第2話 リボンが曲がっていましてよ

 熱烈なハグを受け、俺は急いで体を引きはがす。

 はがす……はがせ……ない!


「殿下、お戯れはそこまでになさいませ」

「そうでしたね。校風、でしたか。ローマに入ってはローマ人のしきたりにと」


 わかってるんだけど、わかってない気がする。

 現に俺を未だに抱きしめ続けてるのが良い証拠だ。


「お戯れはそこまでになさいませ、殿下」


 相棒の翆が強引にピックアップしてくれた。

 俺はちみっこくなった体で、ぜいぜいと大きく呼吸をする。

 くそぅ、肺まで小さくなってんだな。運動能力の低下が懸念されるな。


「シャルロット殿下。お立場をご理解下さってると思いましたが?」

「ええ、貴女方の方針に異はありません。この身はお任せしますよ、スイ」

「……であれば、斯様に目立つ行為は厳に慎んで下さいませ」


 そうね、と金色の髪を整えるシャルロット。

 いや、多分わかってないぞ、これ。

 昨日ブリーフィングしたよな。


「ねえナツメ、スイ。今日は一緒にお昼をとりましょう。アルビオンの美味しいお茶をご馳走しますよ」

「そう言っていただけるのは行幸です。翆はともかく、俺は―—」


 最後まで言えなかった。

 なんせすれ違う女生徒全てが『ごきげんよう』と挨拶してくるのだ。

 それに合わせて、俺も笑顔を作って返事をしなくてはいけない。


「なんて可愛らしいのでしょう。まるで天使様のようですわ」

「いえ、きっと聖アガサ様がお呼びになられた精霊かも」

「公女殿下の可憐さを拝見できて、今日も至福ですわぁ」

「翆様はきっと男装がお似合いになりそう。舞踏会が楽しみですね」


 もう言いたい放題だよ。

 まあ、公女殿下はわかる。

 社交界とかそれっぽい感じの場所で、華やかなデビュタントをしたのだろう。

 

