OverRode 6

 私の体では、彼女達二人を運ぶ事は出来なかった。けれど片方を残して行くのも忍びない。冷静になれ。彼女らの遺品だけは回収出来る物は回収しよう。


「……………………………………………………」


 結局、出来る事は何も無かった。私がエリーの為に出来た事は何一つ。もう良い。しきりに泣いた。枯れる程泣いた。ここで立ち止まっても、何も変わらない。


 彼女が手にしていた瓶を手に取る。喉に何の異常も無いと解っていたはずだけど、それでももしかしたらって私の為に取りに来たんだろう。料理にも使われる事は無く、薬としても強力過ぎて毒となる事もあるこの蜜ならば或いはと、そう思ったのかもしれない。


 だけど、自分の命も顧みないなんて、そんなの、ダメでしょ……ッ。


「…………っ、ん、く……! っう、」


 口に含むとその強烈な甘さとねばらかな液体に耐えらずに思わず吐き出しそうになる。初めて口にした感覚……だと思う。正直言ってめちゃくちゃ不味い。ただただ甘いだけで美味しいと感じる事は無い。ただ、彼女が遺してくれた物を吐き出すわけにもいかず、無理やり飲み込んだ。喉を通るねばらかな強烈な甘さは、まるで喉を焼くようで、飲み込んだ後、暫くせき込んだ。


「………………………………」


 遅効性なのか、それとも効果なんて無かったのかは分からないけれど、とにかく、私の声は戻らない。……私は、彼女の為に、何がしてあげられたんだろう。私は彼女に貰ってばかりで結局何もしてあげられなかった。


 彼女が下げていたペンダントを手に取って、父親であろうヒトからは、採集手帳を回収する。開いてみるとか、かなり緻密に採集ポイント、素材の有用性、使い方、効果が記載されている。一人の字では無いみたいで筆跡が途中で異なっている。


 ……………………代々受け継がれた物なんだろう。これを持って帰れば、彼の仕事はきっと誰かが受け継ぐ事が出来るはずだ。


「────────────────────」


 あぁ、それでも彼らが死んで良い事にはならない。分かってる。私はエリーに対する恩に報いることも出来なければ、村人たちに対しても何も出来ない。魔猪を倒したってそれは結局その場凌ぎに過ぎない。私にあれだけの魔力が溜まってしまう程の結界を作る事は出来ない。


 知識も無ければ技術も無い。私が出来る事と言えば、文字通り命を削り人一人助ける事も出来ない魔法を使う事くらい。それは既に最悪な結果として証明された。


 帰ろう。……帰らなければ。私が居るべき場所に、帰ろう。村に彼女らの遺品を届け、私はその足で、あの村を出る。出た先でどこへ向かえば良いのか分からないけれど……何度目の決意だろう。何度目の覚悟だろう。きっとこんな事は何度もあった。誰かが目の前で死ぬのなんて、旅の中では珍しい事じゃないはずだ。


 慣れちゃなんていない。何度経験したって慣れるもんか。


「……………………………………」


 ガラググの村へと足を向ける。幸いにも彼女は花に囲まれている。花が好きな彼女にとって、きっと悪くないはずなんだ。そうでしょ? そうじゃなきゃ、嫌だ。


 来た道を戻りながら、周囲の警戒を怠る事は無い。一人であれば、魔法でどうにか出来る。実際に枝人間も、全て倒す事は出来た。助ける事は、出来なかったけれど。


「………………?」


 大量の足跡があった。ヒトの物じゃなく、形も違えば大きさも異なる足跡が数十を超えて残っている。嫌な予感というのは続く物だ。旅において私は学んでいると思う。旅とはそういう物だと意識付いている。だからと言って簡単に気持ちを切り替えた自分に嫌気が差すのは気のせいか?


