第32話:武霊兵装

 神霊や聖霊と呼ばれる存在は基本的に契約者を補助アシストする役目を持った知能体を指す。

 同時に、契約者は体内に、神霊・聖霊を構成するナノマテリアルボディとは別のナノマシンを注入し、細胞と癒着。遺伝子構造DNAを読み取り生体認証が行われる仕組みだ。これにより契約者以外が武霊兵装を使ったとしても真価を発揮することはない。


 また、体内のナノマシンが契約者の身体機能の強化、治癒の役目を担う。

 いわば、武霊契約者は神剣や聖剣と半融合した状態といえる。

 しかしそれには当然肉体的な負荷が掛かる。かつて神剣『不落』がすぐにフラクと契約しなかったのはこのためだ。


「でも、神剣はそれに加えてナノマシンが肉体に適合できるかも問題になってくるわ。仮に無理やり契約しても、ナノマシンと肉体が拒絶反応を起こして自壊……ドロドロに溶けて原形を留めることはできない」


 健康的な肉体であれば比較的契約が容易な聖剣に比べ、神剣はその破格の能力と引き換えに契約できる者が非常に限られている。

 遺伝的、神霊の元となった人間と近しい者……近親者であればあるほど適合率は高いとされている。


 そして中には、フラクのように神霊の素材に使われたナノマシンとそもそも相性がいい稀有な人間も存在する。


「だから、不落も自分のボディを使ってあんたの肉体を維持しようなんて思い切った行動に出たのかもね」


 しかし、 契約時に注入される独立したナノマシンとは異なり、神霊のボディを構成するナノマシンの制御には『核』の存在が必要不可欠だった。


 呪形者……メタモルバグに要となる核が存在するのと同様に、神剣、聖剣にも核が存在している。


「わたしの場合は――これ」


 剝界はひとの姿をほどいて神剣の姿となった。

 空中に浮遊した純白の剣。柄に埋め込まれた蒼い宝玉が、剝界の声に合わせて明滅する。


『この、蒼い石にわたしの記憶と意識がデータ……ええと、人間だった頃の複製、みたいなものかな。それが入ってる感じ』


 剝界はどうにか現代人に伝わるよう言葉を選び説明を続ける。


『この核が無事なら、たとえ本体をバラバラにされてもわたしたちは自己修復が可能よ』


 原理としてはメタモルバグと変わらない。核によるナノマシンの制御が生きている限り、神剣・聖剣は周囲の物質を取り込んで破損個所を自己修復することができる。

 逆に、核が破壊された剣はただの鉄の塊となり、色を失って機能が停止。その際、ナノマシンは核に寄らない機能として安全装置による刃の無力化……周囲を全てバリアで覆ってしまい、何物も傷つけることができなくなってしまうのだ。

 それがウツロの正体、神霊や聖霊が失われるとは、すなわち核の消失を意味している。


 剝界は再びひとの姿に戻った。


「マスターの持ってる、もう一本の神剣……見たところ完全に機能停止してるみたいな感じだけど……本来なら能力も武器としての機能もなにもかも使えなくなるはずなのに、それは。本来ならありえないことだわ」


 ナノマシンは基本的に人体に害を成すことができないよう設計されている。組み込まれた人工知能AIが自身の制御化を離れた武器から殺傷能力を奪うってしまうのはこの設計のためである。

 メタモルバグに組み込まれたナノマシンも、実際は他者を害するのではなく、進化を促す、という指令で動いているため、結果はどうであれ設計通りに稼働しているといえる。


 未成熟な人工知能に、物事の善悪など判断できるはずもない。


「でも、その神剣は中途半端に武器性能が生きているわ。それは核が完全に破壊されていないから……いえ、正確に言えば、外側ボディから離れてしまったから、と言えばいいかしらね」

