第27話:黒い剣

「私はあなたの背中を追い掛けてきた……追い付けるなんて思っていなかった、敵うなんて想像もしていなかった、なのに今私はこうしてお兄さまと剣を合わせている!」


 まるでそれが異常とでも言うかのように、エンティの剣は更に速度を上げた。


「お兄様は私の憧れでだったのに! その強さは私の支えだったのに!! あなたは全てを裏切った!!!」


 憤怒と慟哭がないまぜになったかのような感情がエンティからぶつけられた。

 振るわれる二振りの剣が繰り出す剣技は、並の使い手ではその動きを捉えることさえできぬ速さで振るわれる。


 ただ一心に、兄の背を無心に追いかけ、追いかけ、追いかけて……その果てに至ったエンティの剣は間違いなく超一流。

 加えて二体の聖霊との多重契約という神霊契約者にも引けを取らない稀有な才能の持ち主。

 かつて彼女を侮った者たちでは及びもしなかった実力をエンティは身に着け、力を示し続けた。


 全ては、目標とする兄に近付きたいがために。


 憧れ焦がれ、どこまで敬愛してやまない"彼”の隣に並び立ち、認めてもらいたかった。


 なのに――


「お兄様は腑抜けになった! 私はずっと、お兄様だけを目標に頑張ったのに!」


 まるで幼子のように、エンティは瞳に殺意を宿して剣を振るう。

 一撃が重い。受けるたびにフラクの手が痺れ、聖霊の力が肌を掠めるたびに小さな傷が増えていく。

 致命的な一撃は剥界の力によってギリギリのところで防げてはいるが、それはフラクの体力リソースを割いて行使されている。

 あと何回、彼女の攻撃を防ぐことができるのか。

 フラクの顔に一切の余裕はなかった。


 強い。

 知っていたはずなのに、それはフラクの想像を遥かに超えていた。

 幼く、小さかったエンティ……いつも自分の後ろをついて歩き、少しでも怖いことがあると縋りついて涙を流していた、あの弱々しかった姿は微塵もない。


 果たして、どれだけの研鑽を重ねればこれだけの剣技を身につけることができるのだろうか。

 神童と呼ばれたフラクと比べられ、周囲からの冷たい視線に耐えながら剣を握ってきたその心は、どれだけ孤独の中にあったのか。


 極冷王狼フェンリスの放つ極低温の結界の中、鈍る手足と思考で、フラクはエンティを見据える。

 轟疾天雷インジュラから溢れる雷撃から伝わる電熱がフラクの肌を焼き焦がし、負傷ダメージが蓄積されていく。


 かつて、フラクにこれだけの手傷を負わせた人間は片手で数えるほどである。

 間違いなく、エンティは学院で最強の一角に数えられるに相応しい人間だ。


 しかし――


「ふっ――!!」


 稲光が奔る吹雪の中という視界の悪い中、フラクはエンティの剣筋を見切り、上段から振り下ろされる一撃を紙一重で回避。

 長い黒髪が斬撃に宙を舞う。

 しかし繰り出された大ぶりの攻撃のためにエンティは刹那の隙を晒した。


 常人であれば隙などと呼べるものではない。エンティは振り下ろしから既に次の攻撃行動に動作を切り替えており、下手に突っ込めば相手の間合いの中で無簿防備な躰を差し出すことになってしまう。


 ましてや、極低温の状態で手足の動きが鈍っているなおのこと。

 

 それでも、フラクは挙動と挙動の間に生じる僅かな隙間に自身の攻撃を挟み込む。

 ウツロを返し、エンティの右脇腹に向けてフラクの横凪の一閃が迫る。


「っ――!?」


 剣は二本とも振り下ろされたまま、僅かに前傾姿勢になった状態から横への攻撃は回避したくても難しい。

 剣を滑り込ませての防御も間に合わない。

 が、エンティは咄嗟に右手の剣を引いて柄だけでフラクの一撃を受けて見せた。


「きゃあっ!」


 それでも、防御は不十分。

 致命傷こそ避けたものの、エンティは衝撃を受け流しきれずに真横に吹っ飛んだ。

 だが彼女は左手の剣を地面に突き立てそこを起点に体を回転させるとすぐに態勢を立て直した。


 ジンと痺れる脇腹に右手。純粋な剣術勝負ならあの騎士隊総長をも圧倒するエンティに、純粋な剣技だけで一撃を加えたフラク。


 久方ぶりに生じた痛みにエンティの口角が歪に持ち上がる。


「はは……やっぱり、お兄様はすごいです……そんなまともに動けない状態で、私の剣に反応できるだけじゃなくて、反撃までできちゃんですから……ほんと――」


 ずるいです、とエンティは再び剣を構えて対峙する。

 腑抜けていても衰えなど微塵も感じさせないその技量、資質、経験に裏打ちされた勘の良さ。


 きょうだいの剣が幾重にも軌跡を描き、衝撃が空気を震わせる。

 責めているのは相変わらずエンティだ。しかしフラクはことごとくをいなし、致命傷を避けながら妹を着実に追い詰めていく。


 これで神霊本来の力をまったく開放していないのだから恐ろしいを通り越して狂気に震える。


 エンティが十の剣戟を見舞い凌がれ、フラクはその間隙に的確な一撃を挟んでは仕切り直し。

 

