第22話

 季節が一瞬進んだかと思った。何処どこかから心地よくないとげとげしい視線かなにかを感じて、僕の守りレーダーを旋回させた時、背筋が震えた。

 大通りの向こう側の歩道に本妻が立っていた。僕を凝視している。

(なにがどうしていつから? ナニガドウシテイツカラ? nanigadousiteitukara?)

 脳味噌が混乱している。今し方の僕らの大胆な行動を見られたのか? 彼女の前でさらけ出してしまったのか? 僕の弱りかけた冒険心が吸ったり吐いたり忙しくなっている。

 僕は信号機にお願いした。どうか、そのまま永遠に赤であっておくれ。

 しかし無情にも歩行者信号が赤から青に変わり、本妻は雑踏の流れに乗って交差点を渡ってこちらへ向かって来る。ジョーズ登場曲、のようなものが頭でドコドコ鳴りだした。あの凍りつきそうな目が僕をロックオンしている。

げろ、げちまえ)

 使嗾しそうする裸の心に、隣の若いのが僕の行動を鈍らせる。彼女は相も変わらずあのタレントのヘアスタイルへの酷評を続けている。もはやそれは街の喧騒と何ら変わらない。

 座っていられなくて僕は腰を浮かせている。それでもヤングマリーのお口は止まらない。万事休す、とはこのことだろう。げ場を失った僕は本妻から耐え難い査問にあうんだ。こんなことになるんなら社内でもっといちゃいちゃしていればよかった。

 おびえる僕の前で本妻が腕組みしている。

「何してるの?」

 当然そう来るだろうよ。休日出勤した夫がカフェでくつろいでいたらね。

「休憩中さ」

「ここで?」

 職場から随分離れたこの場所で休憩する奇跡的な理由など僕は持ち合わせていない。しかも隣に若い女性がいるこのなりゆきをどう絡めて説明するのか。僕にそんな起死回生の回答が思いつくはずがない。或いは逆襲を試みて、

「君こそなんでここにいるんだ?」

 とやればどうだろう。ひょっとして彼女は僕を尾行していたんじゃないか? これをなじればどうだろう? 

 だめだ・・・勝算はない。買い物に来たと言われればそれまでだ。返す言葉もない。日曜日の繁華街に居て自然なのは彼女の方で、仕事だと言って出た僕にここに居る理由はない。ならば早々に謝るか。いや、謝れば非を認めて全てを白状しなければならない。

 それより何よりもだ、その浮気相手の女性と本妻、つまり本人同士が邂逅かいこうする(ドッペルゲンガー、確かそんなんだっけ?)このアンビリーバボーな事態は何を引き起こすのか? 何か恐ろしいことが起きるのではないか。どこかでそんなことを読んだ記憶がある。さっきまでの興奮に満ちた幸福はもうすっかり姿を消していた。どんな言い訳も思いつかない。

 本妻は言った。

「どうしたの、その変なメガネ?」

 そこでようやく僕はイリュージョナブルを外せばよかったんだと遅すぎる挽回策ばんかいさくを、彼女から教えてもらう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る