第2話 考える葦(あし)
パスカル(1623~1662)が「パンセ」の中で人間の存在をとらえた語。人間は葦にたとえられるような弱い生き物であるが、考えるという特性を持っているとして、思考の偉大さを説いたもの。広辞苑 第七版 (C)2018 株式会社岩波書店
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彫刻家ロダン(1840~1917)は「考える人」によって、やはり「考える」大切さを教えようとしました。
昔は宗教の力が強く、自分の頭で考えずに「人間によって作られた神様」「聖職者」「坊主」「呪術師(医者)」の言うことをそのまま鵜呑みにして生きる人間が多かったらしい。 そんな大衆に対し、パスカルやロダンといった、ごく一部の哲学者・科学者・芸術家が警鐘を鳴らしたのでしょう。
現代でも、韓国や日本(の在日韓国人社会)における心の弱い人、自分の頭で考える習慣がない人たちが、創価学会や統一教会のよう新興宗教組織に頼るのと同じなのでしょう。合同結婚式、中国への1000人規模での合同旅行、等々。
世界的には2~3回接種の時点で「おかしい」と考えて自主的に止めた、毒の疑いがある注射を、80パーセントの日本国民が6~7回も(自分の頭で考えず「政府」「専門家」の言うがままに)惰性のようにして打っている。
俗に酔生夢死(酔うが如くに生き、夢を見るが如くに死んでいく。何のなす所もなく、いたずらに一生を終わること。広辞苑 第七版 (C)2018 株式会社岩波書店)と言います。
「人の言葉に酔い、そんな人々の集まりである社会の流れに身を委ねて、定かでない行き先へ堕ちる」ことの不条理(道理に反すること・不合理なこと)を指摘した言葉です。
酔生夢死という生き方・死に方では、本当に往生できるわけがないという、非難なのか、嘲笑なのか、はたまた、真摯な教えなのか。
東京都立秋川高等学校(全寮制)初代舎館長 重田一氏は、寮生に対し(1972年 昭和47年4月)こう仰いました。
「自分の目で見、自分の耳で聴き、自分の頭で考え、これが本物だと思ったことを取れ」と。
一体感・協調性・という心地よい言葉・掛け声によって、ともすれば烏合の衆となる恐れを指摘し、個人の自由と全体の規律、その両方のバランス・大切さを(600名の若き
みんなで「協調しよう」が「同調圧力」となり、一体化ではなく単なる烏合の衆となる。ほんらい、他人の心中をおしはかること・思いやりの意である「忖度」が、自分の頭で考えずに「単に権力や権威に対して、ただひたすら媚びへつらい、迎合する」意味で使われる昨今の日本社会。
私は最近、、この舎館長の言葉を思い出すことが多くなりました。
自分の頭で考えることで本当に自分が自分になれる・しっかりとした個(自分)を確立して、そういうしっかりとした個の集合こそが、真に存在しているといえる。その大切さを解き(自ら気づき)、(人々に)説いた言葉や書はたくさんあります。
「全体は部分の総和に勝る」アリストテレス(前384~前322)
「コギト・エルゴ・スム」デカルト(1596~1650)
「考える葦」パスカル(1623~1662)
「実践理性批判」カント(1724~1804)
「One for All. All foe One」「三銃士」(1844年刊)
「初学の基礎は哲学にあり(何でも自分の頭でよく考えろ)」井上円了(1858~1919)
「Me, We」モハメド・アリ(1975年 6月4日 ハーバード大学卒業式でのスピーチ)
わたし自身は、結果がどうであれ、自分の頭(心)と身体で考えて結果を出す方が、結局は幸せというものではないか、と考えるのですが。
続く
2024年11月13日
V.1.1
2024年11月14日
V.1.2
平栗雅人
「考える葦」になるために V.1.2 @MasatoHiraguri
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