「……………………」


 急がないと。あの魔猪は偶然などではなく、村に溜まった魔力に引き寄せられた。ただ、これだけの大群になると、私も出来ることは少ない。誰かを助ける為に誰かを殺すことになるかもしれない。私が扱える魔法は大抵が範囲魔法だ。確かに単体に対する魔法もある。魔猪に対して放ったグラーヌス。あれは、岩石の剣を作り出し、敵を貫くか切り裂く物だ。使い方によっては多くの魔物を相手に出来るけれど、専ら単体に対して扱った方がやりやすい。それ以外にもあるけれど、炎は引火してしまう手前、誰かを助けようとした時に扱うには難しい。


 魔法は便利だけど万能じゃない。こと誰かを助けることに関しては、剣や拳の方が適当だ。


「……は、ぁ……」


 大きく息を吐く。揺らぐ。このまま村に行っても良いのかと。杖を突きながらようやく歩ける体でどうしてあの村を救えると思えようか。……いや、まだ魔物が村に向かって侵攻していると決まっている訳じゃない。私が出来る事は何も無い。何度も何度も再確認して、頭がおかしくなりそうな程だけど、そうじゃないと、私はきっと潰れる。


 記憶さえ、完全に戻れば、なんて淡い期待もきっと無駄だ。魔法が使えた時点で、記憶が戻ろうが、変わらない事は解ってる。思い出も出身も名前も忘れた癖に、一度使ったくらいで魔法の事はぼんやりと思い出している。だから魔弾なんて物が使えたし、他にもいくつか思い出して尚、私にはどうする事も出来ないと察したんだ。


 思い出して居なければ、きっと私はエリーごと焼き殺していた。


「……………………………………………………」


 ある程度予想はしていた。個々がそれぞれ全く違う魔物だ。私が目視出来た限りでの数が三十程。入口から見ての数で、無論続く道はいくつか枝分かれしている。となると、少なく見積もっても五十程か? いや、考えるのは後で良い。


 考えるだけ無駄。思い出せもしない事を思い出そうとしている私がそれを言っちゃおしまいな気がするけれど、まずは行動を起こさなければ。怪我人は、死者は居るか。見た限り倒壊してしまった家屋は五個程度。今朝魔猪にやられた家屋を含めれば六になる。ヒトの気配……は無い。何とか逃げれたと思うべきだが、死している場合もその気配は感じ取れない。そこに魂が無ければ、分からないんだ。だから、一か八か。


 あれだけ迅速な対応が出来ていた村人たちだ。既に避難しているという願いじみた希望を抱きながら、村の内部へと足を進める。二又尻尾の巨大なサルの様な見た目をした魔物が私を見つけて手にした岩を投げつける。岩……ではなく、糞。確かそういう習性のサルが実在していたはずだ。魔力でも帯びて変遷したか?


 投げつけられた物を避ける余裕は無い。かといって撃ち落とせる程感覚は冴えちゃいない。こういう時魔法使いならば、


「────────、っ」


 体内魔力を放出して防護壁を張るのが鉄板だ。放出した魔力を一つずつ並べて壁とする物。魔法とは呼べぬそれを魔法使いと呼ばれるヒト達は愛用する。きっと私も愛用していたはずだ。


 糞を防いだその返しに、杖を振り上げる。魔法を扱う事にもう躊躇は無い。忘れていた物を取り戻しただけだ。記憶だって思い出せていない事は多いけれど、この調子ならいつかきっと思い出せる。だから、今尻込みしている余裕は無い。


 放ったフィアムと呼ばれる炎の魔法が二又尻尾のサルに直撃し、キィィイ! という悲鳴を上げ燃え上がる。追撃は不要だろう。額にあった魔力の結晶がポロリと落ちるのを確認して、歩を進める。


 魔物は数多くあるが、全てを倒していてはキリが無い。あれらの駆除は村人が無事かを確認してからで良い。……残念ながら、あれら全てを駆逐する程の余力は私には残されていない。村人が生きていて、どこかに避難しているのなら一度合流しておきたいんだ。


 一体一体駆逐していては私の空っぽな炉心では底が尽きてしまう。ヒトの気配がする方に進んでは、襲い掛かって来た魔物だけを倒し進む。走って駆けつけたい所だけど、私の全身の痛みがそれを拒否する。……私が知っている村人は確かにもう、アラギグだけしか居ない。だからせめて、エリーが居ない今役に立てるとしたら彼の為しかない。


「は、……ぁ、」


 肩で息をしながら倒壊した家屋で足場が悪くなった道を進む。こうして進む度にどこかの家屋が崩壊していく音が聞こえる。急げと体に伝えても痛みに邪魔されて、もどかしい。


「────────────────」


 村の広場に着いて、大きく息を吐いた。村人が居た。アラギグの診療所へ向かった時にすれ違った村人、あの時、エリーとぶつかった少年、見た事の無いヒト、それぞれ鍬や斧を持って魔物に対抗せんと固まっている。


