第3話 転入生はマスコットになるのが定め

「では、修身を終えた転校生を紹介いたします」


 二年一組の教室から聞こえた教師の声に、俺は身をすくませる。

 今から……女子の群れに飛び込むのか。

 短いながらも女性の立ち居振る舞いは学んだつもりだが、いざ実践となると緊張が走る。


「翆、俺大丈夫かな。もしバレたら……」

「心配性ですね。私は初見の時、棗を女性だと誤認したくらいですよ」

「それはそれで微妙だな……」


 心臓が鷲掴みにされて、強引に揺すられているようだ。

 じっとりと手汗がにじんでくる。


「では、入室してください」


 その声を合図に、俺と翆は教室内に歩を進めた。

 上履きの音は立てず、スカートは翻らないように。髪の毛が揺れることすらマナー違反だと言われそうな空気だ。


「では自己紹介をお願いします」


 教師は全員シスター服を着ている。

 俺たちを促している天吹先生もカトリック修道女の資格を持っている。

 制服も黒を基調とし、首元まで伸びた白いインナーと赤いリボンくらいが色彩として採用されている。


「初めまして、本日より皆様と勉学の机を共にすることになりました、神代棗と申します。どうぞよろしくご指導くださいませ」


 無言が痛い。

 刺すような視線が落ち着かない。


 バレてるのか?

 どこかで違和感のある動作をしてしまったのか?

 緊張はマックスまで高まり、もう吐きそうになる。


「キャーーーーー!」


 爆発したような黄色い声だった。

 耳、耳がいってぇ!


「なんて可憐なお顔でしょう。まるでビスクドールのようですわ」

「ご覧になって? まつ毛の長さといったら、童話に出てくる姫君そのものです」

「艶やかな髪……どれほどお手入れすればあそこまで輝くのでしょうか」


 待て待て待て。 

 なんだ、なんなんだこの反応は!?

 バレ……てない。どころか絶賛されてる。


「まるでテディベアのようですね」


 余計な一言がトドメを刺した。

 おい、シャルロット殿下。ブリーフィングで俺に会ってるよな。なんなら今朝も一緒に登校したよな?

 その呼び名を流行らそうとするんじゃない。


「ええ、シャルロット様の仰る通りだわ。くりくりの瞳は本当に熊さんみたい」

「ぷっくりとしたお腹もチャーミングで素敵……」


 ヤメロォ! そんな目で俺を見るなァ!

 この場でチョークの粉末をぶちまけて、全員の目を潰してやりたいところをぐっとこらえる。これは任務、任務。


「神代様の後では霞んでしまいますが、私も本日よりご一緒させていただく水鏡翆と申します。どうぞよろしくです」


「キャーーーーー!」


 こっちもかい。まあ、でもそれは分かるわ。


 翆は高身長・スレンダー・整った美人と非の打ちどころの無い外見だ。

 腰まで伸びた緑なす黒髪に、和風と洋風両方のいいとこどりをしたような顔の持ち主だ。つまり女子的偏差値がかなり高い。美人は特だね。


「今年は良い一年になりそうですね。素敵な皆様と同じ学友になれて光栄です」

「わたくし、小説の中の舞踏会に迷い込んでしまったかのようですわ」


 女生徒たちの品評は収まる兆しがない。

 そろそろ止めてくれよな、先生。

 いや、エージェント・天吹サンよ。


「ふふ、良き出会いは主からのお恵みですね。素晴らしき一年間になるよう、切磋琢磨してお励みなさい」

「はい、天吹先生!」


 教室内を一瞥する。

 今のところ棘のあるような視線や気配は感じない。

 本当にこんな場所にアサシンが紛れ込んでいるんだろうか。俺はどうしても何かの間違いではないかと疑ってしまうのだが。


「では、神代さんは前の席に。水鏡さんは後ろの席にお座りなさい」

「はい、失礼いたします」


 案の定、俺の隣はシャルロット・チューダー公女殿下だった。

 口元をわずかに緩め、笑いをかみ殺しているのが小憎らしい。


「今朝は学園を案内していただき、助かりました。チューダー様」

「こうして同じクラスになれたのは運命ですね。これからもよろしくお願いしますよ、ナツメ」


 こちらこそ、と鏡で練習した笑顔を作ろうとしたとき。

 再び真っ黄色の歓声で教室は埋め尽くされた。マジで硝子が割れるんじゃないかと思うほどに。


「聞きまして? あのシャルロット殿下からファーストネームで……」

「旧華族……いえ、もしかしたら王族の方なのかしら」


 えぇ……名前で呼んだだけでアウトなの?

