OverRode 3

『────────────っ』


 声が、聞こえる。誰、だ。知らない声。当たり前か。記憶が無いんだから。


『いい加減、目を覚ませ』


 中性的な声だ。声の主は呆れた様に笑う。


『だから言ったんだ。──────────い』


 聞き取りにくい。くぐもった声だ。声を出そうとして、夢だからか分からないけれど、出ない。ううん、そういえば、現実でも声が出ないんだった。声では無く空気の抜ける音だけが響く。


『決して挫けなかったお前が、そこまで追い詰められているのも、まあ仕方ない。だが、────は、既に……』


 最悪だ、一番重要な部分を聞き逃した気がする。声の主が誰かは知らないけれど、私の事を知っているのなら、教えて欲しい。このまま自分を知らずに生きるのは、私には出来ない。


『…………、なんだよ、それ』


 声の主は半笑いでマジかよ、と。


『……、朝だ、お姫様。起きて支度しな』


 そんな事言ったって体は動かないじゃん。なんて言い返す事も出来ず、泥中の意識はふわりと浮かんでいく。


 妙に抽象的な夢だった。誰かも分からない中性的な声。ただ、少しだけ懐かしいと感じた。


「……、は、ぁ」


 寝起き早々溜息。良く分からない夢を見れば溜息も吐きたくなる。それにアレは私に呼びかけていたような感じだった。だから余計不思議に思えて考えれば考えるだけ溜息が出る。


「────────────────────」


 腕が動く。痛みはあるけど、昨日より数倍マシ。関節を釘で留められていたかのような痛みだったけど、それもただの筋肉痛程の痛みに落ち着いている。薬のおかげか、怪我が安定したのか。どっちかは分からないけどほっと息を吐いた。


 相変わらず声は出ないらしい。その辺は上手く行く訳でも無いらしい。ガラググの村だとエリーは言っていた。ガラググの村ってどこだよ。いや、場所を把握する前に、私が何者であるか、の方が大事だ。場所を知った所で、私は何も覚えてない。国の名前は愚か、自分の出身地さえ知らないんだ。


 体を起こす。違和感はあるけど、何となくじっとしていられない。杖で体を支えれば、歩けないことも無さそうだ。だから立ち上がって、杖を本来の役割の使い方をしながら部屋を出た。服は、寝巻のまま。


 淡く青く光る杖は触れると少し暖かかった。手に馴染む……という訳じゃないけど、まるで私を気遣っている様な。


「…………、っ」


 外の空気を吸った。新鮮でおいしい空気。立って歩いた事よりも、こっちの方が良い。…………あの半笑いはなんだったのだろうか。呆れとも違う、まるで受け入れがたい事実でもあったかのように。だとすれば何でだろう。


 いや、それはきっと私が全部忘れてるから。


「あっ! 魔法使いさんっ! もう、動けるの!?」


 エリーに見つかった。気まずさから苦笑いを浮かべ、こくんっと頷く。


「……声は、まだダメそうなんだね」


 呪いでも受けたかの様に声が出ない。感覚的には喉に異常は感じないのだけど……不思議だ。分からない事だらけで混乱しそう。自分の体が今どうなっているのかも分からない。たぶん一番最初に確認すべきなのはそこなんだろう。


