第2話

「DEIって、知ってる?」

 と、真場は言葉を始めた。塩湖が頭を振ると、

多様性ダイバーシティ公平性エクイティ包括性インクルージョンのことよ。簡単な話、差別しないようにしましょうね、という思想なんだけど、ゲーム業界ではこの考えが浸透しているの」

 そうなんですねと相槌を打ちながらも、この話がどこに繋がるものか、塩湖には見当もつかない。

「昔は特に、ジェンダーを意識するようになった。これがある程度クリアされると、今度は身体障がい者に焦点が当てられるようになった。レトロゲームになるけれど、『ファイナルオブアス2』というゲームはご存知?」

「いえ、全く。ゲームには疎いもので……」

「ああ! だから、私のことをドッペル創始者としての反応うけは良かったのに、ゲームの話にはピンと来てない、って顔しているのね!」

 そんなに表情に出ているのだろうか?

「顔に出てるわよ」

「わお……」

「話を戻すけど、そのゲームの驚くべき点は、目の見えない人でもクリアできたことにあるの」

「でもそれって普通のことなんじゃあ」

 恐る恐る塩湖は言ってみる。

 塩湖の知る限り、今のゲームには、拡張現実AR技術を使った体感型のものや、微弱な電気と電気信号──によって筋肉刺激を促すこと──による没入型ゲー※2とがある。

 真場は普通ですって、と目を剥き、

「驚嘆すべきことよ……。当時、ゲームから得られる情報といえば、モニターから見える景色と音だけ。それなのに、目を使わずに最後エンドロールまで到達するだなんて……そもそも最後まで到達出来なかったプレイヤーだって多く居たんだから」

「そう言われると、確かに凄いことですね」

「そうよ! 今の礎を築いたのだと言っても過言じゃないわ!」

「はあ、それはそうだとして、今の話とAIと一緒に遊べるゲームの話はどう繋がるんでしょう? 古くからゲームにAIが使われてき※3のは、調べてみたことがあるので知っていますけど……」

「何よ、もう察してるじゃない。話が早くて助かるわ」

 いや何も分かっていませんけど──塩湖の弱々しい声は嬉しそうな真場のニマニマ笑いを前に立ち消えた。

「論より証拠、何より証拠! まずは体験よ! 陣間先生!」

 と呼ばれて現れたのは、この研究室の主である陣間真じんままこと教授。彼は孫を見るような皺の深い微笑みで真場に頷きかけると、機材を運び入れ、応接室の電気を消した。

「何故!?」と驚くのも束の間。

 中央に据えられた装置プロジェクタが、内装をがらりと変えていく。真っ白な壁は錆びた血染めの鉄格子に。ソファやテーブルはないものとして扱われ、代わりにくたびれた机やらボロボロのベッドへと様変わりする。天井からは一滴ずつ血が滴り落ち、そうして作られた血溜まりの中には、チカチカと切れかけのライトが見えた。

「真場さん?」

 気がつけばどこにも居ない。

「僕、ホラーが苦手なんですよねー!」

「これは体感型脱出ゲームよ。真ん中のライトを取ったらゲームが始まるの」

 部屋の外から声がする。ノブを捻ろうとしたが、固定されていた。つまり、本当の意味で閉じ込められている。

「無理無理無理! こういうの無理ですって」

「大丈夫だから……短いし、難易度も決して高くないし」

 宥めるような口振りだが、その声色からは断固として譲らないという意思が悟られた。即ち、やらなければ終わらない、終わらせない。

「これはゲーム、単なるゲーム……」

 怖さを紛らわせようと、塩湖は笑顔を作ったりして、そう唱える。どうやら自分は牢屋の中に囚われているようだ。出入り口には南京錠がなされている。ゲーム的に考えるなら、解錠するための鍵を探さなくてはならないはずだ。

 光明が見えた。

 いける!

 ライト──を模したコントローラを手に取った瞬間、明かりが切れた。不吉だ。どうやら手回し充電式らしい。回すジェスチャーをすると、摩擦音を立てて充電していく。

 と、コンクリートを踏み締める靴音。固い音が連続して、こちらに近づいてきている。相手に聞こえたのだろうか。思わず手を止める。だが、ライトは点灯。血によって赤く染められた光が、天井を照らす。

「やばいっ」

 焦りだけが空回りして、コントローラを振り回すも、どうにもならない。そうだ、ベッドの下に隠れてみてはどうだろう。意味はあるだろうか。そう考えて、ベッド──実際にはテーブル──の下に身を潜める。ライトは下に向けて、明かりを漏らさないようにした。

 足音がこだまする。

 止まり、この部屋の扉が開かれる音。

 心拍数が小動物のように跳ね上がり、胸が苦しい。

 口に手を当てて押さえる。

「ん……?」

 男の訝しむ声。彼の足が目に入る。塩湖は泣きそうになった。金属が擦り合う音がする。南京錠だろうか? 解錠されたらしい。それが地面に落とされるのが見えた。牢屋は呆気なく開く。吐きそうだ。

「ふむ」

 感動詞だろうか。思案気に考えているのか、それとも何かに納得したのか──

「ここだな?」

 ずいっ、とベッドの下へと顔が覗き込まれた。その顔は血塗れの塩湖そのものだった。叫ぼうにも喉が詰まり、息も出来なくなったので、そのうち塩湖は考えるのをやめた。


──

※2

没入型ゲームは明晰夢に近い。夢から覚める際に現実か否かを判別させるのではなく、夢の中で強く夢であると認識させる方式を取る。


※3

主にNPCを動かすのに使われている。

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