 しかし、翆はなぁ……。

 ちらりと彼女を見やると、俺の疑念を察したのか熊でも殺せそうな目つきで睨んできた。


「リボンが曲がっておいでです、棗様」

「ぐえっ」


 振りほどけない剛力で、制服のリボンをぎゅっと締める。

 とてもじゃないが、この体で抗うことなどできやしない。


「仲がよろしいのですね」

「翆と? ……そう見えますか?」

「ええ、そう見えますよ」


 公女殿下の目は節穴、と。

 俺の頭の中で、新たに情報が更新された。



 聖アガサ学園では『修養期間』と呼ばれる、転校生向けのカリキュラムがある。

 この間は他の生徒から隔離され、学園のマナーやルールなどを学ぶことになる。


「翆、なあ、翆」

「うるさいですね……今いっぱいいっぱいなので、後にしてくれませんか」


 人睨みされて、俺はすぐに手元へと目を向ける。

 掌中にあるのは分厚いマニュアルだ。

 聖アガサのハンドブックと銘打った、一種の教典とも言えるだろう。


「これ全部覚えるのかよ。そもそも俺は集団教育受けてないんだよな」

「黙るですよ。いいですか、ただでさえ棗は元男なんです。少しでも襤褸が出ると、工作員に怪しまれてしまいます」

「それはそうだけど……参ったなぁ」


 窓を見る。

 そこには薄い茶色の髪をして、紫色の瞳をした子供……いや、少女が映っている。

 ちっこくて、薄くて、童顔。

 とてもじゃないが、先週まで砂漠で銃撃戦をしていたとは思えない。


「顔は変わってないです。身長くらいじゃないですか?」

「翆、それは何気に傷つくんだよ。もうちょっと慮ってくれても……」

「最初に会ったときは女性だと思っていましたし。TS薬、無くてもよかったのでは?」


 流石にそれはアウトだ。

 特に体育とかプールとか身体測定では致命傷になるだろう。


「一応俺に男の意地があるんだ。これは薬のせいなんだよ」

「拗ねる姿もチャーミングですよ」

「くそぅ……」


 マニュアルは概ね覚えた……と思う。

 エージェントたる者、重要情報は記憶しなくてはいけない。

 もっとも、最重要機密に関しては自白剤を打たれると危険なので、あえて覚えないようにはしている。


「そういえば翆、何度か組んだことあるけど、互いの事知らないよな」

「知ってどうするです? 見かけによらずえっちですね」

「そうじゃない。身元がお互いに保証できないなて思ってさ」

「機関が選抜したのです。それ以上の情報は知る必要はありません」


 Need To Know。

 兵士たる者、知るべき情報は必要に応じて与えられる。


 俺や翆が互いを知らないということは、任務に必要のないことなんだろう。

 それはそれで寂しい気がするが、それが機関の判断なら仕方がない。


「さて、では本命の話をしますです。棗、現状公女殿下の直衛が可能なのは『毒無効』の異能を持つ貴女しか居ません」

「そうだな。大佐から情報開示を受けてるかもしれんが、俺は『致死性』の毒しか防げない。睡眠薬や自白剤、今回のTS薬には効果が無いんだ」

「公女殿下の『毒』が噂通りであるのなら、私が接近することは死を意味しますです」


 草木を枯らし、大地を腐らせる……か。

 そんな特異体質を持ってしまった人は、一体どんな思いで生きていくのだろうか。

 少なくとも、俺が思っているほどお気楽な金持ち人生を歩んでいるわけではなさそうだ。もっとも、他の学園生までは考慮してないが。


「公女殿下の体質を研究すれば、万病が治る薬――エリクサーが製造できるかもしれません。ですが悪用すれば、人類を危険にさらしますです」

「よく留学なんて認めたよな。普通はこう……厳重に警備されるんじゃないか」


 籠の鳥でいることを定められている公女。

 同情する気持ちはあるが、任務は任務だ。理由くらいは聞いておきたい。


「それに関しては不明です。けれども、きっと……」

「きっと、何かあるのか?」

「いえ、これは私の勝手な予測ですので、任務のジャミングになってしまいます。忘れるのですよ」


 ひょっとしたら、俺と翆は同じことを思ったのかもしれない。

 籠の鳥だとて、世界を羽ばたく時間があってもいいだろうと。


 その時、手首の骨に埋められている装置が微細に振動した。

 これは機関からの連絡である。


「翆、イヤホンを」

「わかってます。こっち見ないでください」


 俺も翆も下着の中に隠し持っている。

 男の俺としては、パンツに手を突っ込むのは何の抵抗もない。

 だが翆は羞恥心というものが十分に残っているのだろう。ここは言うことを聞いておいた方がよさそうだ。


「HQよりノーブルドッグス、感度は大丈夫か?」

「ノーブル1よりHQ、良好なり」

「ノーブル2、問題ないです」


 机が二つだけ置かれている修身室で、俺と翆は耳を澄ませる。


「よろしい。早速だが、護衛任務を開始せねばならない。君たちが配属される学級にいる一人の生徒が、某国の暗殺者であることが判明した。少なくとも明朝には相手方にも知られるだろう」


 早すぎる!

 俺たちはまだ公女のクラスにすら行ってないんだぞ。

 慣れぬ土地と建物、そして文化の中で戦うしかないのか。


「しかし今回は相手がよかった。どうやら、相手はテトロドキシンやニコチン、アマトキシンなどを使うらしいぞ」


 テトロドキシンはフグ毒。ニコチンは煙草。そしてアマトキシンはキノコ毒の一種だ。どれも加熱では分解されず、人体にとって致命的なダメージを与えるものだ。


「明日にはクラスに配属されるのですが、名前や顔などのデータはありますか? 事前に捕捉できれば優位に立てますが」

「残念ながら鮮明な情報はない。そも暗殺者にとって顔などは使い捨てのものだ。固定概念が無いだけ、却って有利かもしれんぞ」


 確かに大佐の言ももっともだ。

 暗殺者が顔を晒すときは、既に要らなくなった顔だということだろう。

 相手が朝一で情報を得て、動くのはいつか。


「ノーブル2よりHQ。現状公女殿下のお住まいは大丈夫です? 何も学園で攻撃を仕掛けてくるとは限らないですよ」

「それについては問題ないだろう。日本での住まいを護衛しているのはアルビオンのロイヤルガードだ。侵入することも厳しいだろう」

「了解ですよ。では明日から公女殿下と密着していくとします」


 翆が憐みの目を持って俺を見る。

 密着って、おい。


「ノーブル2よりHQへ。オペレーション、テディベアを開始するです」

「ほっほ、それはなんとも可愛い名前だ。よろしいそれでいこう」


 大佐も乗るな!

 うぐぐ、明日から、俺はシャルロットの愛玩人形として、常に抱っこされてないといけないのか。


 恨むぞ、翆。

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