「無理、しちゃダメだよ?」


 体を杖で支えている私を彼女は心配そうに見つめる。大丈夫だよ、という意味で首を振る。私は、大丈夫。だって、私は何も覚えていないんだから。大丈夫なんだ。


「えぇと、と、とりあえず、アラギグさんのとこ行こっか。あ、えと、アラギグさんていうのガラググの村の医師なんだけど……」


 私が起きてきている事に少し動揺している様子であたふたしている。彼女の言葉にこくりと頷く。


「あとで、旅の事聞かせてね? どんな魔物に襲われたのかも」


 ……あぁ、そうか。彼女は知らないんだった。私が何も覚えていないのを。どうにか彼女に伝えなければ。


「っぁ───く、ぃ」


 音になる。ただの音だ。声なんて呼べるモノじゃなくて、伝わらない何か。意味の無い、何か。


「無理しちゃダメだって。声が出ないのは分かってるからさ。ね?」


 優しい彼女はそう言う。違うんだ。私は、違うんだ。キミが楽しみにしている話なんて出来ない。ごめんよ、エリー。私には何も無い。だから。


「こっちだよ。歩ける?」


 ……、その優しさが痛い。何も無い。何も知らない。覚えてない。グズな私にそこまで優しくする彼女が分からない。赤の他人なのに。どうしてそこまで優しくなれる。


 …………ダメだ。卑屈になるな。彼女に失礼だ。彼女はただ善意でやっているんだ。そこに理由を求めるのは野暮ってものだ。私は知っているはずだ……ッ。


 全部忘れてしまったのなら、ここから作ればいい。そうでしょ?


「────だからね?」


 歩きながらこの村の説明をしてくれていた彼女の言葉が止まる。


「やっぱりまだ歩くのはしんどいよね」


 と心配そうに見つめられる。


「死にそうな顔してる。負ぶって行こうか?」


 首を振る。これ以上優しさに溺れる訳にはいかない。だって私は止まる訳には……ッ! 止まる、訳には? …………止まっちゃ、いけないの? なんで? 何も、覚えていないのに。


「そ? 本当に無理だけはしちゃだめだよ?」


 あぁ、ダメだ。どうして私は起き上がったんだろう。いいや、多少無理してでも、エリーを安心させなきゃいけない……と思う。長い間心配を掛ける訳にはいかないし、何より、長い間この村に居座るわけには行かないだろう。私は私の故郷があるはずだ。旅をしていたのだろう。とは言え、最後はきっと戻らないといけない。


 大きく吐こうとした息を飲みこんで、杖を突きながら彼女に着いて行く。そこまで大きな村という訳じゃない。見た感想だけで言うなら、五十人程しか暮らしていないのではないだろうか。それほど小さな村。柵や門はあれど、対して大きい建物は無い。不思議なのは、魔力の匂いが辺りに充満している事。


 エーテルじゃ、無く魔力……? 大丈夫、覚えてる。…………自分の名前とか何も覚えてない癖にそういう知識だけは残ってる。エリーが言う様に私が魔法使いだったから……なのだろうか。


 魔力が充満しているというのはおかしい。本来魔力というのはヒトの体内のみに存在するモノだ。対してエーテルは大気中に存在し続けるそのままではヒトには扱えない未知のモノ。ヒトに与えられた炉心という器官を用いて、息をする事でエーテルを吸い、魔力に変換しヒトは魔法を放つ。つまりは肺のエーテル版。もっと言えば、ヒトの魂の大部分を形作っているのがエーテルで、息をする事で取り込んだ新鮮なエーテルと古くなった魂を形作るエーテルを置換し、漏れ出た魂の老廃物を魔力に変換する。


 意味を理解するのは後で良い。どうせ必要無い。今の私には、無関係だ。


「着いたよ」


 彼女が案内した場所は、村の中心近くの場所。村の医師なんだから中心にある方が何かと便利なのだろう。エリーが扉を開こうとすると、中から子供が飛び出してくる。膝に何か布の様なモノが宛がわれているから、たぶん怪我でもしたんだろう。


「あ、エリー、おはよーっ!」


 元気よく挨拶して少年は駆けて行く。


「あんまりはしゃいでまた怪我しても知らないよー?」


 エリーが声を掛けると、少年は振り返らず手を振ってそのままどこかへ行ってしまった。


「相変わらず元気ね~……。アラギグさん、連れてきたよ~」


 彼女の呼びかけに建物の中から、あぁ、来たか、と少しだけ興奮気味の声が聞こえる。そのままエリーに連れられて中に入ると、薬品の匂いで思わず顔を顰めてしまった。錬金でもしているのか? と疑いたくなる程臭い。医師なんだったら錬金じゃなく占星術にしておけよ、と内心悪態を付きながらエリーがアラギグさんと呼ぶ女性の前まで進む。


「やあこんにちは魔法使いさん」


 長い髪の綺麗な女性だった。私の髪と違って、金色の綺麗な髪。エメラルド色の瞳は……魔眼か? 何の魔眼だろう。不思議と目を奪われる。


「あ、えと、まだ声が出ないみたいなんだよ」

「そうか。そりゃ難儀な。まぁ、良い。怪我の具合を見たいが……良いか?」


 それはつまり、肌を晒せ、という事だろうか。まあ、同じ女性だし良いけど……と裾に手をやると、


「あ、いや悪い言い方が悪かった。腕捲るだけで……良い、から」

「あの、ね。魔法使いちゃん、アラギグさんは、男性、だよ」


 …………………………??


