OverDose 2

「…………お父様、私は生きています。貴方が背中を押してくれたから。貴方が私に教鞭をとってくださったから、今があります。我が王に敬愛を、我が主に敬礼を」


 随分と立派に建てられた物だと、目を張った。敬愛されていた王だ。私を拾った理由を終ぞ聞けなかったけれど、例え気まぐれだったとしても私の人生はその気まぐれで輝いた。だから膝を着いて、手を胸に、永遠の誓いに等しき敬愛を送る。


 親を亡くし、孤児として施設に引き取られた私をたまたま視察に来た王が気に入った。きっと最初はそれだけだった。王に見初められた魔法の才は王によって鍛え上げられた。魔法だけでなく、武についてもあらかた叩き込まれたのを覚えている。あの時地獄だと思っていた光景も今になれば笑い話だ。


 剣術、体術、鎌術、弓術、占星術、そして魔法。王はそれだけの事を私に教え込んだ。王族が孤児を取るという事も当時は異常事態だったけれど、比較的私は幸せだった。本当の親の顔なんて覚えていない。匂いも声も顔も体つきも暖かさも憶えてない。けれど、王や兄上の記憶ならわんさかある。


 愛されていた。私も、王も。与えられた機会を逃してはならない、と必死だったけれど、私は信じられないくらい大切に育てられた。


 我が王の墓の隣に並べられるように作られた墓は、兄上の物。お父様と共に、死して国と民を護った偉大なる方。


「……、兄上……と呼ぶとまた怒られてしまいますね。兄さん、貴方が私の為にしてくれた事を私は後生忘れる事はないでしょう。愛しています」


 『お前は養子だから』。彼の口から良く聞いたセリフだ。お前は養子だから何もせずとも良い。今更になって、それが彼なりの優しさだと知った。私には王位継承権は与えられない。当たり前だけど、養子なんだからある訳が無い。だから何もせずとも良い。好きに生きろ。そういう意味だったと、あの時気付いた。分かっている。分かっているんだ。けれどどうしても、どうしたって、後悔してしまう。


 私は、貴方達と共に死にたかった。


「……………………………………」


 一人置いて行かれるなんてごめんだ。一人にされるなんてごめんだ。貴方達が居て、幸せで、だから魔王征伐の旅に出た。貴方達が笑えるように。また王に魔法を習いたかった。騎士を出て、王家を出てもその思いは終ぞ無くならなかったんだ。


 あの時、私が彼らと共に死ねていたならば──ッ!


「□■■□ちゃん」


 肩をぽんっと叩かれ顔を上げる。フードが揺れて視界が少しだけ遮られた。それは白いキミが私の頭を撫でたから、フードが少しずれたんだ。


「何を思っているかなんて知らないけど、その顔は二人の前でするべきじゃないよ。」

「────────────、っ! そう、だね」


 息を大きく吐いて、目に浮かんだ涙を拭って、彼らを見上げる。


「私はここに。魔王征伐の旅を終え帰還致しました」


 思う事はいくつもある。私にとって、この旅は良き物だったとは言えないけれど、それでも貴方方が託してくれたものは全部──。


「……行こう」

「もう良いの?」

「うん。報告は済んだ。すぐにここを発つけれど、きっと最初からそのつもりで私を見送ってるから、行ってきますは野暮だ」

「そういう物なの?」

「そういう、ものだよ。今、ここで行ってきますなんて言ったら私は……っ」

「そっか。なら行こう。心機一転、君の旅はもう一度始まるんだ。だから、そう、もう□■■□ちゃんとは呼べないね」

「アリシア」

「…………それは?」

「村の子に貰ったんだ」

「………………そう。ならアリシアちゃんと」


 何か思う事があるのか、彼女は不貞腐れたような顔を一瞬したけれど、すぐに笑顔に戻る。他のヒトがアリシアという名を付けた事に不満でも感じているんだろう。タイミング的に、そうだと思う。


