OverDose 5

 温かな日差しに包まれて気が付いた。感じた事の無い程に優しい日差しで、少しずつ目を開けた。


「……………………ここは」


 どこだ。知らない場所だ。村……に見えるけれどガラググの村じゃない。森に囲まれているというのは解ったし、大体昼頃なのだという事も太陽の位置で分かった。でもここがどこかは分からない。見た事なんて無いし、このざっと見た感じの植生からも位置が特定出来ない。地脈も読み取れない不思議な空間だ。まるで別世界の様にも思うこの場所でどうして目を覚ましたのか。


 一つの扉が開かれ、木製の大きなバケツを手にした少女が駆けて、私目掛けて走って来る。まるで私の事が見えていないようで、ぶつかりそうになるも、危うい所で避ける。何故かあの少女を追いかけないといけないという気がして、慌てて振り返って、彼女の背を追う。


 巨大な針葉樹林の森だ。旅を通して得た知識でもこんな植生の場所は知らない。恐らく少し北。トルガニスだとかデグルとか、そういう場所の様に思う。陽は暖かいのに少し肌寒く、走って行く彼女も少し着込んでいる様に見えるのはそのためだろう。


 バケツを見るに水を汲みに行ったのだろうと解るけれど、どうして森に入ろうと走る必要があるのか。井戸が無いのか、それともわざわざ汲みに行ってまでも飲みたいと思う水があるのか。残念ながら水質については詳しくないから、断定は出来ないけれど、わざわざ森に入るくらいなら井戸を掘った方が良いと思う。森林であれば、地下水は豊富だろう。


 何か事情があるとか、そういう事だろうか? 村を囲む丸太の柵を抜けて彼女はバケツを持って元気に走って行く。子供の体力というのはどこからか無限に出てくる。追いつくのに苦は無いけれど、着いて行こうと思うと骨が折れる。それに足場も悪い。全く整備のされていない獣道の様になっていて、足元に気を遣わなければ転んでしまいそうだ。


 少女はひょいひょいと木の根を飛び移る様にして走る。息も絶え絶えになりながらなんとか着いて行き、多分五分程してようやく少女が止まる。水の流れる音がいつの間にか聞こえてきている。やっぱり水を汲みに来たんだろう。彼女の手にはあまりに重い物の様に思うそれを取っ手を持つのではなく、抱きかかえる様にして少女は再び村へと歩き出す。あれを抱えては走れないだろうと思っていた。


「手伝おうか?」


 少女に声を掛けるも、そのまま私の隣をすり抜けて歩いていく。この反応は私が見えていないと思って間違いないだろう。けれど経緯が思い出せない。私はどうしてここに居るんだろうか。…………そうだ、禁書庫に立ち入ったんだ。その後目的の本を見つけて読みふけっている間に、うつらうつらとして…………。


「っ、やば!」


 がばっと目を覚ます。散らばった本の海に出来た小さな島の中で体を起こす。少し寝過ぎてしまった様だ。目的の本も読み終えて、最早用は済んでいるけれど、あの子に二時間で戻ると伝えている。まずった、と今更焦る。ここでは時間が分からない。どれくらい眠っていた? どれくらい本を読んでいた? 早く戻らないと心配させてしまう。


「……片付けないと」


 本の山が出来上がった床を見下ろし、杖を一突き。コンっと軽やかな音が響くと私の杖から床へ魔力が流れ、本へと伝わって行く。一つ一つ整理しては時間が掛かる。魔法という便利な物があるんだ、少しくらい楽したって罰は当たらない。山全体に魔力が伝わったのを確認して、浮き上がった魔法陣を起動する。ごく一般的に使われている物を浮遊させ動かす物を応用した物。


 明確な名称は無いけれど、便利だから多用してしまう。魔力の消費も激しい訳じゃないし、そこまで難しい訳でも無い。


 全ての本を元に戻すと再び狩人の服の術式を起動して、牢の様になっている部屋から抜け出す。結界が万能だからって物理的な鍵を用意していなかったのは助かった。王の許しを得てここに来た時から変わっていない。私というイレギュラーさえも王室の一員であると受け入れる結界の寛大さには目を見張る物があるけれど、今になってはそれは失敗だろうとも思う。


