雨粒とバス
音を立てないようにそっとドアを閉める。
傘を片手に、もう一方にひさしぶりにゴミ袋を持って階段を降りた。
知らないうちに訪れた冬の空気は冷たくて、風は鼻を痛くする。
仕事のことは考えたくなくて、適当な思考の逃げ道を探す。
妖精は、まだ寝ているだろう。起きたら何をするんだろうか。
お願いしたら買い物にもついてきてくれたりするんだろうか。
それとも人にはあんまり姿をさらしたりしないんだろうか。
バス停について、スマホの雨雲レーダーを見る。まだ降らないなら、折りたたみ傘にすれば良かった。でも、それを探すことを思えば、今のビニール傘で構わないだろうという結論に達する。
退屈しのぎにもならないニュースサイトを閉じれば、今朝のことがよみがえってきた。
目覚ましの音に慌てて起きたけど、妖精は出てこなかった。
昨日は慎みがないと怒られたけど、心配だからそっと彼の部屋を覗き込んだ。
完全に眠っていた彼は、キラキラした紺色の瞳を瞼の下にしまいこんでいた。
作り物のように繊細な顔のライン、人ならざる青の色彩、毛布がわりのハンドタオルからはみ出した羽。
きれいとかわいい、それからほんの少しのりりしさがそこにはあって、見たこともないものに温度を与えるように、ゆっくりとみじろぎする。
小さな箱庭には、与えた覚えのないものがいくつもあったけれど、あまり見ていると起こしてしまう。カーテンがわりのハンカチを元通りにした。
言い返してくるのもかわいいけれど、あまり怒らせて出て行かれるのだけは阻止したかったのだ。
それにしても、そんなによく眠っているのはなぜだろう。不思議に思っていると、そこらへんにくしゃくしゃにして放っていたビニール袋がいくつかなくなっていることに気づいた。
普段なら気づかなかっただろうけど、昨日は買い物の量が多かったからわかったのだ。
袋はまとめてドアノブに引っ掛けてあって、弁当の空き容器がひっくり返っていた。きっとこれも片付けようとしてくれたのだろう。だけど、中身が入っていなくたって、こんなに小さい体ではとても運べなかったに違いない。
彼は彼なりに、何か私のためにしたいと思ってくれたんだろう。
ただ置いてほしいだけなら、余計なことなんてしないで、自分の箱庭だけ守っていればいいんだから。
なぜか無性に胸が痛かった。
痛い理由がわからなかった。
だから、バスに乗ったあとはこんなことはみんな忘れたかった。
でも、あの羽と同じ色の雨が降ってきたから、忘れることはできなかった。
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