「今日発つの?」

「流石にそれは無理。色々と買い揃えたい物があるけど……困った事にお金が無い」

「宿に泊まるのには困らないけど、いざ旅に出るとなったらお金が無くて出られないってくらいの経済力だもんね。報奨金が出る訳でも無し」


 私もキミも資金不足。どうした物かと考え、冒険者ギルドに思い当たる。小銭を稼ぐくらいにはなるけれど、登録が出来ない。免許というよりも許可証に近い物だけど、その分審査だって厳しくある。素性を明かせない私達が冒険者になるには、顔を変えて、新たに住民としてこの国に居を構える必要がある。


 そんな余裕はどこにも無い。初期投資もかなり掛かるし、顔を変えてこそこそ行動するのは性に合わない。この恰好だって出来ればしたくない。お尋ね者なのは、この際仕方ないとしても、


「どうしたもんか」

「資金集め、か。冒険者になれなくとも素材なら売れるでしょ?」

「……カルイザムは魔道の国だ。それ故に魔物素材は多く消費されるのは、分かるよね?」

「うん。杖……だよね」

「だから、素材への信頼性が必要なんだ。杖を作る為に使う素材に一切の妥協をしないのが、彼ら杖職人。そしてそれを扱う魔法使いもそう」

「えっと、つまり冒険者以外から素材は買い取らないって事?」

「そうだね。この国の素材屋についてはそう。まぁでも最近だと杖職人たちに直接素材を渡すヒトも増えているみたいだけど」


 だとしても、私達を信頼するヒトなんて居ないだろう。素性が分からない相手と取引する程彼らもバカじゃない。だから、素材屋は無理。


「出店でも開く?」

「それも無理。王の許可が要る。今は王は不在だから代理かな。許可が出ないのは明白でしょ?」

「………………代理って事は、王に近かったヒトだよね」

「そうだね?」


 無論顔も声も仕草も憶えている。仕事に真面目で小さい私の悪戯を一切の容赦なく叱りつけた事も、覚えてる。そんな彼ならば代理も立派に務めるだろう。


「なら、君の事も知っているはずだ。君の近くに居たはずだ。なのにどうしてそのヒトにさえ素性を明かさないの? 生きていると報せる事も大事じゃないの?」

「…………お尋ね者になった以上、会う訳にはいかないよ。養子とは言え一応は王族に含まれている。継承権は無いにせよ、そんなヒトが犯罪者となってまだ生きているなんて、恥もいいとこだ。死んでいた方がましさ」

「………………………………その言い方すっごいムカつく」

「そりゃあ一部のヒトは私達を正当に評価してくれるかもしれない。でもそれは決して王室としては認められない事なんだよ。分かって?」

「王室だとか全部どうでも良いよ。家族みたいな物なんでしょ……っ! どうして、そう冷たくなれるの!? ボクには分からない。分からないよ……なんで全部勝手に納得すんだよ……」


 彼女に返してもらった私の杖を地面に突いて、そっと息を吐く。冷たくなった。そうかもしれない。私に、ここまで理性的になれる余裕があるとも驚きだ。自分で驚いてるのも変な気分だけど、きっと少し前までならば何も考えずに王城の門を叩くだろう。


 それにこの服だって、前までなら民が混乱する、なんて考えもしなかったはずだ。……冷たくなっている。温かな血が廻る代わりに、何かが少し冷えたのだろうか。


「家族っていうのは、ただいまとおかえりを言い合って、笑い合う物でしょっ!? 君は名前だけじゃなく、折角思い出した記憶も棄てるつもり!? そんなの絶対許さない。許してなる物か……ッ! 家族が、君を信じない訳ないだろ……ッ! 君は家族を信じて進んだんでしょ!? だから、あの時、あれだけ叫んでいたんじゃないか!」


