苦い顔も好き

 そもそも、別にセンパイを害するつもりなんて微塵もない。


「付き合ってくださいよ」


 再度そう言うと、センパイはより一層苦い顔をした。


「俺ね、センパイと先生のこと知ってるんですよ」


 何を、とは言わなかった。センパイが勝手に悪い方に考えてくれればいいと思ったから。

 あれだけではセンパイと先生が付き合っているかどうかなんてわからない。夏休み明け直前の金魚鉢。同好会と称してセンパイだけを呼び出すと、どこか覚悟を決めた顔で部室に入ってきたものだから、少しいたずらごころがわいたのだ。


「目的は付き合うことなの?」

「まあ、そりゃ、センパイが俺のことを好きになってくれたら最高なんですけど」

「ならない」

「じゃあとりあえず付き合えればいいっすわ」


 どうします、と言いながらも選択肢は提示しなかった。


「付き合ったら、先生のことは黙っててくれるの?」

「付き合ってくれるなら俺は何にも言いませんよ」


 俺は俺なりに彼女のことが好きだし、付き合えたらそりゃあいいとは思っていたけれど、こんなに執着心が強いほうだということは今の今まで知らなかった。自己分析が甘いと言われればそれまでだが、とにかく今までの人生でこれほど一人に惹かれたことなんてないのだからこれはもうセンパイにおかしな魅力があると考えるほうが自然だろう。

 センパイは深く考え込んだ後、諦めたように短く息を吐いた。


「洋介くん、顔はいいのに残念ね」


 心底軽蔑したというような、センパイの目の細め方が可愛い。今にもくっつきそうなほど寄った眉が愛しい。噛みしめられた下唇になりたい。少し汗ばんでいる様子が色っぽい。高い声が何より好きだ。


「なんとでも言えばいいと思いますよ」

「さいやく」


 最悪と言いたいのか。災厄と言いたいのか。たどたどしくそういった彼女がスクールバッグをひっつかんで部室の出口に向かう。


「なにしてんの、付き合うんでしょ」


 呆気に取られていると、振り向いたセンパイが俺に手を伸ばしながらそう言った。その手を取ると、思いのほか暖かい体温をしていて驚く。


「先生のこと、黙っててね。絶対に口にも出さないで」

「口に……?」

「言ったら許さないから」


 センパイは意外にも、しっかりと付き合ってくれた。

 一緒に昼ご飯を食べるようになったし、帰りも俺の最寄り駅まで付いてきてくれる。恋人らしいことを要求しても拒まないし、頼めばなんだってさせてくれた。けれどもセンパイは日に日に元気がなくなって、本当に黙っててくれるんだよねと確認する回数が増えた。


「そんなに不安?」

「そりゃそうだよ、殺人と同じだもん」

「大げさでしょ」


 生徒との恋愛のうわさが出たところで死ぬわけじゃない。証拠も何もなく一生徒の訴えだけだから職を失う可能性だって限りなく低い。


「絶対に、絶対に言わないでね」


 それでもセンパイはいつも祈るように手を組んで俺にそう言った。何度も繰り返されるやり取りには少し嫌気がさしていたけれど、それでもセンパイが愛しくてたまらなかった。

 自分を犠牲にしてまで先生の教師としての地位を守ろうとしている様子は、少し不愉快だったけど。

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