第5話 現在の価値観、技術はどんなものか?

 解散の運びとなり、研究室を出ようとしたところ、「一緒に帰ろうぜ」と八家に呼び止められた。彼とは家が近い。何故なら同郷だからだ。鞄を手に取り、大学を出ると、大きな滝が左右に分かれて流れ落ちる景色が出迎える。

 ここは山間に掛けられた大きな吊り橋の上。ここが一つの国であり、塩湖たちにとっては、避難場所でもあった。

 数十年前──災厄が群れをなしてやってきた。異常気象、地震、津波、疫病に火災。彼らはまるで友達同士でもあるかのように手を取り合い、仲良く人間の暮らしを破壊した。まるで砂山を壊す無邪気な幼子みたいに。

 結果として、人類の大半は亡くなった。海面も数十センチほど高くなり、お陰で島は深く沈んでしまったという。その頃のことを塩湖は知らない。だから、他人事にそうした歴史を学び、残された技術と僅かな資源を受け継いでいる。

 からからから、という歯車の回る音。これが海面から水を汲み取って吊り橋を冷やし、滝のように放水する。塩湖たちはこれを水のカーテンと呼んでいる。海面上昇に伴って、平均気温は毎年のように上がり続けている。だから海水を使って冷却しようというのだ。

 ただし、海水そのものを使っているわけでもないらしい。塩害ということもある。つまり、劣化しやすくなってしまうから、先に塩と水とを分離してから、放水しているのだ。だから空気もしょっぱくない。

 分離した水は、一部を飲み水や水洗トイレに利用している。他にも、水力発電も行っているらしいが、それは塩湖の専門外だったから、どんな仕組みなのかは知らない。

 そんなわけで、塩湖たちは吊り橋の上に住んでいる。特産と言えば魚とか、山の幸が手の届く範囲にあるけれど、今や残された流通も水路のみ。空路は離着陸する場所がないし、道路は断絶。だから流通を考えると、一番お金になるのは労働力──それも、オンラインで片付くものはパフォーマンスが良かった。

 例えばそれはプログラムを組むこと、だったりする。

「俺、プログラム組むのあまり得意じゃないんだよね」と八家。

「必須技能だと思うけど」

「俺たちにはドッペルが居るんだぜ、やる必要ないだろ。死後リス※5入りさ」

 ドッペルは強いAIに分類される存在だ。フレーム問題を軽々と越えるのはともかく、プログラムまで自分で組んでしまう。

 塩湖は一度、自分の生き写しドッペルに聞いてみたことがある。

「ねえ、君にとってそれは子孫を作るのに等しいの?」

 彼は顎に手を当て、二秒ほど考えた後、こう言った。

「いや、創作に近いね」と。

 ドッペルは、いわばプログラム上の存在だ。ソフトウェアだ。それが、新たなソフトウェアを産む。それは単なる自己模倣でもなければ、複製でもない。複製ならば話は簡単だった──それこそデジタルの特徴なのだから。

 だが彼らにしてみれば、プログラムを組むという作業は人間のそれと似通っている(ように塩湖には見える)。その意識や姿勢とでも言うのだろうか、捉え方が不思議に思ったことがある。そのことを単刀直入に訊いてみると、

「仮説だけなら、大まかに三つあるけど」

 思案するように目を上に向けながら、そう前置きする。聞かせて欲しい。塩湖がそう言うと、彼は理知的な目を合わせた。

「①それが創造主の癖だから。僕らは確かにAIだ。でも、結局は人工物で、つまり真場結衣の指令した通りに動く一連の電気信号に過ぎない。ドッペルがプログラムを作成できるのも、そしてどのように考えているのかというのも、真場結衣の影響である、という考え」

「はあ、成る程ね。ドッペルをAIとして見るから不思議だったけど、裏にそれを作った人が居る、と思えば確かに飲み込めるかも」

 塩湖は頷いた。

「それで、二つ目は?」

 ドッペルはモニターに向けて指先を動かす。チャンネルが切り替わり、見知らぬドラマが流れた。彼はそちらに目をやりながら、

「②それが塩湖の考え方だから。僕らは人間を模倣するように出来ている。だから僕らに出来得る限りのことは、自分で行うようになっているんじゃないかな。プログラミングなら技量的に僕らにも出来る。うひょひょ。おっと、失敬」

