第29話:敗走

 黒い剣が出現してから触手の攻撃がより苛烈になった。

 エンティは虚ろな瞳のまま俯き、手の中にある二振りの剣もその輝きが失われている。

 こちらに向けて触手の群れが幾重に折り重なって波状攻撃を仕掛けてくる。

 フラクの手の中で剝界が忠告してくる。


『いい!? 絶対にアレに触っちゃダメ! 神剣や聖剣を持ってれば浸食に抵抗できるけど、完全じゃないわ。ましてや魔剣から直に発生している変異触媒じゃ、たとえ神剣モデルのわたしでもどれだけ抵抗できるか分からないわ!』


 剝界の口にする単語は半分も理解できない。

 それでも、あの黒い触手に触れてはならないことだけは理解した。


『っ……ここにいるのは聖剣第一世代型と契約しているのが二人に、第二世代型が二人……第一世代型ならギリギリで変異を抑えることはできるけど、汎用型の第二世代型じゃ……マスター! あの青い服の奴ら、かなりマズいわよ!』


 迫る触手を躱しながらフラクは剝界の声に耳を傾ける。

 

 瘴気で構成された黒い触手は、触れた生物の細胞組織を強引に配列を組み替えて呪形者に変異させる。

 フラクの持つ神剣、アリスやエンティが手にしている聖剣なら、仮に浸食を受けてもすぐに肉体が変異することはない。

 仮に浸食を受けても、変異触媒を発生さえている大本から引き剥がせば、神剣や聖剣の力で浄化できる。

 

『撤退しましょう! あんたも全力で戦える状態じゃないし、あの子はもう!!』

「っ!!」


 フラクは奥歯を噛んだ。どれだけ剝界の話を聞いても内容は理解しきれない。だというのに、最も理解したくない部分だけはハッキリと伝わってしまった。


「まだだ……まだ!!」

『マスター! 言うこと聞いて!! 願いだから!!!』


 見捨てられない、妹なんだ。

 たとえどれだけ嫌われていようと、憎まれていようと、もう二度と……自分のすぐ近くにある大切な存在が、失われることを許せるはずがない。


 瘴気に浸食されて、エンティの白かった髪と肌に黒い血管のようなものが浮いていた。

 触手の挙動は単純で、後出しディレイのような搦め手を使ってくることもない。

 基本は真っ直ぐに槍のように伸びてくるか、鞭のようにしならせて攻撃してくるかの二択。

 複数の触手の動きに対応するにはかなり神経を使うが、エンティと剣を合わせていた時に比べれば、単調な動きは読み易く、警戒すべきは死角からの強襲のみ。


 なぜエンティがこの遺跡に来たのか、なぜいきなり呪形者と共にこちらに攻撃してきたのか……なぜ、あの黒い剣に浸食を受けているのか。


 今はその一切がどうでもいい。


 今のフラクがなすべきことは、エンティ一刻も早くあの黒い剣から遠ざけ、浸食を食い止めること。

 エンティが契約している二体の聖霊はアリスが契約している儘焔聖霊イフリータと同等の強力な力を有している。


 手遅れなんてことはない……あっていいはずがない。

 また、自分の目の前で家族が消えるのを黙って見ていることなど、できるはずがない。


 フラクは床を蹴る。

 エンティとの戦いで消耗した躰に鞭を打ち、着実に彼女との距離を縮めていった。


 ……エンティ!