 ──────ディグベル。彼をそう呼んだ。何度も何度も呼んで、何度も怒られた。彼の背に氷魔法を当てて変な声を出させたり、椅子に雷魔法を仕込んで少し痺れさせて驚かしてみたり、色んな悪戯をした。王にしごかれる毎日の中でも私が笑えていたのは彼のおかげだと言っても過言じゃないくらい。もちろん、王だって配慮はしてくれていた。けれど一番大きかったのは──。


 分かってる。分かってるさ。あのヒトはきっと私を信じてくれる。自分で王室を出た。もちろん、止めるヒトは……王には止められたけれど、それでも背中を押してくれるヒトばかりだった。あの日、私は迷いなく悔いの残らない選択をしたはずだ。


「………………………………っ」


 王室に引き取られた私の身の回りの世話をしてくれていたのは誰だ。私がおねしょしても王や遣いにバレない様に処理してくれたのは誰だ。私が悪戯をして本気で叱ってくれたのは誰だ。私が上手く魔法を扱えるようになって一番喜んでくれたのは誰だ。私が王室を出ると決めた時、いの一番に背中を押してくれたのは、私が騎士団に入隊すると決まった時、私が団長になった時、私が魔王征伐の旅に出向く事になった時、一番私を憂いてくれたのは誰だ。


「分かってるよ、そんな事」


 だから、会ってはならないんだ。彼がしてくれた事に、仇で返す事なんてしたくないッ。どれだけの愛情を持って接せられたかなんて、小さい頃から知ってる。目の前で両親を亡くした私に寄り添ってくれたのも彼だった。孤児院を出て、寂しいと泣く私の相手をしてくれていたのはディグベルだ。


「王には報告したんだ。だったら家族にもしないと。不孝者はダメだよ。やりようはある。会っちゃダメなんて建前で、本心を隠さないで。……これはそういう旅でしょ?」


「…………………………………………キミに諭される日が来るとはね」


 本心を言えば、会いたい。大切に育ててくれた王室に対して、こんな不孝を赦したくない。けれど、会う事自体がリスクなら、避けるべきだ。今もそう思ってる。だけど、もし我儘を言っても良いのなら、征伐の旅を終えた今だから出来る話もある。


 きっともう会う事は無い。きっともう二度と話す事は無い。これから先の旅はそういう物になる。だからその前に話をしよう。その前に感謝を伝えよう。家族の様に接してくれた彼に愛していると伝えよう。


「行こうか。旅をするのだから、そういう憂いは極力無くさなきゃ」

「……それ言ったらキミは」

「ボクは、良いんだ。親を憂いた事なんて無いんだから」


 その言葉に何も言えず、私の手を取った彼女に連れられて、路地裏に入る。彼女には考えがあるようだけど、一体何をするつもりなのか検討も付かない。文を送るとかそういうのだろうかと漠然と考えていると、裏路地の真ん中辺りで歩を止める。


「ボクはテレポートが出来る。王城なら一度訪れたから内部に直接移動する事も出来るんだ。都合の良い事に姿を隠せる狩人の服をアリシアは着てる。後は解るね?」


「…………策と言えるのそれ?」

「何ならボク直々に時間稼ぎをしてあげよう。騎士団なら三分くらいは時間を稼げると思うよ」


 攻撃魔法も使えない癖に何を言ってるんだか、と同時に、どうしてそこまでしてくれるのだろうか、と疑問が浮かぶ。彼女にとって何のメリットも無い。


「今すぐ決行しよう。君の為なら、ボクは何でもするから」


 私の両手を握って、ね? と私が頷くのを待っている。どうして? という問答は必要無いだろう。私と居れるならと答えた彼女に、どんな問答をしても意味は無い。


「……、逃げられないね、これは」


 会いたいという思い。同時に犇めく会ってしまうと迷惑になるという考え。彼女は会えという。家族はそういう物だと言う。親を憂いた事なんて無いと言い切った彼女がそれを言う。説得力なんて無い。けれどだからこそどうして、と疑問が湧きたつんだ。


