閑話『タツの呪術珍道中/前編』


 通りはどこまでも階段が続いていた。時々、道の間に平坦な道があるのは、少しでも坂道を歩きやすいようにするための計らいだろう。左右に隙間なく並んだ店からは時折客引きの声や射的などで取った景品を持って楽しげにはしゃぐ子供達の声が響き渡っていた。通りの端にあった水路からは、湯気が立ち昇っている。

 そんな光景を通りを歩きながら微笑ましげに横目に見る男がいた。浅葱色の浴衣を着流しにしており、前髪で隠れていない左目には今の現代では珍しいモノクルメガネをつけている。何より人々の目を惹くのは、肩辺りで緩めに縛られた長い白髪だろう。それ以上何か身に付けているというわけでも、持ち歩いているというわけでなかったので道行く人々は皆、彼が『旅行でやって来た』と言われてもすぐには信じられないだろう。

 ふと、男は坂の上の方に淡い水色の提灯が何個も釣り下がっているのを見つけた。微かではあったが祭り囃子も聞こえてくる。それに不思議に思いつつ、白髪の男はその手前にあった看板に目が入り、顔を輝かせた。

 『温泉まんじゅう』とそこには書かれていた。






 その男が店に入ってきた時。木島晴哉が思ったのは、『こんな人がこの世には存在するのか』だった。目立つ白髪の髪に温泉街を歩く人々とはまた違った………浮世離れした格好。この村に十年以上も暮らしてる彼にとって自然とこの男がただの観光客ではない、と思ってしまうのは不思議ではなかった。

「すまんが、この温泉饅頭もらって良いかの?」

 見た目、二十歳ほどなのにおじいちゃんのような言葉使いで声をかけてきた。まじまじと見てしまっていた晴哉に嫌な顔をすることない。むしろ慣れているのだろう。慌てて我に帰った晴哉は男が指差した方に目を向けた。お土産にはうってつけの十個入り饅頭だった。

 ちょうど最後の一箱だったようだ。

「最後の一箱だったみたいだ。兄さん、運がいいね。」

「繁盛しておるようじゃの~」

 思わずそう声をかけるとまるで自分のことのように男は笑った。取り出した箱を紙袋に入れながら、晴哉は「まぁな」と外に目を向けて微笑む。

「今日は、祭りの初日だからなぁ。うちの饅頭を買って、社に供える人も少なくねぇんだよ。」

祭り、と男はわずかに青い瞳を見開いた。

「………あぁ、そういえば。山の方で祭り囃子が聞こえておったの。今日は祭りじゃったのか。」

「なんだい、あんた。『水神祭り』目当てにこの村に来たんじゃねぇんだ?」

晴哉の問いに男は苦笑を浮かべて、饅頭を指差した。いや、正しくはその饅頭に書かれていた『温泉』という単語だろう。

「ここの温泉がたいそう良いと人伝に聞いての~……身内には内緒の一人温泉旅行という奴じゃ。」

お土産とはまた別で買った饅頭を受け取りながら、男はそう答えた。確かにこの村の名物は温泉だ。あとは山の幸と金細工を使った工芸品。

「へ~……そうだったのか。あ、祭りってのがその温泉の恵みを与えてくださってる『水神様』へ感謝を捧げるために今日から七日間やる『水神祭り』なんだよ。山の下の方はそれほど、って感じだが……山の上。水雲神社の方はもうこことは比べ物にならないほどの大賑わいさ。」

「ほぅ、七日もやるのか。ずいぶん長いの~……大体は前夜祭と二日ではないのか?なぜ七日も??」

 男の問いに晴哉はさぁ……と苦笑を浮かべる。この祭りは晴哉が生まれる前からすでにあったので、『なぜ』と問われても返答に困ってしまう。男も気になる素振りを少し見せつつ、それ以上問うことはなかった。

「兄さんも温泉入る前とかに祭り見てきなよ。神楽とか雅楽とかもやるし。」

「神楽は見飽きておるが………雅楽か。それは気になるの~行く手前、見てみよう。ところで、この饅頭。ここで食べること出来るか?」

手にしていた一個の饅頭を掲げて首をかしげる男に店の横にあるベンチを勧めた。

 荷物をカウンターに預け、嬉しそうに男がベンチへ向かったその時。


「ごめんください」と、一人の『少女』が店に入ってきた。


 すれ違った瞬間。ハッと目を丸くして、男は少女を目で追いかけてしまった。歩くたびに揺れる茶髪混じりの髪、歳に似合わぬ憂いを帯びた瞳。風にさらわれればあっさりと消えてしまいそうになるその身に纏った空気。

 なぜ、ここに『彼女』が─────────

「あ─────────、」

「あれ、ユズルちゃんじゃねぇか~!!」

 晴哉の言葉で男は上げかけていた声を引っ込めた。重なっていた『彼女』の姿が消え、そこには全く別の女が立っていた。少女ではなく、二十歳過ぎの清廉な女だった。揺れる髪は黒く、ハーフアップにしている。着ていた着物の質と立ち振る舞いから彼女の家柄の良さが出ている。

 ふと、女が男に目を向けた。男の風貌に目を惹かれ思わず見たのだろうが、ジッと見てしまった男は慌てて我に返って、動揺を見せずお辞儀をするとベンチへ向かって行った。

(気のせいか…………?しかし、なぜ一瞬だけ彼女が……)

自分の目に不思議に思いつつも、男は思考を切り替えて饅頭を頬張った。しかし、やはり背後で晴哉とやり取りする女が気になるようで、外の喧騒よりも中のやり取りに耳を傾けた。どうやら、二人は顔なじみらしく、今日は取り置きしていたものを取りに来たらしい。