「驚くのも無理ないよね。なんか、呪いで女性みたいな体格になっちゃったとかなんとかで」


 え、あ、体は女性って事? それともそう見えるだけでついてるのか? い、いや、いやいや、危な……っ! 危うく異性に肌を晒す所だった。


「すまない。腕、失礼するよ」


 彼女──彼? は私の腕をそっと優しく握る。


「傷自体はかなり塞がってる。跡は残るかも……」


 言いながら彼は私の腕を親指でぐっと押す。


「痛いかい?」


 少しだけ痛い。こくんと頷くと、そうか、と彼は頷く。


「…………薬が効いている……だけじゃないな、なんだ? 治癒魔法でも掛けられているみたいだ。魔法使いさん、自分で治癒とか出来るかい?」


 首を横に振る。魔法、使えるんだろうか、私。そんな気配微塵もしないけど。


「そうか。不思議だな。だが、経過は良好と言う他無いな。喉の方も失礼していいかい?」


 頷くと、少しだけ上を向く。彼の柔らかい手が首に触れる。これが男のヒトの手ですか……。混乱してきた。


「喉も違和感は……唾飲み込める?」


 言われた通りに飲む。


「うん。やはり違和感は無いな。どこもおかしくない。精神性の失声症として経過を見た方がいいかもしれない」


 私の精神が不安定だと、彼は言っているんだろう。確かにそうだ。


「良かったと言えるのは、内臓が傷ついていない事だ。……もしかしたら、その良く解らない治癒魔法みたいな現象で治ったのかもしれないけれど」


 首を傾げた彼は、まぁ、とにかく、と続ける。


「痛み止めはまた出すからそれ飲んで。まだ痛いんだろう? 傷に対してはもう出来る事は全部やったからさ」


 彼は立ちあがって、薬棚から昨日飲まされたあの苦い薬を取り出す。うげぇと顔をまたまた顰めながらそれを受け取る。


「はは、なんだその顔。苦いのは嫌かい? 俺も嫌だが」


 なら何とかならないのか……っ。


「所で、声が出せない事を承知で聞くが、君の身に何があった? 魔物による被害というのなら、討伐体を結成しなければならなくなるのだが」


「……………………………………」


「これに書いてくれないか?」


 彼は机にあった紙を私に手渡す。


「……………………………………………………」


 手が止まる。このまま何も覚えてないと書けば、きっとエリーはがっかりするだろう。旅の話を聞かせてあげられないと知るとどんな顔をするのだろうか。けれど、仕方ないじゃないか。


「……何も、覚えてない……。自分の名前も、出身も、何もかも……か?」


 紙を彼に見せると、大きく目を見開いて、そう、か……そうなのか、と私を可哀想なモノを見る目で憐れんでいる。やめてくれ、私はそんな目で見られる程価値は無い。


「…………疑っているわけじゃない。けれど、今のタイミングでそれは……」


 彼は言葉を詰まらせながら困ったように顎に手を当てる。


「光の螺旋に関係していないという確証が得られない以上、記憶が無いというのは誰にも明かさない方が良いだろう。……エリー、言いたい事は分かる。俺だってこのヒトにあれだけの魔力災害を起こせるとは思えない。だが、疑念は残るんだ」

「……、けど、さ。だって、名前すら覚えてないって、故郷すら分からないって、そんなのって無いじゃん。そんなの、ダメでしょ……」


 そこまでがっかりさせてしまったのは、申し訳ない。私だって話せる事があれば全部キミに話していたんだ。きっと思い出したら話すから。だから。


「名前が分からないんじゃ新しく付けるしかない。魔法使いさん、何か、あるかい?」


 アラギグが問う。名前。そんなの解らない。必要、なのか? それは。


「…………アリシア。アリシア、だよ」


 不安な顔を見たのか、エリーが私の頭をそっと撫でながら、呟く。


「私の、好きな花の名前。だから君は今からアリシア」


 アリシア。綺麗な名前だと思った。私には勿体ない名前だ。けれど良いのだろうか。名前なんて貰って。だって名前はその存在の証だ。そんなモノを親でも無いヒトに貰うなんて、良いんだろうか。