「気味の悪い笑い方するなあ」

 ドッペルがちらりと塩湖を見やる。

「……話を戻すけど、それがどのような意味合いを持つのか、理解しようとすることなく。そしてもし、そこに意味を求めるのなら、僕にとっては君がどのように考えるか──それともどのように答えるのが望ましいかトレースして、それを答えたに過ぎないのかも」

「だとしたら不気味だな。僕は僕自身と喋っているだけだから」

「大差ないと思うけど」ドッペルは笑ってみせた。

「笑うツボも、もしかして学習しているの?」

「そりゃあね。僕は君のレプリカだから。いつも何を検索しているか、どんな広告を見て、何を思い、何をクリックしたか。呼吸するタイミング、足運び、表情、どれもが僕にはモチーフになる」

 塩湖はこの台詞から、人間とAIの近似性というものに着目し、論文を発表した。ここから真場と接点を持つことになるとは、この時は考えつかなかった。

「さてと、それで? 三つ目は?」

「③そのように僕が進化したのかもしれない。これは、ナノドローンという媒体の影響もあるのかも」

 ナノドローンとは、その名の通り、小さな小さなドローンのこと。元は軍事利用されていたものを、真場が立体映像ホログラム用製品に作り替えたものだ。

 それまでのホログラムと言えば、多くの場合、スノードームのようなものが使われていた。振ると粒子が舞い、そこに投影された光が輪郭を作る。そうすることで、ガラス内に物が現われたように見えるわけだ。

 ナノドローンによるホログラムも、原理は同じだった。彼らが蚊柱のように集まって、大まかな輪郭をかたどった後、光を放射し、細部を彩る。作り物感は否めないけれど、それでもガラスに閉じ込められていない、友人だったり恋人と一緒に歩けるというのは、感動したことだろう。

 難点と言えば、手を振ったりという素早い動きをすれば、光がチラつくこと。これはとても目に悪い。光を反射させるスクリーンとなるナノドローンが側にないのが原因だった。

 またもう一つ。触れ合えないことが問題だった。これは未だ解決されない点であるのだが──ナノドローンを細胞にしている以上、壊れやすいのだ。握手などしようものならその怪力さによって指がなくなる。これはちょっとしたホラーだ。壊した方も壊された方も目を剥くことになる。

 ホログラムを利用するのは、何もAIだけじゃない。先述したように、都市は分断されている。だから、ネット上から他の街へ散歩するのにも使われている──ナノドローンという仮初の身体を借りて。だから、久しぶりの家族との再会にも関わらずハグは出来ない。だからホログラム使用者は例外なく、接触恐怖症を患った。

 以上の約〇・五秒に満たない回想から戻ると、そういえば真場も同じだったな、と塩湖は思う。彼女もまた、ホログラムを使ってこの大学へ来たのだろう、と。

「そう言えば気付いたか?」

 と八家が訊いた。塩湖に心当たりはない。首を振ると、

「今日は俺、ホログラムなんだぜ」

「えっ、本当に?」

 まじまじと観察したが、そのようには見えない。ナノドローンによる光の投射は、まるでドットを打ち込んで作り上げたモザイク画のようなもの。傍目からでも『あっ、これは』と察せるのであるが、

「凄いリアルだね。どうやってるの?」

「ナノドローンで表面をコーティングしているんだ。光を投影するんじゃなく、モニターをカメレオンのように変色させて、俺の姿を映しているってわけさ。中身は空っぽだが、ね」

「これじゃ人間とドッペルの区別がつかなくなるね」塩湖は笑う。

「区別する必要がどうしてあるんだ?」八家は不思議そうな顔を浮かべた。


※5

死後リスト: 人生は(人間とAIの)二周ある、という思想を根底とした、死後にやり残したことをドッペルにやらせようというミーム。

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