 祭りの準備はどうだ、ややっぱり神社の方は人が多いだろうや去年よりも多いなどと軽い世間話を終えると、「あ、」と女がふと何かを思い出して大きな声を上げた。

「そうだ。木島さん。お饅頭ってまだ残っていたりしますか?」

「え?あ、あ~~……実は今しがた売り切れちまったんだよ。」

頭をかき、晴哉は困ったような顔をした。女は少し残念そうに「そうですか」と眉を下げた。

「今日、必要なのかい?」

「えぇ……ハグサ様が今日、いらしているので是非と父が……」

「ハグサ……って確か!!」

「え、えぇ……他の店でも売っているのでも良いのですけど……」

「孝介さんから言われたからなぁ……参ったな。」

 明日に出す饅頭は今日の午後に作ろうと思っていたためまだ作れていない。どうしよう、と晴哉と女が二人して困り果てていると「のう、店主。」と店の外で饅頭を頬張っていた男が声をかけた。食べかけの饅頭を持った手をひらひらと振り、男は笑顔を見せた。

「儂が先ほど買った饅頭、彼女に上げてやってくれ。」

見ず知らずの他人からの言葉に「え、」と女が驚いて振り返った。

「兄さん、良いのかい?!」

女の心の中を代弁するように、晴哉が目を丸くして困った顔を見せた。自分達が困っているから仕方なくそうしてくれたように感じてしまい、申し訳なさそうに晴哉は頭をかく。しかし、当の本人は別に嫌そうな顔を見せることなく、「あぁ」とうなずいた。

「土産は他の場所でも別の日でも買えるから。」

「ですが……その……」

言い淀む女に男はからからと笑った。

「気にせんで良い良い!ここで逢ったが縁というものじゃし。それを急いで持っていかなければならんのじゃろう?」

「そうだな、ハグサさん達はもう着いてるんだろう?言葉に甘えて持って行きなよ。早く届けないと孝介さん、めんどくさくなっちまうし……」

 「じゃ、じゃあ……」と女は晴哉から先ほど男が買った饅頭の入った紙袋を受け取った。改めて男に一礼し、後にする。そんな女に手を振る男を見ながら、晴哉は無意識に「ありがとな」と礼を言っていた。

「ん?」

「あの子の家の旦那。ちょっと、気難しい性格しててよぉ……言い換えれば『我が儘で短気』でな。機嫌を損ねると面倒なんだ……」

煙草を取り出して火をつけてから晴哉は顔をしかめる。吐き出された白い煙を一度見てからほう、と男は呟いて饅頭を口の中に入れた。

 晴哉は「すまねぇな!」と慌てて煙草から口を離して苦笑を浮かべた。

「こんな話、あんたにしても仕方ねぇな……それよりも饅頭は新しく作っておくよ。」

「おぉ!本当か、それは申し訳ない!!」

晴哉の親切な提案に男は表情を輝かせた。

「あぁ、駄賃はいらねぇ。困ってたところ助けられちまったしな。出来上がったら明日兄さんの宿に届けるよ。今日はどこの宿に泊まるんだ?」

「あぁ、確か────────────あっ!!!!?」

 ふと、何かを思い出した男は突然、目を丸くして立ち上がった。今日で初めて、一際大きい声が響き渡り、行きかう人々はギョッと目を丸くして振り返る。立ち上がった勢いに晴哉も思わず表情を引きつらせて身体をのけ反らした。人懐っこい笑顔しか見せなかった男の顔がみるみるうちに青ざめていく。

「え、どうした?」

「し……しまったぁ~~~!!つい、いつもの癖で宿をとっておらんかった!!!!」

「なにぃ!?!?」

 目を丸くして晴哉は煙草を口から落としそうになった。しまったぁと頭を抱え、男はしゃがみ込んだ。

「いつもの癖って……」

「いや~~いつもは、人にも知られとらん秘湯に行くんでな~……泊りとはいえ、当日に泊まりに行ってもそれほど混んでおらんのじゃよ……」

確かに、いつもならこの村の宿泊施設も空いているだろう。しかし、今日からは七日間行われる『水神祭り』がある。他の祭りと比べると人は少ないが、それでも村の外から多くの観光客が訪れる。おそらく今だと、空いている宿を探すのは困難だろう。何なら探している間に空いている宿もなくなるかもしれない。座り込んでいた男は小さく息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。

「仕方ない……一応、宿を探してみてなかったら野宿するしかないかの……」

「野宿ってそれはさすがに……あ、」

 通りに目を向けた晴哉は、何かを見つけて声を上げる。それからしょんぼりとしている男に向かってニヤリと笑った。

「良かったな、兄さん。宿の件はどうにかなりそうだぜ。」

「ん?」と男がきょとんと目を丸くすると、晴哉は「ひろと~~!!」と向かいの店で買い物をしていた青年に声をかけた。紙袋を抱えた青年は名前を呼ばれて振り返る。ツーブロックにされた茶髪混じりの短髪に、龍のデザインが入ったスカジャンを羽織っている。耳元にはピアスをしていたが、おしゃれの一種なのだろう。その顔立ちは見た目とは裏腹にどこか真面目そうに感じた。

 声をかけた相手が晴哉だと分かり、青年は「おっちゃん」と笑顔を浮かべて駆け寄って来た。

「こんちわ、店は繁盛してるか?」

青年の言葉に晴哉は「今日、完売した!」と上機嫌に返してから本題に入った。

「そういや、ひろと。お前んとこの宿ってまだ部屋空いていたのよな?」

ひろとと呼ばれた青年は、その問いに一瞬だけ驚いてから「まぁ……」とうなずいた。

「俺らは今回の祭りで神社の手伝いを任されてるから、宿自体を休んでるよ。それがどうかしたのか?」

「そんなとこ悪いけどよ。ここの兄ちゃんを泊めてやってくれねぇか?今日、泊まる宿がねえらしいんだ。」

 え、と青年はそこで初めて男を見た。晴哉は我に返り、未だにきょとんとしている男に青年を紹介した。

「兄さん。紹介するよ。こいつは鎧塚ひろと。こいつの家は旅館を開いてるんだ。頼むよ~~ひろと。この兄さんはさっきユズルちゃんを助けた恩人だから何とかしてやりてぇんだ。」

両手を合わせて頼み込む晴哉の言葉に青年、鎧塚ひろとは「ユズル?」とわずかに顔をしかめた。その表情の変化を男は見逃さなかった。

「ユズルが何かあったのか?」

「いや~……ちょっといろいろあってな~困り果ててたところ、兄さんが助けてくれたんだ。」

助けた経緯を省いて、晴哉がそう説明すると「ふぅん」とひろとは男を横目に見る。

(…………おや?おやおや~~??)

