OverRode 5

 また夢を見ていた気がする。眩しい日差しが私の睡眠を邪魔しやがったから、仕方なく起きたんだ。本当はもう少し寝ていたいけど、エリーに迷惑ばかり掛けていられない。


「──────────────っ、はぁ」


 声は相変わらず出ない。昨日会った子が脳裏に焼き付いている。なのに、意識して彼女の顔を思い出そうとすると心臓が痛む。


「おっはよー、アリシア。わ、もう起きてた」


 ドアを開き開口一番彼女は元気が良い。


「良い天気だよ~」


 だろうね。あまり陽射しが強いのは好まないけれど、なんだかこの村は涼しく感じる。緑豊かで空気も美味しい。余生を過ごすのであれば、こういう所が良い。


「私は今から採集に行くけど、アリシアはどうしようか」


 どうしようかと言われても私に出来る事なんて何も無い。魔法も使えなければ、エリーの役に立つ知識も無い。節々が痛む体で出来る事と言えば、寝る事くらいだ。


 昨日聞いた、光の螺旋という呼ばれる魔力災害。タイミングと消耗、そして魔法がどうして使えないのか。繋がってしまうんだ。


「まだ体痛む? ……そ? ならここでゆっくりしといてね。昼前には戻ってくるから」


 こくんと頷いて体を起こす。どうしようもなく体が怠い。どんよりとした気分なのに空はこれ以上ないくらいに快晴で嫌気が差す。気分が天候に合わないと少し頭痛がするのは私だけなのだろうか。


「それじゃーね。朝ごはんは机に置いてあるから」


 とエリーはすぐに部屋を出てどこかへ走って行ってしまう。村の外に採集をする為に出る。私はあの子に救われている──と思う。命はもちろん、ヒトとして。あの子がいなければ、きっと私はヒトですら無くなっていた。記憶も無ければ名前もない。全身を包む痛みに吠えるはまさに魔物が如く。────冗談じゃない。


 喉をさすりながら、そういえば昨日よりも痛みは引いている、と安堵する。ふかふかのベッドに腰を預けながら、窓から覗く太陽を見上げる。私はきっと長居しちゃいけない。何かやるべき事が残ってる。思い出そうとすると心臓の辺りが痛むけれど、これは忘れちゃいけなかった事なんだ。


 昨日の少女の言葉が過ぎる。あの言いようと光の螺旋と呼ばれる魔力災害。あれではまるで彼女が光の螺旋を起こしたみたいじゃないか。どれだけの規模だったか知らないけれど、あの華奢な体に魔力災害と呼べる程の力が眠っているとは思えない。


 空中に漂ったままの魔力は一体何に使われていたのかはわからない。これも光の螺旋による影響であれば、確かに犯罪的なのかもしれない。禁足地と呼ばれている場所に侵入したのもそうなのだろう。これだけの後遺症を残しているのだから、さぞ規模は大きかったと見える。


「──────────────」


 私の声は一体何処へ行ったというのだろう。喉に不調は感じないし、一切の違和感も無い。けれど何故だか声だけが出ない。息だって普通に出来るし、食事も採れる。声だけが行方不明だ。


 体の痛みさえなければ、エリーの手伝いが出来る。体の痛みさえなければ、エリーに迷惑を掛けずに居られたかもしれない。

 どうしてここまで痛む?


「──────────────?」


 どうしてと問いながら自分の胸に手を当てて、首を傾げた。こうも静かなものか? こうも感じ取れないものだったろうか。そんなはずはない。痛いくらいに締め付けられるそれは、確かにあったはずだ。


 心臓の音が聞こえない。手を伝わってくる微かな振動さえ感じられない。胸が邪魔で、なんて悲しい嘘が言える程でもない。そうか、最初に起きた時の違和感は──。


「────────っは、ぁ」


 生きているのか、私は。何も問題がない? そんなはずあるか。アラギグは何を思って正常だと言った? 違和感────響くはずの心音は、どこだ。声と共に失われたとでも?


「……………………………………」


 どうして杖は触れてもいないのに光っている? 私は杖にパスを繋いでいない。けれどあの光は杖が起動している証じゃないの?