「……………………ぅぁ、」


 相変わらず出ない声。けれど精一杯お礼を伝えようと口を開く。……ダメだ。やっぱりダメなんだ。


「それで良いかい? 魔法使いさん」


 アラギグの声に頷く。エリーは嬉しそうに微笑んで、私の頭をくしゃっと撫でる。


「そうそう、頼まれていた服だけど……俺はヒトの医師であって服の医師じゃないんだぞ」

「そう言いながら直してくれたんでしょ?」

「……まあ、頼まれたからな」


 アラギグは立ち上がって奥の部屋へと行ってしまう。


「名前も故郷も全部忘れちゃっても残ってるモノはきっとあるんだよ」


 彼女は私の前に屈んで目線を合わせる。


「大丈夫。記憶なんて無くても作っていける。ちゃんと歩けるんだから。大丈夫だよ」

「………………………………」


 目線を外す様に、俯いて、唇を噛む。自分の手を前髪の辺りに持って行って、違和感を覚えた。何をしようとしたんだろう、私。


「はい、これ」


 アラギグが私に渡したのは黒い服ととんがり帽子。これは、私の服という事なんだろうか。綺麗に畳まれたそれを受け取って広げる。長けやらなんやら全部私にぴったし合うサイズだ。そういえば私は寝巻だった。だったら本当にこれは私の服なんだろう。……寝巻は、誰のだろう。エリーの?


「あまりに上等なモノだったから、完璧という訳ではないけど、出来る限り修復はした。元通りという訳にはいかなかったんだ。すまない」


 彼はそう言うが、とても綺麗に見える。どれだけボロボロだったのか分からないけど、糸で縫うだけじゃどうしようも無いくらいには壊れていたんだろう。


「いつまでも寝巻という訳にもいかないだろう。俺は外に出るから着替えると良い」


 頷く。確かにいつまでも寝巻というのは良くない。杖から手を離してアラギグが部屋を出るのを確認してから裾をまくり上げて服を脱ぐ。


「…………………………っ、あ」


 かなりひどい事になっている。今まで気付かなかったけど、包帯でグルグル巻きになっている。これじゃマミーみたいだ。


「え、杖が自力で立ってる……すご」


 エリーは私ではなく杖をじっと見つめている。淡く光るランタンが少しだけ薄暗いこの部屋を青白く照らしている。杖は自立している。魔法の杖だし、それくらいするだろう。


 渡された服に袖を通す。普段着というにはあまりに綺麗な服。この村ではたぶん浮くだろう。けれど、なんだかとても大事なモノな気がする。この服は私にとって一番大切なナニか……だと思うんだ。杖の事は分からないけれど、たぶん。だってこんなにも馴染む。


 服と言っても小物が多い。丈の短い肩出しのワンピースにケープコートを羽織り、留め具にはブローチを。黒いニーソックスを穿いて、アンクレットを通して太ももに。手には指ぬきのグローブを。うーん。確実に目立つ!


「凄いね、なんか。魔法使いっていうより、どこかのお姫様?」


 確かにかなり上等なモノだ。どこかのお貴族様とかそこらが気に入りそうな服。そんな服を着ていたなんて、私はどこかのお貴族様だったのだろうか。……夢の中で聞いたお姫様という言葉はあながち間違いじゃないという事だろうか。


 黒一色で絢爛豪華という訳じゃないけれど、美しい刺繍が施されている。これを完璧ではないけれど直す事の出来たアラギグは何者なんだろう。素材は、たぶん錬金術か何かで生み出した……という事もあるだろけど、技術が謎だ。……細かい事は良いか。


