第4話 銀のスプーンが黒ずむとき

 テニスの大会でも出来そう。

 それが俺の学食に対する感想と評価だ。


「全校生徒が座れるんじゃないですか、これ。しかもこのメニューの数よ……」

「素晴らしいです。私はこの任務を受けた甲斐がありましたですよ」


 カルチャーショックとは恐ろしいもので、俺はミシュラン星付きの店にでも案内されたのかと誤認するほど、体が緊張してしまっていた。

 しかし周囲の生徒たちは気軽に談笑しながら食事をとっている。

 要は慣れ、ということなのだろうか。


「戦場に帰ったら、ついついナイフとフォークでも要求しそうだ」

「素敵なディナーが用意されると思いますですよ」


 券売機の前でにらめっこしていると、シャルロットは何も言わずにAランチセットを三枚買ったようだ。


「ここのAセットはとっても美味なのです。是非ご一緒にと思いまして」

「お心遣い感謝します。ほら、翆」

「私ははんばーぐが良かったのです……」


 飯レポしに来てるんじゃないんだぞ。

 どうもこのお嬢様学園というものは、警戒心を彫刻刀で削ぎ落していく効果があるらしい。クソ、ペースが乱れる……。


「こちらの席がよろしいのでは? 外にある松の木がよく見えますよ」

「……殿下、お席を選ばれる際は我々を先に向かわせてください。今のように即着席されるのは危険です」

「それはごめんなさいね。でもここはほら、入り口からの射線が切れているでしょう?」


 確かに言われた通りだった。

 ついでに言えば、警戒すべき高い建物は付近に無く、松の木も思ったより小さかった。狙撃の心配はひとまず薄れたか。


「失礼ししました、お考えを推し量れず申し訳ありません」

「ねえ、ナツメ。その硬い口調をおやめになりませんか」

「いえ……それは流石に……」


 公女殿下のご留学に際し、二人も転校生が来る。

 これはどんな馬鹿でも護衛だとわかる仕様だろう。

 であれば、それを内外に示すためにも敬語は使っていくべきだ。


「任務の都合上、この口調は崩せません。ご理解を」

「ご理解しません。そこで強権を発動したいと思います」

「何をなさるおつもりですか?」


 公女殿下は目の前にカップを三つ置いた。

 

「私は自らのことをファーストネームで呼び合うお友達が欲しい。貴女方は一定以上に距離を詰めたくない。であれば勝負して勝った方のいうことを聞くのが道理でしょう」

「その勝負は受けかねます。任務に脆弱性を付与する結果になれば、お命が……」

「そうですか、じゃあ仕方ないですね」


 分かってくれたか。

 こちとらただでさえ慣れない女性の体に戸惑っているんだ。

 余計な心配事は増やさないで欲し―—ん? どこに電話してるんだ?」


「はい、ええ。そのようにお伝え願えますか、次官殿」


 シャルロットがスマホをタップし、通話を切ると同時に俺たちに『機関』から連絡が来た。


「棗、こちらの暗号は『亀』です」

「……俺に来たのは『鶴』だ」


 鶴と亀。

 陳腐な符丁合わせだが、意味するところは『GOサイン』だ。

 つまりは公女殿下の御遊びに付き合ってやれ、負けたらいうことを聞け、という意味になる。


「……まさか上司に圧力をかけてくるとは思いもよりませんでしたよ。こういうのを職権乱用とか、パワハラっていうんですよ」

「勝てば官軍……でしたか。そんな言葉もありますよね」


 よくご存知でいらっしゃる。


「わかりました、で、どのような勝負ですか?」

「実に簡単よ。ここにミルクティーの入ったカップが三つあります。一つだけ致死毒が盛られてるの。それを当ててほしいわ」

「ッ!?」


 俺は懐に忍ばせているSIGザウエルに手をかける。セーフティを外し、そっと辺りを窺うように席から顔を出す。


「翆、エンゲージ・ディフェンシブだ。直衛は任せる」

「了解です。周辺の確保をお願いするです」


 どいつだ。

 厨房のコックか。それとも受け渡しの職員か。もしくは生徒か。

 不自然な動きは周囲には無かったはずだ。毒を仕掛けたとすれば、よほどの手練れかつ、隠密に長けている者だろう。


「ナツメ、スイ」

「殿下、お静かに。敵が観察しているはずです」

「それ仕掛けた人、知ってるの」

「ですから、お静かに……は?」


 今、なんと?