 不思議が沢山で頭が痛くなる。わからないことばかりで、頭が混乱しているんだ。


「……………………………………っ」


 行かないと。どこかはわからないけれど、行かないと。ここに居ちゃダメだ。胸騒ぎがするんだ。痛む体に鞭を打ちながら立ち上がる。全身を覆う筋肉痛のような痛み。渡された薬を定期的に飲んでも残るそれは、やはり厄介だ。杖を握っている間は、その痛みも少しだけ和らいでくれる。


 直してもらった服の袖を通す。一つ一つ丁寧に着けて、ほっと息を吐く。やっぱりこの服が一番落ち着くんだ。エリーの寝巻も、暖かいけれど、この服は段違い。


 扉を開ける。軽く吹いた心地よい風に服を任せながら外に出る。帽子を深く被って降り注ぐ太陽の光から肌を守り、杖を突きながら歩く。どうしても歩きにくい。エリーに黙って外に出るのは申し訳ないと思うし、ゆっくりしといてと言われた手前罪悪感もあるけど、だけど、じっとしていたらきっと私は腐って消えてなくなってしまう。


 こうしなければならないと体の芯が訴えている。私は旅を続けなければいけない。きっと今までもそうしてきていたんだと思う。じゃないと、だって、説明がつかない。


 けれど、その目的は果たせそうになかった。また再び旅をする。けれど、眼前に広がる光景に対して、そうも言ってられなくなった。杖をぎゅっと握る。


 どうして魔物が村に居る? ……いや、そうか、魔力に引き寄せられたな? ここまで飽和した魔力があるのなら、それに釣られて魔物がやってきてもおかしくはなかった。この村に戦闘を得意としたヒト達は居ない。村に魔物が出たら村人全員で対抗する。それがガラググの掟。


 けれど相手は魔猪の類だ。戦闘に慣れていないヒト達が相手していいような相手じゃない。そうだ、私は、あれと戦った事が────誰だ、影に映る楽しそうな、キミは。誰だ……ッ!


 心臓が痛む。動いてない癖に痛みだけはいっちょ前に顕在かッ。逃げなくちゃ。勝てる相手じゃない。私は魔法が使えないし、結局杖もお飾りだ。私に、何が出来る。力が強い訳でも動きが素早い訳でも無い。頭も良くなければまして魔法も使えない。ただ、腐った様に生きているだけのヒトの形をしたナニか。


 それは、嫌だ。このままじゃ結局旅をしようにも、外に出た瞬間、魔物に喰われて終わりだ。それは嫌だ。


 思い出せ。思い出せ……ッ! 外で一人見つけられたのなら、私はきっと戦えるだけの力を持っていたはずだ。思い出せ。心臓の痛みなぞ気にするな。こうして世話になっているガラググの村の恩に報いるためにも……ッ!


 魔猪は高さ二メートルにも及び、全長は五メートルは越えている。何十と歳を重ねてきたのだろう。肌はごつごつしていて、鉄の刃さえも通す事は無いだろう。事実、村人の何人かが鍬で攻撃を行うも文字通り刃が立たない。


 思い出せ。私がどうして杖と一緒に眠っていたのか。どうして、この村で生きているのか。何も出来ずに死ぬのはごめんだ。生きなければ。助けなければ。私はそうして旅を──ッ!


 悲鳴が聞こえる。鍬の攻撃を振り払う魔猪は首を振りながら、家屋をなぎ倒していく。明らかな馬鹿力だ。太く長い牙はミスリルが如し硬さ。あれを相手にするにはそれこそ、魔法が必要だ。


「────────────っ」


 息を呑む。杖をぎゅっと握り、目を閉じる。出来る。私は出来る。ずっとそうして旅を続けてきたんでしょ? だったら必ず出来る。例えどんな旅の結末を迎えていても、私はそれを受け入れられる。こうしてこの村に出会えたんだ。だから、せめて私が出来る事を……ッ!


 魔力回路が繋がっていく。全身を廻る魔力回路が叩き起こされて、目を擦っている。そのかゆみを受け入れて、大きく息を吐く。止まっていたモノを再起動した。それと同時に、体に違和感を覚えた。……いや、今は良い。それで良い。魔力回路を繋ぐ事が出来たのならそれでッ!


