Insomnia 2

「………………………………」


 心地の良い風が髪をさらう。帽子の鍔が少し揺れて、若草の匂いに包まれる。


「また、ここか」


 夢だとすぐにわかった。前に見た光景そのままだったから、迷う事なく夢だと断定した。どうしてこんな夢を見るのだろうか。私は村出身ではないし、前回の旅でもこんな村は見なかった。夢に見る理由が解らない。知らない光景、知らないヒトが生活する景色を夢に見るなんて、どう考えてもおかしい。


「………………………………」


 理由を探すも、どうも納得が行かない。私が思う夢とはどうにもかけ離れているようだ。何せ夢だと自覚しても覚める事が無い。


「…………………………………………」


 いや、もう誰の夢かは分かっている。あの子の夢だ。前に見たあの少女に面影を感じた。彼女の生まれを知らない。村育ちという事以外、私は何も知らない。どうしてあの子が選ばれたのか。どうしてあの子があれ程のテレポート技術と治癒魔法に長けているのか。私は何も知らないんだ。


 でもどうしてそんなモノを夢に見る? 私があの子の記憶を覗き込んでいる様で罪悪感が湧いてくる。何か理由があるはずなんだ。けれど、どうにも思い浮かばない。


 とにかく、前にあの少女が出て来た家へ近づく。ドアに触れようとして、ふっとすり抜けて、バランスを崩しそうになる。どうやら私は何にも触れないらしい。地面に立つ事は出来るのに不便な物だ。


「仕方ない……よね」


 罪悪感はあるけれど、どうして夢を見るのかを知る為だ。窓から家を覗いた限りでは、少女とその両親が住んでいるようだ。比較的幸せそうな家庭に見えるし、一般的な家庭に思う。少女は、お父さんっと男性を呼び、何かはしゃいでいる。明るい子だという印象で、あれが本当にあの子ならば、私は全く違う印象を最初に抱いたのを覚えている。


 不思議と暗さを感じる子だった。言動は明るいのに、その芯にある物は決して明るいモノなんかじゃなく、暗いモノだった。


 どうしてこんなにも明るい子が、旅に同行する事になったのか。彼女は一切の出生を語りたがらないのか。名前を棄てて、私達と一緒に行動していた。それでも多少の生まれは見えて来るはずだ。私はバレバレだったけれど、勇者や戦士も、少しずつ見えて来ていた。けれど、あの子からは全く見えてこなかった。


 不思議なんだ。あれだけ一緒に居て、私が彼女の事を何も知らないことが不思議でたまらない。それなのにこんな夢を見ている私は、だから余計に不気味に思えて仕方ないんだ。


 彼女が何かしら問題を抱えているのは気付いている。暗くなったり明るくなったりを繰り返していたのは何かしらのトラウマが起因して起きていたモノのはずだ。最近になってその傾向は見られないけれど、まだ根本は抱えたままのはずだ。


 知らなければならない。彼女の事を、もっと。


「────────────────」


 ドアに手を触れて、バランスを崩しそうになる。腕がふっとドアをすり抜けてしまって、驚いた所為だ。地面には立っていられる癖に、物には触れられないらしい。


 罪悪感はある。彼女の記憶に文字通り土足で踏み込む事になる。これ以上行けば、私は彼女の事を最後まで知らないといけなくなる。それで良いのか? 彼女が語りたがらない事を一方的に私が知ろうとするのは誠実さに欠けるのではないか?


「………………………………私は、あの子の事を知りたい」


 一緒に旅をする仲間だ。仲間の事くらい私は知りたい。


 だから家の中へ一歩踏み入れた──────瞬間景色が変わった。まるでテレポートしたかのような感覚。けれど、変わったのは細かな景色。


「夢、だもんね」


 美しき緑の森林は、色を変え、冬の訪れを告げようとしている。父親らしきヒトが握っていた木製のカップは大きさが代わり、テーブルに出ていた料理は全く別の物に変わっている。


 夢の中の時間が進んだのだと気付くのに掛かった時間はそう長くは無かった。夢の中だ、何が起きるかなんてわからない。あの子の記憶に基づいて構築された夢ならば猶更だ。私は彼女の事を毛ほども知らない。私が合流した時には既に彼女は居た。勇者とたまたま出逢ってそのまま、という話は聞いた覚えがあるが、それ以外は何も知らない。


「そろそろ収穫の時期だ。□■□□■、手伝ってくれるか?」


 少女の名前を呼んだ……はずだ。どうしてか聞き取れなかった。何か意味の無い言葉の様に聞こえて、それを名前であると認識が出来なかった……という説明が正解なのかは分からないけれど、聞いたはずなのにそれを言葉として説明が出来ない……不思議な感覚。


