第壱章『怪異狩り』


 「ねぇ、知ってる?」と昼休み。いつも通り昼食を取ろうとしていた緋莉はふと、声のした方へ視線を向けた。緋莉の席の斜め前に座っていた女子グループが膝をつき合わせて、神妙な表情で話している。その光景は緋莉にとって見慣れた光景だった。あのグループの内の一人は、クラスで何人かはいるオカルト好きで、おそらく彼女が話し始めたのだろう。一方、他の少女達はオカルトよりも誰と誰が付き合ったとか、このドラマの俳優がかっこいいとか、このアイドルグループが……というごくごく一般的な会話を好んでいた。とはいえ、そういう噂話が苦手な質ではない。

「なになに~?どんな噂?」

「最近、ひそかに有名な『狐面の剣士』のことよ。」

緋莉は一度箸を持つ手を止め、女子グループを見る。オカルト好きの生徒に話題を振った子は首を横に振っていた。

「えぇ~知らない。なにそれ。」

「あ、私知ってる。最近小学生に人気の噂でしょ。うちの妹が通ってる小学校で有名だよ。なんだっけ………刀を持った武士みたいな格好してんでしょ?」

「そうそう。そんで耳飾りと狐のお面を着けてるの。夜に刀を携えて気配もなく現れるんだって。」

「えぇ、怖~!なに?捕まったら斬られるとかそういう?」

「いや、なんかね。違うみたいなの。これは従兄弟から聞いた話なんだけど………ほら、○○地区にさ。よく人が神隠しに遭うっていう通りがあるじゃん?」

「あぁ、あるね。赤い電話ボックスがあるとこ。よく子供が迷子になったりするよね。それで『神隠し』ってついたらしいじゃん。」

「中には帰ってこない子もいたりさ。怖いよね………」

「実はさ。そこにその剣士が現れたらしいの。だいたい一週間前かなぁ~でも、そしたらさ…………。」

きょとんと女子達は目を丸くした。その展開の異様さに驚いているのだ。スマホをいじっていた手はすっかり止まってしまっている。

「…………え?どういうこと??」

「え?なに?剣士が現れてから何も起こらなくなったってこと??」

「うん。」

「ウソ!逆に怖!?!?そこ、絶対何かいたじゃん!!」

「うん、私もそう思う。だから、小学生達の話ではそこ場にいるお化けを退治してるんじゃないかって。」

「へぇ~~!良い奴じゃん~~!!見た目は完璧に不審者だけど。」

友人の言葉に他の女子学生達は「確かに」と同意して笑った。

 すっかり食べ終わった弁当を片付けながら、緋莉は時計に目を向ける。気がつけば昼休みが終わるまで二十分ほどになっており、緋莉は息を吐いた。誰かと談笑しながら昼食を取るという文化がないせいか、この二十分はいつも暇をもて余してしまう。緋莉はいつものように何気なく、窓の外を見た。彼女の席は窓際。人目を気にすることなどない。

 緋莉の暮らす町はド田舎というわけではないが、都会というわけでもない。人通りは多いもののビルは建ち並んでいないし、それと言ってお洒落な店が多いというわけではない。しかし、生活に不便かと言われるとそれは違う。少し歩いただけでスーパーがあるし、少ないものではあるが娯楽施設もある。あながち不便な地区ではないのは確かだった。最近はやけにドラッグストアが増えた気はするが……

 ふと、緋莉は薄ぼんやりとした灰色の空に目を向けた。午後から雨が降ると、クラスの人が話していたのを聞いたが、今の緋莉が気になったのはそれではない。

 その上空に靄のような二匹の龍が飛んでいたのだ。

 おそらく『アレ』は、緋莉にしか視えないモノだろう。日本で古くからいた───今となっては幻想、妄想の存在となってしまった『妖』と呼ばれるモノだ。緋莉は幼い頃から彼らを視ることが出来る。テストも基本的に平均的で、運動神経も何事も平凡な彼女だが唯一、人と違う所があるとすれば、そういう異形を視れることが一つだろう。