 その視線の意味を何となく察した男は、内心にやけそうなるのを何とか堪える。しかし、そんな男のことに二人は気が付かない。

「ま、まぁ……親父に聞かねぇと分かんないけどさ。困ってるんだったら良いよ。」

「本当か!?悪いなぁ!ひろと。宿の方には俺が言っておくから、よろしく頼むぜ!!良かったなぁ、兄さん!!」

嬉しそうに晴哉は男の背中を叩いた。その力強さに思わずつんのめりそうになり、男は思わず苦笑を浮かべるとひろとと向き直った。

「かたじけない。しばらく厄介になってしまうが、よろしくの。童。」

『童』という言い方にひろとは一瞬、ムッとしたがすぐに咳払いして思考を切り替えた。

「親父のところに今から行くからその時に頼んでみるよ。すぐに宿に行けないけど、それでも良い?」

「あぁ、構わん。むしろ、祭りの方も見てみたかったからちょうど良いじゃろう。」

山の神社を方向を見てから男はそういうとにこりと笑った。その笑顔に少し拍子抜けしていたひろとは警戒心の抜けない目を向けたまま、「じゃ、案内するよ」と歩き始めた。晴哉に礼を言い、男も歩き始める。

 ふと、ひろとが「そういえば」と振り返って首をかしげた。

「そういえば、アンタの名前聞いてなかった。」

ひろとのその問いに男は首をかしげてから、自分が名を名乗っていなかったことに気が付き「あぁ……」と目を細めた。

「これは失礼した………そうじゃの。儂のことは『タツ』と呼んでおくれ。」

 白髪の男、タツはそう言って微笑を見せた。











 神社の方面へ向かっていたひろとは、自分の後ろを歩くタツのことが気になっていた。聞けば、この村の温泉が目当てで訪れた旅行客らしいが、それにしては旅行かばんもキャリーバッグもないので本当に旅行客なのか怪しい所だった。

(何より、さっき……木島のおっさんが言ってた……)

 『ユズルちゃんを助けてくれた恩人』

 いったい何があったのだろう………

 気になる。気になるがしかし、何となく切り出せずにひろとが顔をしかめていると、「童~」と後ろにいたタツが声をかけた。慌てて我に返って振り返る。にこにこと笑顔を浮かべているタツが通りの横を指差した。

「なにやら呼ばれておったぞ?」

「え、あ……」

見てみると、そこは村で話し合いなどが行われる時に使われる家があり、そこにいた男達が自分を呼んでいたのだ。考え事に夢中で目当ての場所から通り過ぎる所だったひろとは、慌てて荷物を抱え直してそちらへ向かう。

 縁側に座っていたひろとの父、慎介がひろとに「遅かったなぁ」とぼやきながらお茶を差し出した。

「ごめんごめん、親父。」

「なにか考え事でもしてたのか?呼びかけても聞こえてなかったし、どっかに行っちまうのかと思ったぞ。なんかあったのか?」

「なんかって、シンちゃん。そんなの決まってんじゃねぇか。ぜってぇ女の子のこと考えてたに決まってんだろ~?今日は神楽舞のためにいろんなとこから可愛い子が来るんだから。」

 祭り仲間の言葉に「はァっ!!?」とひろとは声を上ずらせた。

「ち、ちっげ~~よ!!んなわけないだろ!?!?」

「エ~~?そうなのか??」と男達はニヤニヤと笑う。茶化されるひろとを見て後ろにいたタツは思わず吹き出した。その音で一同の目がようやくタツに向けられた。

「えっと……ひろと、こちらの方は……??」

「あ……そうだ。この人のことでちょっと、親父に頼みたいことがあって……」

 慌てて話を切り替え、ひろとは頭をかくと先ほど晴哉から頼まれたことを伝えた。もちろん、晴哉が言っていた知人の恩人だと言うことも伝える。知人の名前を出した途端、周囲の男達がほう、と興味を示したがおそらくくだらないことだと思って極力無視をした。

「──────ていう訳で、しばらくうちに泊まらせることって出来るかな……」

「ん~……宿の方は今はほったらかしだが、木島さんちがうちに連絡入れてるなら大丈夫だろう。部屋の準備が出来るまで少し時間はかかりますが、それでもよろしければ。」

「あぁ!!大丈夫じゃよ~!むしろ、突然の願いを聞いてもらって申し訳ない。」

やはり物凄く楽しみにしていたのか、タツが途端に目を輝かせてうなずいた。その様子に嬉しそうに慎介は微笑む。

「いえいえ。息子の幼馴染を助けてくれたみたいですし、気にせんでください。ひろと、部屋の準備が出来るまで時間がかかると思うから、良ければこの人に祭りの案内してやってくれ。」