「どういうことだ?」

「さっきも言ったけど、マスターは神剣、ひいては神霊の躰構成するナノマシンと融合することで生き延びた。でも、失われた肉体や内臓の機能を維持するためには『核』の存在が不可欠よ」


 つまり、


「あんたの中には、神剣・不落の意識を宿した核がいまだに生きていることを意味するわ」

「っ!」


 フラクは思い至る。これまで、自分の中で確かに姉の存在を感じることがあった。


「核があるのは、たぶんここね」


 剝界が触れたのはフラクの左胸……心臓の位置だった。


「危なかったわ。もしもこの前の戦いでここを貫かれていたら、間違いなくマスターは死んでたわ」


 そして、納得でもあった。

 なぜフラクが魔剣から変異触媒を直接注入されたにも関わらず、ひとの姿を維持できているのか。

 仮に、あの黒い触手からの感染であれば、第二世代型の聖剣までならその機能を全て変異触媒の中和に回すことで、メタモルバグへの変異を抑えることができる。

 

 しかし、魔剣ともなれば話は別だ。

 あれはメタモルバグの体内に存在する半自立化してしまったナノマシンすらも制御下に置いてしまう。

 本来は肉体の負荷を考慮してナノマシンは徐々に変異させていく工程を踏むが、魔剣はそれを無視して加速度的に対象を変異させてしまうことが可能だ。


「でもその躰には神剣の核が埋め込まれているから、魔剣の干渉から守られたって感じ。あとは、どうにかあの場を離脱してわたしも一緒に変異触媒を中和したわ。今は完全にカノジョに任せてるけどね……さすがに別の神剣の核に干渉しすぎるとわたしも消耗しちゃうから」


 フラクは「そうか」と剝界の手の上から左胸に触れた。

 ドクンと脈打つ感覚。フラクはまたしても、カノジョあねに助けられたのだ。


「姉さんが、生きてる」


 フラクの目に涙が浮かんだ。同時に、時おり夢でカノジョと言葉を交わしたことを思い出していた。

 あれは、本当に姉の意識と対話していたのかもしれない。


「マスターの中に別の神剣の存在があることが分かった時は本気で驚いたわ。同時に、確信した」


 剝界は表情を歪める。


「あんたの目的達成は容易よ。体内の核を取り出して、神剣に戻せばいい……本当にそれだけ。でも、そうなれば制御を失ったナノマシンは活動を停止して」

「俺は死ぬ」

「ええ」


 本当は、話したくなかった。

 フラクがずっと追い求めていた解決策はあまりにも単純で、実行しようと思えばすぐにできてしまえる。


 剝界は怖かった。


 もしも今、フラクが自分の心臓を貫いて、核を抉り出すようなことがあれば……


 しかし、


「あんがい、あっさりしたものだな……」

「マスター?」

「あれだけ望んでいた解決方法が、こんな簡単に提示されて……正直、笑えて来る」


 フラクは自虐した。その内心を、剝界はよみとることができない。


「でも俺は……俺の責任を果たす前に、それを実行するわけにはいかない」


 フラクは剝界を真っ直ぐに見つめた。


「俺には、やるべきことがある」

「そう、ね」


 捕らわれたアリスとエンティを救い出すこと。

 仮に今この場で姉に全てを返したとしても、神剣であるカノジョは使い手がいなくてはその力を発揮することができない。


「俺はもう、二度と失わないと決めたんだ」

「じゃあ、死んでる暇なんか、ないわよね」

「ああ」


 剝界はどうにか表情を取り繕った。

 今は、まだカノジョに生きる意味がある。

 しかし、もしも二人を無事に助け出すことができたなら……カノジョは……


「でも、今のままじゃ、あんたはあのイカれたオンナには絶対に勝てないわ」


 なにせ相手は魔剣。ただの武器が通用することはない。当然、核の消失で能力を発揮できないウツロや、抜けない神剣ではそもそも話にならないのだ。いや、それ以前に、


「たぶん、仮にマスターがわたしを抜けても……わたしの力じゃ、アレには勝てない」


 剝界の能力は物体や肉体を構成する組織を極限まで分解し疑似的に空間跳躍を可能にしたり、触れたモノの構成を一時的に破壊してすり抜けることができる。それは鞘の力にも応用されている。


