第30話:血の招待状

 ――フラク。


 声が聞こえた。


 ――ごめんなさい。


 懐かしい声だ。


 ――守れなかった。わたしは、また……


 ねえ、さん……?


 ――わたしは……なんて無力。


 なぜ、泣いているの。


 ――あなたも、あなたが大切に思うひとたちのことも、なにもかも……


 護ってあげられなかった!!


 それは悲鳴だった。

 嘆きを胸に抱えて慟哭に喘ぐ貌。

 

 ごめんなさい、ごめんなさい……カノジョは何度も繰り返す。


 違う。

 護れなかったのはあなたじゃない。

 何もできず、無力な能無しは、ジブンだ。


 エンティ幼馴染アリスを救えなかった責任の全ては……


 ただ立ち尽くす。いている姉がすぐ近くにいるのに、カラダが動かない。

 いや違う。今のジブンにカラダはなかった。

 自身を観測することできず、そこにいるのかさえ曖昧で、どれがひどくもどかしい。


 姉の瞳から溢れる雫は滂沱のごとく。

 どこまでも己を責め苛み、自罰する。

 

 ジブンという存在意義はひと護るための武器。

 己をその日から、カノジョに課せられた命題は己が朽ちるまでひとの守護者であること。


 大切なひとたちを、せめて手の届く範囲だけでもと……切なる願いに自己を捧げ、挙句の結果がこれなのか?


 ――なぜ、わたしはいつも、零してしまうの。


 美しい貌が歪み、俯き、ひとならざるカノジョは己を呪う。

 なにが神霊だ。

 ジブンはそんな高尚な存在じゃない。


 ただの、無力な、ひとりのオンナだ。


 ――そうやって哭いて何が解決するの!


 声が、もうひとつ。


 ――見つけたわ、ようやく。


 誰だ。姉とジブンたちだけのセカイに紛れ込んできた異端。


 ――ずっと疑問だったけど、あんたを見つけて色々と納得できたわ。


 いや、ジブンはこの声が誰のものか知っている。


 ――にしてもまさか、自分のナノマテリアルボディを人間のマスターの欠損した肉体の構成に使うなんて、無茶苦茶するわね。


 声だけの存在は関心したような、呆れた様な声音で、姉を見下ろしているようだった。


 ――マスターの意識はわたしが全力で引き上げてあげる。


 透明だったカラダに、誰かが触れた。


 ――だから、


 不意に、浮遊感に全身が包まれた。


 ――いつまでもメソメソしてないで! 全力であんたの大切なひとおとうとを助けなさいよ!!


 ハッとしたように、姉は貌を上げた。

 

