ただいまマイホーム
今日も今日とて、思ったよりは遅い時間になってしまった。
スマホのメモには卵、牛乳、パンと書いてあったから、コンビニでそれだけは買ってきた。帰ったらどうせいないだろうとは思ったけれど、約束は約束だ。そんなに高いものをねだられたわけでもないから、無駄になってもいいか、と思ったのだ。
袋を引っ掛けた重い腕で、カバンの中から鍵を探した。
鍵を開けて、そっとドアを開けようとすると、少し明るい。廊下は暗いけれど、部屋には電気がついていた。
ハッとして慌ててドアを閉める。
それから少しだけ開けると、顔の真ん前に妖精が飛んできた。朝と変わらぬ元気さに驚くけれど、どうやら出迎えにきてくれたらしい。
「何をしてるんだい、開けたり閉めたりして。
早く入って。」
そう言うと、前髪を掴んで引っ張ってきた。
もしかして、待たせた罰として髪の毛を引き抜くつもりか。それならせめて一本ずつにして欲しい。
「痛いってば!」
涙目で抗議すると、満足そうな顔で手を離してくれた。
「ほら、夢じゃないだろう?」
へ、と声を漏らせば、おかしそうに笑った。
なんで前髪なんて引っ張ったのか、撫で付けながら聞いたところ、笑いながら教えてくれた。
「人間ってのは、だいたい面白いことがあると、自分のほっぺたをつねったり叩いたりするもんだから、夢かしらって顔をされたら、痛がらせたらいいんだろ?
顔に跡が残るのはかわいそうだから、髪の毛でも引っ張ってやればいいと思ったんだけども、違うのかい?」
どうやら手頃に痛がらせるために前髪を引っ掴んでグイグイしてきただけのようだ。
帰宅したところだからいいけれど、寝癖を整えた後で出掛けにやられたらたまらない。
「今度からは前髪以外にしてくれる?」
「ふむ。じゃあ耳の横のとこにしとこう。」
わかって言っているのだろう、にやけ顔はちっとも隠せていない。
「髪の毛はやめて。」
「わかった、わかった。君がまた寝ぼけたことをするまでに、よく考えておくよ。」
そう言って保留にしてきたけれど、やっぱり妖精はイタズラが好きなのだろうか。
施錠して振り返ると、狭いシューズクローゼットの上に降り、少しかしこまった様子で見上げてきた。
パッと広げた羽は透き通っていても妖精らしくぼんやりと光を帯びている。
玄関灯が薄暗いせいか、ほんのりオレンジ色に染まる羽はとても美しい。
彼ははっきりと言った。
「おかえり!」
だから彼に言った。
「ただいま。」
当たり前のことを言っただけなのに、なぜかとても胸が苦しかった。
顔を合わせて誰かにただいまと言ったのは何年振りだろう。
挨拶をする相手がいることの幸せを、やっと思い出せた気がした。
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