 妙に杖を温かく感じる。じんわりと広がるその熱は人肌より少し熱い程度に留まって、私の中から何かを吸い上げる。


「……っか、ぁ」


 声が出ない。だから詠唱が出来ない。でも、うん。大丈夫。私は、知っている。どうやれば魔法が発現するのか知っている。だから、必ず倒せるッ!


 目を開く。杖を中心に展開された円形の幾何学模様は放つべき魔法の情報の入力を待機している。魔猪を一撃で屠る程の一撃。それくらいじゃないと、被害は抑えられない。杖を右手で握り、左手を魔法陣に翳し固定する。頭痛がする。魔力を吸い上げられたからじゃない。魔法を使ったからじゃない。きっと、これを放てば、私はもう止まる事は出来ないと分かってるから。警告なんだ。


「──────────────ぁッ」


 覚悟なんて、きっと大昔に済ませてる。旅を始めた日。或いはそう決めた日に。だから、今更記憶が無くなったからと言ってわざわざもう一度覚悟を決める必要なんてない。


 杖を振り上げる。描かれた魔法陣をぶっ叩き、それを合図に魔法が急速に発現する。守らなければ。だって、私にはきっとそれだけの力があるんだからッ!


 構築され放たれる岩石の剣。空気を切り裂きながら飛んでいくそれは閃光となって、魔猪に避ける隙さえ与えず、その身体に風穴をぶち開けた。────音さえも追いつけないスピードで魔猪を貫いた。ビュンッ! という鋭い音が聞こえた時には既に魔猪を貫き、岩石の剣は地面へと突き刺さり、小さなクレーターを形成してその姿を消した。


「は、ぁ……は、ぅく。ケホっケホッ」


 魔力が切れた……? いや、仕方ないはずだ。実際満身創痍に近しい状態で魔法を使った。魔力回路がバチバチと断続的な痛みを訴える。急に起こして体が怒っているんだ。……こうも上手く行くと、どうして使えないなんて思っていたのか不思議に思う。使えないと思い込まさされていたというのが感覚的に近い。大気中の魔力を感知しておいて魔法は使えませんなんて、納得出来ない。私はどうしてそんな事を……?


 何か、おかしい。この旅に出なければいけないという衝動も本物なのか分からない。


「……、ぁ、ふぅ……」


 息を大きく吐いて、荒れた呼吸を整える。杖を覆っていた微熱は止まって、青い光を今だに放っている。村人たちは依然唖然としている。二秒程経って、歓声が上がる。


 誇る事じゃ、無い。魔法が使えるたって、結局一番大切な物を守る事が出来なかったんじゃないか。…………そうだ、私は、僧侶……ちゃん、を……。


「………………………………」


 思い出せ、思い出せ、思い出せ……ッ! 大切だったんだ。生涯大切に抱きながら死に逝くんだと決めたんだろ……ッ!


「魔法使いのお姉ちゃんっ!」


 少年が、丁度私の顔を覗き込むような位置に駆けて来る。


「凄いね! 今の魔法だよねっ!」


 真っ直ぐな視線に思わず目を逸らす。純粋な眼程痛くなる。裾を引っ張る彼に抵抗もせず、右手に持った杖に体重を預ける。


「どうしたの……? 顔が青い、けど」


 心配掛けてはいけない。恩を返そうというのに心配されては意味が無い。無理やりにっこり笑って、彼の頭をそっと撫でる。────こうして、何度も撫でた。犬の様に純粋だった……気がする。思い出せないけれど。


 村人たちの眼が集まっている。避難して逃げていたヒト達が静まったのに気付いて戻ってきている。このままだと囲まれる。それは、少し困る。彼らに対しての意思疎通方法が私には無い。声が出ないと知っているのはアラギグとエリーだけ。村人たちに共有しているのかどうかも知らない。


「アリシア、ありがとうございます」


 聞き覚えの声があった。アラギグだ。この騒動を聞きつけてやってきたのだろう。


「……、検査をするのでこっちへ。皆さんも怪我があるヒトがあれば、俺の所に」


 状況をすぐに察して彼は私を誘導する。少年もアラギグの声を聞いて裾から手を離してくれた。興味津々なのに申し訳ないと思いつつ、ここに居ても村人の邪魔になるだろうと、アラギグに着いて行く。