 着替えは済んだ。恰好だと、確かに杖は合う。ランタンは何の為に付けられているのかは分からないけれど、ずっと淡く光り続けている。


「アラギグさん入っても大丈夫だよ」


 エリーの声を聞いてすぐにアラギグが入ってくる。


「おぉ、上等な服だとは思っていたが、本人が着ると、アレだな。アリシアの為に作られたと言われても信じてしまいそうだ」


 私の服だ。しっくり来る。ブローチだって、全部。だけど、何かが足りない。手が少し寂しいんだ。指ぬきのグローブも付けているのに、どうしてか寂しい。


「旅の装いにしてはあまりにも可憐だ。魔法使いとはそういうものなのかい?」

「さあ?」


 エリーが答える。……たぶん普通ならこんな綺麗なモノは着ない。機能性だけを重視したモノを好むだろう。けれど、このブローチには付けているモノに魔法の補助を行う効果が備わっている。付ければ効果くらい分かる。アンクレットだってそうだ。何もかも私が魔法を円滑に扱えるように補助する物だ。…………誰かに貰ったのだとしたらそれはきっと愛されていたんだと思う。


 ごめんなさい。だとしたら愛してくれたヒトさえも、私は忘れてしまったんだ。何も、かも。


「まだ体は痛むんだろう? 着替えてもらった所悪いが、今日は帰って安静にしておくように。別に眠ってろとは言わないけど、あまり無理はしないように」


 アラギグに言われて頷く。逆らう理由も無いし、そうしなければならないと一番分かっているのは私だ。体はずっと限界を迎えている。本当に治るのか心配になる程だ。


「それじゃあ、えと先戻れる? わたしはちょっと採集に行かないといけなくて」


 採集……? 首を傾げると彼女は答えてくれる。採集とは、村の外に出て様々な素材を採ってくる村の仕事で、いつもお父さんと行っているという事。この村には、採集の他に、アラギグの様な医師、錬金術を生業とするもの、田畑、建築、鍛冶これらを基本として村人は働いている事を聞いた。お金ではなく基本物々交換らしい事も。


「それじゃーね。お昼過ぎには戻ってくるから」


 こくんと頷いて一緒に部屋を出てすぐに別行動を開始する。私はその足で寝床に挿せてもらっていたエリーの家……? に戻る。杖を着きながらゆっくり進む。まるでお婆ちゃんだ。


 私は何者だ。私は何の為にここに居る。忘れているモノを思い出さなきゃ。大事な……ものを……。


「──────────────────」


 足が止まる。


「やあ」


 短く発されたその声は、聞き馴染みがある。誰かは、思い出せないけど。だけど、その声は。


「……っ、あ」


 深層に埋まる記憶を刺激するには十分だった。誰だ、キミは、誰だ……ッ。きゅっと心臓が締められる。


「おはよ、────ちゃん」


 誰、だ。白いキミは。心臓が破裂したかのに痛む。彼女の事を思い出さなければならない。白いキミ。何も知らないまま生き続けたかのように、何者にも汚されぬ綺麗なキミを。


「──ぅ、っぐ、ぁ」


 誰だ。思い出せない。頭ばかりが痛くなる。思い出すなと警告されているのか? だったらどうして……ッ。


「話を、しに来たんだ」


 白い少女は、そうやって私の目の前まで歩む。このままキスされるんじゃないかと思ってしまうくらい近く。


「服、直ったんだね」


「……………………っ」


 彼女は私を知っている。私は何者だ。どうしてここに居る。どうして記憶が無い? 名前さえもどうして……ッ!


「うん。やっぱりその恰好が一番可愛いよ。ねえ、□□■■ちゃん」


 どうして私を────と呼ぶんだ。音が遠くなる。彼女の声ばかりが頭に響く。周りの景色もなんだか暗くなって、彼女だけが光って見えるよう。彼女に心を奪われている。心臓が跳ね上がる。思い出すな、と警告される。どうして、だ。なんで思い出しちゃいけない……? 彼女は何者だッ!