 ふと、視線を感じて緋莉は空から下に視線を向けた。学校の門近くに生えた木の幹に一匹の猫が金色の瞳を緋莉に向けていた。緋莉は慌てて窓から視線を離し、次の授業の準備を始めた。『アレが見えている』と、向こうに気がつかれたら厄介なことになるのは当たり前のことだからだ。

 授業を全て終え、ホームルームも終えた生徒達は各自の部活動へ向かって行き、緋莉のような帰宅部の生徒達は仲の良い生徒と共にふざけ合いながら正門に向かって行った。緋莉は体育館から響くバスケットボール部のかけ声を横目に見ながら正門を出る。スクールバスを使って帰る者もいるが、緋莉の家はそれほど遠くはない。徒歩十分か、二十分くらいで着く。

 学校からしばらく歩いて、人の少ない通りに入った時。近くの塀から「ニャア」と鳴き声がした。見上げると一匹の黒猫が塀の上から緋莉を見下ろしている。

「………………毎回言うけど、いつも迎えに来なくて良いんだよ?クロ。」

ポツリと緋莉がそう言うと、黒猫は顔をしかめた。そして地面に降り立つと霞を纏い、突如『人間に変化した』。正確には人間ではない。頭と腰元には二本の猫耳と尾が生えている猫又と呼ばれる妖だ。

「オレだって、わざわざこうしたいわけねぇだろ。これがなきゃ家にある洗濯も掃除も倍近く進む。」

「じゃあ…………」

しかしすぐに猫又、クロは目を細めて「だがな」と緋莉の言葉を遮った。

「お前さん、帰り際に会った怪奇現象に首を突っ込まないって言えるか??」

クロの問いに緋莉は口を閉じた。しばらく沈黙して、気まずげに視線を彷徨わせる。

「……………………………………………………無理かも。」

「無理かも、じゃねぇよ!!そこは『うん』って言えや!!」

間髪入れずにクロは緋莉に拳骨を振り下ろした。身長差のせいであまり頭には届いてはないが、緋莉は額を押さえた。うずくまる緋莉の上からクロはさらに説教を被せる。

「だいたいお前はいつもいろんなことに首を突っ込みすぎなんだよ!!『オレら』がいなきゃ、お前はすぐに妖の餌食だろうが!!いい加減、自分は『ちょっと変な奴だけど一般人と何一つ変わらない』ってのを自覚しろ!!」

「ちょっと変ってなに………でも、いつも守ってくれてありがとうございます。」

「そう思うならまず怪奇現場に興味本意で行くのを控えろ!!!!後、ヤバイと思ったらすぐに呼べっつーの!!あの時だって逃げるのも大事だが呼べただろうが!!」

あの時。おそらく先日、怪異に襲われた時のことだろう。そして狐面の剣士に助けられた日だ。「あ、そのことなんだけど」と緋莉は顔を上げた。

「あの時、私を助けてくれた狐面の剣士……学校でも噂されてたよ。」

「あ?そりゃあ……あんな奇っ怪な見た目して彷徨いてたら、誰だって最初は『不審者』の印象が強いだろ。」

「それはそうだけど……」

 緋莉は帰りの道中に学校で聞いてきたことをクロに伝えた。剣士は怪奇現象の起こる場所に現れること。そして突如現れ、人知れずに姿を消した後はその場所で起こっていた怪奇現象がなくなっていること。緋莉の話を静かに聞いていたクロは腕を組んだ。

「怪異をこの前、私を助けてくれたみたいに倒してる……ってことなのかな。」

「たぶんそうだな。オレもあの近辺に行ったが、あの公衆電話は確かに『いた』。重度の構ってちゃんがな。だからあそこにはお前に行かせなかっただろ?………………理由は分からんが各地区に現れる妖を斬ってるのは確かだな。人には害はねぇってことが今の所の幸いだな。」

緋莉は妖が見えてしまい、なおかつよく妖に襲われる。それらから常に守ってきたのがクロだ。この地区では初めて見る新たな異常に、危険かどうかの対処するのも当然のことであった。あと、とクロは一度そこで言葉を切ると別の話題に切り換えた。