「でも、わたし……わたしは……」


 剝界は服の裾を握って、下を向いてしまう。


「神剣の中じゃ、不良品だから……きっと、あの魔剣の護りを、突破できない。ううん、それ以前に」


 ――わたしは、メタモルバグのバリアも無効化することができないの。


 カノジョは俯くように、語り始めた。



 ・・・



『欠陥品だな』


 神剣としてその身を捧げたショウジョに、研究者たちが放った言葉はあまりにも冷たかった。


『出力が安定していません』

『能力自体は破格なのですが、強さにばらつきがみられます』

『最大出力で能力が発動した際は、理論上であれば魔剣の発生させる拒空領域にも干渉できるほどですが……』

『最低値では、通常個体のメタモルバグの拒空領域の中和さえできていません』

『ポテンシャルはあるかもしれませんが』

『失敗だ。これだけ出力に大きな振れ幅があっては、実践投入など到底不可能だ』

『では、』

『本機は凍結するしかあるまい』


 凍結……つまりは、廃棄ということか。


『世論の問題もある。さすがに分解処理というわけには』

『分かっている。実験データだけ取って、休眠状態にして地下施設に安置すればいい』

『はぁ……神剣一本作るのにも莫大なコストが掛かっているというのに』

『ナノマシンとの適合率は最高値だったのですが……』

『それだけは、最高品質の神剣は作れないということだろう』

『結果は残念だが、これもひとつの教訓を得たと思うしかあるまい』


 自分の存在意義は、ただ失敗の過程でしかなかった。


『ですが、最大出力を記録した時の性能は過去の神剣と比べても強力です。もし仮に力が暴発するようなことがあれば』

『ならば、アレの能力をコピーして外部干渉を抑制する鞘でも作って被せればいい』


 他の神剣には鞘などなく、自分にだけ鞘があてがわれた。

 研究資料という名目で施設の地下深くに保管されることになった神剣。その銘を――『剝界』といった。


 ――どうして……


 わたしは、わたしの存在が、世界を救うための必要だからって。

 そう言われたから、大好きだった両親とも、友人とも、全てと別れてこの身を捧げたのに。


『欠陥品だな』


 その一言で、自分は一度も使われることなく、どことも知れない部屋に閉じ込められて、


 ――使ってよ。


 メタモルバグを駆逐して、お母さんやお父さん、みんながいる世界を守るために、わたしは。


 ――使って……


 初恋だってまだで、未来も幸せも全部捨てて、こんな躰になったのに、


 ――誰か!!! わたしを使ってよ!!!!!!!


 ひとならざるものになったショウジョは、外部から常に送られてくる他の神剣の実践データを読み込むだけの時間を過ごし……それさえもいつしかなくなって。


 ――………………


 本当に、物言わぬただの鉄塊と化した。


 ひとりのジョセイが、カノジョの鞘を持ち出すまでの間……ずっと。



 ・・・



「わたし、能力が安定しないの」


 だから、仮にフラクが剝界を鞘から抜けたとしても、あの魔剣を攻撃しても拒空領域バリアによって阻まれ、決して本体まで攻撃が届かない。


「でも、戦う方法がないわけじゃない、と思う……アリスとの戦いの時、わたしの力は過去の実験ではありえないくらいに出力が安定していたわ……だから、可能性の話になっちゃうけど――」


 自信なさげに、カノジョは言う。


「正直、これは半分くらい賭けで、どれだけうまく行くかは、分からない。でも、アレに勝つには、これしかないと思う」


 しかし、これ以外に今は方法がないと、剝界はフラクに、ひとつの提案をした。

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