「……元からそのつもりだよ。」

慎介の言葉にひろとは、言わなくても大丈夫だとでも言うように、やや不機嫌そうにそう答えた。

「ずいぶん。その『ユズル』という子は村で人気者なんじゃのう。」

思わずタツがそう呟くと、「まぁ、」と慎介は微苦笑を浮かべた。

「なんてたって彼女は今回の『花形』だからな………」

気になる言葉を聞き、「え?」とタツが思わず目を丸くした時、そばで顔を俯かせていたひろとが突如。彼の袖を掴み、半分引っ張る形でその場から連れ出し始めた。

「お???おや???どうした?童。」

「祭り会場見たいって言ってただろ。おっさん達の世間話なんか聞いてないで行こうぜ。」

 ぶっきらぼうに言い、ひろとは慎介達を後にする。その表情を見たタツもそれ以上問うことは野暮だと思い、大人しく従った。

 そんな後ろ姿を見た慎介の表情はどこか困った顔をしていた。近くにいた祭り仲間達も小さく息を吐いて首筋をかく。

「やっぱり。まだ……『諦め切れてねぇんだなァ』、ひろとちゃん。」

「まぁ、本当に仲が良かったからな~……………」

「………家柄が重宝されなけりゃ………」

しかし、それ以上祭り仲間達は何も言うことなく、残念そうに呟くだけで彼らは自分達の持ち場に戻っていった。

 一方、そんな慎介達の話しを聞くことはなかった二人は、祭りの会場である水雲神社に向かっていた。晴哉が言っていた通り、麓と比べるとさらに人通りが多く、人々の声もまた一段と大きくなっていた。しかし、村の人々にとってこんな光景は見慣れたものなのか。嫌な顔を一つすることなく、人混みの中を泳ぐように滑らかに進んでいく。ひろとに袖を掴まれていたおかげで、タツも人混みに押し流されることなく目的の神社に向かうことが出来た。

 水雲神社は山の中腹辺りに位置しており、また向かうには緩やかに曲がりくねった階段を進む必要があった。慣れない者にとっては辛い道だろう。だいたいの人々は途中にある境内の中でギブアップしていた。

 それはもちろん、タツも同様である。

「………えっと…………ごめん、大丈夫?」

売店のベンチに腰を下ろしたタツにひろとは気まずげに問うた。タツは荒い息を吐きながら足に手を置き、「あ………足が………」と震える声を出している。

「やはり、こればかりは『慣れ』ておらんとな~……儂の住んでおる街も山の方なんじゃが、こんなに急な所までは……」

この村に住んでいるひろとは、山道を歩き慣れているので他人事のように呟くとタツに自動販売機から買ってきた水を差し出した。嬉しそうに受け取るタツには何の悪意もない。

 思わずひろとがタツの顔をまじまじと見ているとふと、タツは境内の中にあった神楽殿や拝殿に目を向けた。

「ここに拝殿があるということは境内はここまでなのかの?」

「あ、いや。『水神様』と祀っている本殿はこのさらに山の上にあるよ。」

「うへぁ……」とタツは情けない声を上げた。

「他にも山の途中途中で社が二つくらいあって、ここの拝殿と合わせると全部で四つ。まぁ、だいたいの人はここでギブアップして帰るんだけど……」

「山一つが境内ということじゃな。立派なものじゃの~」

タツがそう呟いた時、神楽殿の方で音楽が響いて来た。見てみると巫女衣装を身に纏った女達が神楽鈴を持って舞を披露していた。お、とタツは立ち上がって上機嫌にその舞を見始める。

 その横顔をひろとはじっと見つめていた。その表情から何の悪意もなく、ただただ善意と好意でしかなかった。何となく、ひろとは頭をかいた。

(変に警戒するだけバカバカしいかな……)

「そういえば、『ユズルちゃん』とやらもこの境内の中にいるのかの。」

さらり、とそう呟いたタツにひろとは「え、」と目を丸くした。知人の名前に驚いたせいで最初、息を忘れそうになった。境内の中を見回しながらタツはのんびりとまるで世間話のように話し始める。

「いやなに。あの子のおかげで儂は助けられたのでな~……礼も兼ねて改めて挨拶をしておきたいんじゃよ。おぬしのお父上殿の言葉からだと、この祭りに関係してそうな気がしたから来ればおると思うたんじゃが……」

「…………そのことなら、俺が後で伝えておこうか……?」

靄がかかる嫌な予感がした。しかし、そんな内心を悟られないようにひろとが努めて平常心でそう提案するが、タツは相変わらずの笑顔を浮かべたまま「いやいや、おぬしにそこまで任せるのは申し訳ない」と手を振り、歩き始める。その後ろ姿にひろとは思わず顔をしかめた。

 晴哉が言っていた言葉の意味は分からないし、どういう経緯で自分の知人と知り合ったのかも分からない。

(たぶん、なんともない……なんともない、はず……)

 しかし。しかし、胸に浮かんだ嫌な予感は消えることはなく。

「あ、のさ!!」

 堪らず、大きな声でひろとはタツに声をかけていた。「ん?」とタツは不思議そうに振り返った。声をかけたは良いものの、話しを切り出せずひろとは視線を逸らした。

「その……ゆず……アイツはその…………」

「どうかしたのか?」

笑みを浮かべたままタツは首をかしげる。その顔はどこか楽しそうで、その能天気さにひろとは苛ついてしまった。

 しかし、自分から『このこと』を切り出すのはものすごく嫌だった。

 だって─────────

「アイツは──────」

「ひろと?」

 聞き慣れた声が聞こえて、ひろとは肩を飛び上がらせた。慌てて振り返ると、そこには一人の着物を着た女が立っていた。長い黒髪をハーフアップにしており、着ている着物と相まってご令嬢という雰囲気がある。白い肌にやや伏せられた二重の瞳。整った顔立ちは昔に見た姿よりもさらに際立っている。

 名前を呼んだのが本人なのか不安だったのか、恐る恐る声をかけた女は相手がひろとだって分かると「あ、やっぱり」と表情を柔らかくさせた。

「ひろとだ。来てくれたんだ。久しぶり、その……終業式以来だね?」

「あ……えっと、その……」

ひろとがしどろもどろになっていた時、その後ろにいたタツがひょこっと顔を出して「やぁ、」と声をかけた。ひろとを見ていた女は一瞬だけきょとんとしてから彼が誰なのかを思い出してあ、と声を上げた。

「あなたは先ほどの……!」

パッと表情を明るくさせた女を見て、ひろとは目を丸くさせた。しかしそんな彼の驚きには気にせず、タツは女と話を続ける。

「先ほどぶりじゃの~!あの後は大丈夫じゃったか?」

「はい……本当に助かりました。あの時はありがとうございました。」

女の安心した顔に隣で見ていたひろとはなんとも言えない気持ちになってくる。知り合っていたのか、と問うことも先ほど何があったのかも聞きづらかった。目を丸くしたまま、タツと彼女の顔を交互に見るしか出来ない。