「前の妖の腕についてた刺青だがな。ちょっと調べてみたら近頃の妖のだいたいの奴はつけてるみたいだな。」

「え、妖にも流行りとかあるんだ。」

緋莉が目を丸くすると、クロは少し呆れながらそれを否定した。

「それが『流行り』ならマジで能天気で平和なんだがなぁ~……あの刺青は最近、ここら辺を牛耳ってる妖の群れの紋章みたいなものらしい。その群れに入ってる奴は全員どこかしらにあの紋章がある。まぁ、紋章というよりも呪いだけどな。あの刺青には他の妖力が混ざってた。おそらく組織から裏切ろうとすれば、または裏切ったら………………は言わなくても分かるよな?」

緋莉の顔を見て確認してきたクロに緋莉は顔をしかめながらうなずく。数分前に流行りなのだと勘違いした自分が恥ずかしかった。その内面が分かっているのか、クロは頭をかきながら「仕方ねぇよ」とフォローをする。

「何せ、ここら辺にいる妖は『みんなその刺青をしてんだからな』。流行りと勘違いしてもおかしくはねぇ。とはいえ、その数が異常すぎる。狐面の剣士よりもオレらはそっちを気をつけた方が良い気がすんな………家の結界も今度強めるか。」

 住宅街を抜け、周囲が雑木林が目立ってきた所に緋莉達が暮らす家があった。緋莉の祖父母が暮らしていた日本家屋で、周囲の家と比べると敷地も広く家と言うよりも屋敷に近い。近隣住民からは、この地区唯一の豪邸と言われている。緋莉はこの屋敷にクロと共に暮らしている。

「あの剣士もその刺青をしてるのかな。」

「してないだろ。してたら、この間みてぇなことはしてないだろうさ。」

「それもそっか」と緋莉はポツリと呟く。先日の光景を思い出すにあの剣士は妖達と敵対しているようだった。ならば、彼らがつけた服従の刺青はつけていないだろう。クロは訝しげに階段を上がっていた緋莉を見上げた。

「てかよ、お前さん。やけにその剣士を気にかけるな………」

「え、そ、そうかなぁ??」

しまった、と思いつつも緋莉ははぐらかした。こういう嘘は意味がないと知っていても癖でついやってしまう。案の定、クロはわずかに怒気を含ませながら緋莉を睨んだ。

「まさか。もっかいその剣士に会いたいとか言うんじゃねぇだろうな。」

何も言えず緋莉は黙り込む。その反応は図星だとクロはすぐに気がついた。「お前なぁ……!」と再び口を開いたクロを緋莉は慌てて制した。

「私はあの人を悪い人だとは思わなかったし、助けてもらったからお礼したくて!クロだって一回は会いたいでしょ!?」

「オレが会いたい、会いたくないは一回置いといて。まずお前のその『お礼がしたい』って発想をどうにかしろ!!お前さんのそのお人好しのフォローを誰がすると思ってんだ!?」

間違いなく正論だ。小さく唸りながら緋莉はクロのいつもの説教を聞く。怪奇現場に人間である緋莉が行くのは間違っているとは分かっている。だから最近は極力関わらないよう努力してきたつもりだ。出来たのは今の所、覚えているだけで数回だけだが……

(でも、なんでだろう……あの時は…………)

 あの時は『何かが違ったのだ』。人が誰しもある決して見逃してはならない瞬間のそれに近い。普通の人ならばまず気がつかないだろう。だから、どうしてもあの剣士が気になってしまう。

(どこかで会ったとかでもない。そもそも妖とでさえ知り合いになるってこと自体ないし……我ながらなんで気になるんだろう…………知らないうちにどこかで会ってる……?)