「……魔猪の件はありがとう。正直ここまでの魔法を扱えるとは思っていなかった。さぞ、高名な魔法使いだったんだろう」


 そんなんじゃない。私は、ただ……。私が出来る事は、何も無い。魔法は使えたけれど、ここまで消耗していては殆ど使い物にならない。魔物は強大だ。あの魔法一撃で倒せたのは、きっとあの魔物が弱っていたから。急激なエーテルの変化に着いて行けなかったんだろう。


「俺は、魔法だとかはからっきしだ。職業柄、治療魔法の跡を見て取る事くらいは出来るが、使い方は分からない。村の中でも魔法を扱える者は居なくてね」


 確かに、それらしい恰好をした者は愚か、魔法を扱っている所さえ見ていない。魔法が使えないヒトは稀に居るが、しかし村人全員が?


「ここは、魔法を使えない者達が迫害され出来た村なんだ。どれだけ昔かはもう、残っていないが。だからより一層魔法への憧れは強い。そして同時に禁足地に対する神聖視も」


 魔法が使えない者達。迫害とはまた不穏な言葉だ。酷い事をするモノだ。しかし、ここまで生活基盤が整っている事を見ると、一代や二代前の話じゃないんだろう。もっと昔に迫害されたんだと思う。


「あれ程の魔法を使えるアリシアなら気付いているだろうが、この村は今結界が無い。昔魔導士様が張ってくださった魔除けの結界だが、先の光の螺旋の障害によって結界は壊れてしまった様だ」


 だから、魔力がこんなにも溜まっているのか。本来あり得ない状況だ。彼らはそれを理解しているのか、それは分からないけれど、危機は感じているんだろう。


「魔猪の件はありがたい。俺達村人ではきっと対処出来なかっただろう。肉も手に入ったしな」


 アラギグは言葉を選びながら喋っているんだろう。私に気を遣わせない様に……か、何かを悟らせない様に。少し言葉を詰まらせながら彼は説明してくれる。この村はいつだって貧困に苦しんでいる事。結界が壊れてから魔物に襲われる頻度が増えた事。結界があった時は魔除けがあるとは言え、魔物は寄ってこなかった事。


 それらを聞いて合点が行った。彼らはこの村に漂う魔力の存在に気付いていない。魔法が使えないヒト達しか居ないから当然ではあるが、錬金を行う際にも魔力は扱うだろうに。何故、と疑問が残った。とは言え、当の問題はこの魔力だ。これがある以上、この魔力を目当てに魔物は寄ってくる。


 …………結界、か。私には出来ない。それこそ、僧侶ちゃんなら………………。僧侶。きっと、大事なヒト。だけどもう顔さえも……。


「…………………………」

「苦い物でも口にしているような顔だ。何か思う事でも?」


 首を横に振る。ここに居ると、私には何も出来ないと嫌でも実感する。どうしてここに居るのか、どうして生きているのかを思い出さなければ、私はきっと本当に腐ってしまう。けれど、旅に出ようにも私には宛てがない。なのに衝動が収まらない。何かが私を突き動かそうとして失敗し続けているような感じで気持ちが悪い。


「アリシア、魔法を使った事によって体に変化は?」


 特に無い、と首を振る。体に変化は無い。ただ、魔法を使った時の違和感は、ただ強烈に印象付けられた。あの違和感は何だ? どうして私は起きてからずっと違和感を抱えている? まるで自分の体じゃないみたいだ。


「よし、今日は部屋に戻った方が良い。急な魔法の使用も本来体に良くない事だと聞く。それに今は満身創痍にも近い状態だ。そんな中で魔法を使ったとあれば何か不調が起きても不思議はない。戻ってゆっくり休んでくれ。家屋の補修は村人たちの役目だ。守ってくれてありがとう」


 感謝される筋合いは、ない。……そうだ、エリーは……エリーは無事だろうか。村にあんなのが出たという事は、村の外に向かった彼女はもっと早くアレと相対していたはずだ。もし、彼女が帰ってこなかったら私は────。行かなければ。彼女が無事であろうが無かろうが、とにかく彼女の元に。


