第2話 再訪

 『かしの木ワンダーランド』は、地元に根付いたイベントをいくつも実施していた。そのうちの一つが、地元の子供たちの作ったタイムカプセルを保管しておくという企画だった。園内の専用スペースに、二人以上の人数で作ったものを埋めることができ、そこそこ人気があったのだと聞いている。

 俺たち三人は、小学校を卒業するときに、この遊園地にタイムカプセルを埋めた。始めに言い出したのは、早苗だ。早苗は根っからのイベント好きで、節目節目に、痛いほど定番なことをしようと提案してくる。このタイムカプセルは、そのうちの一つだった。取り出すのは、二十五歳になる年の予定だった。設定された年齢に特に理由はなかったはずだ。そのころの俺たちには、二十五歳の人間がどうしているかの想像なんて一つもつかなかったのだから。


 俺たちは、今年二十三になった。三人の入れたいものを入れたタイムカプセルは、この遊園地の専用スペースに今も眠っているはずだ。


「もう、かしワンなくなっちゃうからさ、回収しなくちゃと思って」

「いやいや、どうしてわざわざこんな深夜に?」

「そのほうがロマンがあるでしょう?」

 早苗は、指に引っ掛けたキーリングをくるりと回してみせた。

「伯父さんに、夜開けてくれって頼み込んでみたらオッケーしてくれたの」

 あまりにも管理が杜撰だ。急に気分が悪くなってきた。そんなことだから潰れるのでは? という最低な言葉を飲み込み、もう一人の幼馴染を振り返る。

「恭平もグル?」

「止めたんだぜ?」

 恭平は肩をすくめてみせた。昔から、こういう所作はなぜか様になる男だ。

「でもさ、ちょっといいでしょう? 三人でこういうことするの」

 ドキドキしない? と彼女は唇の端を持ち上げた。


 月の光の中を三人で歩くのは、成人式以来だったはずだ。そもそも、こんなに遅い時間に早苗と歩いたことはない。早苗の家は、わりに過保護だった。

 彼女の足取りを追いかけて、門のほうに向かう。恭平が鍵をかけたのだろう、車のライトが点滅して目を刺した。

 遊園地の門は、記憶にあるよりも小さくなっていた。もちろんそんなわけはないのだが。紺色の世界に浮かび上がるファンシーな門には、丸腰のゆるキャラが魔王の城にいるようなちぐはぐ感がある。『かしの木ワンダーランド』とポップな書体で書かれた門の脇、従業員用の金属扉を、早苗が開く。俺たちはなんとなく縮こまりながら、遊園地の中へと足を踏み入れた。

 入口の左には、土産物屋。右にはトイレ、目の前には園内地図、という配置は全く変わっていない。二股に分かれている道を右に行くとジェットコースター。左に行くとメリーゴーラウンド。アスファルトを走るカラフルな汽車の姿は、今はない。中央には池があって、灰色になりかけた白鳥のボートが月明かりの下で澄ました顔をしている。池の鯉たちは、どうしているのだろう。池で飼育している鯉の寿命は、五十年以上ある。俺が、小学生の時に餌をやっていた奴らも、まだ生きているだろう。


「タイムカプセル、どこに埋めたか覚えてる?」

「専用の花壇みたいなのがあったよな」

 俺は、園内地図をなぞる。

「確かここじゃない?」

 コーヒーカップの隣、「カラタチロード」と書かれた遊歩道。確かこの遊歩道に沿った花壇は、タイムカプセルを埋めるために作られていたはずだ。埋めた場所に花を植えることができるというシステムで、何種類かの花の中から好きなものを選ぶことができた。

「おお、さすが、よく覚えてるね」

「記憶力は、徹也が断トツだもんな」

 無責任な二人だ。

「お前らずっとここに住んでるのに……」


 俺たちは、左に曲がってメリーゴーランドの前を横切る。灯りのない遊園地は、神聖で不気味で無機質だった。園内を駆け抜ける風だけが、生ぬるい生命の匂いをしていて、早苗の髪を躍らせる。