「──────オイ、緋莉。聞いてんのか?」

低い声でクロに問われ、緋莉は変な声を上げた。説教中だったと思い出し、緋莉はクロに苦笑いを浮かべる。尻尾を激しく揺らしながらクロがいつもの不機嫌そうな顔をさらに強くさせたその時。

 ふと、クロの耳が何かを捉えた。

 ハッとクロは顔を上げる。てっきり怒られる覚悟で構えていた緋莉は、様子が変わったクロに首をかしげた。その視線は屋敷の裏にある山に向けられている。クロは二、三度ほど耳を動かしてから舌打ちをした。

「いきなりなんだよ………………………オイ、緋莉。独りで家から出んなよ!!」

「え?………え!?ちょっと、クロ!?」

走り出したクロに緋莉は慌てて声をかけるも、クロは無視して裏山に向かって行ってしまった。慌てて後を追いかけるがそこはすでに誰もいない。クロは足が速い。今さら追いかけることも難しいだろう。

「えぇ………なに……?」

ため息を吐いて、緋莉は仕方なく家に戻る。ふと、空を見てみると雲の厚さは強まっている。実に冬らしい空模様ではあったが先ほどのクロの様子といい、緋莉は微かな不安を感じた。










 遠くで雷の音がする。

 それに気がついた男はゆっくりと顔を上げた。頭の横につけていた狐の面をつけ直す。現代には不釣り合いな着物と袴。寄りかかるように抱えていたのは一本の日本刀。濡鴉のような黒髪を一つ縛りにし、耳に金属製の耳飾りをつけている彼は間違いなく、近頃密かに噂されている狐面の剣士だ。男はしばし外の方を見つめてから、目を細めた。彼がいるのは山奥にあった廃神社だ。管理する者も、そこにいるはずの神もいないので、前までは怪異が棲みついていた。前までは、である。今は男が怪異を斬り倒した後、体を休めるための休息地にしている。

 男は刀を差し、社の外へ出る。手入れのされていない鬱蒼と茂った雑木林が広がっている。参道に下り立ち、男は雑木林に目を向けた。



──────────────何かいる。



 風がないのも関わらず、木々がざわめき立つ。空気が異質なものに変化していく。しかし、男は戸惑うことはなかった。

 暗闇だと思っていた場所には気配があった。木々を揺らしていたのは彼らだと男は刀に手を触れながらポツリと思う。角のある者、目が複数ある者。中には人の形すら保っていないモノもいる。無数の異形の群れが男を取り囲んでいた。そして、彼らの身体の一部には最近よく見かける虎の刺青があった。

 男は妖達を横目に見てから、再び目の前の暗闇に目を向けた。これほどの数の妖に取り囲まれても男の空気は揺らぐことはない。水流のように静かで落ち着いていて、しかしその瞳は冷たい殺気を纏っていた。

 しばらくしてから、暗闇で声が聞こえた。

「─────────へぇ?周りの雑魚じゃなくて『』に目を向けるか。」

枯れ葉を踏みしめる音を響かせ、一人。男が現れた。剣士と同じように着物と袴であるが片肌脱ぎをし、髪は橙色の混じった茶髪。前髪をかき上げており、頬にされた隈取りと耳や首元にかけられた装飾品を見る限り、洒落好きなのだろう。剣士が静寂を表すのであれば目の前の男はその反対側で、金色の瞳からは獰猛さが隠し切れていない。

 何よりも目を引くのは、男の背に背負われた身長以上ある大剣と、額にあった二本の角張った黒い角だった。妖の中ではよく知られる『鬼』だった。剣士は一目見て彼がこの群れの長だと分かった。彼から感じられる妖気が周囲の下級妖と比べると段違いだからだ。

「お前が噂の『怪異狩り』か………嬉しいねェ、なかなかの手練れだ。」

鬼は目を細め、軽くストレッチをしながらそう呟いた。周りの妖達から微かに殺気と嫌悪感が漂っているが、鬼はそれを気にすることはない。というか、興味すらないように見えた。

「てめぇの噂は前々から聞いていたぜ。雑魚共が毎回騒ぐから嫌でも耳に入る。だから一回、殺り合ってみたかったんだよ。まさか、俺様のナワバリの中で会おうとはなぁ?そこの神社を棲みかにしてたのか?どっちにしろ俺様は運が良い。」

そう楽しそうに言う鬼は、まるで子供のようだった。周囲の雑兵のざわめきは大きくなっていくが、誰一人と二人の間に入らなかった。『入れば主に殺される』と分かっているからだろう。どちらが勝つのか、密かに賭けるモノもいた。向けられていた視線はやがて、好奇心に変わるその流れでさえ、剣士の空気は静かだった。