 アラギグの家を出て、彼の言葉とは裏腹に村の外へと向かう。体は痛い。痛いけれど、そんな事は言ってられない……ッ。


 村の補修が思ったよりも進んでいる。どこからか木材を調達してきたようで、既に建築、大工の役割を請け負っている村人が作業を開始していた。……早くない? とは思う。結界に守られて、魔物の侵攻なんて無かったはずだけど、それにしては対応に慣れている様に見える。それが役目だから、というのは解るけれど、元々壊れるのが解っているようだった。違和感はある。けれど、本人たちに訊く手段も無い。筆談する為の紙も無い。地面に書くのははしたないし。


 杖を本来の使い方である体を支えるつっかえ棒にしながら、村の外へ向かう。結界が無いのなら、村だろうが外だろうが、人が居るか居ないかでしかない。どこも危険なのは同じだ。だから外に出る事に躊躇いは無かった。先ほどの様に魔猪が村に突撃して来たのも偶然ではないのは明白だ。寧ろ、魔力溜まりの様になっているあの場所に居る方が危険とも言える。


 ……村人たちは迫害され生きてきた、そう言っていた。だから、魔物に対する生き残る術も殆ど無いはずだ。生き残る術を編み出したけれど、結局結界に頼るしか無かった彼らにとって現状はあまりにも危機的だ。


 魔法が使えないという事は、錬金を行う者以外、魔力の扱いも殆ど知らない事になる。大気中に溜まった魔力の処理を行う事も出来ないだろう。けれど、魔法に対して憧れはすれど疎い彼ら彼女らに説明しても理解されるかどうかも分からない。錬金を生業とする人なら多少理解しようものだけど……。


 そもそも指摘した所でそう簡単に対処出来る事じゃない。


 …………エリーは、どこだろう。村の外に出て痕跡を辿る。最初にほっと息を吐けたのは、魔猪であろう足跡とは別方向に踏まれて倒れた若草で出来た道が伸びている。暫くそれを辿って、花畑の様に綺麗に花々が咲いている場所に出た。素材を採るというから、木材とか、薬草とか、そういうのだと思っていたけれど、花も必要になるみたいだ。錬金があるのだから当たり前の話なんだろう。忘れていた。


 甘い匂いがする。繁殖期のブルバーンポークの排泄物の様な匂い。けれど、こんな立地、植生でブルバーンポークが出現するとは思えない。それに発情するような時期でもない。ならこの匂いの元は何だ……? 無い記憶を探し出せ、最悪知らなくとも関連した知識を引き摺り出せッ! 嫌な予感がする、最悪な予感だ。ブルバーンポークでは無いにせよ、似たような匂いならば性質だって似ている可能性がある。


 ブルバーンポークの匂いの性質は、魔物がその匂いを好むという事に起因する。甘い砂糖菓子の様な匂いで彼らは雌を誘うが、しかし同時に捕食者を呼ぶこともある。魔物が好む匂い故、引き寄せてしまうのだ。


 それと似た匂いとあれば、つまり……。


「……………………っ! ぁっ」


 居た。エリーが、居た。その隣に倒れている男性が一人。そしてそれを囲む様に、見た事の無い魔物が居た。


 形容するならば枝人間。けれどあまりにも異形だ。大木が如く太い幹から伸びる腕の様な太い枝に見えるそれは、何本も細い枝が絡み合って出来た物。その先には五本指を象ったかのに葉が生えている。ヒトで言う頭部の部分は幹が捻じ曲がったかのように輪を作っている。


「………………ぇっ! ぅあ、」


 声が出ず、彼女を呼べない。枝人間が五体。彼女達を取り囲むようにしている。あれが、匂いの元か……? いや、違う。この強烈な甘い匂いは、あの樹から発せられた物じゃない。


 どうしたら助けられるッ! この状況じゃ、先ほど魔猪を穿ったあの魔法も、使えばエリーごと貫いてしまう。どうすれば良い。何か無いのか……何かッ! この状況を一発で覆せる都合の良い魔法はッ!


 魔法使いなんだろ、私はッ! だったら、思い出せ。憶えてんだろッ!?