 エンティも聖霊の力を完全に開放していないとはいえ、繰り返されてきた攻防は決して手を抜いてなどいなかった。


 本気でフラクを殺すつもりで剣を振るい、少しでも隙を見せれば急所を容赦なく狙った。

 頭、首、胸、腹、関節、神経の密集地帯……人間は少し切られたり貫かれただけで身動きできなくなるほど致命傷になる箇所は複数存在している。


 エンティはそこを常に、一切の躊躇も容赦もなく斬り、突き、抉ろうとした。


 一方、フラクはエンティの命を奪うような攻撃は絶対にしてこない。

 この時点で動きの大胆さからもエンティはかなり優位な状態だった言える。


 一瞬の躊躇いが勝敗を左右することも少なくない生死の天秤が傾く戦場で、フラクはどれだけ不利な戦いを強いられているか。


 ……にも関わらず、カノジョは致命傷になりうる攻撃を全て受け切り、捌き、流し、針の先ほどもないほどに細いエンティの連撃の隙に攻撃を割り込ませ、何度も冷や汗を掻かされた。


 これが……これこそがエンティが追いかけ、常に手を伸ばし続けた剣士の力。


「なんで……」


 しかし、エンティは己の焦がれた兄の実力を前にしても、喚起することができなかった。

 むしろ、内側からドロドロと溢れてくる暗く黒い感情はどこまでもカノジョの内側を穢し、蝕み、犯し尽くしていく。


 再び両者の距離が開き、互いに相手を見据えた。

 エンティはキッとフラクを睨み、声を張り上げる。


「なんでそんなに戦えるのにっ、お兄様は!」


 室内を満たす冷気の暴風がより激しさを増し、空間を爆ぜる雷鳴はさながら龍のごとく壁や天井、床を這いまわり破壊していく。


「強い強い強い強い強い!! やっぱりお兄様は私の知る中で最強の武霊契約者です!! なのになのになのに――!!!」


 ――どうしてあなたは私の隣にいてくれないの!!!!!


 癇癪を起した子供が泣き喚くような、心臓が抉られそうなほぼに悲痛な叫び。


 ずっと、ずっとずっとずっとずっと、求めて――求め続けて……憧れはいつしか限界を超えて、愛情へと変わっていた。


 エンティの髪を結んでいた紐が解けた。美しい白髪が吹雪の中で狂い舞う。淡青色の瞳から光が消え、憎悪の暗い影が落ちている。


 フラクは呼吸を最小限に留めて妹と対峙する。

 一気にこの冷気を吸い込めば肺どころか軌道が凍り付き窒息するは必至。

 無秩序に振るわれる聖霊の力は暴力そのもの。

 派手に破壊を振りまくそれは、エンティの心を映しているかのようだった。


「死んで……死んで死んで死んで死んで死んで!!!!」


 エンティの瞳に涙が浮かぶ。どれだけ焦がれも手に入らない。真に求めたモノはなにも自分の手にはつかめず、兄の入学という希望を掴んだのも束の間、それは指の隙間からサラサラと砂のように零れていってしまった。


 自分はただ――お兄様と、ずっと一緒にいたかっただけなのに。


 すると、エンティから赤黒いもやが生じ、一気に溢れ出してきた。

 フラクを始め、呪形者と戦いっていたアリスたちも思わず目を剥いてしまった。


 それを知っていた。知らないはずがなかった。なにせそれは、今日まで常に人類の天敵として、自分たちが借り続けてきた存在……呪形者が纏う瘴気そのものだったのだから。


「エンティ!!」


 フラクは咄嗟に妹へ駆け寄った。

 アレはマズイ。なにがどうなって武霊契約者であるエンティから瘴気が生じているのかは分からない。

 呪形者の呪いは聖霊や神霊の力を宿した武霊契約者には効果がない。仮に武霊契約者までもが呪形者に変じるようなことがあれば世界の混乱は更に加速していたことだろう。


 だのに、なぜエンティの体から呪形者と同じ瘴気が溢れているのか。


 だが、今のフラクには原因を探る余裕などなかった。


『ちょっと……ちょっとちょっとちょっと待って!! これ――まさか!?』


 すると、戦いの最中、フラクの集中を妨げないよう黙していた剥界から、驚愕の声が上がった。


『生身の人間から"変異触媒ナノメタモル”が溢れるなんて……こんなの、もうアレを持ってるとしか!』


 なにか知っているような素振りを見せる剝界の言葉に……しかしフラクは反応している暇などない。

 今、彼女の下に駆け付けなければ、取り返しのつかないことになる。


 そんな予感が、がむしゃらにカノジョの躰を動かしていた。


 真っ直ぐに突き進むフラク。

 ぐったりした様子で虚ろな視線を落とすエンティは、その濁った瞳をフラクに向けると、


『――ダメ!! 避けなさいマスター!!!!』


 切羽詰まった剝界の声に、フラクはハッと意識を引き寄せられた。その直後、エンティから漏れた瘴気はまるで触手のように幾重にもフラクへ向けて放たれた。


 途端、これまで感じたことない悪寒に襲われ、フラクは身を投げ出すように黒い触手の一撃を躱した。


 床や壁にぶつかった触手の群れはべちゃりと粘性の音を響かせて飛び散り、再びまとまって元の形に再生する。


「……オニイ、サマ」


 エンティの声がひび割れて聞こえる。

 顔を向けると、まるで汚泥が拡がるように床を這う瘴気のから、ぐちゃりと生理的に受け付け難い音を響かせて一振りの剣がせり出してきた。


『やっぱり……でも、なんでアレが――がこんなところにあるのよ!?』


 エンティとフラクの間に出現した剣。

 まるで闇を凝縮しそのまま固めたかのような、装飾もなにもない、漆黒の剣。

 

 しかし、そこから放たれる禍々しい瘴気は、かつてフラクが対峙した『獣王』などより、遥かに濃かった。


『まさか、この研究所って……』


 剝界の声が震えている。

 フラクも、かつて経験したことのない異様な気配を放つ黒い剣を前に、冷たい汗が額から流れ落ちた。

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