 どうしてこのように聞こえてしまうのか、はすぐに想像が付く。名前を棄てたのではなく、忘れたのだ。


「………………………………」


 忘れた? そんな事があっていいの? 親から貰った大切な名前を、忘れた? こうして幸せそうに見えるのに、何があったらそんな事になる。あり得ない。あり得るモノか。


 王に貰った名前も、親から貰った名前も、エリーから貰った名前も一度たりとも忘れた事は無い。比較的多くの名を貰ったけれど、それでも、忘れる事なんて無い。なのにどうして、彼女は忘れている? 何があれば、自分の名前を忘れる事なんてあるんだ。


「そりゃ、無いでしょ……」


 それほどの事が彼女の身に起きた。その事実だけで苦しくなる。地獄の様な旅を経験した。その中で見せた彼女の表情は少しずつ明るくなっていたけれど、初めて会った時の暗さは、異常な物だった。だから、きっと何かあったんだろうとは思っていたし、分かっていたけれど、だけどこんなのはあまりにも……ッ。


 椅子に座って足をぱたぱたしながら、パンを齧っていた少女が外を覗く。畑の様子を見て居る様で、少し嬉しそうに頬を緩めている。


「今回は実りが良い。冬は安泰だぞ」


 父親は窓を望む少女に声を掛ける。彼女はうん、と頷いて、


「お肉も交換してくれそうだしね」


 満点の笑顔で答える。


「そんな事より、ちゃっちゃとご飯たべちゃいなさい」


 母親が少女に促すと、はーいっと返事をして、きちんと椅子に座り直す。


「………………………………」


 言葉が出ない。あの子がこの生活を幸せだと思っていたかは夢を見る限りじゃ分からないけれど、平和だったのは違い無い。だから余計に、名前を忘れるなんてそんな事が起きるなんて考えられないんだ。


 ────────景色が変わる。家に居たはずの私は、森の中に居て、少女は前の様に水を汲んでいる。足取りのおぼつかないまま、十分以上掛けて彼女は村への道を辿っていく。その後ろを、目を離さず着いて行く。この先、彼女に何が起きるのか。何が起きればあんな風になってしまうのか。


「………………………………」


 空が赤く燃えていた。遠く見える村の方角。燃ゆるが如き空の赤は、そこから始まっている。村が燃えている。そう気付いたのは私だけだ。そもそも少女の背丈では木々の隙間から見える村の様子なぞ見える訳も無い。


「待って……っ!」


 伸ばした手は彼女の後ろ髪をすり抜けて、彼女は一生懸命沢山入れた水を持って走る。よたよたとした歩きはゆっくりだけど、それでも、この子がこれから知るであろう地獄に向かう速度としてはあまりに早すぎる。


「行っちゃだめだ!」


 声も当然届くはずも無い。何も知らない少女が、村へと近づいていく。これ以上は、見たくない。分かった。分かったから、この地獄があったから彼女は……ッ!


 バッシャン!


 大量の水が地に零れる音が聞こえ、ハッと彼女の方を見る。手に持っていたバケツを地面に落とし、彼女はただ、茫然と立っている。


 燃えていた。森の中の家なんて殆どが木造だ。見る限り、この森の木々たちはとても質が良い。建材として使うには最高のポテンシャルだろう。それ故に、燃えやすい。木造ばかりが広がる光景だ、燃えてしまえばどうしようもない。


 けれど、例え火事であろうと、彼女が少し村から出ている間でここまで燃え広がるはずが無い。


 村を彩る家々は燃えて崩れ落ち、そして何より違和感なのが、村の広場の様な場所には鮮血の海が出来上がっていることだ。そして複数の馬の足跡と、逃げ惑う村人の中に、一人も子供が見えない事。


「──────────────」


 盗賊の類。国に属さない村は、盗賊からすれば恰好の的だ。この村もその類の物だったんだろう。家屋を燃やした理由ははっきりしないが、子供を攫ったのは、トルガニスだとかに奴隷として売りつけるつもりなんだろう。


 彼女はたまたま外に水を汲みに行っていた。運が良かったんだ。彼女にとってはそれが良かった事なのか、悪かった事なのか分からないけれど、でもこうして彼女は連れ去れる事無くここに居る。


「……………………あ」


 少女がようやく声を発した。地獄の様な光景の中で見知った顔を見つけたのだ。背中から血を流す彼女の父親が倒れている。魔物による侵攻の方がまだマシだ。まだ、生き残る可能性はあっただろう。けれど、ヒトが相手なら、その望みも薄い。村を燃やすなんてことも魔物はしないだろう。


