第11話 お倫の名が渡世人の間に知れ渡った

 翌朝、お倫はお仙の油薬を塗り替えた。傷口は未だ塞がっていなかったが、血は止っていた。

それから暫くして、丁度、遅発ちの泊りの衆が旅立つ時刻に、どやどやと廊下を踏み鳴らす荒い足音がした。帳場や廊下に出ていた客が驚いて道を開け、叫喚した。足音は無遠慮に幾つかの部屋の障子を手荒に開けて中を確認しながら次第にお倫達の部屋の方へ近づいて来た。お倫もお仙も眼を合わせて、来たな、という顔になった。

 さっと障子を開いて突っ立ったやくざ者五、六人、それに向かってお仙が一喝した。

「何ですよ、朝っぱらから騒々しいねぇ。堅気の衆が未だ居なさるんですよ、静かにおしよ!」

「あっ、居た、居た!何だと、このアマ、覚悟しろい!」

男達は今にも刀を抜いて襲い掛かろうとする気配だった、が、お倫が静かに遮った。

「皆さん、此処では宿の衆にご迷惑が掛かります。さあ、表へ出ましょうか」

三味線と旅道具を一通り揃え持ったお倫がそろりと立ち上がった。

「お仙姐さんはこのまま此処に居て下さい。これでお別れにございます。これから先、何処でどう逢えますやら、どうぞ御身お大切に、お達者で居て下さい」

「お倫ちゃんを一人で行かせる訳にはいかないよ」

「いえ、姐さんは怪我の身体、かえって足手纏いになります。ここは倫が一人で」

 お倫が男達に刺すほどの鋭い眼差しを向けると、男達はずるずると門口付近へ後退りした。

お倫は門口の上り臥まちに腰を下ろし、しっかりと手甲脚絆を着け、半月形の編み笠を被ってから女草鞋の紐を結んだ。

 宿の外へ一歩踏み出したお倫は具に外に居た男たちの頭数を数えた。ざっと十五、六人居るようだった。やくざ者の親分子分だけでなく、用心棒と思しき御家人崩れも二人居た。

お倫は、もしや、あの時の仇では、と二人の顔を凝視したが、面立ちが違っているようだった。

 宿の入口を取り囲むようにして、半円になって立っていた男たちの中から、親分らしい一人の大男が一歩前に出て怒鳴った。

「手前ぇが賭場荒らしの仲間の女か!俺ぁ伊根田の藤蔵と言って、近在じゃちいっとぁ名の知れた太者だ。賭場荒らしのお仕置がどんなものか知りもすめぇが・・・。それに可愛い子分をよくも斬りやがったな、勘弁ならねぇから覚悟しろい」

お倫は何も言わなかった。お倫は考えていた。この人数じゃ刀を抜かない訳には行くまい、撥だけではこの身が危うい、やむを得まいか、それに暫くは身動き出来ないほどの深手を相手に負わさないとお仙姐さんが襲われかねない・・・

「構わねぇからさっさと殺っちまえ!」

藤蔵の一声で皆が一斉に抜刀した。

 お倫は正面の親分に向かうと見せかけて、途中からさっと右に走った。右から来る相手を左の肩から袈裟懸けに斬り、左の男を右の肩から逆袈裟懸けにし、正面の相手は左腹から逆手で横裂きにして、後ろから襲って来た男を後ろ手で突き刺した。お倫の動きは瞬く間に四人の男を斬り伏せる疾風の居合い抜きであった。そして、お倫の身体が一閃した次の瞬間、又も四人の男が、わっ、と声を上げて倒れ臥した。

残った連中の口から、ひーっ、ひーっ、という恐怖の声が洩れて顔が引き攣った。子分達は皆、及び腰になった。

藤蔵の「先生、先生!」と呼ぶ声で前に出て来た御家人崩れが、徐に刀を抜いた。一人は正眼に構え、もう一人が上段に刀を付けた。

 お倫は、間を置かず、さぁっと二人の間を疾駆して、右の相手を下から斬り上げ、左の男を上から斬り下し、還す刀で藤蔵の喉下を斬っ裂いた。誰の眼にも留まらぬ一瞬の間の豹の動きであった。宿の前や通りの隅で見ていた皆は、何が起こったのか判らぬ態で呆然と立っていた。

 残った子分達数人が蜘蛛の子を散らして逃げ散じた。

お仙が宿から出て来て声をかけたが、お倫は振り返らずに、そのまま急ぎ足に立ち去って行った。

 お倫の心は逆立っていた。また要らぬ殺生をしてしまった・・・。菅谷十内の庵を出て以来ずうっと、朝の顔洗い水に、夕べの風呂湯に、何時も揺らめいて忘れ得ぬ憎い仇の顔があった。その仇を討つまではと、心に封をして来はしたが、それでもお倫の胸は暗く沈んだ。お倫は眼を伏せて足早に遠ざかった。

 門付けの女渡世人が、たった一人で、伊根田の藤蔵一家を叩き潰したという噂が瞬く間に近郷に拡がって、お倫の名が忽ちの内に渡世人の間に知れ渡った。

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