 フラクの接近に触手の動きは更に加速。

 カノジョという脅威を排除しようと、攻撃は苛烈を極めていった。


『マスター! これ以上は本当にダメだって!! 逃げられなくなる!!』

「逃げる……いや」


 俺は……


家族あいつを置いて逃げられるか!」

『マスター!!』


 剝界の必死な訴えを退け、フラクは触手の猛攻を掻い潜り、エンティとの距離を詰める。


 ――と、



 ――はぁ……暑っ苦しい。



 戦場の中に不意に響いた冷え切った声が鼓膜に届いた。

 触手の繰り出す攻撃によって破壊の音に満たされた室内。そんな場所において、それは不気味なほど静かに、嫌悪感を孕ませて、を紡いだ。


 思わず、フラクの視線が音の出所を探ってしまう。

 視界の端、呪形者と戦いっていたはずのアリスたちがすぐ近くまで来ていることにまず気が付いた。

 彼女たちもまた、エンティの体から噴き出した黒い瘴気に驚愕し、迫る触手を薙ぎ払う。


 しかし……いよいよ自分たちには手に負えない状況であることを、アリスは声に出して撤退を促した。


 が、混沌の真っ只中にあって、異様なほど落ち着き払った一人の人物が……ヴァイオレットがアリスの背中をトンと押した。


 ――まて……


 直後、アリスに迫っていた触手は鋭い先端を伸ばし、


 ――なにを、している……


 少女の柔らかい肉を抉りながら、


 ――やめっ、


 左胸から背中まで貫いた。


 ドスッ、とあまりにも静かな音を立てて、アリスを貫いた黒い触手。

 肺を損傷したのか、アリスは気管を通して血だまりを吐き出し、その場に崩れ落ちる。


「――――――――――――――――――――――――!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」



 フラクの視界がバチリと真っ赤に弾ける。

 アリスを貫いた触手はそのまま彼女の体を持ち上げ、まるで蟲の死体に群がるアリのように、無数の触手がアリスの体を絡め取り、締め上げ、拘束していく。


「あ……がっ…………」


 苦悶の声を漏らす少女に、下から見上げていたヴァイオレットは、


「油断大敵だよ~、副会長さ~ん」


 醜悪なまでの笑みを口元に張り付け、恍惚とした表情を浮かべていた。


 瞬間に理解する。

 アレが、自分たちの『敵』であることを。


 頭に血が上り、怒りも憎悪も超えて、虚無にさえ至ったフラクは、ヴァイオレット目掛けて爆発的な加速で肉薄し、


 ――殺す。


 ただその一念のみで躰が突き動かされていた。

 あのオンナの四肢を切り飛ばし、身動きが取れなくなったところでカラダのあらゆる急所を突き刺して確実に絶命させる。


 が――


 ザシュ……


「………………がはっ!」


 黒い剣が、瘴気の触手に握られ、フラクの胸を真ん中から突き刺した。

 まるで胸から剣が映えているような光景に、一瞬自分がどうなっているのか判断できずにいた。


『マスターーーーーーーっ!!!!』


 慟哭のような剝界の悲鳴。しかしそれすらフラクの意識は遠くから聞こえてくるようで、カノジョは自分の躰を支えるだけで精いっぱいだった。


「――あんたは念入りに、こっちで殺してあげる」


 いつの間にか、ヴァイオレットがこちらに近付いて来ていた。

 状況を視ていた騎士隊の二人が、あまりの事態に愕然としながらも、どうにかこちらに近付こうと必死になっている姿が視界の端は捉えていた。


 しかし、黒い触手と呪形者に阻まれて、それも叶わない。


「おま、え……」

「あははははっ、すごいわね。魔剣に貫かれてるのにまだ自我を保ってられるなんて……やっぱり神剣と契約してるからなのかしらね?」


 これまでとまったく異なる口調で語り掛けてくるヴァイオレット。

 カノジョはフラクの前髪を掴むと、無理やり自分の顔に近付けた。


「綺麗な貌……これがぐずぐずに溶けて、穢れた呪形者に成り果てるなんて……ゾクゾクしてくるわねえ」

「がっ、~~~っ…………」


 胸を貫く剣がフラクの躰を弄ぶようにぐちゃぐちゃと抉る。

 視界がバチバチと爆ぜる。

 フラクもせり上がってきた血を吐き出し、ヴァイオレットはそれを浴びて嗜虐的な笑みを強めた。


「ふふふふふ……ああ、ようやく……ずっとずっと目障りだった! 聖徒会長とあなたをまとめて始末できる!! 大変だったんですよ? 今日のために学院のすぐ近くに呪形者をばら撒いたり、あなたが騎士隊に目をつけられるように細工したりとか、もう本当に色々と頑張ったんですから!」


 それも全ては、計画の障害になるであろう神剣の使い手と、学院最高戦力のエンティを潰すため。


「ふふふ……あなたたちきょうだいが呪形者になったら、どれだけの人間を殺せるんでしょうねえ。ついでに、副会長まで手に入れられちゃったのは僥倖ですよお」


 ヴァイオレットは頭を解放すると、奥で瘴気を吐き出し続けているエンティを見やる。


「お疲れ様です会長~。あなたのおかげで、ことが順調すぎるくらいにうまく運びました~……魔剣の『精神支配』に侵されながら、人間のフリができていたあなたはやっぱりすごいひとですねえ。まぁ――」