「あぁ、……っあ、お父……さん……?」


 目を向けられなかった。目の前で死にかけの父親を見て、それで冷静で居られる子なんて居るはずが無い。まだ幼い彼女にとって、この現実は耐えがたいモノのはずだ。村は無くなった。収穫を楽しみにしていた畑は燃やされ、暮らしていた家も、最早炭と化そうとしている。


 幸せなんていう物は一瞬で壊れる。そう知らしめられたような気分だ。


 それでも尚、彼女が勇者達に着いてきていたのかは分からない。だってまだ彼女は幼い。まだ勇者達と出逢うには早すぎる。だから、まだ何かがある。まだ、知らない事が残っている。


 吐き気がする。


 父親に駆け寄った彼女は、泣きじゃくりながら、父の背中をゆすっている。彼はもう助からない。まだ辛うじて生きているけれど、時間の問題だ。


「あ──ァ、……っぅあ、ァァァァァァアアァァァァッァアァアああぁあッ」


 村の惨状から目を背けた。彼女の悲痛な叫びが分かった。もう分かったから、見せないでくれ。やめてくれ。私は、何も……。


「────────何も出来ないのに……」


 私の夢じゃなく、彼女の記憶。だから、干渉する事は許されない。私にはどうする事も出来ない。精々見守る事出来るだけだ。


 私はこの地獄を見る為に、こんな夢を見ているのだろうか。


「────────っ」


 突如温かい光が見えた。それが魔法陣が発するモノだとすぐに解った。そうだ、彼女なら、あの子ならば、出来るかもしれない。


 こと治癒魔法に関して彼女の右に出る者は居ない。どんな瀕死であろうと、必ず戦線に復帰させるだけの回復力と技術が、彼女にはあった。けれど一体それをどこで覚えたのか。どうして身に着ける必要があったのか。それはきっと、この地獄が語ってくれる。


 何の目的も無く、何の理由も無く努力するヒトなんて居ない。何か根底に強い意思があってこそ、ヒトは努力して技術を伸ばす。でも彼女の場合は……。


「…………………………………………………………………………」


 目が覚めた。キャリッジの隅っこで二人で一緒に温まる様にしながら簡易折り畳みベッドに付属していた毛布を二人で被っている。寒くは無い。けれど毛布が無ければ風邪は引いたかもしれないという微妙な温度。既に日は昇っているようだ。いつもなら起き上がって伸びをして、良い天気だぁとか呟くし、占いもしておくけれど、けれど今日はそんな気分では無かった。


 あの夢が、本当にこの子の記憶だというのなら、あの先に一体何が待ち受けているというのだろう。親に貰った名前を忘れている? ふざけるな。そんな事あっていいはずが無い。少なくとも、家族の何たるかを私に説いた彼女が、そんな風に忘れて良い訳が無いだろう……ッ!


 すぅーすぅーっと寝息を立てている彼女の顔をじっと見つめる。起きる気配は無く、ただ気持ち良さそうな寝顔。女の子らしい可愛い寝顔だ。たまに涎が垂れてた事があったような気もするけれど、大方可愛い寝顔だ。

 あの夢は私達が経験したあの旅よりも、きっと地獄だった。だってあれで終わりじゃない。


 けれど、こうして安心して寝られているのは、信頼されているから……という事で良いんだろうか。こんな事、彼女に直接聞ける訳も無い。夢でキミの記憶を覗いているなんて、流石の彼女でも嫌われてしまう。


 それは嫌だ。


「……、キミは、私なんかよりも」


 彼女にしてあげられる事なんて何も思いつかない。私は何も出来ない。ガラググの村の時と何も変わりはしない。私は何もしてあげられない。


 体を起こして、彼女に毛布を寄せる。馬は既に起きている。私がキャリッジから降りた音を聞いて体を起こし、私をチラリと見る。何やら懐かれている様だ。なんでか知らないけれど。そういえば顔を合わせた頃から私を気に入ってくれていた気がする。


「おはよう。ちょっと待ってね」


 餌と水分を用意してあげなければ。の前に大きく伸びを一つ。占いは……まあ良いか。旅の運勢と私の命運を占う為の物だったけれど、今回の旅にそういうのは必要は無いと思う。


 キャリッジから野菜を取り出して、馬の口元へ持って行く。同時に魔法で水の球を生成して、飲みやすい位置に設置する。器があれば良かったのだけど、忘れてしまっていた。魔法で生み出した水を飲ませるのもちょっとどうかと思うけど、飲めるし喉は潤うし、池で採るよりも安心ではある……はずだ。現に、征伐の旅でも飲んでいたけれど、何も起きはしなかった。


