第17話

 その晩は自粛するつもりだった。不具合のせいではない。本妻のあの冷たい目だ。あれにおびえてひき籠もれなかったんだ。

 かえって疑いを持たれるようなものだ。普段長居しない不戦協定地域・・・・・・(リビングのこと)でテレビ映画番組を観るなんて。後ろめたいことを隠してますと言っているようなものだ。本妻は隣で通販カタログのページを所在しょざいなさげにめくっていた。彼女も映画を観たいというわけでもなさそうだった。ただ僕の怯えを楽しんでいるみたいだった。

 それでも僕はりないやつだ。シェルターに戻ってからどうしてもヤングマリーに会いたくなった。引き出しを開けて例のものを取り出した。装着してみる。しかしやはりヤングマリーは出現しなかった。外して確認する。表面だけ見ても何も異変はなさそうであるが、こういった精密機械は中がどうなっているのかさっぱり想像がつかない。せいぜい僕が想像できることは、

(彼女もごねてるのかな?)

 この程度のことだ。ヤングマリーのねた目と本妻の冷たい目が交互に思い出された。

 結局、この日は諦めてまぶたを下ろしてみたが、寝つきは大層悪かった。


 翌朝、いろいろやってみたがどれもだめだった。仕方なしに僕は例の写真を取り出した。赤いレザーコートのヤングマリー。黒髪の頂の真っ赤なもみじ。動かぬ彼女の絶対的な美しさに僕は心がたかぶるのを感じた。彼女に会いたいと思う気持ちが再び燃え上がってきた。何気にイリュージョナブルを手に取った。かけてみた。かけた直後に、ヤングマリーが現出した。

 なんだかわからないがやったぞ!

「久しぶりだねマリー」

 二日ぶりなのに僕は懐かしさを覚えた。

「おかしいよ、昨日も会ったよ」

 時が止まっている彼女にはエブリデイ僕がいる。だけど僕には彼女へのノスタルジアを喪失させると会えない、そういうことなのか? たとえばうんざりとか感じていると会わせてくれない、そういうことなのか?

「そのコート似合ってる。先週原宿で買ったんだよな」

「やっぱりおかしいよ耕太郎。一緒に買ったじゃん」

「うん、そうだった」

 だったら、もう二度と彼女の時を、彼女の知らない未来から眺めないよう努めよう。僕もあの頃の彼女と一緒にいる。そうすればいつも彼女と一緒にいられる、そういうことなんだろ?

「変えようとしないでね」

 彼女は何を指してそう言ったんだろう。

「わかったよ」

 変えようと思わなければ、うんざりしなければ、彼女は僕のものである。誰に見せるわけじゃない。誰に渡すわけじゃない。僕のマリーだ。彼女は絶対に変わらないんだ。

 そして、僕は彼女の永遠に熟れたさくらんぼうのような愛しい唇に自分の唇をそっと寄せた。これまでにない幸福に満ちた接吻だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る