 完全に会話に置いて行かれてしまっている……

「あ、すみません。自己紹介もせずに……私は水雲弓弦と言います。」

 女、水雲弓弦はそう言って頭を下げた。タツは「良い名じゃの」と微笑む。ギョッと、ひろとは身体を硬直させた。

「儂のことはタツと呼んでおくれ。それにしても、水雲……ここの神社と同じ名じゃの。代々ここの神職を?」

「はい、そうなんです……とはいえ、私はまだ巫女見習いという感じですが……あ!そうだ、先ほどのお礼を後日改めてしたいのですが──────」

「ちょ、ちょっと待った!!!!」

 ひろとは慌ててタツと弓弦の間に割って入る。強い力で引きはがされたタツは思わず「おっと、」と呟いた。

「な、なんだよ。弓弦!この人と知り合いだったのか!?」

「え、う、うん。さっき木島さんちのところで困ってたところ助けて貰って……」

「お礼とか!!そういうのは俺の方でやっておくから!!この人、後で俺の宿に泊まる予定だし……!!」

手をわたわたと動かしながら、ひろとはそう言うと弓弦はきょとんと目を丸くした。

「え、でも……確かひろとのところ。今は休みなんじゃないの?」

「それは、その……まぁ、いろいろあって……とにかく!!弓弦は気にしなくて良いし、そういうのを簡単に他の人に言うなよ!!」

なぜ、ひろとが慌てているのか分からず、不思議そうに弓弦が首をかしげていると「そうじゃよ~」とタツがまた彼の後ろから顔を出して来た。

 首を突っ込んでくるなよ、と言いたげにひろとは視線を向けるがタツはどこ吹く風だった。ひらひらと手を振って笑う。

「それに礼ならば貰っておる。ほとんどおぬしの人脈のおかげで、今度は儂が危ない所を助けて貰ってしまったのじゃからの。まさか、わらしべ長者のようにあの時、おぬしに渡した『饅頭』が温泉付き旅館として返ってくるとは思わんかった。」

 顎に手を当て、うなずきながらタツは嬉しそうにそう呟いた。気になる単語が聞こえて「え、」とひろとは目を丸くしてタツの顔を見る。

「饅頭??」

「うん……さっき、お父様に頼まれて饅頭を買いに行った時、この人が譲ってくれたの。だから、後日改めて買って、渡そうかなって思ってたんだけど……」

 彼女の父親が少々気難しい性格をしているということを思い出し、ひろとは「あ……そうだったんだ……」と呆けた声を出した。深刻というわけではないが、ひろとが考えていたことよりはあっさりしたものに焦燥感のあった心は落ち着いていく。それを見て後ろにいたタツが堪らず吹き出した。ハッと我に返って振り返ると、タツが肩を震わせて笑っている。それだけで、ひろとは気が付いた。

(分かっててからかってたのかッ!!!!!!)

コイツッ、と言い得ぬ怒りに拳を握り締め、思わずタツを睨みつける。そんなひろとにタツはさらに可笑しそうに笑っていた。

 一方、二人の静かなやり取りに弓弦が不思議そうに首をかしげた時。「弓弦」と鋭い声が聞こえた。弓弦含め、ひろとも肩を飛び上がらせてその声の方向に目を向ける。すると、そこには白髪が少し混じった髪を後ろで丸く纏めた四十代くらいの女が複数の人を後ろに携えながら弓弦を睨んでいた。切れ長の目が余計鋭さを増している。ふと、女の後ろにいた少女が「あ!ひろとお兄ちゃんだ!」と声を上げた。短い短髪はふわりとゆるくウェーブをかけており、前髪を星のヘアピンで留めている。

 弓弦が身体を強張らせる。先ほどまで浮かべていた柔らかい表情から途端に緊張した顔になった。

「あ……お母様……」

「婚儀の前に他の者とずいぶん楽しそうにしているわね?」

 女の言った言葉にタツは目を丸くし、視線だけ弓弦に向ける。弓弦は顔を俯かせ、「その……」と言い淀む。握っていた手に力を込められる。


 その時、タツの目に『少女』の姿がブレて重なった。


「───────────────あぁ、いえ。」

 ブレた現象に驚くよりも先に。気が付くと、タツはいつも通りの笑顔を向けて女に言葉をかけていた。弓弦とひろとは驚いて彼に目を向ける。

「私は先ほど、道に迷って困っていた所をこの子に助けていただいたんですよ。困り果てていましたら、ここまで親切に案内していただきまして、ついでに彼と一緒に祭りの案内までしていただきまして…………決して他意はございません。」

 先ほどまでの会話からは想像がつかない標準語に驚き、ひろとと弓弦は何も言えず固まる。タツのその言葉に女はしばらく観察するように三人を見てから「そうでしたか」と表情を一変させて、笑顔を見せた。全身を刺すように鋭かった空気が和らぐ。

「それはそれは失礼致しました。私は水雲八重。その子の母です。」

女、水雲八重は軽く一礼した。そして、弓弦に目を向けながら困ったように自分の頬に手を当てた。

「うちの子が粗相しておりませんでしたか?なにぶん、何事にも不器用な子ですから……」

 彼女のその言葉が聞こえた時。ひろとの背中がぞわり、と寒気が走った。驚いて思わず振り返り、タツの後ろに目を向けるがそこには奉納芸を楽しむ人々しかいなかった。

(…………なんだ、今の……気のせいか……??)