「よしよし、良い子」


 飲み終えた馬の頭をトントンと優しく叩き、御者台に座り手綱を握る。後ろのあの子を起こさないよう、揺れを出来るだけ抑えてゆっくりと歩き出させる。


 ここから東に行けば川がある。村というのは大抵川の近くである所や、地脈から離れている所に点在している事が多い。夕方に村に訪れるのは気が引ける。だから一度夜を越えて、陽が出ている間に辿り着く様にした。


 川を辿ればいずれ村に着くはずだ。まあ井戸を使っている所もあるだろうけれど、大抵の文明は川の近くから興るって聞くし、村も同じような物だろう。わかんないけど。


「無理をさせてるかな」


 馬にとっては悪路そのものだろう。というかキャリッジが通るような道じゃない。本来ならある程度道が整えられているモノのはずだけど、ラバン森林に点在する村は、外界からの情報を遮断していたり、そもそも存在しているかも分からないものが殆どだ。騎士として調査に赴いた時、観測出来たのが四つ。その内交流が出来たのが三つ。今回向かうのは交流が出来なかった場所。


 正確な位置を覚えてないけれど、川の近くにあったのは憶えてる。下流に向かえばあるだろう。


 にしても馬力が凄い。キャリッジ一つを一頭で動かすのはかなりの馬力が必要に思う。大抵二頭で牽くと思っていたけれど、特別な種だったりするんだろうか。実は魔物……だとか。


 まあそれはそれで良い。どちらにせよここまで懐っこいのは僥倖だ。どこかで会った事があるとかそういうレベルじゃ無ければここまでの懐きは見られないと思うのだけど……、ぶっちゃけ私に馬の見分けとか出来ないし。雄雌くらいしか分からない。模様が違うとか、そういうのはあるのは知っているけれど、騎士の時に相棒としていた子くらいしか分からない。それ以外はそこまで重要じゃなかったんだ。


 ともかく、良い馬というのは間違いない。それに車輪も良く回る。木の根に引っ掛かる事も無ければ、草に取られることも無い。格安で買えた割にここまで良い品が手に入るというのはなんだか不思議だ。


「まあ良いか」


 旅が快適なのは良い事だ。根っこを踏んで激しく揺れてしまう事や、馬に無理をさせてしまっている事に目を瞑れば……だけど。本来こんな場所を通る事は無いんだから当たり前なんだけどさ。


 川幅はかなりあり、周囲の大きな木が生えていない事も運が良かった。木に囲まれてはいるが、砂利によって敷き詰められている為、大きく育つ事は無かったんだろう。川の水もかなり綺麗で、あれならば煮沸しなくても飲めるかもしれない。リスクはあるから今はしないけれど、もし旅ではなかったのなら、口にしていたかもしれない。


「……ん──ぁ」


 後ろから呻くような声が聞こえる。どうやら起きたらしい。彼女にしては珍しく早起きだろうか。陽がまだてっぺんに登る前に起きたのは、少しだけ彼女が成長したからかもしれない。


「おはよ」


 後ろに声を掛けると、んー、とこれまた呻き声で返される。まだきちんと起きてないようだ。寝坊助というより、極端に活動時間が短いと言った方が良い。限界が早いんだ。朝遅く起き、早く寝る。後は昼寝も必要か。この症状は無理な魔力提供を連続で何百も行った事による後遺症に見える。魔力欠乏状態から一度に多量の魔力を受け取れば、魔力回路は傷付き、炉心も傷む。炉心がどれだけ動こうとしても傷んだものはフルで稼働する事は出来ず、体が求める魔力とのギャップにより、ヒトよりも睡魔に襲われる頻度が高い。睡眠状態が一番魔力を生成出来る状態である為にそうなってしまう。というのが仮説。ほんとの事は分からない。


「……、おはよー……」


 少し低い声の彼女がのそのそと私の隣まで移動してくる。


「危ないよ」

「おちたくらいじゃしなないよ」


 ふわふわな状態のままの頭で答えているのだろう。頭の上に花が見える。


「あさごはん……」

「食べる? もうすぐ着くと思うんだけど」

「そこでたべられるかわからないじゃん……ぅー」


 私の隣に座った彼女が私の肩に頭を預ける。まだ眠いらしい。


「それもそうか」


 情報の余り出ていない村であれば追われる事も少ないだろうと思い、こうして向かっている訳だが、旅人として向かったとしても歓迎されるとは限らない。視察と使者を兼ねた外交を簡単に跳ねのけられた覚えはあるが、あれはカルイザムを拒否しているのではなく、外界を拒否している可能性もあったわけだ。