 その姿は遠くなり――フラクのセカイは闇の中に沈んでいった。



 ・・・



 目が覚めると、そこは等級試験の時に世話になった医務室だった。

 混濁する意識の中、首を巡らせる。

 薄暗い、今は夜か。


 躰を動かそうにも、まるで全身を蝋で固められてしまったかのように動かない。


「おれ、は……」


 なぜ自分はここにいるのか。

 意識がはっきりしない中、記憶を手繰り寄せる。

 それは強烈な吐き気をともない、思考するだけで頭痛に苛まれた。


「マスター」


 声がした。振り向けば、ベッドのすぐ近くに剝界の姿があった。

 カノジョは以前のように取り乱すこともなく……しかし瞳に大粒の涙をためてこちらを見下ろしていた。


「よかった……ちゃんと、引き上げられた」

「はか、い……おれは……」

「無理しないで、今はゆっくりと休んで」


 優しい声。身を委ね、そのまま瞼を閉じてしまいそうになる。


 だが、徐々に鮮明になっていく頭が、そんな悠長に構えている余裕はない、と記憶を強引に呼び覚ます。


「っ――そうだ、俺たちは森で遺跡を見つけて……エンティが中に入って……」


 内部に進入し、奥でエンティを見つけた。

 しかし彼女は突如としてフラクたちに襲い掛かり……


 ――ヴァイオレットに。


「――――――――――――ッ!!」


 エンティから溢れた瘴気、黒い触手に黒い剣……


「アリス! エンティ!」

「ちょ、ちょっと! まだ起きちゃダメ! まだあんた変異触媒の中和も終わってない上に、傷口だって開いちゃうから!!」


 強引に躰を起こしたフラク。

 毛布の下に隠れていた躰はほぼ全身に包帯が巻かれ、あまりにも痛々しい。

 剝界は今にも飛び出していきそうなフラクの躰を抱きしめ、動きを制止する。


「お願いだから言うこと聞いて! 本当に死んじゃうから!」

「ダメだ……こんなところで、俺は……俺はまた!」

「それこそダメだってば!!」


 全身ボロボロの状態。それでもフラクは我を忘れたかのように外へ飛び出そうとする。

 剝界はなんとかフラクを止める。このまま外へ出ても、まともに躰が動くはずもなく、例の遺跡へ辿り着く前に倒れてしまうのがオチだ。


 現に、


「うっ、ごほっ……がはっ……!」

「マスター!?」


 フラクは口から血を吐いて、剝界ぐったりともたれかかってしまう。

 カノジョはすぐにフラクをベッドに戻し、口元を拭う。


「そんな状態で飛び出して、どうしようってのよ……」

「だが、あいつらを」

「そっちは『まだ大丈夫』だから、ちょっとは大人しく寝てて…今、が、全力で躰を修復してるはずだから」


 剝界の見立てでは、夜明け前には傷は塞がり、内部に進入した変異触媒も中和されるという。


 しかし、フラクはカノジョの語る言葉の意味を理解できなかった。


「正直、もうダメかと思った……でも、マスターの中にあいつがいることに気付いて……まさかと思って『接続』してみたら、本当にいたんだもん。わたしこのカラダになって初めて、心臓が止まるかと本気で思ったわ」


 まさか人体と神霊のナノマテリアルボディを融合させてるなんて、と剝界は言った。


「そうでもなきゃ、あの魔剣から変異触媒を直接躰の中に注入されて無事でいられるわけないもの」

「……悪いが剝界、もうちょっと分かりやすく説明してくれ」


 情報の洪水に、フラクはただでさえいっぱいいっぱいのところに理解不明な単語を羅列され、頭が破裂パンクしそうだ。

 それに、先ほど剝界が口にしたエンティとアリスは『まだ大丈夫』という発言も引っ掛かる。


「剝界、エンティたちがまだ無事っていうのは、本当なのか?」

「ええ……」


 歯切れの悪い態度。

 カノジョはベッドの横に設置されたサイドテーブルの上に、ひどく汚れた便箋が転がっていた。

 

 赤黒い汚れが付着したそれを、剝界はそっと手渡してくる。


「難しいと思うけど、冷静になって読んでね」


 剝界の言葉に首を傾げながらも、フラクは封を開いて中を確認する。


 手紙が一つ、便箋に付着していた汚れと同じ、赤黒い文字が滲むように躍っていた。


 ――たぶんまだ死んでないと思ったので、副会長ちゃんの血を絞ってこれを書きました。


 瞬間、フラクは手紙を握りつぶしてしまいそうになる。

 この手紙と便箋に付着しているのは、アリスの血……

 その事実に、フラクの中が煮えたぎる怒りに支配される。


 ――この前の遺跡に戻ってきてください。最奥で待ってます。あなたが来るまで会長と副会長は人間のまま生かしておいてあげますので。来なかったから二人のことをぐちゃぐちゃに遊んだ後に殺して呪形者にします。まああなたが来ても殺しますし呪形者にしますけど、少なくともすぐに死んじゃうようなことはしませんしそれなりに丁寧に扱ってあげます。でもすぐに来ないようなら遊びますから。嬲って犯して辱めて甚振って踏み躙って引き裂いて潰して抉って引き摺り出して捩じって折って壊しちゃいます。それでも死なせないで生かします。生き地獄です。だから、


