第12話 お倫、子連れの女を助ける
夕暮れ前の宿場には大勢の人が慌しく往き来していた。
ひたひたと急ぎ足に目を伏せて歩いていたお倫がふと顔を上げた視線の先に、子供連れの女が通りの真中で両手両膝を地に着いてへたり込んでいた。お倫は急ぎ足に駆け寄って女を助け起こした。
「どうしました?大丈夫ですか?」
顔を上げた女は二十七、八歳の細面、ほつれ毛を誑したその額には汗が滲んでいた。
女の子は七つ八つで心細そうに母親の顔を窺って居た。
「ああ、済みません、大丈夫です。ちょっと立眩みがしただけですから」
そう言って女は立ち上がった。が、五、六歩行った処で今度は道端に在った天水桶の傍に板塀を背にして凭れ込んだ。
お倫は直ぐに傍へ寄って女の額に手を宛がった。
「熱いですね」
これは駄目だ、と思ったお倫は、自分の竹筒の水を一口女に含ませた。
「家まで送りましょう、歩けますか?」
「はい、有難うございます」
女は立ち上がったが、直ぐによろけて立ち止まった。
「無理の様ですね。わたしの背中に掴まって下さい」
腰を屈めて女を背負ったお倫は、三味線を女の子に持たせて歩き始めた。
女の家は宿場に続く町屋の半ばに在る裏長屋の一軒だった。
家の中は綺麗に片付いていた。女のきちんとした堅気の暮らし振りが察せられた。
押入れから布団を引き出して女を寝かせたお倫は直ぐに、小さな盥に水を満たして手拭を濡らし、軽く水を切ってから女の額に乗せた。
「済みません、済みません」
女は身を縮めて恐れ入り、何度も礼を言った。
それから、子供と女の夕餉が気になったお倫は、お櫃や鍋の中を覗き、水屋を開けてみたが、食べる物は何も無かった。それだけでなく米櫃にも米は無かったし煮物にする大根や菜っ葉も何一つ無かった。
お倫は直ぐに女から問い質した米屋へ走って米を誂え、煮売屋で幾つかの煮物や焼雑魚等を見繕って、取って帰した。
竈に火を起こして米を炊くまでにそれほどの時間はかからなかった。
お倫は土産物屋の娘の頃は家事や炊事に手を染めることは殆ど無かったが、菅谷十内の庵ではお光を手伝って、洗い物や飯炊き、煮物つくりや魚焼き、白菜や大根漬けなど万の家事に立ち働いた。独りでも毎日の暮らしにさほど困らぬ程には習い覚えていた。
炊き上がった飯で女の為のお粥を作ったお倫は買って来た梅干しを添えて食台に乗せた。
「有難うございます、有難うございます。見ず知らずのあなたにこんなことまでして頂いて、真実に申し訳ございません」
「いえ、袖擦り合うも他生の縁、困った時はお互い様です」
お倫はそう言ってにっこり微笑みかけた。
無論、食台には子供用の炊き立て飯と三つ四つの煮物も併せて一緒に並べた。
「お姐ちゃん、美味しい!」
「そう、良かったわ、しっかり食べるのよ」
「うん!」
女の子の笑顔を観てお倫の心も和んだ。
「では、わたしはこれで・・・」
暇乞いを言いかけたお倫を女が頭を起こして引き留めた。
「もし、お急ぎの旅でなかったら暫く此処に留まって頂く訳には参りませんか?」
「いえ、わたしはしがない鳥追いの渡り鳥、堅気の衆にご迷惑が及ぶといけませんから」
「でも、もう日も落ちましたし、せめて今夜だけでも此処で、ね」
熱に浮かされている女を放って出て行くのも気懸かりだし、それに小さな女の子一人だけの付き添いでは心細かろうと思ったお倫は、後ろ髪を惹かれるように、引き留められた言葉に甘えて一晩だけ厄介になることに決めた。
「では、折角のお言葉、今夜だけお世話になります」
女と子供と三人で食台を囲んだお倫は、今ではもう遠い昔の如くに思われる両親や妹との夕餉を思い出して、胸がキリリと切なく痛んだ。
問わず語りに聞かされた女の名はたかと言い、子供はちせと言う名だった。亭主は鏡研ぎの職人だと言う。だが、留吉と言うその亭主は近頃、丁半博奕に嵌まって家には寄り付かず、金は殆どを博奕に費やすと言うことだった。今日も米が無くなったので金を貰いに亭主の仕事場へ出向いたが、剣もほろろに追い返されて、途中で気分が悪くなったところをお倫に助けられたのだった。素人がのめり込んでも勝てる道理の無い丁半博奕に何んで熱を上げるのか、とお倫は此処でも歯痒い思いを募らせた。亭主はその夜は、到頭、長屋には戻っては来なかった。
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