 一向に喋らない剣士に鬼は痺れを切らしたのか。上機嫌だった顔からとたんに不機嫌そうに顔をしかめた。

「人形みてぇな奴だな~………なんか喋ったらどう────────」

 鬼が言い終わることはなかった。ゆらり、と微かに剣士が身動きをしたかと思ったその瞬間。



 剣士は突如、姿を消したのだ。



(逃げた?───────いや、っ、)

 ハッと鬼は息を飲むと、考えるよりも先に素早く上へ跳んだ。入れ換えるように先ほどまで鬼が立っていた位置に剣士が滑り込み、刀を振り上げた。斬撃と共に枯れ葉が舞い、近くにいた妖は悲鳴を上げながら傷口を押さえていた。剣の一振りした時の風圧でさえ、剣士にはやろうと思えば傷も作れる。

 地面に降り立った鬼はふと、自身の足に違和感を感じた。目を向けると足の皮膚がばっくりと切れている。

 怪我???

 一瞬、理解が出来ず鬼は目を丸くしたまま振り返った。剣士は刀を持ち直し、振り返る。その剣先には赤い液体、紛れもなく自分の血がついている。

「………………………………へぇ。」

思わず鬼は笑みを浮かべた。傷をつけられたという怒りではない。そんなことで怒るようなモノは下級の証拠である。傷をつけられた際に怒りよりも『喜んだ』モノが、強者の証拠だった。誰一人、自分に傷をつけるモノがいなかったのだから、こうして彼が歓喜するのは至極全うな反応である。剣士は再び刀を構えると走り出した。

「いいねぇ………………そうこなくっちゃァなァ!!!!」

指の骨を鳴らし、鬼は大剣の柄を掴むと迫り来る剣士に躊躇うことなく振り下ろした。剣同士がぶつかり合い、火花と共に甲高い音を響かせた。大剣の重量と衝撃で地面が割れる。太刀を合わせるにも押し潰されないでいる剣士が不思議なものだが、その違和感に鬼はまだ気がつかない。

 軋む音に剣士は顔をしかめた。

 刀が持たない────────────!

 このまま、刃を受け続けていたら折れる。そう判断した剣士は素早く刀を傾けて大剣を受け流して距離を取った。刃から滑り落ちた大剣は地面に突き刺さり、大地を割る。重量のある剣を地面から引き抜くのは時間がかかるはずだ。剣士はその隙を突こうとしたのだ。しかし。

「逃がすか!!」

 鬼は『地面ごと剣を振り上げた』。

 剣士は隕石のように降り注ぐ土の塊を時に刀で斬りながら避ける。その合間を縫って、鬼は距離を詰めると躊躇うことなく拳を突き出した。反射的に剣士は太刀で防いだ。素手で受け止めているせいか、鬼の拳からは血潮が飛ぶ。しかし、損傷は少ない。おそらく直前で拳に力を込め、刃が入る深さを少なくさせているのだろう。かすり傷程度ならば、妖にとってすぐに治る。

 攻守を変えながら、鬼と剣士の斬り合いが始まる。剣士の太刀筋は無駄な所がなく、そして動きも鬼と比べると素早い。そして『どうしたら殺せるか』が分かっているため、攻撃の手が止まることはない。少しでも気を抜けばすぐに首を獲られる。しかし、それは鬼の攻撃を防ぐ剣士とて同じだった。どちらか一方に専念しようとすると一方に粗が出る。しかし、大剣を振り回し、時に体術で応戦する鬼には油断も隙もない。拳で刃を常に受け止めることも並み大抵の妖が出来る技術ではない。

 この鬼は『殺し合い』に慣れすぎてる。

 鬼の攻撃を刀で受け止めて、剣士は一度距離を取る。鬼の方は一度攻撃の手を止めた。未だに二人とも傷一つない。一人は警戒を強め、一人は歓喜する。両者ともこれほど長く刃を交えることをしたことがなかった。