「いえ、むしろ初めて来た私でも分かりやすく教えていただいて。」

タツのその言葉でひろとは慌てて意識を元に戻す。タツは笑顔で弓弦に目を向けると「あ、い……いえ……」と彼女は視線を俯かせる。ひろとは何も言えずに視線を伏せた。

 そんな彼を気に留めることなく、八重はニコニコと笑っていた。

「それならば良かった。ですが、この後。その子は用事がございまして……申し訳ないのですが……」

「……あぁ、いえいえ。むしろ、お忙しいところ私に時間を取らせてしまって申し訳ない。」

一瞬だけ間があったが、タツは苦笑を浮かべて手を振った。八重はフッと笑うと「弓弦」と再び彼女に鋭い声をかけた。一瞬だけ肩を飛び上がらせた彼女は「はい……」と答え、それに従う。思わずひろとは弓弦に声をかけようとしたが、彼女は頭を下げて八重の元へ向かってしまった。

 去っていく八重達にひろとが思わず顔をしかめると、隣からタツが小さくため息を吐いた。

「……道理で……」

「え??」

ポツリと何かを呟いたタツが気になってひろとが彼の顔を見るも、タツは「いや、なんでもないよ」と首を振って微笑んだ。すっかり元の口調に戻っている。

「それよりもおぬしの父上が言っておった『花形』とはこういうことじゃったか。」

「……うん。今、弓弦のお母さんの後ろにいた和服姿の人らがいるだろ。」

 ひろとの視線の先にいた八重達にタツはもう一度目を向ける。先ほど、ひろとに声をかけた少女の他に数名ほど付き人を傍に置いている男達がいた。一人は白い髪を頭の下の方で縛った五十代過ぎの男で、前髪は片方に寄せられていた。太い眉と頬に傷のある頬が特徴的である。おそらく、後の二人の父かそこら辺だろう。もう一人は癖のある髪を位置は違えど父と同じように縛っている男でたれ目と口元にあるほくろが印象に残る男だった。年齢は三十くらいだろうか。もう一人は、二人とは明らかに容姿が異なり、髪は短く、左右に分けられた前髪は長い。顎に生えた髭と丸いサングラスをかけていた。荘厳な雰囲気の二人と違い、どちらかと言うと軽い雰囲気を身に纏っている。年齢はひろとと同じに見えるが髭のおかげで年上のようにも感じる。

「あそこの白髪のおっさんが、蛇草弥平さんでその隣にいるのが蛇草靖二郎さん。三人目のチャラそうな奴が蛇草克典……あの家はこの村で、『水神様』の子孫だったって言われてる人達なんだ。」

「……もしやじゃが。彼らの家はこの山のというか、坂の上の方だったりしないかの?」

村の方向を見ながらタツがそう問うと、ひろとは目を丸くして「え、う、うん」とうなずいた。まさにその通りだったからだ。

 ひろと曰く、弓弦の家である水雲家と蛇草家。そして他数名が神社を造営する時の中心人物となったらしく。村の中でも一番権力が高いのは、この神社周辺に住む彼らだという。

「なんでも、蛇草さんちは昔からそういう……なんていうか……まぁ、変なを修行をしている家でさ。」

「変なことと言うと?」

「え?そりゃあ、漫画とかである妖怪とかを祓ったり~……とかする霊媒師みたいな奴だよ。」

「馬鹿らしい。」とひろとは鼻を鳴らして腕を組んだ。

「妖怪とか、お化けとかそんなものいるわけねぇのに……ただそういう逸話にあやかって、嫁がせて、血を濃くさせるとか……訳分かんねぇし、時代遅れすぎだろ。」

不機嫌そうに言うひろとを横目にタツはふうん、と呟きながら人混みで見えなくなりつつある八重達に目を向けていた。












 祭り会場の挨拶回りを終えた水雲八重の雰囲気は悪かった。一度家に戻り、再び蛇草家の人達と席を共にすると、まず最初に「申し訳ありません」と頭を下げた。

「私の『愚娘』のみっともない姿をお見せしてしまって。」

境内でのタツ達とのやり取りだと蛇草家当主、弥平はすぐに気が付いた。

「いえ。確か、傍にいた彼が彼女の幼馴染だという鎧塚ひろとでしたかな。仲が良さそうで良いじゃないか。友は大事にするべきだろう。」

「相変わらず、アイツはガキの頃から変わんねぇよな~」

軽い調子でそう言った克典はすっかり私服姿になっていた。しかし、室内だというのにサングラスを取ることはなかった。まるでこれが自分のチャームポイントだとでも言うかのようだった。

「そういえば、お前と彼は同級生だったな。」

「弓弦とも、な。昔は地味な奴だったけど意外にも美人になってんじゃねぇか。兄貴が羨ましいわ~……あんなに綺麗になるんだったら『修行』とかほったらかしにして遊んどきゃよかったな~」

弥平の言葉にそう言ってから、自分の隣に綺麗な姿勢で座る靖二郎に目を向ける。靖二朗は一瞬だけ弟の克典に目を向けるだけで何も言わなかった。「克典」と弥平は低い声を出す。克典は兄の態度が気に食わないのか、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 八重は顔をしかめたまま「しかし、」と呟く。

「あの二人は少々、『仲が良すぎる』所がありますから……先ほど、『上の者』としての自覚をもうよう言っておきましたので……」

「全く、おねぇさんは相変わらず固いんだから。」

ふと、部屋の隅に腰を下ろしていた一人の女が可笑しそうに笑いながらそう呟いた。前髪ごとを後ろの髪と一緒に三つ編みに縛っており、やや濃い化粧が目立っていた。「桜子」と八重は顔をしかめる。

