第26話:幼き最強の追憶
「っ――!」
『ちょっと! 考え事してたらいきなりなんでこんな展開になってんのよ!?』
「そんなこと俺が知るわけないだろっ」
初撃で体力をかなり消耗してしまった。
フラクは奥歯を噛んでふらつきそうになる躰を強引に支える。
「会長! なにをしていますの!?」
アリスが叫ぶ。
しかしエンティは冷酷な視線でアリスを一瞥。まるで虫けらでも見つめるような瞳に、アリスは強い悪寒を感じた。
その場にいた全員が冷や汗を浮かべる。
「聖徒会長……これはどういうつもりですか? 許可のない生徒同士の私闘は固く禁じられています」
スチーリアが震えそうになる脚を押さえつけてエンティに苦言を呈する。
ヴァイオレットも「か、会長! どうしちゃったんですか!?」と縋るような視線を向けるが……
「ふぅ……目障りな子虫が多すぎますね」
などとカノジョは吐き捨てた。
直後、
「わたしはお兄様との蜜月を堪能したいの……だから、邪魔しないでくれる?」
部屋の陰から、異形の群れが姿を現した。
「呪形者!?」
『うげ~、なによアレ……気持ちわる~』
フラクの目が開かれた。
ヒト型、体表をドロリとした赤黒い粘液に覆われ、透けた内部には腐食したひとのようなものが見て取れる。
まるで頭蓋を突き破るように露出した核が赤く輝き、その姿は生理的嫌悪感を抱かせた。
屍鬼型……ひとが呪形者になり果てた先にたどり着く、最も醜悪な末路だ。
しかしここは地下遺跡……かつてそこに呪形者が姿を見せたことはない。
フラクが驚愕から立ち直る暇もなく、
「みんな、お兄様以外の相手をしてあげて」
エンティの声に応えるように、呪形者がアリスたちに向かって飛び掛かった。
見た目以上に俊敏な動き。粘液から露出した鋭利な爪が振るわれる。
「アリス!」
「こちらのことは気にせず、あなたエンティを!」
もはや会長と呼ぶ余裕もなく、アリスは迫る呪形者を焔を纏った剣で切り伏せた。
「レア、背後を取られないように警戒を! 前はあたしたちが対処する!」
「了解しました!」
「う、うわわわわ~っ!? こ、来ないでくださ~い!!」
スチーリアとレアは互いに連携を取り、ヴァイオレットはおろおろした様子を見せつつ、その手にもった大剣で呪形者を薙ぎ払う。
彼女たちは学園でも指折りの武霊契約者だ。
しかしあまりにも突然の事態に動揺を隠しきれていない。
普段と比べて明らかに剣技の冴えが鈍っているのが分かった。
「――よそ見をしている余裕があるのですか、お兄様っ!」
「っ!?」
アリスたちを気に掛けていたフラクに、エンティが一足飛びに距離を詰めてくる。
フラクは腰に佩いたウツロを抜き、剝界との二刀でエンティの一撃を受け止める。
「エル! お前っ」
「ふふ……困惑してる困惑してる……今、お兄様の頭の中はぐっちゃぐちゃでしょうね」
「くっ……!」
そうだ、意味が分からない。
なぜエンティはこの遺跡に来た? なぜ遺跡に入ってこないはずの呪形者がここにいる?
挙句に、連中はなぜエンティの言葉に従っているのか?
「エル、この遺跡に何の用があった? あの呪形者はなんだ? なぜお前に従う!?」
「……そこなんですか? なぜお兄様にわたしが剣を向けているか、そこをまず問わないといけないのでは?」
「俺が、お前に嫌われてるのは自覚している……まぁ、ここまでとは思ってなかったけどな」
「…………さいってい」
途端、エンティの殺意が一気に膨れ上がり、カノジョの手の中で二本の剣を起点にスパークした吹雪が吹き荒れ、フラクとエンティを包み込んだ。
体表には霜が浮かび、呼吸するだけで体内が凍りそうになる。同時に、バチリと爆ぜる小さな雷撃がフラクの肌を焼いた。
「やっぱり神剣の力は使いこなせてないんだ……前のアリス姉さまとの戦いは、まぐれだったのかな?」
ギンッ、とフラクは強引にエンティを引きはがした。
僅かに後ろへ下がるカノジョにフラクはすかさずウツロを一閃。
しかしエンティは難なくその一撃を氷の刃で受け、紫紺の刃で突きを見舞う。
フラクは剝界を滑り込ませて攻撃を防ぎ、ウツロを引いて逆に相手へ斬撃を返してくる。
「……躰が凍り付いてるのにそこまで動けるんだ……まぁ、お兄さまならそれくらい当然か」
氷の刃がフラクの一撃をあっさり叩き落とす。
吹雪に凍ったフラクの剣技は鈍い。
だが、それでなおエンティの動きに対応してみせる技量の高さ。これがただの一般生徒なら、この時点で何度殺されているか分からない。
それは紛れもなく、フラクが学院でも比類なき剣士として、非凡な才をもつことの証であった。
『ちょっと! あんたこいつの妹でしょ!? なんでいきなりガチで殺し合いみたいなことしてんのよ!?』
「『みたいな』ではなくて、これは正真正銘の殺し合いなのよ、神霊」
『なっ! あんた頭おかしいんじゃない!?』
「そうかもね」
エンティはフラクの瞳を覗き込み、ふっ、と口角を上げた。
「お兄様、少しだけ昔話をしましょうか」
・・・
――そこはエンティにとって心安らげる居場所ではなかった。
フラクが『獣王』との戦いに敗れてからしばらく。
フラクとエンティの母はレムナス家と婚姻を破棄し、実家へと戻ってきた。
