第19話 お倫、一宿一飯の恩義を返しに赴く

 お倫が菅谷十内の庵を後にしてから既に三年有余が経っている。一宿一飯の義理が絡んで喧嘩の助人に立ったこともあったし、悪い奴らに難渋している町の衆を助けたこともあって、己の意に反して渡世人の間で名の売れたお倫は、次第に世間狭くなって来ていた。土地の親分衆は、揉め事の折の助人にとの魂胆から何かとお倫をもてなそうとしたし、駆け出しの三下やくざは、折在らば、お倫を倒して名を挙げようと躍起になっていた。お倫は自ら名乗ることは極力避けて通るようにした。

今日もまた、仇を求めてのお倫の忍び旅が始まった。

旅籠の主人と女将に見送られて外へ出たお倫は、編み笠を深く被って、一宿一飯の仁義を通さねばと、富蔵親分の家へ急ぎ足に歩を進めた。

 富蔵の家では、雨戸を外し土間でどんどん火を焚いて、三十人ばかりの子分達が縄だすきに白の鉢巻、草鞋を履き四斗樽を抜いて、手に手に竹槍をついて殺気立っていた。

土間に立ったお倫の姿が見えたのか、すっかり支度を整えた富蔵が草鞋のまま奥から飛び出して来た。

お倫は丁寧に腰を折って昨夜の礼を言った後、「喧嘩ですかえ?」と尋ねた。

「なぁにね、あんたなんざぁご存知無ぇだろうが、宿外れの博打打ちで岩五郎って奴があっしの縄張りを狙ってやしてね。以前から度々いざこざが続いていたんだが、愈々、今日、決着を付けることになったんだぁな。此方は元よりその覚悟、午刻を合図に繰り出すところだぁ」

それを聴いたお倫は嫌な顔をした。

「あんたのような腕の立つ助人が居てくれりゃ百人力ってもんだ。何しろ向こうには用心棒の侍が何時も三、四人はごろごろしているんでなぁ」

「わたしゃ、厭ですねぇ。どうしてこうも物解かりの悪い喧嘩好きばかりが居るんでしょうね。わたしゃ喧嘩は嫌いですよ、親分さん」

「何?」

「親分さん、こりゃつまらない喧嘩ですよ。睨み合って居たって良いじゃありませんか。血肉を分けた親子兄弟という訳ではあるまいし、隣同士だって口をきかない処もありますよ。睨み合うのが嫌だから喧嘩をして、斬るか斬られるかの生命の遣り取りをする、馬鹿馬鹿しい話ですよ。わたしゃ、喧嘩は嫌いですよ」

「お倫、ちと言葉が過ぎようぜ」

「どうです、親分さん。親分さんは何が渡世です?岩五郎ってお人は何が渡世です?まさか喧嘩が渡世ではござんせんでしょう。博打打ちが渡世なら博打を打っていれば良い、喧嘩は渡世の外ですよ、親分さん」

「何だと、このアマ!」

「まぁ、まぁ、そう慌てないで下さいまし。喧嘩が渡世ならごろん棒ですよ、わたしゃお手伝い出来ませんねぇ。博打打ちが博打を打たないで喧嘩をしたいのなら、ごろん棒になれば良うござんすよ」

「お倫、言わせておけば!・・・」

「兎に角、わたしの言うことをお終いまで聞いて下さいまし。親分さんと岩五郎って人は二人とも博打打ち、何もむきになって、持ち慣れない脇差なんぞにものを言わせなくとも、盆の上でカタをつければ良いじゃござんせんか。丁と半で争って勝った方が思い通りにする、それで良いんじゃありません?」

「・・・・・」

「親分さんの欲しい縄張りも、岩五郎って人が欲しがっている縄張りも、凡その見当は付きますよ。兎に角、この喧嘩、もう一刻ほどこの倫に任せて頂けませんか?ね」

「待ったらどうするんでぇ」

「わたしが先方へ行って裁いて来ますよ。もし一刻経っても帰って来なかったら、その時ゃわたしが冷たくなっている時ですよ。後の事は親分さんの勝手ってもんです」

一同は呆気に取られて無言であった。土間の焚火がぱちぱちと赤い火花を散らして天井まで届くほどに燃えた。

お倫は既に外へ出ていた。

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