第33話:全てを奪還せよ

 ベッドの脇から、剝界は寝息を立てるフラクを見つめた。

 まだ躰も本調子ではない中、長々と剝界の話に耳を傾けてくれた。


「ありがと、マスター」


 自分の身の上話なんか聞かせてしまったが、カノジョからは同情も憐憫もなかった。

 瞳を閉じるまで、フラクはただ一言だけ「そうか」と……

 しかし、それが剝界には心地よかった。

 今さら気休めに優しい言葉だけを掛けられても、どうしようもない。過ぎ去った時間は戻らず、自分がひとではないモノに変わった事実も、失敗作として使われることなく廃棄同然に放置された過去も、消えはしない。


 でも今は、自分を握ってくれる相手がいる。それだけでいい。冷たい金属に囲まれた、無機質な部屋で孤独な時間を過ごしてきた。


 何年、何百年、何千年……


 最初こそフラクに置き去りにされそうになったが、今はカノジョも随分とこちらを気に掛けてくれる。フラクの過去に触れて、心を打ち明けてもらったあの日から、互いの中で相手に対する感情に変化が生じたのを感じていた。


 もうすぐ日が昇る。


 フラクの傷は、表面的なものはそのままだが、魔剣によって貫かれた致命傷だけはほぼ回復している。

 さすがは神剣のナノマテリアルボディと融合しているだけある。並の武霊契約者なら一ヶ月は身動きさえとれないだろう。回復用のナノマシンとの親和性が非常に高い。加えて、通常の肉体では急激な躰の回復に体力が全て奪われ、衰弱死していることだろう。

 なるほど、剝界の鞘の力を使って疲労感だけで済んでいた理由はそこにあったのだ。


 そして……


 ここまで回復した今なら、きっと主人の中にいる『カノジョ』と真正面から対峙できるはず。


「もう一回だけ、先輩あんたの中に入らせてもらうわよ」


 これからすることは、相手の……神剣『不落』の承認なしには実行できない。


「喧嘩になるかもしれないわね」


 それでもいい。全ては使い手であるマスターのため。


「――接続リンク……複製神経ダミーニューロン構築、完了……コード【不落】の自我領域パーソナルコアへのアクセス承認を申請…………ここではじいたりしたらぶん殴ってやるんだから」

 

 剝界からうっすらと金色の燐光が浮き上がり、フラクの左胸に手を添える。

 触れた箇所から光が吸い込まれていく。


「対象の申請受諾を確認……同期……完了」


 剝界の意識は現実からデジタルコードへと変換され、フラクの体内に埋め込まれた不落の核へと進入した。


 ――接続した不落の心象空間パーソナルスペースは、自然の中に建つ一軒の屋敷だった。


 しかし見上げる空は現実世界で見るそれと全く異なる様相を呈している。

 幾つもの立方体モノリスが地上へ向けて伸びていた。

 光沢のある表面にはまるで血管のように文様が走り、その中を無数の光が縦横に移動している。


 剝界は屋敷へと目を向ける。

 真っ直ぐに伸びた通路を囲むように広がる庭園。その先に見えるテラスに、安楽椅子に揺られるひとりのジョセイを見つけた。


 瞳を閉じ、腕の中に男の子の人形を抱いている。

 剝界は庭園の中を進み、カノジョの下に近付いた。


 すると、閉じられていた瞳がゆっくりと開き、空色の瞳と目が合う。カノジョは柔和な笑みを口元に湛え、美しい銀色の髪を揺らした。


 ――似ている。


 現実世界のフラクと。瞳の色や髪色こそ違うが、その顔つきはまるで生き写し。

 当然だ。今のフラクはカノジョのボディを構成するナノマシンによって肉体を維持している。


 おそらく、失われた元の肉体が多すぎたのだ。

 もはや、内臓をナノマシンで補完するだけでは足りないほどに……今のフラクは、本当に人間といえるのか、思わずそんなことを考えてしまう。


「こんにちは」

「ええ」


 声も、フラクと同じ。

 しかし纏う雰囲気は全くの別物だ。

 それでも、剝界はカノジョの纏う空気に覚えがあった。

 アリスとの等級試験で、フラクの様子が一変した時のことだ。


「初めまして……じゃないわね」

「ええ。三回目よ」

「そうね……それで、あなたはここへ何をしに来たのかしら?」

「白々しい。どうせここから聞き耳立ててたんでしょ」

「人聞きの悪いことを言わないで。わたしはただ、あの子を見守っているだけよ」


 同じ主人に仕える神剣同士。しかしその空気はお世辞に和やかとは言い難い。


「あんた、なんで今回は表に出てこなかったの? 前みたいに、あんたがマスターの意識と同期してわたしを使っていれば……マスターがあれほど傷付くことはなかった」


 非難の目を向けられたカノジョ……神剣『不落』は人形を抱く腕に力が入った。


「本当は、わたしもそうしたかった……でも、魔剣から発生した変異触媒の中心にいたあの子を、メタモルバグに変異させないためにはどうしても中和にリソースを割くしかなかったの」


