上がる。

 手足に力が入らない。まだ脳が困惑しているのかもしれない。

「体があるのって不思議だな」

 そう思い始めていた塩湖だった。

 



※5

サタデーナイト症候群とも。発症する原理は違う。

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