「懐かしいねえ。徹也はいつも、黒い馬に乗りたがったよね」

 メリーゴーランドには、いつも三人で並んで乗っていた。俺は黒い馬ばかりに、早苗は白馬にばかり乗ったのを覚えている。回っていない木馬は、戦場に行く直前の兵隊のような凛々しさと哀愁を併せ持ち、濡れた瞳でこちらを見つめていた。

 池の側道を、六つの靴底が踏みしめていく。黒々とした湖面は、そこに息づく命を覆い隠して、頭上の光を映して揺れていた。


 俺たちが一番好きなアトラクションは、コーヒーカップだった。三人で並んで座ることのできる乗り物がこれしかなかったからだ。ハンドルはいつも争奪戦で、恭平と俺はいつも限界まで速度をあげようとした。早苗が、気持ちが悪いからやめろと言った時は、仕方なく速度を落としたものだ。

 そのコーヒーカップもやはり、思い出の中よりもくすんで、小さくなっていた。パステルカラーのカップと、地面に描かれたマーブル模様。ところどころ手すりの禿げた柵に肘をつくと、はがれた塗装がぽろぽろと服を飾っていく。

「乗る?」

 恭平がいたずらっぽく笑った。

「いや、別にいいよ」

 柵から離れて、カラタチロードの前で手を振っている早苗のほうに向かう。カラタチロードは、両側に花壇のある遊歩道で、ところどころに樹木が植えられている。きっとからたちの木なのだろうが、陸上植物に明るくないので自信はない。花壇に植えられている植物は、草丈五十センチ以下で決して派手ではなかった。一年草とおぼしきものもある。一度植えた花がずっと咲き続けるのだと漠然と信じていたのだが、そんなことはないのだろう。


「どこに埋めたか覚えてる?」

 早苗がこちらを振り返った。

「看板あるぜ」

 恭平の指さした足元に視線を移すと、確かにそこには金メッキのプレートがあった。20××年、つまりタイムカプセルが埋められた年と、学校名やニックネームが記されている。そういえばこんなものをつくったなと、今更ながら思い出す。全部覚えているつもりで、本当はちっとも覚えていないのかもしれない。

「名前何にしたっけ?」

「どうせ早苗の名前をもじったやつだろ」

「あのころの俺たちのリーダー、完全に早苗だったしな」

 花壇を覗き込みながら進むと、『ミゾサナ組』と書かれたプレートにぶち当たった。早苗は、小学校高学年から中学校にかけて、ミゾサナと呼ばれていた。

「ヤクザみたいな名前だな」

「やめてよ、私は穏健派なのに」

 恭平は茶化しながら、鞄からスコップを取り出した。俺たちのプレートの奥には、花のついていない植物が植えられていた。おそらく春に花をつけるのだろう。何度考えても、植えた花が何色で、なんという名前だったかは思い出せなかった。そもそも、花の名前など数えるほどしか知らない。

「この下でいいんだよな?」

 俺は頷いて、もう一本のスコップを受け取る。早苗はいつの間にか軍手をはめて、掘り出したカプセルを入れるためのビニール袋を開いている。

 黒々とした土をゆっくりと掘り返していった。

「この草、抜いていいのかな?」

「草って言わないでよ……でも他にも何か所か掘り返されているからいいと思うよ」

 辺りを見回すと、確かに地面にはところどころ穴が開いて、倒れかけている株もある。もう廃園になるから、あとは野となれ山となれということなのだろう。


 俺たちは、丸っこい葉が付いた植物を慎重に掘り起こす。花壇の土は想像以上に柔らかい。三十センチくらい掘り起こしたところで、スコップの先が硬いものに当たった。三人で、互いの頭を近づけてのぞき込む。

 果たして、そこにはラグビーボールのような形をした銀メッキの容器があった。

 恭平の手が伸びて、それをゆっくりと取り出す。周辺についた土がぼろぼろと落ちて、彼の白いTシャツを汚した。

「行こうか」

 早苗の言葉で、俺は自分が息を止めていたことに気が付く。

「うん」

 俺たちは、月夜の楽園を、思い出を抱いて行進していく。

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