 盲点……、いや、流石に今回は私がバカすぎる。冷静になってるつもりで、本当はそんな事は無いのかもしれない。思えば最近忘れっぽい。記憶を失った事の後遺症だろうか。何の為にカルイザムを訪れたのかさえも忘れていた。頭がおかしくなった、というよりかは、何か外に意識が引っ張られるみたいだ。誰かに強制的に吸い取られているかのような……


「……■□□■ちゃん」


 彼女の声で遠くなりかけた意識が戻って来る。


「ど、うしたの……?」

「あれ、防護柵じゃない?」


 眠そうなのに随分と目が良い。見やると百メートル先くらいに丸太を組み上げて作った壁の様な物が見える。けれど結界の気配は無い。例えどんな村であろうと、ガラググの村にあった様に結界が施されているのが殆どだ。それはその村が生きている証であり、外界から身を護る最初の手段だ。どんな微弱な物であろうと構わない。それでも少しは役に立つ。


 光の螺旋による影響……か? いや、だとしたらカルイザムも壊れているはずだ。張り直していたとしても、魔力の残骸くらいはあるはず。それが無かったという事はカルイザムの結界は壊れていない。強度の違いもあるだろうけれど、しかし、傷一つ見られなかったんだ。強度が違えどそこまで大きく差が出る程じゃないはずだ。


 それに、壊れたにしてはあの村に魔力の残骸は見られない。────────既視感。


「降りよう。ここからは歩くよ」

「寝起きなんだけど」

「起きて」

「…………はーい」


 不貞腐れたような態度で彼女は仕方ない、と私の肩から頭を退ける。手綱を引いて馬を止めさせ、その勢いのまま下りる。


 キャリッジに置いてある杖に合図を送り、私の手に移動させ、予め教えてもらっていた手信号を馬に送る。キャリッジを牽きながら彼は近くにあった木の下で足を曲げた。


「行こう。キミも杖を」

「……うん」


 何かがおかしいというのは彼女も察知したのだろう。魔力の反応が全くないというのもおかしいが、それよりもあまりに静かすぎる。門が見えるけれど、そこから伸びているはずの道は草木に覆われ何年も使われていない様に見える。それどころか、遠巻きに見える門を形どる木は腐っている様に見える。それに気付くと、そういえば周囲を覆っている丸太も腐っている事にも気付く。これでは護る事なんて出来ないだろうに。


「ヒトの気配どころか獣の気配もしない。何だ……? 私が来た頃はそれなりにヒトが居た様に見えたけど……」


 無論、その時は結界だってあった。だから、おかしい。いくら外界との情報交換を忌み嫌っていたとしても結界くらいは常識だ。身を護る最善の手段なのだから、例え情報を絶っていたとしてもいずれ気付く。


 暫く息を殺しながら歩いて門の前まで来ると、その異様さを改めた思い知る。


「なんだ、これ……」


 巨大な何か硬いモノで穿ったかのように門に大穴が開いている。異様さが口を開けて待っている様で不気味さが遥かに増す。確かに、これだけならば魔物の侵攻を受けて全滅してしまったと考えられるが、しかしこの森に生息する魔物でそれほど脅威な物は居た覚えが無い。


「門と壁をそのまま用いた結界を使ってたのかな。触媒を用いた結界だとかなりの高耐久になるはずだけど……」

「どうだろう。分からないけど、おかげで目が覚めた」


 ぶち抜かれた門は、村を護るにはかなりの物だ。この村の大きさを象徴するシンボルでもある。私の身長の六倍程あるのではないか? と思う程の高さの門に開けられた穴は、ギリギリまだ残骸が残っているのが奇跡に思える程無惨な姿になっている。


「かなりの規模だね。ここから見えるだけでも、かなり立派だ」


 覗き込む様にして白いキミが門に近づく。


「────ッ! ■□ちゃんッ!」


 彼女の腕を思いっきり引いて、転ばせる。瞬間、彼女の頭上を掠める何かが見えた。いや、違う。見えたというのは正しくない。見えなかった。認識は出来たけれど、しかしそれは視覚的な情報ではなく


「エーテル体? いや、そんなはずは……」


 魔素であるならばまだ理解出来る。しかし先ほど飛んできたのは、まさしくエーテルであって、私達ヒトが扱えるモノでも無く、魔物が扱えるモノでも無く。


「被霊……? そんな馬鹿な」

「違うッ! そんなわけないでしょッ!」


 大声で反論されてしまった。確かに、被霊のはずが無い。あれはレンデオンにのみ赦されているはずの大禁呪。それがここで? そんなはずが無い。レンデオンは終ぞレンドゥッカから出る事は無く、その生涯を終えた。だから、絶対に違う。けれど情報を整理すればする程、それが被霊であると脳が告げる。


