第8話

 「ふぁぁ……。」


 鳥の囀りで目を覚ました。窓を開けると豊かな緑が一望でき、爽やかな風に包まれた。ファンタジー小説のヒロインにでもなったような気分だった。

 いや、事実は小説よりも奇なり。想像上の物語より遥かにとんでもないことが起こっている気がするけれど。


 「今日からいよいよ学園生活の幕開けね!」


 サトミは少しハイになっていた。何を隠そう、美少女の姿で学園生活を送るのが楽しみなのだ。


 「待ってなさいよ〜!私のキラキラ学園生活!」


 ウキウキしながら洗面器に貯めた水で顔を洗い、歯を磨いた。制服に袖を通し、さぁ朝食を食べに食堂へ!というその時、小さいながら確かに、隣の部屋から女の子の啜り泣く声が聞こえてきた。


 「こんな晴れやかな日に、女の子が泣いているなんてきっとただ事ではないわ!この私に任せなさい!」


 やはりサトミはハイになっていた。拳を握りしめて大きな独り言を発した後、部屋を飛び出し、隣の部屋の扉をノックした。


 「おはようございます。隣の部屋の者ですけど、どうかしましたか?何かお困りだったら、お力になりたいです。」


 啜り泣く声がピタッと止み、扉が開いた。


 「………おはようございます。どうぞお入りください。」


 出てきたのは、向日葵のようなオレンジ髪をした、大人しそうな少女だった。

 勧められるまま、サトミは椅子に腰掛けた。少女はその正面のベッドに腰掛け、口を開いた。


 「……そばかすが、消えなかったんです。」

 「消えなかった?」


 はい、と頷くと、瓶のようなものを差し出した。中はどうやらファンデーションらしい。肌色の液体が入っている。


 「学園デビューをしたくて、このそばかすを消すためにファンデーション?を買ってきたんです。」

 「学園デビュー……高校デビューみたいなものか。あ、ごめんね。続けて?」

 「?………はい、それでこれを顔に塗ってみたんですけど、なかなか消えなくて。」


 サトミはふんふん、と頷き少女の肌を見た。


 「なるほど…それで消えなくて、何度も塗り重ねたのね?」

 「えぇ…よく分かりましたね?」


 少女は目を丸めた。

 サトミはニコッと微笑むと、少女の肩を掴んだ。


 「よし!一旦全部メイクを落とすわよ!」

 「えぇっ?そしたらもっと、そばかすが目立っちゃう。」

 「心配しないで。騙されたと思って私に任せて欲しいの。ちょっと部屋から"ある物"を持ってくるから、その間にメイク、落としておいてくれるかしら?」


 おずおずと少女が頷くのを確認して、部屋を飛び出した。そしてサトミは自室に戻り、トランクから何かを取り出し、また隣の部屋へと駆け出した。


 「うん、綺麗に落とせたわね。」

 「よろしくお願いします。」


 少女は深々と頭を下げた。

 サトミは任せなさい、とウインクした。そして、ジャーン!と部屋から持って来たものを見せた。


 「…これは………ペン?」

 「ノンノンっ」


 太めのペンのような形状をしている。パッと蓋を外した。


 「黄色い…?これをどうするんですか?」

 「まぁまぁ、ちょっとお待ちなさい。先にベースメイクをするわよ。」


 サトミは少女が持っていた化粧品を使い、ササっと土台部分を仕上げた。よしっ、と頷き、少女に微笑みかけた。


 「ふふ、ここからが本番よ!......っとその前に............」


 サトミは手を止めた。


 「本当にこのそばかす、消しちゃって良いの?御伽話のヒロインみたいでとってもチャーミングよ?」

 「はい……………。お願いしますっ!」


 少女は瞼をぎゅっと閉じた。その言葉を聞いたサトミは、ニヤリと口角を上げた。


 「よしっ、それじゃあ任せなさい!」


 先ほどのペンのようなものを取り出し、黄色いテクスチャをゆっくりと塗り広げた。


 「このペンでそばかすが消えるんですか?」

 「ふふ、これは先が筆ペンになっている"コンシーラー"よ。」

 「コン…シーラー……?」

 「えぇ、あなたはさっき、ファンデーションを使って消そうとしていたわね?」


 はい、と少女が頷いた。


 「ファンデーションとコンシーラーでは、"カバー力"が違うのよ。」

 「カバー力…。」

 「そう。ファンデーションと違って、コンシーラーは…そうね。」


 どこからともなくホワイトボードを取り出し、図解しながら説明を続けた。


 「そばかすを消そうと、さっきはファンデーションを何度も塗り重ねていたでしょ?」

 「……!!そうなんです。ちょっと薄くはなったけど、肌色がかなり濃くなって、顔色が悪くなるばかりで。」

 「それは、ファンデーションは細かな肌悩みを解決するためのコスメじゃないからなの。」


 えっ!という声が今にも聞こえそうな表情をしている。


 「もちろんファンデーションも重要で、肌の色ムラ、それにそばかすやシミなどを均一にする役割を果たしてくれるわ。」


 少女はメモをとり始めた。


 「でもそばかすのような肌悩みには、もっと最適な子が居るの。」

 「それがこの、コンシーラーなんですねっ!」

 「That's right!コンシーラーはより狭い範囲の肌の悩みを解決するために使うものなの。」


 少女もサトミにつられ、段々とノリノリになってきた。


 「中でもこのリキッドタイプのコンシーラーは柔らかいテクスチャで、そばかすのような比較的広範囲のカバーに向いているの。」

 「柔らかい方が良いんですか?」

 「うーん、それは適材適所ね。硬いテクスチャはカバー力がより高いけど、広範囲に塗るとひび割れてしまうことがあるの。」


 なるほど、と追加でメモしている。


 「先生、これが黄色なのには意味があるんでしょうか?」

 「良い質問です。コンシーラーは色も沢山あるの。その中でも黄色は、肌色と茶色っぽいそばかすの中間にあたる色だから、そばかすを消すのに向いてるの。」


 ほぇーっ、と感心している。

 サトミはホワイトボードをどこへやら戻し、メイクを再開した。




 「さて、完成よ!」


 仕上げのパウダーをはたき、サトミはフーッと袖で自分の額を拭った。そして少女に鏡を差し出した。


 「見て。」

 「………信じられない。」

 「どうです?お嬢さん。」

 「本当にありがとうございます…!!」


 晴れやかな表情の少女の顔から、彼女の悩みの種は無くなっていた。


 私はそのままで御伽話のヒロインみたいに可愛いと思ったんだけど………本人がこの笑顔なら、これで良かったのかな。


 ふふ、と少女の笑顔につられて口元が緩んだ。

 あーっ!と時計を見て声を上げた。サトミは学食に一緒に行くため、エントランスでエミリアと待ち合わせしていたことを思い出したのだ。


 「あなたも学食、一緒にどうかな?」

 「是非ご一緒させてください!」

 「よしっ、そうと決まれば早く行こう!」


 2人は足早に部屋を後にした。

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