 知ってるのか、犯人を。


「状況が変わりました。今すぐその者の名前を教えてください」

「賭けに勝ったら教えてあげますよ」


 この人、自分が狙われてるのに緊張感とかそういうの、ないの?

 

「ふー、わかりました。賭けに乗りましょう」

「嬉しいわ。勝利条件は先ほど言った通りよ」


 毒入り紅茶、三分の一の確率か。

 普通の人間であれば躊躇するところだろう。しかし、相手が悪かったな。

 俺には致死毒は効かない。そして様々な毒の味も覚えている。


「確かめる方法は、どのようにすればいいでしょうか」

「ここに銀のスプーンがあるわ。ナツメが正解だと思うものにつけてくれれば、変色するはずよ」


 銀の変色。つまり毒性成分はヒ素か。

 古くは秦の呂不韋が飲んで自害した鴆毒ちんどく。中世においてはボルジア家の秘薬カンタレラとも言われている。

 毒殺魔の定石中の定石だ。


「なるほど、視覚で感じ取るのは不可能。嗅覚はミルクで封じた。そして味覚で試せば死……と」

「貴女方機関をどの程度信用していいのか、私にも試す機会は与えてほしいのよね」

「そちらが本音でしたか。ならば是非も無いですね」


 俺は自分から見て右端にあるカップを手に取り、一気に半分飲む。


「え、まさか……」

「これはハズレですね。飲んではいけないとは言われておりませんでしたので」


 酸味と苦みが調和された良い茶葉だ。とんだテイスティングになってしまったが、きちんと味わえて本望だろう。


「次は真ん中の……ッ!? ぐっ……」

「だから言ったでしょう? まさか飲むとは思わなかったって」

「これは……体が熱いっ、しまった、弱性の毒か……」


 情けない。

 公女殿下は恐らく知っていたのだろう。俺の弱点を。

 致死毒は効かないが、それ以外の微弱なものは効く。

 ゆえに薬なども効果があるのだ。


「翆、経過観察をして、解毒剤を―—」

「その必要はないでしょう。ナツメ、貴女の負けです」

「にゃん……らと……」


 いかん、口に力が入らない。筋弛緩剤か? 呂律が回らなくなってきた。


「だってナツメが飲んだの、アルコール入りだもの」

「はにゃ!?」


 にゃんてことを……。

 このお嬢様、学園にょどまんにゃかで、酒を混入させりゅとか。


「ふふ、にゃにゃん♪」

「ら、らまれ!」


 完全にしてやられた。

 らめら……あたまがまわらにゃい……。

 

「ちなみに当たりはこれ、真ん中でした」

「銀の黒色反応。ヒ素毒で間違いないです」


 そして殿下はその『当たり』入りミルクティを手に取り―—


「いただきます」

 

 一気に飲み干した。

 何の変化もにゃい。苦しむ様子もにゃい。

 にゃ、にゃにが起きてるのらかわからにゃい。


「だってこれ、私の血液を変化させた毒だから。自分で自分の血液を飲んだのと同じことよ」


 してやられた。

 これは大きな茶番。クソ、頭がふらふらする。

 俺たちの能力を確認し、ついでに性格も調査。そして弱点も発見と。

 

 そして飲んでしまえば、本当に毒が入っていたかどうかも不明なままだ。

 

「棗。これは一筋縄では……」

「ああ、この公女……暗殺されるのを、楽しんでやがる……!!」


 カップを綺麗にふき取り、シャルロットは優雅に一礼をしてみせた。

 それが憎らしいほどに可憐で、目を奪われたのは内緒にゃ。ひっく。

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