「どうしてこんなに魔物が攻め込んでくるんだッ!」


 声を荒げる青年が斧を振り上げ、迫りくる狼の頭蓋を砕く。錬金術師から話は聞いていないのか、それとも気付いていないのかは分からないけれど、とにかく彼らは無事で、この状況に困惑しているらしい。


「魔猪の時点で気付くべきだったんだ……ッ! あの魔女が呼び出したんじゃないだろうな!」

「そんな…………でも魔猪を倒したのもあのヒトだったじゃない!」


 …………………………………………。


「それに魔女って、言って良い事と悪い事があるのよ!?」

「だが実際どうだ! 光の螺旋が起きてすぐあいつは倒れている所を発見されたんだろ!? そんな奴を村に入れるってエリーん所はどうかしてんじゃねーのか!?」

「そんなのはどうだって良いッ! 今は、こいつらをどうにかしねぇとだろうがッ!」


 何人かの絶叫を聞いて杖をぎゅっと握る。言い返す事なんて出来る物か。私は何も知らないフリをし続けるんだ。何も言えないまま、何も出来ないまま居るべきなんだ。────けれど。


 それではきっとエリーが悲しむ。私は私のまま死に逝くのは良い。だけど返せなかったエリーへの恩は、今ここで代わりに村人たちに還さないといけない。死んでしまって、はい終わりとは行くもんか。命賭してでも、救え……ッ! 何の為に私がここに居る。何の為に私はここで生きている……ッ!


 思い出すのはもう、良い。今の私が出来る最大限の事をッ! 何故魔物がこの村に侵攻してきたのかなんて明白だ。魔力溜まりとなったこの場所が魔物にとってオアシスの様になっているからだ。別にヒトを襲う為にここに来た訳じゃない。更に住みやすい様にとヒトを襲っているだけ。魔力溜まりさえなければ魔物はこの村には一切の興味も持たないだろう。


 だったら、この村に溜まった魔力溜まりをどうにかすれば良い。感覚はこの手に。そして、それを実行するだけの魔力はここに在る。


「──────────」


 その結果、村人に忌避されるとしても。私は私で居なければ。


 杖を地面に向けて、体を中心に円を描く。勢い余って体のバランスを崩して、描いた円の中心に左手を突いた。同時に展開される魔法陣。魔物を全て一掃する必要は無い。この村に溜まった魔力を無くしてしまえば良い。だから────


「おい、アイツ、あれが魔女なんだろ!? あいつさえ居なければ、あいつさえ来なければ、こんな事にはならなかったんじゃねーのかッ!」


 声は棘となって刺さる。ボロボロの体に刺さって溶ける様に心へと。治してくれるようなヒトは居ない。傷は負っただけ永遠に残り続ける。それでも、このヒト達の為、エリーの為に、やらねばならない事だ……ッ。


「────っ、!」


 息を大きく吸って、魔法陣を起動する。それは何かの魔法を成す物ではない。それは異端の一歩目。聖方で忌避された魔法であるが故の禁忌、オーバーロード。大気中のエーテルを吸い上げ魔力に変換する物。けれど、今回はエーテルではなく魔力。工程をいくつか省略して、そのまま私の体内魔力へと置換する。


 けれどそれでは私の体は破裂する。これだけの魔力溜まりだ。どのような英傑だろうが、どのような傑物だろうが破裂するだろう。


「…………………………ッ!」


 全身の痛みが加速する。魔力が体内に入り、キャパシティを急速に超えて行っているんだ。それ相応に痛みもある。このままでは本当に破裂するだろう。だから、同時に新たに魔法陣を展開する。この魔力を一度にどこかへと押し出すには、ちまちま魔法を撃っていてはままならない。魔物の興味を一瞬にして無くすには、一瞬でなければならないんだ。魔物は知能が低い。愚鈍な程だ。だから緩やかな変化には気付かない。魔力がちょっとずつ減って行ってもこいつらは気付きやしない。