 こうして指名手配の身の私が簡単に侵入が出来るくらいにはザルだ。


「急がないと」


 階段を登り、結界の鍵を開き、すり抜ける。あとは一般客を装って外に出るだけ。一度本棚に隠れる様にして狩人の服の術を解いてから出口へ向かう。入って来た時と同じように怪しまれない様にする為だ。狩人の服は基本的にサミオイの外で出回っていない。そもそもの素材がサミオイ近辺でしか採れないというのもあるが、技術の秘匿をエルフ達が行っている所為で製造方法も解らず、たまたま目にして手に入れたとしてもその複製は出来ないんだ。


 編みこまれた聖方式の魔法がどういった風に組まれているのかが分からないくらい複雑な所為もあり、サミオイですら売られているのは極わずか。元はエルフの遊撃部隊が着込んでいた服だが、なんとか物々交換に成功して手に入れた。


 図書館を出て来た道ではなく、右に逸れて行き路地裏に入る。路地裏という事で若干治安も悪い? ……らしい。まあ実際どこの国も同じだろう。路地裏には変な奴が溜まってたりするし、違法な取引だって行われていると聞く。今のカルイザムであればなおさらだろう。ディグベルだけじゃ首が回る訳が無いし、時間も金も限られている。騎士達が見回りだけはしている様だけど、それだけじゃ足りない。


 埃臭い路地裏を進んで行って何事も無く、商店街へ抜ける。大体七分程歩いただろうか。商店街と図書館が近場にあって助かる。もう二度と訪れる事は無いだろうけれど、知識の確認は出来たし、記憶についても仮説は出来た。


 宿に入り、そのままの足で二階へと登る。


「ただいま」


 ドアを開くと、白いキミはベッドで横になっている。眠っているのだろう。少し時間を掛け過ぎた。二時間で戻ると言っていたけれど、実際には四時間程経っている。起きたら怒られるだろうか。


 杖をぎゅっと抱きながら寝息を立てている彼女の表情は気持ちよさそうな物で、起こすとなると相当な苦労が見えてきそうだ。


 荷物を置いて彼女の隣に腰を下ろす。


「………………………………」


 何故愛しく感じるのか。彼女と居て苦だと思った事は無い。彼女が着いてくると言って一切の抵抗感が無かったのは何故か。


 彼女は私を好きだと言った。それがどういう意味の好きなのかは正直分からないけれど、私のこれは、きっと、そうなんだろうと思う。一緒に旅を続け、一緒に魔王征伐を成した。その道程は厳しい物だったけれど、彼女達と乗り越えた。そうして、得たこの想いはきっと本物だ。


 赦される赦されないという話をするなら、きっと赦される事じゃない。天真爛漫な彼女の姿を見て、私もそうでありたいと何度か憧れた。自由奔放、不羈奔放それでいて繊細な彼女を見て、そうであれたなら、きっと引き摺る事も無かったのだろう、と憧れた。


 ……父が死んだのだ。感傷に浸る事くらいはある。私だってヒトなんだ。少し前の出来事で、進むしか出来なかった私にとって、全てを終えた今だからこそ、来る物は多くある。


 図書館だって何度あのヒトと訪れたか分からない。思い出す度に此度の旅を憂いてしまう。あの時本当にあれで良かったのか? 何故選ばれた。何故旅に出た。故郷を救う為の旅だった。世界を救う旅だった。そこで得た物は決して捨ててはならない。けれど、それでも私の中に渦巻くのは罪悪感ばかりだ。


 王が居れば国は立て直せる。けれど王達はその身を以て民を、国を護った。それによって後継者は居ない。唯一王の娘であった私も王家の血は流れおらず養子として継承権も持っちゃいない。挙句の果てに指名手配。この国はどうなってしまうんだろうと憂う資格もきっと残されちゃいない。


 あの時きちんと受け止めたつもりだったけれど、どうしたってぶり返してくる。結果的に、私はあのヒト達を見捨てたんだ。手を伸ばした。届かなかった。視界が眩みその後────。