「分かった。会うよ。会ってくる。時間稼ぎお願いね」


 大雑把すぎる作戦だ。無論王城は結界が覆われ非正規の潜入は確実に弾かれる。されど彼女のテレポートならばそれはパス出来る。特別も特別。魔力の糸で編んだ術式の隙間を通り抜けるとかいう意味の分からない芸当を平気な顔でやってのける。まったく、才能というのは恐ろしい。


 彼女が杖を握る。ランタンの部分が青く光り、足元に小さく魔法陣が描かれる。私は狩人の服に魔力を流し込んで、編みこまれた術式を発動させる。同時に彼女のテレポート魔法が発動して、私の眼前の景色が塗り替わる。


 謁見室。確かに、彼女はここを訪れた事がある。私が旅に出掛ける時、ここで王と謁見した。一度失った癖に昨日の様に思い出せる。


 随分と様相が変わっている。内装自体はそう変わっていないはずだけど、随分と、寂しく見えた。王の座る絢爛豪華な大きな椅子は最奥に置かれ、その前に簡素な椅子がある。そこに、彼が座っている。傍らに二人の騎士が立っている。


 失敗したなと気付いた。王の謁見室は通常滅多な事では立ち入れない。当たり前だが、王に謁見するなぞ通常じゃあり得ない事だ。私が王室に所属していた頃でも、二、三回謁見室の扉が開かれたくらいに思う。


 けれど、現在、扉は開かれている。訪問者は見えないけれど、まるで誰も彼も歓迎している様に見える。どうしてその様になっているのか分からないけれど、とかく謁見室は隠す事なく開かれている。


 そこに突如として現れた白いキミ。姿を隠し、外界から視認される事の無い私と違い、彼女はその注目を一手に受けた。ディグベルの隣に立つ二人の騎士は、各戸部隊を持つ程の騎士だ。私が騎士団に所属した時見た覚えがある。


「何者だッ!」


 その声を発したのは騎士。白いキミは見えていないはずの私をチラリと盗み見るとウインクして、さらばっと駆けて行く。急に現れて去って行く白い少女。彼らから見れば素っ頓狂な変人に映るだろう。正直これで本当に時間稼ぎなぞ出来るのだろうか? と疑ってしまったけれど、片方の騎士はすぐに駆けて行った彼女を追いかけていく。もう片方の騎士は落ち着いた面持ちで、彼の傍に仕えたまま、しかし剣は抜いて構えている。彼女を追う部隊と、王代行を行っている彼を護る部隊とで瞬時に分かれたのだろう。


 時間稼ぎ、と彼女は言ったが、これでは結局片方が残ってしまっている。考えてみれば当たり前の行動だ。そもそも謁見室に彼が居るというのも想定外だ。これでは狩人の服の効果を見破られ、私がここに居る事も看破されるのも時間の問題だ。


 ここは素直に姿を現した方が良い。術式を解除して、姿を現すと、騎士はその剣を構えじりじりとにじり寄る。


「何者だ。サミオイの者か?」


 私の恰好を見てそう判断したんだろう。同時に遠距離攻撃に備え盾を翳す。彼がエルフという存在を的確に認知している証だ。魔法、または弓による遠距離攻撃を警戒しているのだろう。魔法であれば、最早ディグベルを護る事も叶わないかもしれない。撃ち出すだけじゃなく打ち上げる魔法がある以上、じっとしているのは得策ではない。


 魔法を扱える者を相手にするのはちと難儀だ。動き続け、攻撃を避けながら距離を詰める。そうしなければ、守護対象に魔法が飛ぶ。魔法使い側からしても、詠唱中に攻撃されるのは本意ではない。


「………………………………」


 久しぶりに彼の顔を見た。酷く驚いた様な顔。それ以上に疲れ切っている様に見える。崩壊したと言っても差し支えない規模の事件の後の王代行。仕事量はとんでもない数なんだろう。