 枝が彼女に擦り寄る。恐怖に歪んだ彼女の瞳には涙が浮かんでいる。……彼女の隣で倒れているヒトは、たぶん、エリーの父親だ。その首筋から流れる液体は、周囲の花を赤く染めている。


「──────────ッ」


 火はダメだ。花に燃え移って余計救出が困難になる。氷はどうだ? これもダメだ。氷魔法は基本範囲魔法。彼女諸共氷漬けにしてしまう。風も同様だ。雷はどうだ? これも火を生み出してしまうかもしれない。ダメだ。


 こういう時、剣であれば、きっと助けることも容易なんだろう。大は小を兼ねるなんて言うけれど、魔法においてそんな事は絶対に無い。大になればなるほど、小の扱いは逆に難しくなる。


 されど諦めるわけには行かない。時間が無い。早く彼女を助けなければ、父親共々死んでしまう……ッ!


 五体同時に討伐し、尚且つ彼女も助ける事の出来る魔法。……そんな魔法、ある訳無いだろ。あるはずが、無い。魔法は万能じゃない。魔法は便利なだけだ。


「…………………………」


 諦めるのか? 彼女を助ける事もせず、彼女が死に逝く所を見る事しかせず、仕方なかったと言うのか? 思い出せよ。そんなんで旅が出来たはずが無いだろッ。


 杖を強引に振り上げる。考える暇は、もう残されていない。魔法があるのなら奇跡もあると証明しろッ! 人命が懸っている所で、一か八かなんて言いたくないけれど、やらなきゃ死んでしまう。恐れるな。助けるんだ。絶対に。この手でッ!


 廻れ魔法陣。廻れ、廻れ、廻れ……ッ! 属性を棄てろ。この局面じゃ何の意味も無い。


「────────か、ハっ、っぁ……ッ」


 息が詰まる。魔力回路が熱暴走を起こし、体が焼ける様に熱い。属性を棄てるという事は即ち、聖方魔法を棄てるという事。それは決して許されぬ異端の一歩。知っているとも。知っているさ。我が王に習った。我が王に誓った。だから……。


 炉心は廻らない。もう魔力の生成は厳しいだろう。だから、あの時異常に疲れを覚えたんだ。異端に踏み込むなんて大暴挙。本来ならば瞬時に私の体は瓦解するだろう。けれど、感覚は憶えている。この世に二人と居ない継承者として、決して忘るる事を赦されぬ呪いとして受け継がれた。扱いは、心得てるッ!


 生み出されるそれは、言ってしまえばただの魔力の塊。出力された魔力を球体に圧縮し、空気との間に層を作り出す。魔力塊をリソースとして作り出した空気との層の間に更に魔力を流し込み回転を加える。ただの魔力の塊だった物がその工程を経てようやく魔法と成る。即ち魔弾。一切の属性を棄て、一切の効率を無視した、最古の魔法。


 魔法陣を杖でぶっ叩き撃ち出された魔弾は、目にも止まらぬスピードで枝人間の一体へと着弾する。ドゴンッ! という音は、枝人間の幹を真っ二つに折った事による音。


 同時に、今にも絶叫しそうな程痛む体に鞭を打って走る。


 手を伸ばせ、必ず届く……ッ! 私なら、絶対に届くッ!


 エリーを囲む枝人間の間に出来た隙間から、彼女を救い出そうと手を伸ばす。名を叫んで呼ぼうとしても空気だけが抜けて、こひゅーっと鳴るだけだ。だけど、この手は伸ばせる。声は出なくても、手は届かせられる……ッ!


「あり……しあ……?」

「………………ぇ、っ、かッ──、っ」


 ろくに出来ない息を無視して、彼女の手を取り────────…………


「あ、……、っぁ、あ、ぁ…………ッ!」


 その手から砕けた鈴が落ちる。何の魔力的な効果も見られない壊れた鈴。何かのアクセサリーだろうか、彼女が大事そうに握っていたということはそうなんだろう。


「……………………………………」


 だらんと垂れた手を握った。


「は、ぁ……はっあ────────うぁ、っう」


 それでも無理やり彼女の手を取って、私の元へ体を寄せる。目からゆっくりと光が消えて行く。ダメ、だ。私は、治癒なんて……それはずっと□■ちゃんの役目で、わた、しは……っ。


 彼女が、死んでいく。

 ヒトが目の前で死んでいく。

 彼女の左手に持たれた瓶から、甘い匂いが広がっている。


 それを、私は知っている。喉に良く効くと言われる、六錬花で作られたダイスワスプの蜂蜜。


 それでようやく、わたしはかのじょがここにきたりゆうをしった。

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