第28話:悲劇
アリスは呪形者を近づかれる前に炎で焼いた。
はじめのうちは戸惑いもあって戦いに僅かな乱れもあった。
しかし所詮はただの呪形者。かつて故郷を襲った獣王と比べて数だけの雑兵に過ぎない。
ひとが腐ったような醜悪な外見は見ているだけで気分が悪くなるものの、アリスの剣は鈍らない。
こちらを囲もうと迫る呪形者たち。
しかし学院屈指の実力を誇る聖徒会の
決して自惚れでも傲慢でもない。
赤服に袖を通した生徒の実力は次元が違う。
アリスは屋内という、自分の能力を発揮するのに噛み合わない不利な状況下にあって、炎による牽制と圧倒的熱量で以て相手を焼き殺す。
聖霊の制御に関してなら、アリスは決してエンティにも引けを取らないと自負していた。
さすがに、二重契約なんて芸当を見せる相手と実力が対等などとは逆立ちしても言えないが。
「――
床に剣を突き立てる。足元から穿つように突き上がる炎の槍が呪形者を貫き、灰にした。
……エンティ、なぜ。
戦闘の合間、一瞬だけ視界をフラクとエンティに向けた。
そこだけ文字通り次元の違う戦いが繰り広げられている。
稲妻が奔る吹雪の中、フラクは全身を凍てつかせながらもエンティの剣に反応し、猛攻を防ぎながらも時折強烈な一撃を見舞う。
実の妹と剣を交えるという状況にありながら、フラクの剣技に曇はない。
いや、見ればエンティを少しでも傷つけないよう刃を返して斬撃ではなく打撃で応じている。
やはりフラクは強い。危なげないとは言えないまでも、彼女があの聖徒会長を相手にしても敗北する未来が視えない。
確かにエンティはバケモノのように強い。二重契約で聖霊を二体も使役しているだけに留まらず、文字通り血の滲むような鍛錬の末に磨き上げられた剣技は学院内において最強と称されて間違いない。
しかし、そんな彼女を相手に一歩も引かないどころが着実に一撃を入れているフラクは確実にバケモノを超えた怪物だ。
エンティの表情にも一切の余裕はない。
かつて、聖徒会長の座を争って騎士隊総長と戦った時と同じか、あるいはそれ以上に必死な様子が伝わってくる。
彼女の契約している精霊たちはアリスの
それでも局所的にあれだけ高威力の結界を展開し、剣技と併せてジワジワとフラクを消耗させていく。
しかし、それすらもカノジョは神剣の防御性能を駆使して致命傷だけは避け続けている。
なんと研ぎ澄まされた集中力だろう。
騎士隊所属のスチーリアとレアも、二人の戦いの余波を受けて思わず意識を奪われそうになる。
学院で問題児として広くその名を知られたフラク。
最底辺を常に歩み、嘲笑され、罵倒され、蔑まれてきた。
不真面目な態度にスチーリアも最初はカノジョのことを毛嫌いしていた。
それが、どうだ。
アリスとの等級試験で見せた力も凄まじかったが、あの聖徒会長を前に一歩も引かず、互角以上に渡り合う姿に嫉妬と羨望を抱かずにはいられない。
「はぁ――!!」
気迫と共に振り抜いたスチーリアの剣が呪形者を切り伏せる。正確に核を砕き、着実にその数は減っていく。
「レア、少しでも早く呪形者を殲滅し、会長を鎮圧します!」
「はい!」
正直、あの戦いに自分たちの介入する余地があるか……下手な手出しは戦況を混乱させ、フラクの足を引っ張るのではないか。
それだけ高度の戦闘があそこでは行われている。
が、せめて聖徒会所属の二人が呪形者に釘付けになっている状況を打破できれば、フラクと共に会長を制圧してくるはず。
それには、自分たちだけで対処できるまでに呪形者の数を減らさなければ。
「え~~~~いっ!!」
ヴァイオレットがその巨剣で複数の呪形者を一撃で粉砕した。
挙動が遅く隙も大きいが、彼女の膂力から繰り出される攻撃は重く、間合いも広いこともあって呪形者をまるで近づけさせない。
彼女は戦闘で聖霊の力を使うことなく、自前の怪力だけで相手を葬る。
さすがに聖徒会役員を務める赤服だけあって、立ち回りが非常にうまい。広い視野でよく状況を視ている。
呪形者は徐々に数を減らしていく。
大量に蠢いて数を正確に把握することさえできなかった先程までとは違い、今は目視で全容を把握できるに至った。
「副会長! この場は既に我々で対処できます! 聖徒会のお二方は、フラク・レムナスの援護に!」
「行ってください! こっちは大丈夫です!!」
騎士隊ふたりの声にアリスは状況を見渡す。
確かに呪形者の数はかなり減っている。これならスチーリアたちに処理を任せても問題はない。
アリスは頷き、スチーリアたちに声を張り上げる。
「分かりましたわ! この場は任せますわよ!」
「承知!」
「ヴァイオレット! 行きますわよ!」
「は、は~い!」