 手でもつないだ日には、気絶する人が出るんじゃないか?


「驚いた、ナツメ? なのよ」

「お気持ち御察し致します」


 迂闊な発言も行動もできない。

 本当にこんな場所で護衛任務なんてできるのか? 習慣、いや、空気感に慣れるだけで精一杯だぞ。

 俺の頭の中では、不幸を呼ぶカラスが飛び回っていた。


「皆さん、そんなに騒がれては転校生の方々に失礼でしてよ! もっと淑女としての慎みをお持ちなさいませ!」


 キーの高い声で注意が飛んだ。

 声の主を見る。気の強そうな眉根を寄せ、栗色の長い髪ととび色の瞳を持った女子生徒が腰に手を当てていた。


「聖アガサの後進たるもの、常に貞淑と清貧であれ。生徒手帳の一ページ目をごらんなさいまし!」

「申し訳ありません、二条さん。とても麗しい方々をお迎えできて、興奮してしまいました……」

「私も言い過ぎました。皆さま、どうか不用意な発言をお許しください」


 確か学級委員の二条稀更にじょうきさらだったか。よくぞ一喝してくれたと、心の中でリポストしておこう。

 お嬢様学園と聞いていたが、諍いの締め方が巧みだ。もっと陰湿なものになるのかと思っていたが、意外にもサバサバしてる。


「神代棗さん、水鏡翆さん、お騒がせしました。クラスを代表してご無礼を陳謝いたします」

「気にしておりません……わ。どうぞ頭を上げてください」

「私も問題ありませんです」


 先生役の天吹が手をパンパンと打つ。

 意識が前を向いた時だった。


「ッ!?」


 ゾクリと背筋が凍るような殺気を感じた。

 俺は今、何もできない。完全に後手を踏んだからだ。

 このまま頭を吹き飛ばされても不思議じゃないほどに、空気が歪む。


「くしゅん。失礼しました。花粉症なものでして」

「水鏡さん、ブレス・ユー。お大事になさってね」

「ありがとうございます、先生」


 一瞬で世界が弛緩した。

 

 居る。

 確実にこの学級内に、暗殺者が。

 そしてそいつは、既に俺たちをロックオンしている。


「楽しめそうですか? ナツメ」

「殿下……貴女という人は……」


 朝のホームルームを終え、授業が始まる。

 昼餐のチャイムが鳴り、俺は弁当を……と思った時だ。


「よろしければ、私と一緒に学食へ参りませんか? ナツメのことをもっと知りたいのです」

「光栄です殿下。喜んでお供いたします……わ」

「まだまだですね……フフ」


 クソ、しょうがないだろうが。

 気を取り直した俺は翆にも声をかけ、シャルロット殿下主催のランチタイムを過ごすことになった。


「殿下に助け船を出されましたですね。早く女性の所作に慣れてください」

「結果は出す。それよりも翆、朝の―—」

「後ほどにしますです。今は『転校生』をもてなす『優しい殿下』と一緒に戯れるですよ」


 そうだな。

 今はまだ、見極めと修練が必要だ。


「殿下にお声がけいただくなんて、転校生の方々は幸運ですね」

「早く学園に馴染んでいただきたいですわ」


 クラスメイトたちの憧憬と応援を受ける。実は早く広い空間に出たくて仕方なかった。なにせ教室内は女性の匂いが充満しているからな。

 こちとら戦場で火薬とガソリンの臭いの中で生きてたんだ。急にファンシーなフレグランスに包まれたら、頭がおかしくなる。


 教室から去る際、一瞬だけ強い視線を感じた。

 振り返ってはいけない。気づいてる様子を出してもいけない。


「戻ってきたら、セーフティ・チェックだな。ああ、めんどくさ」


 気の休まる時間すらないことに、俺は思わず信じていない神にでも祈りたくなったのだった。

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