その羽を染めるもの
「どんな色にしようか、ずっと考えていたんだ。」
彼が初めて羽の色について話してくれたのは、その夜のことだった。
初めて見た色は美しい紅。
降ってくる木の葉はその紅を様々な色に変え、地に落ちても糧となる。
あんなふうな色がいい。
次に見た色は抜けるような空。
落ちていきそうなくらい澄んで底さえも知れず、どこまでも広く深く受け入れる。
あんなふうな色がいい。
そうしてふわふわと漂ううちに、たくさんの感情に触れる。
漠然と、生きるとはその感情の中の喜びや幸せ、感動を飲み込んで成長することなのだと思い出した。
最初から、意識を持ったその最初から、それを知っていたから。
流星群に喜ぶ若いふたりのそばで、おそらくは彼らの人生の中でも特別に幸せな瞬間に、永遠を誓う儚さを見た。
――それは淡い紅の感情。
山頂で老人が遠くを眺めているのを見た。彼の最後の登山なのか、やっと果たした登頂なのか
――それは濃い青の感情。
彼の登山を支え続けていた中年の男は、老人から一歩離れたまま、感涙にむせぶ老人を目を細めて見ていた。
――それはけぶるような緑の感情。
きっとみんな、どれかひとつの気に入ったものを選んでゆくのだろう。
たったひとつで成体になれるのだから、迷う必要なんてないはずだった。
夜の闇がもたらす静謐も、流麗な川のせせらぎも、キャンプの焚き火のきらめきも、どんなものも美しい。
世界はきれいな色であふれていて、それを目にする人間の心もまた十人十色、見ているだけで楽しい。
だからほんのひと口ずつを味見して飛び回った。
まだその頃はただの蛍火のようだったからけれど、だからこそ人里から離れた野山であれば、誰にも見つからずにいられた。
「きっと普通は何日か、何週間かで大人になるんだろうね。
誰か気に入った人間からたくさんいただいちゃえば、それで済むんだ。」
感情を食べたからって、人間には何の影響もない。
うれしい気持ちやきれいだと思う気持ちは外へとあふれるものだから、それを見つけて飛び込めばいい。大きな、あるいは強い感情であれば、それで一気に成長できる。
「でも、僕はそうしなかったんだよ。」
どんなものも捨てがたくて、自分の羽を染めるべき色を決められなかった。
恋を尊べば赤を、夢を追う気持ちを好めば青を、家族愛や友愛に感じるものがあるなら緑を選ぶだろうか。あるいはその思いがひとつではないことだってあるだろう。だからオレンジや紫の羽の妖精もいるし、とても濃い色の羽もあれば、淡く色づいている羽もあるのだ。
自分の羽をそっと持ち上げてみる。
あえてそれに名前を付けるならば、確かに紺や黒に近い。薄すぎて、紺や黒というのは恥ずかしいけれど、色がないと言い切るには、羽を透かして背の向こうに見える景色は暗い。
――
しばらくの沈黙ののち、彼女は羽を見せてと言った。
そして恥ずかしくなるくらいじっくりと眺めてから、満足そうにうなずいた。
「いい色だと思うよ。どんな色も全部混ざっている、君だけの色。
たくさんきれいなものや素敵なものを見つけて、全部大事にしたかったんだね。」
決めきれない優柔不断の結果だとは言わずに、そう言ってくれた。
――ああ、だからここに来たんだ。
この羽に、どんなこともできなかったとしても、きっと何かは残せるだろう。
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