「何者だと聞いているッ!」


 騎士の問いに答える様に深く被ったフードを下ろす。無理やり服の中に仕舞い込んでいた髪がふわりと揺れる。


 騎士の剣が揺れる。ディグベルの瞳が大きく見開かれる。杖を手にして、緊張から息を吐く。


「ただいま、ディグベル」


 その言葉に、騎士は剣を落とし、ディグベルは立ち上がる。死人でも見たような顔をした彼は、私に向かって駆け寄って、何も言わずに勢いよく私を抱きしめる。


「……………………っ、こういう時、なんて言って良いのか分からない……」

「そうだね。私もさっきまで分からなかった」

「…………おかえり。…………おかえり……っ、よくぞ無事で、よくぞ生きて帰って来たっ! 光の螺旋のあの日より、お前の帰還を今か今かと待っていた……っ!」


 彼の声は涙に濡れている。その所為で私も釣られそうになる。ダメだよ、泣かないと決めたんだ。あの日を境に決めたんだ。だから……だ、から……っ。


「良い、の? 私は、指名手配されてる……んでしょ?」

「……あぁ、おい、すまないが、扉を閉めてくれ。分かる、だろ」


 騎士は何も言わず、落とした剣を拾い、すぐさま謁見室を出て扉を閉める。


「話したい事は山ほどある。聞きたいことも山ほどある。だけどその前に、本当に……生きてくれてありがとう。お前まで失っては私は……ッ!」


 王と王子を同時に亡くした。それは彼も同じ。王に仕え、私の世話をしてくれていた彼は王とも関係が良かった。共に晩酌していた所を何度か目撃したくらいには仲が良かった。王であると同時に酒の席では友人として接していた彼にとって、その事実はあまりにも堪えるだろう。


「うん。何とか生きてる。ギリギリだったし、記憶を失くしたりして、無事……とは言い難いけれど取り戻した」

「そうか。…………すまない、お前が指名手配されるなぞ、思っても居なかった。お前がどれだけの苦難を乗り越えたかは想像できない。けれど、あの光の螺旋を目した時、成し遂げたのだと察したんだ。王も浮かばれる」

「…………ディグベル。ここに来たのは……」

「分かっている。ただ挨拶しに来た訳じゃないんだろう? お前を犯罪者であると断罪せしめん奴も居る中良くぞ戻って来た。禁足地フィア・エドルにての激戦を制したお前はまさしく英雄だろう。だが……ッ」


 分かっていた。彼は決して私を無碍には扱わない。魔王征伐の旅を成した私達の功績を順当に称えるだろうことも。けれど、決して褒めて欲しいから戻って来たんじゃない。会いに来たんじゃ、無い。会いたいというのは本心だ。けれど本題を忘れてはならない。


「今、私は追われる身なんだ」

「知ってるさ。トルガニスの皇帝めがそう下したのだ。故に、お前を追う者は多く居るだろう」


 トルガニス……、なんだよ、訪れた事の無い国じゃないか。だからこそ、なのか? 道程に無ければ寄り道はしない。そういう方針で旅をしていた。龍神の噂は聞くが結局は宗教に留まっている。だから無視をした。


 私達を政治に使えると判断したんだろう。例えば、勇者一行が訪れた場所として売り出せば、その地は確かに盛んになるだろう。それを嫌った皇帝の工作という物だろう。私達を犯罪者に仕立て上げる事によって、他の国に勇者一行が訪れた場所であると売り出す行為を牽制したんだ。


 ガラググは、トルガニスと関係なく、禁足地に立ち入り魔力災害を起こし、実際に結界を壊しているという点で、明らかに私は悪だった。けれど、トルガニスは……。


 帝国トルガニスは、領地を奪取する事を是としている。現状絶妙なバランスによって保たれている領土も、トルガニスの一考によっては覆ることもざらに起こるだろう。その状態で、トルガニスの意向を無視してそういった売り出し方をするのは悪手だ。攻め込まれては、彼の魔道技術に対抗するのは骨が折れる。下手をすれば属領になるだろう。