 だが、けれどあれが被霊とすれば、何故、


「見えた……?」

「一旦距離を取ろうっ! これは、一種の呪いであるのは確かだ……っ!」


 いつの間にか態勢を整えた彼女が杖を大きく振りはらって魔法陣を描く。描かれた魔法陣に魔力が集まり、それは風の魔法ストリボーグの形を取って行く。


「……………………え?」


 その行動に一瞬頭が追い付かなかった。何故────


「キミは────ッ!」


 彼女に疑問を投げかけようとした途端、放たれた魔法は、残された門の残骸を吹き飛ばしながら、風の刃となって村の中へと飛んでいく。その風に、彼女自身も少しだけ跳ね飛ばされながら、私の腕を取って勢いそのまま着地して抱える様にして私を持ち上げ走りだす。


「…………ッ、あれは正真正銘呪いだったッ! 簡単に祓えるモノじゃないし、関わらないのが得策だよっ!」

「……………………………………………………」


 解ってる。それはどう見たってそうだろ。あれは、ストリボーグだった。何故? どうして彼女は攻撃魔法なんぞが使える……ッ!


「しっかりしてアリシアっ! 君らしくないよっ!」


 抱えられたまま説教され、少しだけ冷静になろうと息を吐く。キミは、攻撃魔法なんて使えないはずだろ……。キミに許された魔法は、治癒だけだった。だからこそ、キミの魔法は、まさしく完成系だった。何があった? 何が起きた。彼女の身に何が……。


「アリシアッ!」

「……──────っ」


 いや、今は、良い。


「そのまま抱えて走ってッ」


 肩に担がれる様にされながら、杖を振り上げる。飛んできたのはまさしくエーテルだった。主を見る事は出来なかったけれど、あの異様な気配は決してヒトが対抗出来る類のモノでは無かったのは確かだ。だからって死ぬのはごめんだ。


 描いた魔法陣を杖でぶっ叩く。炎剣を形どった、叩かれた勢いを情報として受け取り、加速する。炎剣は回転しながら、穿つ様に飛んでいく。急速な熱源の出現、その上昇と着弾による拡散により、隣を流れる川の水が少しだけ蒸発して、息を詰まらせる。


 私の認識が正しければ、あれは視界情報で捕捉出来た訳じゃなかった。そこにある、というのを感覚的に感じ取ったというのが近い。


 それ故、蒸気で視界を奪われようと関係ない。もう一度魔法陣を描き、今度は雷を──


「…………………………戻ったか」


 緊張感が消えた。私の魔法にビビったとかそういうのではないだろう。ともかく命拾いした。あれに無策で突っ込んでは死ぬだけだ。


「降ろして」


 彼女の背中をトントンと叩くとすぐに降ろしてくれる。


「何、今の。純然たる呪いではある事は視えたけれど…………」


 ぜぇ、はぁ、と肩で息をする彼女が手を膝に着く。疑問は多い。結局馬の所まで戻ってきてしまった。驚いた馬が立ち上がって警戒しているのが見える。


「それで、君はどうするの?」

「……………………そうだね。どうしようか」


 あれは戦うべき相手じゃない。そもそも戦うという選択肢をした時点で敗北が決定しているような相手だろう。何せエーテルを操って来るのだ。そんなの人智外だ。あれを斃せとか、まだ魔王を相手にした方が幾分かマシ。けれど、


「どうやって斃そうか」


 それはそれだ。戦うべき相手じゃないのなら戦わずして勝てばいい。知能戦だ。得意じゃないけれど仕方ない。


「全く君は、呆れかえる程お人好しだね?」

「どうしてそうなるの?」

「君が斃す必要なんてこれっぽちも無い。だけど、それじゃここに住んでいたヒトが可哀想だとか思ってるんでしょ? 君は、そういうヒトだもん」

「ここは一応カルイザム領なんだよ」

「それが?」

「だったらこの村のヒト達もカルイザムの民の一員だと思わない?」

「……言い訳だね。君はただ助けたいだけだ。王の娘としてとか、ご立派そうな建前で覆い隠しているつもりかもだけど、そもそも君はもう王の娘じゃない。責務なんて無いんだよ。なのに助けようとするのは、呆れかえるくらい、馬鹿げてるくらいのお人好しだからだよ」

