可能性の魔法②

「冷めないうちに食べちゃって。」

さすがに紙皿では食べられないから、彼の分はマグカップにラーメンを分け、自分は鍋のままいくことにした。

「今度の休みは食器を買ってあげるね。」

そう言って鍋を抱え、彼のほうはあまり見ないようにした。

一応は大人の男だそうだから、まだそれほど親しくない自分には、あまり弱っているところを見せたくないだろう。

我を張るのではなくて、きちんと供された食事に手を付ける様子は、確かに大人だ。作った人の気も知らずに拗ねて、いらない、なんて言わないのだから。

しかし、本を足場に膝立ちでマグカップを覗き込み、爪楊枝で引っ掛けた一本を手繰って口に入れる作業は、もはや食事と言えるのだろうか。

「おい、しい。」

背中を向け、落ち込んだままの涙声でも言ってくれるところからも、本当にこの妖精は優しいのだ。自分のところに来たのがもったいないくらいに。

「それなら良かった。」

視界の端で、ふわっと羽が持ち上がるのが見える。あの羽は犬の尻尾くらいに表情が豊かだ。意識して動かしているときも多いけれど、こういう時には口にしない感情を表すのだろう。

それから照明を反射したわけではなく、中からキラキラと輝いた。それはこれまで見ないような現象だった。

すうっと美しい光は消えてしまったけれど、彼は気付いてもいないようだった。


「あのね、さっきの話だけれども。」

彼のほうの食事は終わったのか、本から飛び降りるとティッシュを引き抜いた。彼と同じくらいの大きさのティッシュにくるまりながら顔や手を拭くと、器用に丸めて玄関前のごみ袋に入れにいく。

自分もあらかたは食べ終えたので手を止めた。

戻ってきた彼は、また本の山の上に、今度は向かい合うように座った。

「僕にはあんまり力がないんだよ。」

「それって、その、小さいから重いものが持てないとか、そういうこと?」

そんなことは言われなくても見ればわかる。彼はニ十センチほど。この部屋にあるものと比較するならば、目の前にある五百ミリリットルのペットボトルとちょうど同じくらいだろうか。身幅はもちろんそんなにないし、重さだって卵ほどだ。飛ぶために軽いのかもしれない。

どのくらいの力があるかというと、電池の入ったリモコンは持ち上げられず、全力で押せばなんとか動かせる、といったところか。

「まあ、それもあるのだけれども、そうではなくて。

人間って、妖精の魔法を期待しているんだろ?僕にはそんな力がないんだよ。」

妖精で思い出すのは、北欧神話のティターニアやオベロン、シンデレラや眠れる森の美女で姫に魔法をかけるそれだ。妖精というのはいつも人の手の届かない不思議な力や現象とセットで思い出される。

しかし彼がボロをドレスにできなくても、摩訶不思議な祝福を授けられなくても、見たこともないほど不自然に青い目と髪、それから美しく澄んだ羽は妖精そのものだ。触れれば壊れてしまいそうなほどの繊細な腕を伸ばし、ほんの数ミリしかない指で手を握ろうとしてくる。

「昨日も今日も、君はご飯を作ってくれただろ?その気持ちがとっても嬉しかったんだ。

それなのに、この羽には力がたまってくれないんだ。」

たとえば部屋を暖かくするだとか、洗い物をするだとか、火や水の魔法の力が使えれば、きっとそのくらいはできるのに。

そう言って妖精は苦しそうに声を絞り出した。

「もしかしたら、僕でも君にたくさんもらったら、何か贈り物ができるんじゃないかと思っておねだりをしたんだよ。

それなのに、負担ばかりかけてしまった。

本当にごめんね、君に何もできないのに、たくさん奪ってしまうばっかりだった。」

雨粒よりも小さいくらいの涙がぽろぽろこぼれるけれど、美しいそれは宝石になるわけでもなくて、本の表紙にただ小さな染みを作った。

それを知れば、きっと彼はそれも気に病むのだろう。

君の大事なものを汚してしまったと言って。

それから彼はこの後きっと、いや、間違いなく、出ていくと言いだすだろう。


だから。


「部屋を暖めるだけなら君にもできるでしょ?お願いしたらやってくれるんだよね。」

「え?」

驚いたような顔で泣き止む。今その話、と思ったのだろう。

「リモコンのスイッチを押すだけならできるって言ってくれたよね?」

「それは、そのくらいなら、もちろんできるとも。」

しょぼくれた羽はしょぼくれたままだ。

「洗い物は、ちょっと難しいだろうけど、そのくらいは自分でできるし、わざわざやってもらうようなことじゃないよ。」

「でも、僕にかわりができたなら、君を助けられたはずなんだ。」

必死に言い募るのは、自分にできることが何かないかという必死さだけど、それは誰かのためではない。

この妖精は、何かできないといてはいけないと思っているんだ。そう思うと胸が苦しかった。

それは自分がいつも抱えているそれと同じ色をしている。

それのことならよく知っている。

痛いくらいに、わがままな自分と同じだ。同じだからこそ放っておけないと思った。


「君が使えるのはそんなありきたりの魔法じゃなかったんだよ。」

嘘かどうか証明もできない嘘をついた。

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