「あの子がいくらアレだからって、遊びくらいは覚えさせた方が良いわよ~……ま、あんな子にそんな難しいことは出来ないでしょうけど。」

「……逆にあなたは自由過ぎなのよ。今日だって挨拶回りに顔を出さないで……」

「ちゃんと、自分で後で一人で言ったわよ。」と女、水雲桜子は口を尖らした。

「『上の者』は本来、『下の者』と関わることは本来なら避けるべきなのよ。そしたら、『あんな面倒なこと』にはならない。」

 ふと、気になる言葉を聞き「あんな面倒なこと?」と弥平は顔をわずかにしかめた。ハッと、八重は我に返ると「いえ……」と目を閉じる。

「……ま、『なんの力も持ってねぇ』雑魚と俺らが釣り合うわけねぇし。」

「あまり自分の力に過信しない方が良いぞ、克典。」

ポツリと靖二朗は呟いた。「あ?」と克典は顔をしかめる。

「父上に言われているだろ。『自分の上にはまたさらに上がいる』と。お前はまだ、新米だから知らないだろうが俺や父は俺達よりも『すごい術を使う奴』を知っている。」

「……何のマウントなんだよ……知ってるからなんだ?だからって、負ける気はしないね。本当なら『長男、次男』っていう立場がなきゃ──────」

「克典!」と弥平が鋭い声を上げた。克典は父のその剣幕に一瞬だけ押されてから、不機嫌そうに舌打ちをした。『親を怒らせるのはマズい』という幼い頃から身に付いたものは、そうそう簡単に取れないらしい。

「……まぁ、一度。一杯食わされてみた方がお前は成長しそうだがな。」

 そう言い、靖二郎は席を立った。

「靖二郎、どこに行くつもりだ?」

「弓弦さんのところに行くだけだよ。まだとはいえ、妻になる人に気に掛けるのは当然だろ。」

行ってくる、と短く弥平に言って靖二郎は部屋を出た。睨みつけてくる克典に視線はついぞ向けることはなかった。

 水雲家の庭が見える廊下を歩いていると靖二郎はふと、庭を眺める少女を見つけた。彼女は弓弦の妹である水雲楓だ。姉妹だというが、彼女と弓弦の顔立ちもそうだが、身に纏う雰囲気も違っている。弓弦が静かな月をイメージするなら、楓は輝く太陽だろう。二卵性双生児なのだろうか、と出会った時の挨拶で最初に靖二郎はそう思ったことがある。

 ふと、楓の方も靖二郎に気が付いたようで慌てて頭を下げた。

「こ、こんばんは!靖二郎さん。」

「こんばんは。そんなにかしこまらないでくれ……弓弦殿が今、どこにいるかご存じだろうか。」

「え、えぇ……まぁ……」と楓は顔を上げ、視線を外へ向けた。

「この時間はだいたいお姉ちゃんは、神社の方にいますよ。境内の掃き掃除をしてて……」

「こんな時間に一人で?」

「あ……えぇ……」

 それが癖だから、とポツリと彼女が呟いたのを靖二郎は聞き逃さなかった。

 確か彼女は、と靖二郎は八重の顔を思い出しながらふと、思い出す。おそらく先ほどから楓が外の方に目を向けていたのは一人で境内を掃除に行った姉を心配してなのだろう。それに気が付いたから靖二郎は付き人に車を出させ、神社へ向かった。空はすっかり夜の帳が落ち、祭り会場も明日の祭りの為に静まり返っている。坂の所々に置かれた灯篭や提灯のおかげで参道はほのかに明るかった。ふと、靖二郎は参道の横の木々に目を向ける。しかし、何の姿も見えない。

 気のせいか、と靖二郎が境内の中に入ると掃除する弓弦を見つけた。境内は悲しいことに昼間の祭りの影響で所々にゴミが落ちていた。それを彼女は箒で一か所にまとめている。

(こんな夜に一人で……)

 彼女の表情を見た靖二郎は、ふと。昼間にひろと達と話す弓弦の姿を思い出した。

 思い出して、少し黙ってから「弓弦殿」と声をかける。肩を飛び上がらせてから弓弦は慌てて顔を上げた。靖二郎は近くに置いてあった箒を手に取り、彼女に歩み寄る。

「こんな時間に、しかも付き人もつけずに一人で掃除とは大変でしょう……手伝いますよ。」

「あ……そんな、慣れてますから大丈夫で……」

「二人でやった方が早い。」

微笑んで、靖二郎は箒を動かす。彼女は止めようと思っていた手を宙に彷徨わせてからやがて、小さい声で「ありがとうございます……」と呟いた。その表情を見て、靖二郎は「いえ、」と短く答える。

 しばらく黙って掃除をして半分以上終わってから、ふと。弓弦が靖二郎に声をかけた。

「昼間は申し訳ありませんでした。」

靖二郎はわずかに目を丸くして、彼女に目を向けた。弓弦は箒を動かす手を止め、しばらく地面を見てから靖二郎に顔を向ける。

「いくら、同級とはいえ……蛇草家に嫁ぐ身、ましてや『上』としての自覚が足りませんでした……」

「……いえ。いえ、気にしないでください。」

頭を下げようとした彼女を靖二郎は慌てて言葉で制した。彼女に頭を下げさせてはいけない。そうしないといけないような気がした。制した言葉が思ったよりも大きかったのか、弓弦は目を丸くして靖二郎を見た。

 靖二郎は視線を少し落とす。今から話そうと思っていることに躊躇う自分もいた。

 しかし、話さなければ。

「弓弦殿、実は今日。貴女に言いたいことが────────────」

 意を決して靖二郎がそう切り出そうとしたその時。


 境内の外からヒヤリとした空気が靖二郎の首筋を撫でた。


 思わず口を閉じ、その冷気の先に目を向ける。灯篭も提灯もつけられていない闇がそこには広がっていた。

(今のは…………)

顔をしかめる靖二郎に不思議に思い、弓弦は「靖二郎様……?」と恐る恐る声をかける。どうやら彼女には先ほどの冷気は感じなかったようだ。靖二郎は森林の中に目を向けたまま、近くにいた付き人を呼ぶと弓弦にポツリと呟いた。

「もう時間も遅い、弓弦殿は先にお帰りください。」

「え……ですが……」

「掃除とかの道具は後で俺が片付けておきます。ご心配なく。」

弓弦の手に持つ箒を取り、靖二郎は微笑んだ。彼女は少しだけ戸惑っていたが、靖二郎の付き人に声をかけられ、「すみません……ありがとうございます」と頭を下げて境内を後にした。

(礼儀正しい子だ……)