「────────良いでしょ、別に」


 あれをどうにかしなければ。


「あの村に入れれば良いんだけど……」

「はぁ……もう絶対言う事聞かないじゃん。……狩人の服は?」

「無理。推測だけど、あれはオートカウンターだ。魔力反応を元にして攻撃しているはずだから、姿を消した所で無意味だろうね」


 全く厄介な相手だ。魔物を相手にする時の思考は役に立たない。かと言って別の突破口を思いつく訳でも無い。


「にしても、どうして退いたんだろう」

「君の魔法が怖かったんじゃない?」

「笑える冗談だね」


 死を予感した。あのエーテルはきっちり殺そうとしていたのは視えた。ストリボーグの様に風ではなくエーテルの刃となって正確に首を狙ってきていた。


 小さく冗談のつもりじゃないのに……と呟いた彼女を置いてキャリッジへと。


「何か探し物? 何か対策出来そうなモノってあったっけ?」

「いや、周辺の探索。この村のヒトは死んでしまったのか、それとも別の場所に避難したのかを知る為にね」

「…………その必要は無いよ。あれは…………きっちり死んでいたよ」


 吐きそうな顔で彼女は呟く。死者が見える。死者の声を聞ける。彼女の能力はどこ由来なのかは知らないけれど、その彼女が言うのだからそうなんだろう。


「そっか。でも周囲の探索はするよ。中が無理なら外から伺うしかないでしょ。幸い結界は無い訳だし」


 というか、最早あの存在が結界としての役割を担ってると言っても過言じゃない。オートカウンターなんて理想的じゃないか。近寄るモノ全てを殺す事に目を瞑れば、とても魅力的だ。いつか私も取り入れたい。


「とは言え、流石に馬連れて行くわけにもね。オートカウンターの発動条件が分からない以上、徒歩の方が安心だし」


 探索に必要なモノをキャリッジから引っ張り出して、


「行くよ」


 と彼女を連れて村の外周の調査を始める。あらゆる事象は必ず元となる何かがある。アレにも必ず何か元となる何かがあって、それが突破口になるかもしれない。外周を巡り、考えを巡らせれば、何か分かる事もあるかもしれない。あぁ、魔王征伐の旅だってそうだったろう? 


「君は、そうしないとダメ……なんだよね」


 小さな呟きにも耳を傾けるのを忘れ、私は村を囲う防護柵を辿って歩く。


「……………………………………」


 あれの相手をするのは本来なら、カルイザムの騎士や魔導士達だ。冒険者なんてロクに役立たないヒト達で討伐部隊を組む事なんて無い。統率も取れない素人に金出すくらいならば騎士を使う方が手っ取り早い。なので、本当に、今回私がこうして調査して斃そうするのは、我儘でしかない。


 騎士でなく、冒険者でなく、ただの放浪の身がこうした村への被害を退けるというのは、褒められた行為では無い。感謝はされど、称賛はされまい。


 それはそれとして、カルイザムの騎士、魔導士達で討伐隊を組んだとしても、あれを斃すのは難しいだろう。騎士や魔導士が相手にするのは、魔物や盗賊であって、呪いの相手をする事は無い。


 じゃあ誰が相手するのか。このまま放置しては呪いは増幅していくかもしれない。そうなっては厄介だ。旅を続けるのにも気になって仕方なくなる。だから、潰せるのならここで潰した方が良い。出来るか出来ないか、は後回しで良い。


「何も無いね。化け物が中に居るはずなのに、周囲には殆ど痕跡を見られない。これは……」

「村内部で発生したんだろうね。あの門の傷は謎になるけど……」


 魔物が攻め込んできたのなら、もっと外周に痕跡が残るはずだ。ガラググの村の様に内部が崩壊状態であるならば、時間が経てども痕跡は必ず残る。けれど、それが無いという事は、少なくとも魔物はやってきていないという事。


「これは……困ったな。打つ手が無い」


 斃す手段が見つからない。単純な魔力の質量でゴリ押しする手段もあるにはあるが、先に私が息切れを起こすだろう。どういう訳か、私の基礎魔力量はかなり減少している。魔王征伐の旅の時点の半分にも満たない。これでは魔力量によるゴリ押しをするには少し心もとない。


 それに、相手はエーテルを操る。もしも本当に被霊ならば、相手はエーテルそのものと言っても過言じゃない。


「キミに、祓える?」

「あれは被霊じゃないよ。被霊な訳が無い。だから、確証は得られないけど、死者の魂が元であるなら、きっと祓える」


 彼女の言う事を信じるならば、協力すれば祓えるのかもしれない。…………。どうだ? 今の私に彼女をそこまで信頼出来るか? ………………………………保留だ。信頼する信頼しないの問題の前に、そもそもあれに近づく事さえ難しい。この問題をどうにか出来なければ、その問題にYESとも返せない。