「リワードはいくら?」

「六百億セレル」

「何それバカみたいな数字」


 元より捕らえる気なぞ無いというのが透けて見える。とは言え六百億となれば、冒険者等に狙われるには十分すぎる。自分の手で捕らえるのを諦め、冒険者に賭けているのだろう。上手く使った物だ、と呆れてしまう。


「私を差し出せば、ディグベルの仕事は楽になる?」

「……馬鹿言え、これ以上私に家族を失くさせるな」

「……………………………………っ」


 彼の手に力が籠る。六百億あれば、現状のカルイザムをどうにか出来るだけの金額だ。現在、鍛造の国レンドゥッカと、獣人の国モッフモフゥによる援助が続いている状態だ。その状況を変える為の頭金くらいにはなると思う。けれどそれをすぐにバカと断られてしまった。


「少し痩せたか?」

「かなり。魔猪の肉は不味いんだ」

「あれを好んで食す者は居ないだろうな」


 彼は笑う。ようやく離されて、彼は再び椅子へ戻る。


「最近腰を悪くしたんだ。医師には、あまり一人で歩くなと言われてな」


 よっこらせと座って、彼は私をじっと見つめる。


「またすぐ、どこかへ行ってしまうんだろう?」

「うん。出来れば」

「……そうか。……報奨を与えれずすまない」

「良いよ。今のカルイザムにそこまでの余裕は無いって解ってる」

「代わりに、私のポケットマネーで悪いが、受け取ってくれ。親から娘に対してのお小遣い、という事で」

「…………こんなに? お小遣いって言い訳で片付かない額だけど」

「今の私にとっては小遣いだ。それに、妻も子も居ない私にとってお前は本当の娘の様なんだ。殆ど何も求めなかったお前には、これくらい与えたって罰は当たりはしないさ」


 彼の言葉に一々感極まって涙が溢れそうになる。


「私だって、貴方を本当の父の様に想ってる。本当なら、三日三晩寝ずに語り合いたいけれど、じっとしてる訳にはいかないから」

「……、愛している。王に代わってここに、お前の帰還を記そう。お前が成した事は生涯を以て語り継ごう。いつか、歴史に刻まれることを願って」

「愛してる、ディグベル。また会えたら、きっと会おう。その時、きっと沢山の話をしよう」


 同時に強引に開かれた謁見室の扉から、ぐぇーと情けない少女の声が聞こえる。


「捕まっちったー」


 と笑う白いキミは、私を見て、


「すっきりした顔してるね」


 と安心したように呟く。


「先ほどの者を捕らえました。代行、如何いたしましょう」

「良い、放してやれ。突然で分からなかったが、私の旧知だ。この状況だ、正式な手順では会えぬと思ったのだろう」


 彼は上手い事嘘を織り交ぜながら、


「とは言え、急にテレポートされては心臓に悪いがな」


 と笑う。あはは~と白いキミも笑い、騎士の手が離される。にしても、かなりの数に追いかけられた様に見える。彼女の綺麗な服に砂埃が着いているし、彼女を担いで持ってきた騎士の鎧にも新しい傷が見える。──────新しい傷?


「かしこまりました。では、二度とこのような侵入はお控えください。次回からは正門から堂々と」

「あいあい、そうするよ~」


 彼女はふらふらと手を振りながら騎士を見送る。


「全く、お前の仲間は面白い奴だな?」

「でしょ? 自慢の仲間だよ」

「昔のお前を思い出すよ」

「……そうだね。…………もう行くよ。ありがとう、会えて良かった」

「あぁ。…………貴公の旅に、祝福があらん事を」

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