聖徒会の二人は視線をフラクたちの戦場に向けて駆けだす。
エンティの展開した氷と稲妻の結界は非常に強力だが、アリスの儘焔聖霊の力を解放すれば突き崩すことができる。
そうすれば、フラクは本来の力を発揮し、ヴァイオレットと共にエンティを無力化できるはず。
それは確信。
エンティを過小評価しているわけではない。仮にもしこの場にいたのがアリスとヴァイオレットだけだったなら、会長に勝つことは決してできなかっただろう。
この学院において、聖徒会の長に君臨するということは生半可な実力で成しえることではない。
しかし、それでなおフラクには彼女を打破できるだけの力があることを確信していた。
アリスが聖霊の力を解放しようと意識を集中させる。
制御を誤れば部屋はたちまち火の海と化してしまう。
力の範囲を正確に絞り、エンティの結界を相殺する。
……呪形者は騎士隊が引き受けてくれている。今なら邪魔は入りませんわ。
アリスがいよいよ儘焔聖霊の力を解放しようとしたその時――ヴァイオレットが声を上げた。
「アリスちゃん!」
「――っ!?」
前を視る。
その光景に思わず目を見開いた。
「死んで……死んで死んで死んで死んで死んで!!!!」
駄々っ子のように声を張り上げたエンティの体から、突如として黒い
「あれは――瘴気!?」
なぜ、武霊契約者であるエンティから瘴気が溢れているのか。
脳内が疑問で埋め尽くされ、アリスの動きが一瞬静止してしまう。
だが、その隙を狙いすましたかのように、瘴気は粘度の高い音と共に触手のような形状に変化。アリスに向けて真っ直ぐ伸びてきた。
「くっ!?」
すぐに意識を引き戻して儘焔聖霊の炎で瘴気を焼く。
いまだ混乱の中、それでも触手に反応できたのは彼女が積み上げてきた研鑽と豊富な戦闘経験があったからだ。
「フラク! エンティ!」
二人の名を叫ぶ。
フラクはエンティに向けて駆ける。
しかし触手の群れに行く手を阻まれて距離を取る。
すると、エンティの足元にたまった瘴気のたまりから、真っ黒な剣が出現。
ゾクッ――
ソレを視界に入れた瞬間、全身が総毛立つ。汗が噴き出て悪寒が止まらない。
まるで、それは冒涜的なまで生命を否定する悪意の塊のように視えた。
内側に宿した精霊がアレを前にまるで怒り狂ったかのように体内で暴れているのを感じる。
動悸が収まらない。
なんだアレは……なんだアレは……なんだアレはなんだアレはなんだアレはなんだアレは!?
知らない。あんなおぞましい物が、この世に存在するなんて。
「――」
思わず、アリスは一歩、引いてしまった。
これまで、どんな相手にも恐怖で身を引いたことなどない彼女が、心の底から震えあがり、体が全力で逃走を計らせる。
――アレはダメだ。
対峙してはいけない。なにがあっても、たとえこの場にいる全員を犠牲にしてでも、逃げなくては。
そうではければ……自分は。
先程まで、アリスは自分が炎で焼いた呪形者を思い出した。あの、おぞましいひとの成れの果てを。
そんなバカな。ありえない。
武霊契約者は呪形者の呪いを受けることはない。
聖霊の加護に守れている自分たちは、あんな醜悪なバケモノになることは、決してないのだ。
なのに、なぜだろう……
あの剣は……あの剣なら、自分たちを――いともたやすく、呪形者へと変貌させてしまうことができる。
そんな予感が、警鐘が、直観が、そう告げていた。
「――っ!!」
アリスは再び迫ってきた黒い触手を全力で回避した。
「皆さん! 決してこの触手に触れてはなりませんわ!」
絶対に! 触れたが最後――
「
アリスは迫る触手を炎で焼き払う。
……ダメですわ……これは間違いなく、わたくしたちの手に負える状況じゃありません!
浮遊するだけの黒い剣。
しかしあれが、エンティの体から瘴気を溢れさせている原因なのは間違いないだろう。
しかし、どうにか剣に近付こうにも瘴気の沼は少しづつエンティを中心に範囲を広げ、容易には近づけない。
これは、撤退するしかない。
もはや状況は一刻の猶予もない。
いまだ誰も致命傷を受けていない今しか、全員が生きてこの場から離れられる機会はない。
アリスは即座にそのことを判断し、全員に向けて指示を出す。
「皆様! 撤退ですわ! これはもう、わたくしたちだけでどうにかできる状況では――」
と、アリスが声を張る中、不意に彼女の体が、トンと何者かに押され……
「え……?」
軽い力。しかしまるで予期せぬ方向から加えられた力により、アリスの体が傾き――
ドスッ。
「――――――――――――――」
彼女の左胸に、黒い触手が槍のように突き刺さった。
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