「君は、耐えがたい事に直面した時どうする?」


「………………………………」


 何の話だ。それよりも、教えてくれ。キミは私を知っているんだろう……? それで、私はキミを知って……。


「逃げても良いと思う? 戦わないといけないと思う? ボクは、全部、何もかも面倒になったんだ」


 どうしてそんな事を私に問う? キミは私の難なんだ。私はキミのなんなんだよ。


「……、ボク、犯罪者なんだってさ」


 …………彼女は、白い服を纏っている。まるでクレリックだとか、ヒーラーだとか、そういうのを彷彿とさせるその恰好で、自分を犯罪者だと罵った。どうしてそんな事になる。キミは……。誰よりも────誰よりも……優しく……て────。


「笑っちゃうよね」

「……、は、ぁ。……ぅ、ぁっ」


 吐き気が込み上げる。なんだろうこの感覚。彼女を、助け、ないと……。どうして? 分からない。分からないけれど、私は、だって。


「世界を救ったんだ。間違いなく、救ってさ」


 少しだけ泣きそうな顔。胸がぎゅっと締め付けられる。見たくない。キミがそうしているのを視たくない。…………どうしてそう思う? 教えてくれよ、知ってんだろ……ッ!


「なのに、さ。全部、全部無駄だったんだ。全部終わらせて、それで戻ったら犯罪者だって。笑っちゃうよ、もう」


 震えた声だ。怒りを含んだ悲しい声。要するに良い事したのに誰も褒めてくれなかったのはおろか、犯罪者だと罵られたという事だと思う。……それは、辛いと思う。


「ボクは、最後に全部失ったよ。仲間も、君さえも。全部。ごめんね。言っている意味はきっと分からないと思う」


 首を振る。意味は分からなくても伝わっている。必死だったんだろう。分かるよ、キミの表情を見れば。


「……、知ってるんだ。君は何も覚えてない。覚えていられるわけがない。だって、そうでしょ、あんなの……っ」


 このままにしていたら、白い少女の何かが決壊する気がして、私は彼女の頭をそっと撫でた。さっきエリーが私にしたように。私だって知りたい事はたくさんある。思い出さないといけない事がたくさんある。キミの事さえも忘れた私を赦してくれるのなら、こうしてキミを慰める事も、赦して。


「……、また、すぐに会えるよ。ボクは……犯罪者で、悪だから」


 彼女はそう言って、文字通りそのまま消えてしまった。まるで最初からそこに居なかったかのように残ったのは空を撫でる私の手だけ。


「…………………………」


 誰だったんだろう。きっと大切なヒト。私を何も覚えてないと言った。どうしてそんなことを知ってるんだ。誰だったんだ。


「──────────────」


 声は出ない。彼女に声を掛けたかった。本当だ。だってあれだけ思いつめた顔をしてた。どんな悲劇に出会ったのか分からないけど、あれは私と同年代くらいの子がしていい顔じゃない。


 空を撫でた手を戻す。


「……、っ」


 このままじゃ、ダメだ。私は進まないと、ダメだ。腐る。腐ってしまう。何も覚えてないのに、体がそうあるべきだと言ってくるんだ。思い出すなって警告してくる癖に進まねばならないって、うるさいくらいに頭の中で跳ねやがる。


「──ぅあ、…………っ」


 痛みも、全部忘れろ。忘れろよ。そうしたら、少しは進めるんだ。全身を舐め回す様に取りついたこの痛みさえなければ。無ければ……ッ! きっと……私は……。


 生きていた。生かされた。自分の傷を診て分かった。これは確実に死んでいた類の傷だ。私の肩にはまるで繋ぎ合わせたかのような跡があった。そんな事が可能なのかは置いといて、実際、死んでいたと思う。


 分からない。何も、分からないんだ。くそ、くそ、…………くそ。私は、私だ。とそういう事も言えない。私には何も無い。魔法使いと呼ばれた。けれど、今の私は魔法さえまともに扱えない。


 蒼天の空は、それでも私の心は釣られて晴れやかになる事も無い。私は前に進まないといけない。なんで、どうして。そう思う?


 忘れている。…………忘れている。私は何だ。知るにはどうすれば……。あの子を、探すのが一番手っ取り早いんだろうか。それとも夢に聞けば良いんだろうか。


「────────────」


 唇を噛む。杖をぎゅっと握って、歩く。何をするにしても、まずは、体を休ませなければ。こんな痛みを抱えたまま行動を起こせる程私は強くない。どうして進まなければならないのか分からないけれど、自分を信じなくちゃ。何も覚えていないからこそ、自分を信頼出来るんだ。


 終わらせなくちゃ。全部。それが、私の──。

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