腐れ

曖昧

第一章

 冬夜。高層マンションの地下駐車場に入っていく一台の車。徐行し、蛍光灯が差し続ける光の中、駐車すると、静かにエンジン音が消える。車中の男は、深く背もたれにもたれかかり、天井に向かって一息ため息を吐く。薄暗く、エンジンが冷やされる音だけが聞こえる。その中、男はしばらく天井を見つめている。男は鞄の中からスマートフォンを取り出す。画面の光は男の顔面を照らし、男は微笑んでいる。

 〈今日は楽しかった。〉


 男はしばらく画面を見つめ、相手からの返信がないと悟ると、鞄を取り、降車する。車の内と外の気温差は激しく、一気に冷気が男の肺に流れる。白濁とした呼吸。靴が地面に当たる音。リズム良く、静寂の地下駐車場に響き渡る。エレベーターの上下ボタンを押す。機械が重々しく動き始める音。上階から降りてくる。2、1、B1。扉が開き、中へ入り、リズミカルに41と書かれた行先ボタンを押し、ドア開閉ボタンを押す。扉が閉まると、最初に体にかかる軽い重力を感じるが、いつの間にか消え、今乗っているこの鉄かごは動いているのかと、疑問を抱くぐらい静かだった。ちゃんと動作していることの指針となるエレベーター内につけられた位置灯を眺め、またため息をつく。ドアが開き、廊下を歩く。鍵同士がぶつかる音。部屋の前に立ち、鍵を鍵穴にさし、扉を開ける。

 「ただいま」息子と娘が満面の笑みで駆け寄ってくる。

 「おかえり。どうだった、幼稚園は」

 「ぼくね、おゆうぎかいでね。アラジンやくやるんだ」

 「わたしはね、びじょとやじゅうのベルやく」

 「そっか、楽しみだな。絶対見に行くからな」

 「うん」

 子供たちとの何気ない日常。この子達がいつか巣立っていくのか、と思うと、涙腺が緩くなる。

 「おかえり」妻のめぐみが優しく言う。

 「ただいま」ほっとした気持ちになる。


 「せーの、いただきます」

 夕食。お風呂に入り、子供たちを着替えさせ、リビングに集まる。リビングテーブルに並んだ彩り豊かな料理。メインはカレーライス。長男のけいは男、長女のゆいは恵の隣に座らせる。見回すと妻と子供たちの笑顔。天井につるされた照明器具のせいか、ダイヤモンドダストのようにキラキラして見える。

 男は、京がにんじんを避けてい事に気付き、恵が台所に立った瞬間に、即座ににんじんをこっそり食べた。男と京は、お互いににんまりした顔をしていると、唯がママ、と呼び、私たちの様子を悟ると、以前にもおんなじ光景を見たことあると言わんばかりに、またかという反応をし、家族全員で笑った。


 ——幸せだ。


 「ごちそうさまでした」

 子供は、自分たちが食べた食器類を慎重に台所へ運ぶと、ワー、とりリビングの片隅にある遊び場に走る。残りの食器を片付けながら、男は微笑む。

 食器同士がぶつかる音。残った食べ物をラップで密閉し、冷気が効いた鉄の箱が閉まる音。勢いよく液体が銀板にたたきつけられる音。ベトっ、と白い皿にこべりついた茶色うスパイスの効いた汚れ。一粒一粒の小さな泡がはじける音。泡は汚れを掻き上げ、深い谷底のような排水口へと流れてゆく。


 皿洗いをしていると、妻と子供たちは、私たちの馴れ初めについた話していた。妻との出会いは、同じ会社だった。同期だったこともあり、あっという間に仲良くなった。同じオフィス。隣のデスク。いつしかお互いを意識するようになり、いつしか恋仲の関係になっていた。何回もデートをし、一年弱でプロポーズをした。イルミネーションがが輝くテラスで、定番の王子様スタイル。周りにはカップルでいっぱいだった。もし今からする行為が実を結ぼうとしまいと、私は後悔しない。私は勇気を振り絞って言った。

 『結婚してください』

 『はい』

 実が結ばれた瞬間、周りは温かく拍手していた。今でもあの光景は忘れない。2か月して、妊娠ていることが分かった。双子。2人で喜び合った。これを機に妻は会社を円満退職した。お互いが納得するまで何日もかけて話し合い、出した結論。今思えば、妻はちゃんと納得して退職したのだろうか。本当は仕事に復帰したかったのでは、と考えてしまう。だからこそ、私は一層仕事と家事に専念した。妻と子供たちが何不自由なく過ごしてくれさえすれば、私は幸せだ。


 21時。子供達を寝つかせ、2人で晩酌をする。会社で起きた取るに足らない話をしながら、ほどなくして寝室へ入ると、お互い見つめ合い、愛撫をし始める。隣で寝ている子供たちを起こさぬように、静かに喘ぐ。今朝から決めていたこと。仕事中、何回想像した事か。一物を咥え、口の中は唾液が妖艶に動く音。上目遣いで、私のことを見る妻。私に跨り、一物は妻の中へ抵抗せず一体化し、何度も動き続ける。愛液はその動きの潤滑を促進させる。


 恵の興奮とは裏腹に、罪を犯した男は、興奮のこの字も感じていなかった。

 あの頃から、妻との夜の営みに対して気持ちよさよりも、罪悪感をもつようになった。妻は気持ちよさそうに、喘ぎ声が止まらない。もし絶頂を感じている彼女に、私の罪を教えたらどんな表情になるだろう。萎えないようにしているが、妻の顔を見るだけで血の気が引きそうになる。妻は獣のようにセックスを楽しんでいるが、私は気持ちよさを感じない。あのことを忘れようとすればするほど、記憶は鋭く濃く残る。

 男は恵と一緒に絶頂を共にした。全身がビクつき、麻痺し、硬直した。恵は男へ倒れ込む。男は恵を受け止める。体温が平熱より高く、体は汗ばんでいる。お互いの呼吸は荒く、行為後の高揚感を堪能している。恵は男の体を独占したまま動かない。男は天井の遥か遠くを見つめ、心の中で告白する。


 恵、——私の一物は穢れています。私は腐れ縁である同級性の男と不倫をしています。


    

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