 エンティから溢れた黒い靄……変異触媒は空気感染でも体内に侵入してくる。基本的に、武霊契約者は契約している神霊や聖霊の力があるため魔過や呪形者からの変異触媒感染を気にするほぼ必要はない。

 しかし、魔剣から発生した変異触媒はそうもいかない。

 神剣や聖剣の中和能力を上回る速度でナノマシンを常に変異させてくる。それに対抗するためには常に中和プログラムを更新する必要があり、遺跡で不落は表に出てくる余裕などなかったのだ。


「まさか、エルちゃんが魔剣を持ってるなんて思ってもみなかったわ」

「そうね。それが分かってたら、絶対にマスターを研究施設なんかに入れなかったわ」

「……それでも、あの子は妹のために無茶をした気がするわね」


 剝界はその言葉になにも返せなかった。

 仮に最初の段階から魔剣の存在に気付けていたとしても、フラクを本当に止められたかは分からない。

 カノジョは口でいうほど非常になりきれず、お人好しな面がある。


 今も、自分の身を顧みず、エンティとアリスを救い出そうとしている。


「はぁ……そろそろ無駄話はやめましょう」


 ここに来た目的は、戦闘に参加できなかった不落を糾弾するためでも、ましてや反省をしにきたわけでもない。


「不落、あんたの協力が必要なの。マスターが、勝利を手にするために」



 ・・・



 早朝……

 胸の傷はほぼ塞がった。うっすらと傷跡は残っているが、戦うぶんには問題ない。

 姉の躰をここまで傷つけてしまった罪悪感に苛まれる。

 しかし、今の自分が心を砕くべきなのはもっと別のこと。


「行くか」


 制服に袖を通し、二振りの剣を腰に佩く。

 生徒の姿のない校舎を進み、正門前まで出る。


 すると、


「おはようございます、レムナス様」

「おはようございます。こんな朝早く、どこへ行くつもり?」


 正門に、ティアーとベスティリスが立っていた。

 まるで、フラクがここに来ることを予期していたかのように。


「お嬢様たちの件は、騎士隊の方たちから聞いております……先日の戦闘で、致命傷を負って……そのまま……」


 ベスティリスが目を伏せる。

 おそらく、スチーリアたちからことの顛末を聞き届けた際、最悪の場合を想定した報告を受けたのだろう。

 眠れていないのか、目が僅かに充血している。


「まだ、あいつらは生きている」


 姉妹はフラクの言葉に顔を上げた。


「それは、例の手紙の件ですね」

「ああ」


 知っているのか。ベスティリスのとなりで、ティアーがスカートを握りしめる。普段ほとんど表情を変えない彼女が、この時ばかりは怒りに震えている。

 フラクも彼女の感情に共感を覚えた。手紙はすぐに燃やした。幼馴染の血で書かれた手紙など、手元に置いておくだけで吐き気がする。


「フラクちゃんがもし目を覚ましたら、きっとすぐにでも行動を起こすと思ってたけど……本当に、行くつもりなの?」


 フラクは頷いた。


「俺は行く……行かなきゃならないんだ」


 すると、ティアーがフラクの前に出てくる。


「死ぬかも、しれませんよ。今度こそ、本当に」

「それでもだ」

「あれだけ、他人のことなんかどうでもいいとか言ってたのに、ですか?」

「他人じゃない。二人は、俺にとって……家族だ」


 その想いに偽りはない。


「帰って、来るんですよね?」

「ちゃんと、お前たちの主を、無事に送り届ける」

「レムナス様は、帰って、来ますよね?」

「可能な限り、善処する」


 正直、生きて帰ってこれる保証はない。相手はこれまで戦ってきた呪形者とも遺跡獣とも全く異なる存在だ。

 加えて、ヴァイオレットがなにを企んでいるのかもわからない。その目的も、本当の実力も、なにひとつ。

 唯一こちらが持っているのは魔剣についての情報だけ。それがどれだけ戦いに有利に働くか……


 ハッキリ言って、生きて帰ってこれるか以前に、全滅する可能性の方がはるかに高いと言えた。

 だが、それを考慮したとしても、フラクはここに留まるつもりはなかった。


「本当は、行かせたくありません」


 ティアーの目に、珍しく涙が見えた。


「もし、お嬢様だけでなく、レムナス様まで失うことになるかと思うと、素直に見送ることなど、できるわけないじゃないですか……」


 まるで縋るように、制服を握ってくるティアー。

 フラクは彼女の肩に手を添えて、久方ぶりに無理やり笑みを浮かべてみせた。


「大丈夫。俺は、強いから」


 これまでずっと、自分を弱者と言い続け、全てから背を向けてきた。

 しかし、今はそんな『甘え』は許されない。


「奪われたなら」


 そうだ。


「奪い返すまでだ」


 自分の持てる力の全てを掛けて、全てを奪還する。

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