第32話

 まったく自分で自分がよくわからない。あろうことか僕は本妻と連絡を取りたがっている。出て行ってくれてあれ程喜んだのに、彼女のことが気になっている。

 いま僕が本妻と繋がる手段といえば、消さずに残っているあの愛朽ちたメッセージへの返信しかなかった(彼女が携帯を変えていなければの話だが)。勿論TELをする直截な手段も無口なこの平べったい装置から除かれているわけではない。真莉マリと登録されている箇所に触れれば彼女の平べったいやつがあちらで鳴動する。ここに触れることにこれほどためらうとは思わなかった。いまは触れられない。舌を使って彼女と会話するイメージが持てなかった。仮に彼女が出て「なんか用?」と言われた時点で、僕はフリーズして何も返せなくなる。だから文字で尋ねるより他なかったんだ。

 あの日、電車で見かけた二人を最後まで追うことはできなかった。本妻の微笑む顔に不釣り合いなイリュージョナブルが忌々いまいましすぎて僕は自分のイリュージョナブルを握り潰したくなった。ただ黙って彼らが降りる駅まで僕は電車に残って隣の車両から二人の聞こえない会話に穏やかならぬ心を傾けていた。日暮里で下車した彼らがその後どこに向かいどこに住むのか知り得なかった。

 あの視認できる3Dの若造を見てからというもの、心の騒ぎが時間を追うごとに大きくなり収まることを知らない。思考を駆け巡るのは、僕がヤングマリーに行ったと同じことが、本妻とアイツとの間でも取り交わされているのかと、そればかりである。そしてそれはまず疑いようがないことだ。そう思えば思うほど僕の心は荒れた。

 そして、僕はやってしまう。彼女からの縁切りのメッセージに不覚にも返信してしまったのだ。送った直後に後悔したが、ネット経由の一方的なメッセージを破棄できないのはリニアな僕の無分別な思考によく似ている。


“korede oaikodaro hanasiwosinaika?”


 彼女の性格を知っていれば(知り尽くしているはずだ)、こんな条件闘争的な問いかけに彼女が応じるはずがないことはわかりきっていた。なので送ってしまってから後悔が募った。せめて“gomen”くらいどうして挟めなかったのかと後悔をさらに惨めなものにした。


“gomen korede oaikonisitemoraenaika? dakara hanasiwosiyou gomen”


 打ち直して眺めてため息ついて、それから消去して、またため息をついた。アイツらさえいなければこんなことにならなかったのに、と僕の頭の中に若い男女の人物像が浮かんでは消えた。

 すると、着信知らせが・・・。後悔募らせている間に彼女からのメッセージが返ってきた。喜び勇み僕は開封する。


“bengosi tatetenara”


 僕はホモサピエンスだ。僕は欠陥品・・・だ。そしたらホモサピエンスは欠陥品ということだろうか。そのホモサピエンスという生き物はどうして届かないとわかってから会いたくなるんだろう。ホモサピエンスはなぜ他の者に奪われると取り戻したくなるんだろう。ホモサピエンスはどうして当事者同士で解決できないのだろう。

 答えは欠陥品・・・だからだ。

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