第23話

 僕はイリュージョナブルに手を伸ばした。もしここでこれを外せば、ヤングマリーは消える。そうすれば間違いなく本妻はこの不思議な現象について問いただす。そして動機から犯行に及ぶまでの僕の行動を調べた上げた挙句、僕の大切な玩具がんぐを麻薬Gメンがやるように証拠物件として取り上げるだろう。

「本を読む用だよ」

 こんな嘘が通用するとは思わない。しかし僕にほか何が言えただろう。黙っておいた方がよかったのか。少なくとも近くのものを見る用ではない。寧ろ遠く(過去)を見るものだ。見え透いた行動であったが、カバンに入れてあったカミュを取り出し目を細めた。

「わざとらしいね」

 そうさわざとらしいさ。でももう開き直るしか僕にはないのさ。

「で、誰を待ってるの?」

 その意外すぎる疑問詞は開き直る僕をまた別の混乱に落とし入れた。

「誰って・・・」

 僕は隣の若いのに目を移した。気が動転して気づかなかったが彼女はまだダサいショートヘアの女の子の話を喋り続けていた。雑音レベルに落としていたから耳に入ってこなかった。彼女は本妻の登場に全く動じることなく僕と二人の世界に引きこもっているのだった。

「誰か来るんでしょ、ここに?」

 嘘だろ? 見えてないのか?

「それまで、ここいい?」

 本妻が引いた椅子は先にヤングマリーが座っていた椅子。それが誰も座っていないかのように軽々と動き、本妻は空いた席に腰を下ろした。

 想像を絶する世界だった。僕の隣にいるマリーは現在のマリーと、うん十年前のマリーが重なっている。うん十年前の方からはくだらないお喋りが滔々とうとうと続いている。いまの方は冷たい視線で僕を捉えている。驚いたことに彼女達は背丈も幅も座る姿勢も全く同じ枠にはまっていた。うん十年経ても本妻のスタイルは変わっていないというあかしだった。気にも留めていなかったことなので、重ねてみたこの貴重な体験は僕に新しい彼女の情報をもたらした。

 凍りついていた血が静かに流れ始めた。感謝だ。ドッペルゲンガー・・・・・・・・みたいなやつは起きていない。彼女達は同じ世界にいないんだ。僕には両方が見えている。しかし彼女達には僕しか見えていない。そうだよ、これがなければ見えるはずがないんだ。僕はイリュージョナブルにそっと手を触れた。ということはさっきの大胆な行為も見られてなかったんだ。なんだよ慌てて損したなぁ。緊張が急速に解けていくのがわかった。

「仕事の相手を待ってるんだ」

 わざとらしさも緊張解ければ下手は下手なりに堂にいってくる。疑うなら疑えばいい。僕らのデートが見られていないんだとすれば、他に来るはずのない待ち人を彼女がどんなに詮索しても、ここで待ち伏せても、一向に構わない。だって来るはずがないんだから。

「ふうん、仕事ね」

 信じてないんだろ。いいさ、僕はもう君の目を気にしなくていい。

「それって、ひょっとしてさ、本を見るものじゃないんでしょ。何なの?」

 ギクッ、また血がこおる。

「ちょっと貸してみ」

 彼女達の体が引きがされるように分離する。本妻の手が伸びてくる。彼女は僕に有無を言わさずイリュージョナブルを奪い取った。引っ張られる耳より肝の方が引きちぎれそうだった。イリュージョナブルを本妻が着けた。本日二度目の万事休すだった。

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