第18話 お倫、仁吉親分の恩義を返す

 別れて半丁余り、お倫はつと脇道に逸れた。

今を盛りの竜虎って男がどんな人間なのか、金で役人を買い馴らして銭にモノを言わせるなんてのはどうせ碌でもない人間だろうが、少し探ってみよう、とお倫は思った。

 中食に蕎麦をすすり、甘党の茶店で汁粉を飲み、神社の境内を漫ろ歩いて、評判を聞いて廻った。

近在の者は誰も、竜虎一家の仕返しや後の祟りを恐れてか、口を噤んで定かには言わなかったが、竜虎を褒める者は誰一人として居らず、中には竜虎を真に憎んでいる者も居て、大筋の粗は察しが着いた。素人衆が混じっている盆茣蓙で、壷振りにいかさま賽を振らせる、お滝という妾に営らせているいかがわしい茶屋の上前を刎ねる、子分にやらせている口入稼業で、金に詰まった商家や百姓の娘を五両や七両で買い取りお滝の茶屋で客を取らせる、そうして揚がって来た金を袖の下に使って役人を抱き込む、ざっとこんな素性が浮かび上がって来た。竜虎が今、住まっている家も近くの豪農から借金の形に巻き上げたものらしいと言う。六代続いた元の住人は博打に引き込まれて負け続け、屋敷を追われて親子八人、今では行方さへ知れないということだった。竜虎は将に碌でもない奴だった。

 お倫は、その屋敷を下調べすることにした。

それは松並木を遠めに観る平地の真中に鬱蒼と繁る防風林に囲まれて建っていた。

屋敷の四方は白壁の塀に囲まれ、その塀に沿って三尺ばかりの側流が在った。欅の門の中には広い前庭の右側に蔵が二戸、母屋の入口は棟の入り込んだ瓦葺の屋根に白壁つくり、どう鑑ても博打打ちの住居ではなかった。

お倫は決めた。こんな奴がのさばって覇振りを効かせていたのでは近郷の人たちの為にもならない、それに何より、一月余りに亘って世話を被った仁吉親分への恩義がある、鉄五郎さんの無念の思いも晴らさねば・・・。お倫は初めて、一宿一飯の助人仕事でなく、自らの意思で竜虎を討とうと心に決めた。旅渡りの身に明日という日は覚束無い。やると決めたら今日の内である。

 お倫は屋敷の外で様子を窺った。刻は既に暮れ六つ過ぎて、辺りは薄暗く暮れなずんでいる。

待つこと暫し、草相撲の体躯その儘に大男が腹を迫り出し、前と後ろに一人ずつ、右と左に一人ずつ、四人の幹分に護られて、門の外へ表われた。行く先は宿場の方のようだった。

お倫は着かず離れず、見え隠れしながら後を尾けた。

 

 親分以下五人がふんぞり返って潜ったのは大きな茶屋だった。昼間に話に聞いた妾お滝の店らしかった。往来には未だかなりの数の人が行き来し、店も獲き入れ時のようだった。

お倫は通りの向かい側で暫く佇んでいたが、やがて、つかつかと店の中へ入って行った。丁度、燗酒を盆に載せて上へ運ぼうとしていた女が、階段の中ほどから見下ろして言った。

「何だよ、あんた、門付けなんぞ呼んだ覚えはないよ。さっさと出てお行き!」

親分の威を借りた荒高な物言いだった。

お倫はそれには応えずツツーっと土間から上り臥まちへ跳び、トントントンと女の後から階段を昇った。

驚いた女が振り向いて「ちょいとお待ちよ、お前。何処へ行くんだよ!」と言いながらお倫の肩を押そうとした。お倫が突き出された腕を手繰ると、女は空を突いて階段を転げ落ちて行った。女の「わあっ!」と叫ぶ声と徳利の砕ける音と盆の刎ねる音がけたたましく店うちに響いた。

騒ぎを聞きつけた幹分の一人が刀をぶら提げて部屋から出て来た。

お倫は、たたっと階段を昇り切り、さっと男の前に立った。

「何だ、手前ぇ、何の真似だ!」

言いながらお倫を平手打ちしようとした。お倫は身体を沈めながら三味線の先で男の顎を突き上げた。男はもんどり打って階下へ落ちた。

半開きの障子をがらりと開けて敷居を跨いだお倫が言った。

「竜虎の親分さんですね。仁吉親分を陥しめ鉄五郎さんを騙し殺したその無念と怨み、居合いのお倫がお命頂戴仕ります」

居合いのお倫と聞いて幹分達は一瞬、緊張し動揺したようだった。

「居合いのお倫だと!構わねぇから叩っ斬れ!」

竜虎が叫ぶより早く、幹分の一人が突いてかかった。ひらりと避わされた男の刀は、手首までもと思わんばかりに、壁に突き刺さった。その肩から袈裟掛けに、眼にも留まらぬ腕の冴えだった。

「うんっ!」と言ってもう一人が、お倫の背中を狙って突きかかるのを、すっと逃げて胴への逆手斬り、鮮やかな早業だった。

「この野朗っ!」

三人目が色青ざめ、口をブルブル震わせて突き出す刀をぴゅっと払い、腕から胸へ真横にさっと斬り抜いた。

 お倫が、さあ、竜虎親分、今度はお前さんの番だ、ときつい顔付きで振り向いた。

竜虎はガタガタ震えて、眼も口も開けっ放しにしていた。肥満大兵の身体が見かけに依らぬあまりに無様な有様だった。

「親分さん、肝が潰れて口が利けないんですか?」

竜虎の手にした刀が、身体の震えと共にピカピカ閃いているだけだった。

「柄は大層ご立派ですが、中味はその程度のしみったれた男だったんですか?仁吉親分は見かけのデカさに力負けしなすったんですかねぇ」

「旅人、俺が悪かった、勘弁してくれ!」

「親分さん、往生際が悪いですねぇ。親分なら親分らしく、せめて死んで行った幹分の為にも、最後だけは悪びれずに斬ってかかって来たら如何です?」

「まあ、そう言わずに俺の話も聞いてくれ!」

「竜虎親分さん、聞いた噂は、どれもこれも、一つ残らず良かぁありません。あんたは人の世の害毒ですよ、皆の衆が難儀するだけです。南無阿弥陀仏・・・」

「野朗、このアマ!」

これが竜虎の最後の一言だった。

 

 茶屋を出たお倫は仁吉親分に心の中で呼びかけた。

親分さん、これで宜しかったでしょうか?お受けした恩義の何分の一にも当りませんが、鉄五郎さんの仇ともども、お倫のお借りした恩義の一部と思し召して、お心安らかにお過ごし下さい・・・

 翌日、その噂話を耳にした仁吉親分は嬉し涙と己の情け無さ涙を併せ流した。

「お倫さん、済まねぇ。あんたに俺の凶状を持たせちまった、お尋ね者の長い草鞋を履かせる羽目に落としてしまった、勘弁してくれ、な。鉄五郎は生涯俺が弔うからもう気にしねぇでくれ、有難うよ」

お倫は既に三里先の旅の空だった。

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