「んぁ……あぁ──おかえり、アリシア」


 目をこすりながら彼女が目を覚ます。珍しい。彼女がこうも簡単に眼を覚ますなんて。前は水を掛けないと起きなかったのに。


「起こしちゃった?」

「いや──」


 潤んだ目。怖い夢でも見たのか、彼女は体を起こして、私の隣に座る。


「…………お腹空いた」


 私の肩に頭を乗せて彼女はぼやく。その頭をそっと寄せる様にする。


「これじゃご飯行けないじゃん」

「寄せてきたのはそっちでしょ」

「そうだけど……買い物は全部済んだの?」

「一番大事なのを忘れてる」

「え、何? 薬とか?」

「いや馬」

「馬か……要る?」

「四人ならともかく二人なら出来るだけ歩きたくない。魔物とは出来るだけ相対したくないし」


 知らない魔物だって多い。エリーを殺したあの魔物も私は見た事が無い。大抵の魔物は、エーテルが変じて魔素となりその影響を受けた野生生物が突然変異して生まれたり、魔素がエーテルを凝結させ疑似魂となり仮初の肉体を得た物の相称だ。


 あの様な枝の魔物見た事が無い。木が変異したというのは考えにくいが、場所を考えると、光の螺旋の影響というのも考えられる。放出された魔力が魔素に回帰したとしても、違和感は無い。感覚的には、だが。魔力が魔素に戻る現象なぞ知らないし、聞いたことも無い。


「消耗は避けるっていうのが君の旅のモットーだったね」

「四人と二人じゃ出来ない事は増えるよ。負ぶってくれる戦士はもう居ないんだよ?」

「……ボク、そんなに負ぶってもらってたっけ……」


 疲れた、もう歩けない。何度聞いたか分からない。その度に戦士に背負われていたのをはっきりと覚えてる。運動を得意としない彼女だから仕方ないと言えばそうだが、今回はそうもいかない。戦士はもう居ない。勇者も居ない。だから歩くのは自分の足で。


「魔法でどうにかならない?」

「そんな便利な物じゃないって知ってるでしょ」


 馬酔いする訳でも無いのに、どうして嫌がるのだろう。彼女にとってもデメリットは無いように思うけれど。


「ボク、馬なんて乗れないし、口ぶりからすると荷馬車って事は、どちらかが手綱を握る事になる。そうなると更に君に負担を掛けることになる」

「それくらい教えるよ。キミならすぐに慣れるだろうし」


 なんだかんだ言って飲み込みが早い彼女なら、それくらいはすぐに慣れるだろうし、休憩さえ取れればそこまで私一人でもそこまで苦じゃない。そういう訓練は受けている。騎士も乗馬して移動するし、場合によっては荷馬車を使う事もある。だから心得ているだけ。


「……君は相変わらず優しいね。着いて行くと勝手に言っているのはボクなんだよ? ボクの意見は全部無視したって何ら不思議じゃない。というか、君一人で成り立つ事にボクが介入する事すら烏滸がましいのに」

「好きだから着いてくなんて言われたら断れないしね」

「それを……っ。──────いや、ごめん。そうだね。君はそういうヒトだ。……教えてくれる?」

「うん。旅をしながら覚えよっか」


 とは言え、馬が手に入るかは分からないのだけど……。購入してはいすぐ譲渡、という訳にも行かないだろう。今から買いに走るのもあまり良いとは言えない。というかもう店としては閉まっている頃だろう。


 騎士に属していた頃の愛馬が居たけれど、あの子も結局は騎士団に返上している。馬も資産、そう易々と、引退した者に与えるモノでも無いし、与えられても管理に困っていただろう。幸いにも馬を購入するだけのお金はディグベルから貰っている。……使わなければ勿体ないけれど、少しくらい残して思い出にしたいとも思ってしまう。


 …………いいや、もう十分思い出は心に溜まっているか。彼も全部使って万全に整えた方が良いと思っているだろう。じゃないとこれだけの大金を渡す事なんて無い。


「それじゃとにかくご飯を食べに行こう。連れて行きたい所があるんだ」

「うん。君が案内する所なら冥界だろうが天界だろうがどこへでも」

「何それ」


 突飛も無い事を言う彼女に苦笑して、腰を上げる。狩人の服のフードを深く被って彼女の手を取る。


「行くよ、お姫様」

「それは文字通り君の方でしょ」


 そりゃそうか…………。

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