第18話
しかし、こうした僕達の密やかな幸福は、正確に刻む時の制約ではなく、同じ屋根の下に棲む確かな存在の見えざる監視による制約を受けた。次第に僕だけがこの制約に絡め取られていった。僕の腕に抱かれるヤングマリーにはその影は及びはしない。何故なら、あの写真時代の原型である彼女が、彼女を超えようはずがない今の実在に怯える理由がない。ヤングマリーは僕の腕のなかでただ
本妻の言動に僕のシェルター滞在の長さの指摘を超えた、いわゆる詰問が加わったのは、幸福に相反し増していく僕の怯えに、彼女は確信めいたなにかを得たのだろう。
「何か隠してるでしょう?」
彼女が問いかけるのは紛争地帯(キッチン)で僕が冷蔵庫を開けるタイミングだった。背中を向けて食べ物に気がいっている隙が攻撃するにもってこいなんだろうが、いつか僕は冷蔵庫を開けられなくなるはずだ。
「隠してる? 僕がかい?」
振り返りはしなかったものの、もう冷蔵庫から気は離れていた。無意識に食べる気もないらっきょうの瓶を掴んでいた。機械的な冷気は僕の動揺を鎮める役割を何ら果たせやしなかった。
「別に
「何だよ急に。何のこと言ってんだよ?」
「ふうん」
「な、何?」
「それ言ってる時点でもう何かありだよね」
「言っている意味わからん」
「だから、君はね、嘘や隠し事してるとき必ず言うんだよ。何だよ急にって」
「馬鹿馬鹿しい」
嘘と言われて少し頭にきた。嘘はついていないからだ。しかしそのやけっぱちな態度さえ彼女の攻撃のネタとされてしまう。
「それも。形勢不利になると馬鹿馬鹿しいってふてくされるんだよ。絶対クロだね」
こうして彼女は僕の口を封じておきながら追い詰めていく。
「言ってごらん、何隠してんの?」
ベテラン検察官さながらである。彼女の推測は間違っていない。けれど、もし僕がこれに弁明するなら、
(これは浮気じゃないんだマリー、君を愛し直しているだけなんだ)
こう陳述したい。しかし、それが全く彼女に通用しないことは火を見るより明らかなので、僕は黙秘を行使するより他なかった。
らっきょうを掴んだまま突っ立っている僕に、彼女は冷蔵庫から送られて来る冷気より遥かに冷たい視線を僕に投げかけていた。耐えかねて僕はらっきょうをひとつ摘んで口に入れた。何の味もしなかった。
黙っている僕を、彼女も黙して僕を見つめている。彼女の沈黙がどんなにたくさんの言葉より痛かった。痛いと心が感じるということは、僕が弁明の言を持っていようがいまいがそれが力ないものとして僕の中で掻き消されてしまうことを意味する。二人に漂う沈黙は、どんどん僕だけを気まずいものにした。
「行ってくるよ」
こうしてまた僕は
(言ってごらん、何隠してんの?)
耳元でずっとそう囁かれていた。
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