その後ろ姿を見届けてながら靖二郎はそう思うと再び森林の方に目を向ける。先ほどまで浮かべていた微笑から表情を引き締めた。

 そして、まるでその闇に引き寄せられるように森の中へ歩き出した。














 部屋に着いてからのタツはテンションが高かった。まずは二部屋に分かれた部屋を見て、そしてベランダになっている所に置かれた檜風呂に目を輝かせていた。柵で外から見えにくくなっているとは言え、その湯船からは今湧かしたばかりというように湯気が立ち昇っている。

「ひ…………っろ~~~~~~~~~~い!!!!!!!しかも、露天風呂もついとる~~~~~~~!!!!!!!!」

「どこの部屋も空いてるから、一番良い所にしたんだ。あ、あと明日以降の食事とかも持って来るから。」

「至れり尽くせりすぎじゃ~~~~~!!!!」

部屋に置かれていたベッドの上にタツは飛び込み、ゴロゴロと転げ回る。そのハイテンションにひろとは思わず表情を引きつらせた。

(なんだろう…………俺と同じくらいか上くらいなのに……子供みたいなんだよな……)

 床を転げ回るタツにぶつからないようにひろとは気をつけながら、冷蔵庫の電源を確認し、その他の備品が問題なくあるかを簡単に確認した。すると、「そういえば」とすっかりぼさぼさの髪になってしまったタツが楽しげにひろとを見上げた。不思議そうにひろとは首をかしげる。

「今日見てて思ったんじゃが、おぬしは弓弦嬢のことが好きなんじゃな。」

突然のことにひろとは思わず吹き出した。「な!!?」と慌ててタツの方を見る。

「な、なんで……っ!!」

「見たただけで分かるわ~……周りにもバレバレであったぞ?仲が良いし、お似合いだと儂は思うんじゃが。」

 ニコニコと笑うタツをひろとは思わず嫌な顔で見た。ふと、一瞬だけ酒に酔った親戚のうざ絡みを思い出してしまった。その時もこういう『好きな子はいないのか』という下世話な話しをし始めていたような気がする。今のタツはそれに近かった。

「アンタさ。昼間のこと覚えていないの??」

思わず苛立ちをあらわにしながら、そうひろとは吐き捨てるように言った。するとタツは「覚えておるよ」とあっけらかんと答えた。

「なら分かるだろ。俺と、弓弦じゃ釣り合わない……アイツの家はすごいけど、俺は別にそんなだし……」

 村の麓寄りの方にひろとの自宅兼旅館がある。その一方で弓弦の家は村の上の方にある。身分差別とまでは行かないが、この村では『家柄』が未だに重宝されている。何より、幼い頃からの彼女を知っているからこそ。ひろとが一歩引かざるを得ないでいると、「関係ないじゃろ」とタツがのんびりと答えた。

「家とか、身分とか。関係ない。おぬしが彼女を想う気持ちがあるだけで良いじゃろう。」

「なんも知らないくせによく言うよな。」

 そんなこと、当たり前のように分かっている。

 少なくとも自分はあそこにいる誰よりも─────────

 ひろとは思わず棘のある口調でそう吐き捨ててから、我に返った。『しまった、』と思わず身体を強張らせるが、タツは特に怒ることなくフッと笑うと「まァ、」と笑った。

「人生二年くらいしか生きとらん儂が言えることではないしの~!」

彼の言っている意味が分からず、「はぁ??」とひろとは顔をしかめた。しかし、それ以上問うのはめんどくさくなり、ひろとは小さくため息を吐くと部屋を出ようとドアに向かった。

「あ、そうじゃそうじゃ。童~」

ふと、床に大の字になっていたタツは再びひろとに声をかけた。出ようとしていたひろとは嫌そうに振り返る。

「今度は何。」

「一つ気になったんじゃが……ここで祀っておる『水神様』とやらは、もしや『蛇』だったりしないかの?」

「え……あ、あぁ。そうだよ?なんで分かったの?」

ドアにかけていた手を下ろし、ひろとは目を丸くする。自分はまだ、『水神様』のことは話していなかった。

 タツはニコニコと笑いながら、ひろとのその問いに簡単に答えた。

「いや、何。この村、『カガチ村』と呼ばれておるじゃろ?それでもしや、とは思うたんじゃよ。『カガチ』というのは鬼灯や蛇の古称じゃったから…………そしたら、おぬしはこの祭りがなぜ七日間もやるのか知っておったりするか?」

「いや……そこまでは知らないけど……『水神様』に日頃の感謝を伝えるっていうことしか。」

素直にひろとがそう答えると、タツは「そうかぁ」と残念そうに答えた。

「……なんでそんなことが気になるんだ?」

つい、好奇心でそう聞いてみるとタツは両手の人差し指を立て、「いや~」とのんびりと答えた。

「普通の祭りというのは前夜祭と当日の祭りと二回やるんじゃが、この祭りは七日とずいぶん長くやる。感謝を伝える祭りにしてもこれはいくら何でも長すぎる……まるで、」

そこでタツは言葉を切ると、ひろとの顔を見た。

「まるで、『何かを鎮めるみたいじゃな』と思うてな。」

「何かを……鎮める……?」

「あぁ、怒りや憎悪。そう言ったものを鎮め、安寧を約束する。此度の祭りも、もしかしたら時代の流れと共にそういうふうに『良い方』に変えられたのではないかと……本当は祭りが始まった理由が恐ろしいものだったら……と、気になってしもうてのぉ」

 ニコニコと笑いながらそう言うタツに、なんとも言えない恐怖を感じたひろとは思わず、身体を強張らせた。今まで祭りの起源など地元である彼は考えたことはなかったが、もし。もしタツの言う通りだったら─────────

「………どうじゃ?少しはビビったか?」

 タツはからかうように笑う。一気に恐怖心が引っ込み、ひろとは彼を冷めた目で見て、大きくため息を吐くと外へ出た。タツは「つれないの~」と口を尖らせると、再び寝っ転がる。天井にぶら下がった電気の眩しさに目を細めてからフッと、笑みを見せた。

「ただの祭りなら良いんじゃがな……」











───続く


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