。今まで感じたことなかったぜ……………なァ、おい。お前名前なんて言うんだ?」

ふと、殺気を緩めて鬼は剣士に問うた。

「てめぇが死ぬ前に名前を聞いておきてぇんだよ。後から先、俺様を殺しかけた奴として強い奴の名前は覚えておきたい…………そういえば今の所、俺様を殺しかけた奴って何人くらいいるんだろうな?」

「…………殺し『かけた』奴ではない。」

 ポツリ、と声が聞こえた。剣士が初めて言葉を発したのだ。その場にいた誰もが一瞬だけ、その声の主が分からなかった。静かで落ち着きのある声、しかし氷のように鋭く冷たい、淡々とした声だった。剣士は刀を鞘に納める。鬼が不思議そうに顔をしかめたその瞬間、剣士は指を組み合わせた。

(『あれ』は………!!)

 鬼が目を丸くした瞬間。足元から木の根が地面から飛び出すと、鬼の四肢に巻き付き拘束したのだ。突然の出来事に妖達がざわついた。

 突然のことで身動きが出来ない。しかし、剣士はその一瞬が狙いだった。

「俺はお前を『殺す』者だ。」

素早く間合いを詰め、その首筋に向かって刀を振り上げる。

 獲った、とその場にいた誰もが思った。

 ただ一人を除いて。

。」

 目を細め、鬼が指を鳴らしたその瞬間。剣士が横に吹き飛ばされた。受け身が取れず無様にも地面を転がる。なんとか態勢を立て直してから、剣士は自身の脇腹に目を向けると臙脂色の着物に赤黒くシミが出来ている。

「っ…………、」

「ハハッ!胴を貫くつもりだったんだがな。直前で身体を反らして避けたか。」

 剣士は顔を上げ、鬼を睨む。いつの間にか赤い錐状の物がせり上がっていた。うっすらと感じる臭いからそれが血だと言うことが分かる。では、誰の血か。言うまでもないだろう。鬼は剣士の太刀を素手で受けていた。その時に飛び散った血が、鬼の妖力に反応して槍のように剣士を刺したのだ。

「だが、残念だな。今の『血錐』で致命傷を避けたつもりだろうが────」

自身に巻き付いていた木の根を引きちぎり、鬼は剣士に鋭い蹴りを叩き込んだ。腕でガードをしたとはいえ、剣士は派手に吹き飛ばされた。

「『一発でもかすれば』こっちのもんだ。」

剣士は背中を派手に打ち、思わず咳き込む。理由は分からないが、足は震え、なぜか身体が重い。防いだ右手は先ほどの蹴りの力に耐えられず、ボロボロになっている。

 しかし、剣士はここで退くわけには行かなかった。

 剣士はなんとか立ち上がり、迫り来る鬼の攻撃を刀で防いだ。片腕が潰された今、刀を振る力は半減してしまっている。出来ることは攻撃を捌くことしか出来ない。そしてそれをすれば、鬼の血錐が剣士を狙う。地面のどこに剣士が傷つけた際に飛び散った鬼の血があるかも分からない。それが危険だ。鬼の攻撃は単純な喧嘩殺法かと思いきや、時にその血錐で攻める奇襲技をしてくる。見かけによらず器用な技を使う。圧倒的に剣士の不利だった。

 言うことの聞かない身体を無理やり動かし、剣士は鬼の拳を上に弾いた。身体が大きく反れ、隙が生まれる。剣士が素早く胴に太刀を入れようと横に薙いだその時。

 二人の間から血錐が飛び出した。

 刀は真っ正面での打ち合いには強いが、刀の側面から受ける攻撃には弱い。剣士は地面に刀を水平にしていた。その側面に血錐が当たり、刀は音を立ててへし折れた。

 剣士が驚くのもつかの間。「終わりだ」と鬼は呟いて指を鳴らした。それに応えるように地面から出現した血錐に剣士は四方を突き刺しにされた。

「俺様の勝ちだな。」

冷めた表情でそう言って鬼は再び指を鳴らすと、身体を貫いていた血錐が解けた。張り付けにされていた剣士は地面に倒れた。

 長い勝負は呆気なく終わってしまい、周囲の妖達はざわめき立つ。負傷してもなお長く鬼と太刀打ちしたことに驚く者もいれば、『それでもこの鬼には勝てないか』と思う者もいた。それは落胆にも近い。