「何も無かったね。やっぱり内部で発生した呪いの様で間違いないみたい」


 最悪彼女が生きてさえいれば私が死ぬ事は無い。彼女の治癒魔法は例え腕が欠損しようが瞬時に繋がる程のモノだ。首さえ繋がっていればどうとでもなる。


「色々と試したい事があるんだ。あれはキミが門を通して村の中に少しでも入ったから発動した様に見える。魔力に反応して攻撃してるって仮説を立てたけど、その立証がまだだ」

「立証って何するの? 危ない事はしちゃダメだよ?」

「………………」


 彼女と目が合う。いやそんな目で見られても……。危ない事ってこの旅自体危険だらけなんだけどな。


「まあ見ててよ」


 村の外周を回った感じ、かなりの広さを持っている事が解った。門に構えているのか、それとも巨大なだけなのか分からないから、その検証も兼ねよう。


 今の少ない情報で建てた仮説は、村に侵入しなければ襲って来ない事、魔力を感知してオートカウンターを飛ばしてくる事、呪いである事、それくらいだ。もう少し情報を集めてから斃すのが良いだろう。


 村の入り口まで戻って来ると、川のほとりで適当な石を拾う。魔力も何も込めていないただの礫で十分。これで十分検証になる。


 石を思いっきり門の中へ投げ入れる。からんこつん、と石が転がる音が聞こえるも、先ほどの様なエーテルの刃が飛ぶことも無い。


「うん。十分かな。勝ち込むよ」

「え、いきなり!?」


 驚きの声をよそに杖を振り回し、魔法陣を描く。魔法じゃ敵わないのは解ってる。エーテルに、その加工物である魔力で対抗しようなんて馬鹿げている。けれど時間稼ぎくらいなら出来よう。


 幸い、何故か私には視える。エーテルの揺らぎとそれによって起きる歪みを認識出来る。だから、時間稼ぎならば。


 後は、私が彼女を信頼するか、だけど。………………今は信じよう。じゃなければ斃せるモノも斃せない。そんなダサい姿晒しちゃ王に笑われる。


「私が前に出る。その隙にお願いね」


 彼女の返事を聞かず、杖を振り下ろし魔法陣をぶっ叩く。生み出された魔弾が与えられた衝撃を情報として受け取り、何倍にも増幅させ推進力に変化させる。それによって放たれた魔弾は、初速から最高スピードを誇る。


 美しき魔法。王が気に入った最高効率の魔法であり、私にとっての普遍的な攻撃魔法。魔弾が門へ侵入した途端、何かに弾かれる様にして、魔弾は爆音を轟かせ、衝撃を伝える。


「やっぱり門の近くに居るみたいだ。行ける?」

「やるしかないでしょ、もうっ!」


 少し怒ったような顔をして、彼女は私の後ろに着く。


 私が隙を作らなければならない。気を引くのは私の役目。ダメージを与えられずとも、隙を作る事は頑張ればなんとか。


 先ほど魔弾を生成した魔法陣を再利用するべく情報を送りつつ、改めて衝撃を与えて、初速を上げる。門を通過した魔弾は、その速度を落とす事なく、今度はきちんとした手応えを与えてくれる。何かに当たった。エーテルの刃で弾かれたのではなく、その大元か何かに。


「連続では使えないみたいだ。もう一度私が魔弾を撃つから、その隙に入るよ」


 リキャストが発生するなら相手しやすい。今度は複数の魔弾を生成する。とは言え、その大きさは元の魔弾を分割したモノだから、かなり小さいけど。それでもオートカウンターが魔力に反応するのなら十分なはず。


 魔法陣をぶっ叩き、十数個に分かたれた魔弾が門を通過して行く。バラバラな速度で放たれた魔弾は、その大多数はエーテルの刃にも弾かれず、着弾し小規模な爆発を伴って、霧散していく。


 それを見届ける寸前、私と白いキミが全力で駆ける。向かう方向はもちろん村の方向。けれど、想像通りにはならなかった。単純に私が読みを間違えたとか、そういう話ではなく。そもそも根本的な判断を間違えていたのだ。


 私は、彼女を信頼した。だって仲間だから。それ故に私は彼女の性格を考慮しなかったのだ。こう動いてくれるであろう。こうしてくれるだろう。そういう甘え考えが溜まりに溜まって、私はミスを犯したのだ。


 青い光。淡く光る、ランタンの中身。暖かく懐かしいそれの気配を理解したのは、私の意識が途切れる寸での所。


 それが握られる。潰される。ぐしゃりと嫌な音を立ててそれは役目を棄てた。懐かしい気配の消失。私の中の何かがスゥーっと抜け出て行く感覚。そして、


「──────────────────────」


 突如として、私の視界は暗転した。

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