 だから一瞬が必要なんだ。どんな生物でも一瞬で劇的に環境が変化すれば気付く。


「──は、ぁ」


 新たに展開されたそれは、私の眼前に。一度体内に取り込んで瞬時に魔法に変換するなんて馬鹿げた経路を辿る所為で体への負担がかなり激しい。魔力パイプという物がデグルという国で開発されていると、どこかの国に訪れた時に訊いた。ヒトが放出した魔力を遠くに運び遠方で魔法を成すという不可解な物。私は今、それと似たような事をしている。そりゃ、負担が大きいに決まってる。


「……が、は──ふぅ…………んぁ、?」


 声が、出る。今更さっきの蜜が効いたんだろうか。上等だ。ならば、口上の一つくらいはくれてやる。それが私が出来る唯一の──。


「私は、ここに居る。ここに居るよ、□■ちゃん」


 知っているだろうけどさ。


「そんでもって、ありがとう、エリー。キミが居なければ私はきっと疾く死んでいた。それと、ごめん。キミを助ける事が出来なかった。だから恩はここで返すよ」


 どれだけ悔やんでも進めない。どれだけ悩んだ所で選べない。それが私だ。知っているとも。


「我が魔法、篤とご照覧あれ。其は、悪鬼羅刹たる魔王を下した最古の一撃ッ! 私は、私の為に、そしてエリーの為にこの一撃を以て暗雲を撃ち晴らそう……ッ!」


 私にのみ許された魔法。二千年に及ぶ遥か彼方にて伝染した魔法の髄、その一部。この一撃に託すは全身全霊ッ!


「…………、ッ!」


 魔法において大事な事は、結果を想像する事では無く、いかにして魔法陣に情報を送り込むか、だ。どのようにして、どのようなもので、どれくらいの量か。いかにして魔法とするか。


 送り込んだ情報が魔法陣内部で精査され、魔法式となる。オーソドックスなのが聖方だが、私が持ちうるもう一つの魔法式は、二千を超える年を越え、この手に宿った物。忘れ去られた過去の遺物。それ故に私は、□■□■として選ばれた。文句は無い。受け継いだ以上そうでなければならない。


「あぁ、月よ。遥か遠つ空に浮かぶ我が友よ。此度は嚆矢、世界を救う戦いを告げる狼煙とし、打ち上げよ。魔王は斃され、世に平穏灯されようとも、影ある限り、それを撃ち払うが我が役目。されど、────赦されるのなら、残されているのなら、私の愛を、私だけの親愛を、果たさせてはくれないだろうか」


 私は選ばれた。その役目を一部放棄して尚、縛り付ける物は依然変わりない。誰が選んだかなんて知らない。誰が必要としたかなんて知る意味は無い。ただ、課された役目を果たすまで、この命は尽きないというのなら、少しの間の我儘を押し通させてくれ。


「絶巓を視よ。我が真髄、我が絶技を篤と御覧じろ。輝き光れ。異端:オーバーロード月光総射イクリプスッ!」


 眼前の魔法陣が光を帯びて歯車が如く廻り始める。それが合図。杖を振り上げ、魔法陣をぶっ叩き、起動するは絶技。


「が、ッ! ァァ、ァァァァッァ──────ァアッァァアッ!」


 頭から貫かれたかのような痛み。無理やり全身をパイプの様に扱えばこうもなる。痛みに意識が霞む事は無い。霞んだところで再び痛みに目を覚まさせられるだけだ。ただ、杖を持つ手の力が少しずつ緩んでいく。


 とっくに思い出しているとも。目を背けたくなるような思い出もあるけれど、それでも前を向かなければならない。思えば、恩ばかり受けてここまで来た。


 放たれた魔法は、吸い取った魔力を放つ物。己をパイプとして扱い、魔力を吸い上げ、尽きるまで止まる事は無い。同時にこの痛みも止まる事も無い。それくらい、どうって事は無い。一人残されたあの子に比べれば痛くなんて無い……ッ!


 奇跡的な話も、運命なんて物も、夢の様な理想も、決して叶う事は無いけれど、それでも、必然があるのなら、進む理由はある。何故と問う事も、今更振り返る事も、全部終わった後で、思い出話として語れば良い。


 ────そうだ、私だ。この村に魔物がやって来たのも、この村の結界が飽和して消えてしまったのも、……エリーが、死んだのも。全部、私の所為だ。


 あぁ、分かってる。人々が噂する光の螺旋の正体は、私の魔法だ。

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