 この鬼を殺せる者は誰もいないのか、と。

「…………弱いな、俺様の攻撃を食らっても動ける奴だから期待はしたが……。」

つまらなそうにそう鬼は呟く。もうその目は剣士を見ておらず、どこか遠くを見つめている。もう用は無いと言いたげに鬼が剣士に背を向けたその時。

 倒れていた剣士の身体がわずかに動いたのだ。

 鬼は目を丸くして振り返る。立ち上がれないのか。もがくように地面を這いながら剣士が傍らに落ちていた刀を握りしめた。全身を血錐に突き刺され、血みどろになっていながらも息があるのだ。肺も刺され、息もまともに出来ていない。そんな状態で生きてるのは、人でも妖でもおかしい。

「……お前、何者だ?」

 ひび割れ、かけた面から男の殺気の籠った瞳が見える。それに圧されるように無意識に鬼は問うていた。

 その『違和感』に鬼はゆっくりと気づいていく。

「お前、あの時見せた印はどこで覚えた?あれは平安術者が使ってた『陰陽術』だろ。今の祓い屋共で出来る奴はいない……」

 刀を振っている中、男の息が上がっている様子もなかった。素早さは人間以上の速さだった。何よりも現代で覚えている者はいない『陰陽術』を使う。即死してもおかしくない怪我であるのにこうして自分を殺そうともがいている。



 この男は何者だ?



 身体中に激痛が走り、眩暈がする。息も上手く出来ない。手足の感覚はほとんど無いに等しい。しかし、それでも男は目の前の鬼を斬るつもりでいた。

 ここで退くわけには行かない。

 コイツはどの妖よりも危険だ。

 ここで自分が逃げて、敵を逃がすわけには行かない。



 昔のようなことを起こさない為に─────



「……………………ま、死にゃあ関係はないな。」

 鬼は思考を切り換え、男の頭蓋骨を潰そうと拳を振り下ろす。男は男でどうにかして、刀を持った腕を持ち上げようとしたその時。男の視界の隅で何かが動いた。

 そして、鬼の背後から何かが投げ込まれた。

 気配に気がつき、鬼は男を放って投げ込まれたそれを反射的に振り払った。その時、それについていた留め具が鬼の爪に引っかかり、軽い音を立てて外れる。投げ込まれた『それ』を確認して鬼は目を丸くした。

 『それ』はプラスチック製の手榴弾だった。

 とはいえ戦場で見るような本格的なものではなく、よく店で売っているようなおもちゃの手榴弾である。

 鬼は人里に下りることはあれど、人間の習慣には興味はない。だから、投げ込まれた手榴弾が『どういうものに使う物なのか分からなかった』。留め具が爪に引っかかり外れたそのすぐ後。手榴弾が大きな音を立てて爆発した。

 白い煙が一帯を覆い、視界が塞がれる。鬼は思わず顔を腕で覆った。あちらこちらから「いてぇ!!」や「目が染みる!!」と下級達の悲鳴が上がる。おもちゃの手榴弾を改造して手製の爆弾を作ったのだろう。

 しかし、『誰』が?