 ――さっさと来い。


 びっしりと紙一枚を埋め尽くす文字。

 その全てがアリスから奪った血だと想像するだけで頭がどうにかなりそうだった。


「少なくとも、あんたが来るまで二人は呪形者になることはないわ」

「これの、どこが大丈夫だって言うんだ」


 怒気を抑えきることできない。フラクは相手を間違えていることを理解しつつ、剝界を睨みつけてしまう。


「二人とも強力な聖霊と契約してる。身体的な損傷だけならまだ回復が見込めるわ……でも、変異触媒に全身を侵されたら、もうどうにもならない」


 故に、ヴァイオレットが変異に猶予を与えたということは、二人がまだ助かる見込みがあるということ。


「剝界……動けるようになるだけならどれだけ時間が掛かる」

「っ!? ま、待って! まさかあんた、行くつもりじゃないでしょうね!?」

「そのつもりだ」

「ダメ、絶対に行かせない」

「っ!!!!」


 フラクは剝界の胸倉をつかむ。それでも剝界は怯えた様子もなく、真っ直ぐにフラクの視線を埋め止めた。


「今のあんたじゃ絶対にあのオンナには勝てない」

「知ったようなことを!」

「知ってるわよ! 全部!」


 剝界はフラクの腕を払い、睨み返した。


「あんた、自分の目的を忘れんてじゃないの!? その躰をお姉さんに返すんでしょ!」

「それ、は……」


 限界までボロボロになった躰を見下ろし、フラクは奥歯を噛んだ。


「だが、俺はあいつらを……二人を見殺しにはできない!」


 他人のことなんかどうでもいい。

 自分の知らないことろで誰がどうなろうが、知ったことではないと……いずれ消える自分には、なんの関係もないことだ。ずっとそんな風に考えていた。


 しかし、いざ自分の身内が危機に晒されたら、フラクはなにも顧みず、彼女たちを救い出そうとしている。


 ……もう二度と。


 自分の目の前から、『大切な存在』がいなくなるのはイヤだ。

 それはとても純粋で、強い思い。


 フラクは今にも泣きそうな顔をして、姉の躰に対する罪悪感に胸を締め付けられ、矛盾した願いに葛藤しながらも、


「絶対に、あいつらをあのオンナの好きになんかさせない」

「……今度こそ、死ぬかもしれないのよ」

「武霊契約者として剣を手にした瞬間から、覚悟は決まってる」

「ただ死ぬだけじゃない……その大切な躰を弄ばれて、死んでなお呪形者として辱められるのよ!!」

「それでも!!」


 ――ごめん、姉さん。

 ――いいのよ、フラク。


「俺はどんな手を使ってでも二人を取り戻す」


 契約者と神霊が主張をぶつけ合う。

 しばし睨み合い、剝界は「はぁ……」と肩を落とした。


「あんたが死んだら、わたし、泣くから」


 なんて、見た目通りの子供のようなこと言って、剝界はフラクに抱き着いた。


「バカ」

「悪い」

「ほんとバカ。意地っ張り、頑固、シスコン……」


 最後の言葉の意味は分からなかったが、フラクは苦笑しながら剝界の髪を梳いた。

 すると、カノジョは顔を上げて、フラクを視線を合わせる。


「急ぎたい気持ちはあると思うけど、まずはわたしの話を聞いて」

「……分かった」


 ことここに至って、カノジョが自分を説得しようと思っていないことをフラクは察して頷いた。


「たぶん、色々と言っていかないといけないことがあると思うの。わたしたち神霊、聖霊のこと、あんたの躰のこと、遺跡について。そして……あんたたちが呪形者って呼んでる連中のこと、あの黒い剣のこと……覚悟しなさい。頭をパンクさせるくらい、今から詰め込んでやるから」


 そうして、剝界は語り始めた。


「わたしたち神霊は……もとは人間だったの」

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