 だから殺すんですけどね♪


 フラクから黒い剣が引き抜かれた。途端におびただしい血が噴き出し、その躰が血だまりの中に崩れ落ちる。

 触手に握られた黒い剣にヴァイオレットは手を伸ばした。


 トドメを刺すために、勝利を確実なものとするために。


 しかし、


「あらら……?」


 まるでヴァイオレットから遠ざけるように、触手が剣を引いてエンティの下へと引き寄せる。


「……オニイサ、マ……ニゲ、テ……」

「あら、あらあらあら!? なんてことかしら!! そこまで浸食されてまだ自意識があったなんて!! いえ、それともだ~い好きなお兄さんを傷つけれて意識を取り戻したのかしら? なににしても、さすがは会長ですねえ! 一刻も早く壊してあげたくなっちゃいます!!」


 ヴァイオレットは怒りの声を上げるどころか、心底から関心したといった様子でエンティを称賛する。

 フラクはカノジョの足元で、どうにか立ち上がろうと手足に力を込める。


「あら~、こっちもしぶと~い。もうここまでいくと蟲ですねえ」

「があっ」


 ガン、と背中を踏みつけてフラクを地面に縫い付ける。

 穿たれた傷口をぐりぐりと踏み躙られ、フラクの口から苦悶の声が上がる。


『いい加減に――』

「はい?」

『しろ!!』

「おっと」


 剝界がひとの姿になり、ヴァイオレットに殴りかかった。

 青服の生徒にも引けをとらない鋭い拳を繰り出すも、ヴァイオレットは飄々とした様子で攻撃を躱し、


「神霊といってもこんなものなのね……ふっ!」

「っ! がっ!?」

 

 一瞬の隙をつき、ヴァイオレットが剝界の首に手を掛け、小さな体を持ち上げながら締め上げていく。


 メリメリと音を立て、指が白い首に食い込む。


「あ、がっ……あぁ……」

「ふ~ん? 神霊でも苦しんだりするのね。ただの無機物のくせに」

「うる、さい……」


 剝界は拘束を振り解こうと蹴りを入れたり、ヴァイオレットの腕を掴んで引き剥がそうともがき続ける。


「う~ん? こうなると神霊って死ぬのか気になってくるわね。試してみましょうか」


 面白いことを思いついたとばかりに、剝界の首を嫌な音を立ててさらに締め上げられていく。これでは、窒息する前に首の骨をへし折られる。


「ポキッとな」

「や、め……」


 しかし、ヴァイオレットがいよいよ剝界へトドメを刺す直前、カノジョの腕を狙いすましたかのように紅蓮の炎が迸った。


「っ……」


 咄嗟にヴァイオレットは腕を引き、掴んでいた剝界を取り落とす。


「フラ、ク……はか、い……にげ、なさい……」


 触手に拘束されたアリスが、それでも最後まで手放すことなく握り続けた剣の炎を纏わせ、部屋全体を包むほどの劫火を放つ。


 暴れ狂っていた触手の群れと呪形者が一気に炎に巻かれ、咄嗟に回避したスチーリアとレアは部屋の入口まで押し出された。


「剝界、フラクを連れて……早く……!」

「っ! ごめん……ごめんなさい!!」


 剝界は倒れたフラクを抱えると、炎の海を飛び越えて部屋の入り口まで一気に駆け抜けた。


「逃げられるとでも……」


 ヴァイオレットがその後を追跡しようとしたが、逆巻く焔が行く手を阻む。


「いかせ、ませんわ……」

「……やってくれましたね、副会長……もう、簡単に死ねるなんて思わないでくださいね」


 胸を貫く触手が引き抜かれ、拘束していた触手が彼女の体を振り回さして壁に投げつけた。


「がはっ……」


 アリスは完全に意識が途切れ、部屋を埋め尽くしていた焔の勢いが弱まり、そのまま消滅した。


「……逃がしませんよ、フラク・レムナス」


 三つ編みを解き、長い髪を遊ばせたヴァイオレットは、フラクたちが消えた部屋の入口を見やった。

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