 鬼の背後でガサリ、と微かに音が聞こえた。鬼は素早く音のした方へ血錐を出現させる。その風圧で鬼の周囲の煙は晴れたが、そこには誰もいなかった。

 倒れていた怪異狩りの姿もそこにはなかった。

 忌々しげに鬼が舌打ちをすると、その後ろから「大将」と声がかけられた。着物を身に纏って口元を布で隠した二人の少女の妖がそこには立っていた。

「この煙、私達に効く毒みたいね……大丈夫だった?」

ややつり目の少女の妖が鬼に声をかける。鬼は機嫌悪いのか、つり目の妖を殺気を込めながら睨み付けた。

「俺様にこの程度の毒が効くと思ってんのか?」

「いえ、全く」とつり目の妖はあっけらかんと答える。余計な口を出すなと言うように鬼は顔をそっぽに向けた。雑兵には効いただろうが、鬼にはその体質故か効かない。

「怪異狩りがいないわ。」

ふと、つり目の妖のそばに立っていた少女の妖がポツリと呟いた。つり目の妖とは対称的で、癖のある短い黒髪にたれ目が特徴の妖だった。

「どっかの雑魚が俺様の喧嘩に横槍を入れて来やがったんだよ。当たり前なことを言うんじゃねぇ。」

「怪異狩りはあの怪我よ。あのまま放っておいても死ぬと思うわ。でも、確認しないことには意味はないわね………どうするの?『景虎』」

 名を呼ばれた鬼、景虎はしばらく無言で剣士が倒れていた場所をつまらなそうに見つめていた。やがて回れ右をすると、「どうでもいい」と二人の妖の横を通り過ぎた。一度も二人の妖を見ることはなかった。

「そこで死ぬならそいつはってだけだ。勝負には俺様が勝った。それだけありゃ後はどうでもいい。興味はねぇ…………だが、」

一度そこで言葉を切ると、殺気の籠った目でようやく二人を見た。

「俺様の喧嘩に横槍を入れて来た奴は殺せ。」

「えぇ、分かっているわ。」

つり目の妖は右手を上げる。すると背後にいた三匹の妖が笑みを浮かべながら山の斜面を下って行った。つり目の妖はその様子を横目に見て笑みを浮かべる。すると、隣にいたたれ目の妖がポツリと呟く。

「…………黒芭。よりにもよって……」

「必要なければ、『使うことはない』から良いのよ。でも、果夢惟。正直、あなただってどうなるのか面白そうじゃない?」

ニヤリと笑うつり目の妖の言葉にたれ目の妖は同じように微笑みを浮かべて目を閉じた。答えは言わずとも分かっているだろう。


















 懐かしい夢を見る。

 もういない、かつての友がいつものように紙と筆を持ち、花の咲き誇る庭と向き合っている。時には術について書かれた書物を読み、時には楽器を奏で、時には愛おしい者への手紙を書く為に長考する。

 この悪霊、怪異の蠢く時代には似合わないゆったりとした平穏の日々だった。

『昔、僕がここに来る前に暮らしてた所で、ある人から言われたんだ。』

庭の花を描きつつ、友はポツリと話し始める。出会った時から絵を描くのが好きな奴だったと、今になって思う。友が自身の生い立ちを話すことはめったにないので、あの時は初めて驚いたのをよく覚えている。

『外に出て学び、様々なことを人と出会って生を歩む。そうしていくうちに『自分』という個を持つことが出来るってね。』

 なぜ、それを今言ったのか分からなかった。そう思う俺に気づいたのか、友は微笑み「ふと思ったんだ」と呟いた。

『君はなんの為にその刀を振るうのかって。確かに僕が君にそうしろと言ったけど君にとってはそれだけじゃない。それが気になったんだよ。正直な話、僕はまだ何も感じない。』

遠い目をして、友は筆を持つ手を止めた。

『人が呪いを受けようとも自業自得だと。評価にかまけ、堕ちていく者は滑稽に思うしくだらないと思う。どうしても醜い所しか出せない。』

どれほど美しい絵を描こうとも、どれほど静けさに満ちた平穏の日々の中にいようとも、友の中にあるものは消えることはなく、泥のようにへばりついている。でね、と友は再び俺に苦笑を向けた。

『その生の最期にもう一度問うとその人は言ったんだ。でも、結局僕の中ではこの結論しか至れない気がする。でも君はどうなのか気になったんだ。君は僕よりも僕達を見ているからね。』

 そんなことはないと俺は呟く。

 友はその時代の終わりに命を落とした。自身が嫌っていた大勢の人間を守って死んだ。守った理由は明白だった。唯一、愛した……愛することの出来た者を守るためだ。

 だから。

『────、どうか─────────』










 俺は、その意志を受け継がなければならないのだ。











                              〈 続 〉

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