兄を、あの醜悪な罵詈雑言が飛び交う家に残して……
それは本人の揺るがぬ希望であり、母は最期までフラクを連れて行こうとしたが、最後まで首を縦に振ることはなかった。
『おかあさま、おにいさまは? おにいさまといっしょじゃなきゃやだ!』
『エル……フラクとは、しばらくお別れしなくちゃいけないの』
いつか、あなたが大きくなったら、会いに行ってあげて。
と、母は悲しそうな顔でエンティを慰めた。
フラクと別れ、エンティは性をレムナスからリブフィーネと改め、リブフィーネ家の一員となった。
しかし――
『あの神剣と契約したフラクの妹と聞いていたが、こんなものか』
『剣技は優れているようだが、彼と比べるとどうしても見劣りしてしまうな』
『ふむ……この程度で当主を任せるにたるか……いっそ他家へ嫁がせた方が有用か』
フラク・レムナスの妹、という肩書はリブフィーネ家と縁のある者たちに、過度な期待を抱かせた。
あの神剣と契約した兄の妹ならば、さぞ類稀なる才気に溢れているに違いない。
だが、現実は彼らの期待を超えることはなく、エンティは母ゆずりの優れた剣技を披露しても、学問で成果を上げても……『この程度』と断じてしまった。
それでも、リブフィーネ家の現当主である祖母はエンティを目を掛け、常に最高の教育を受けさせ、ひどく彼女を可愛がった。
しかし、それもまた周囲の者を反発させる要因の一つになってしまった。
直系の血縁であるという色眼鏡で、当主は
皮肉に塗れた心無い言葉を、何度エンティは浴びせられただろうか。
しかし、エンティにとってそのようなことは些末事でしかない。
兄のように強くなる、兄のように人格に優れた人間になる、兄のように優しく……皆を守れる武霊契約者になる。
エンティは文字通り、血反吐を吐きながら兄の背中を追い続けた。
レムナス家で、兄が親戚からどれだけ罵詈雑言を浴びせられていたか、知っている。
しかし、兄は耐えていた。きっと今も、あの家で耐え続けている。
ならば、この程度の羽音に心惑わされ、泣き顔を晒すなどそれこそ兄の妹としてふさわしくない。
エンティの母は「フラクを恨まないであげて」と諭したが、そんな必要はない。
元よりエンティに、兄へ対する尊敬と憧れ以外の感情は存在しない。
親戚からどれだけ凡庸と侮られても、エンティは剣を手放さなかった。
それは傍目にも、常軌を逸していた。
月日が流れ、エンティは過去に非常に例の少ない、二体の聖霊と契約するという偉業を成し遂げた。
彼女は己の力で以て、自分を侮ってきた親戚たちを黙らせた。
彼女は系統こそ兄とは違うが、紛れもなく本物の天才だったのだ。
最年少で武霊学院へ入学し、学院最強の称号である聖徒会長の座に就き、もはや彼女を侮れる存在などいなくなった。
エンティが聖徒会長に就任してしばらく。
二年ほど遅れてアリスが学院へと入学し――同時期に、
お兄様がこの学院へ入学してくる!
入学者の名簿に目を通していたエンティは、今日ほど心躍らせた日はなかっただろう。
エンティがレムナス家を去ってから数年。
あれから兄とは一度も顔を合わせたことはない。
ああ、どうしよう。お兄様が入学してきたら、まずは……
そうだ。真っ先にすべきは兄を聖徒会の役員に抜擢し、副会長を任せよう。
きっと一緒にアリスも引き受けてくれるはず。
そうしたら、折を見て兄の実力を全校生徒に示し、会長の座を譲る。
その後、自分は副会長として兄の傍に控え、その身を支えるのだ。
兄と呼ぶのはさすがに子供っぽ過ぎるだろうか、いや今の兄は姿が女性だし呼び方も合わせるか、どうやって周囲に兄の力を見せつけようか、いや自分が余計な事せずともあのフラク・レムナスならあっさりと自分など追い越してあっさりとこの座を奪ってくれるに違いない。
エンティは期待に胸を膨らませていた。
兄との再会に、普段は全校生徒から怖れられ、畏られる仮面を抜き去り、年相応に無邪気にはしゃいでいた。
だが――
あれ、なんで?
入学してきたフラクは、時間と共に学院でも歴代の問題児として扱われていった。
おかしい。
なにかの間違いだ。
あのフラク・レムナスだぞ?
授業もまともに受けず、聖霊とも契約できず、忌み嫌われるウツロを持ち歩き、課題も試験も最低の結果を残し、挙句の果てに留年した?
エンティは矢も楯もたまらず飛び出し、兄に会いに行った。
一年は放置していた。きっと兄にはなにか考えがあるのだ。
自分などには到底及ばない崇高な思惑が、隠れているに違いない。
そんな、かつてリブフィーネ家で親戚連中が自分に寄せていた期待を、今度は自分がする羽目になるとは、なんという皮肉だろうか。
だが、フラクの考えを知り、エンティはどこまでも深い奈落に叩き落とされた。
兄は、久方ぶりに再開した妹に、告げたのだ。
――俺は、弱い。
は?
なにを言っている?
兄以上に優れた武霊契約者などいない。
――俺は、もう聖霊と契約もできない、落ちこぼれだ。
ウソだ。
兄は、ウソをついている。
――お前は、強くなったな。俺なんかより、よっぽど。
やめて。
やめてやめてやめてやめてやめて!!
――俺をあまり兄と呼ばない方がいい。お前の名前に傷がつく。
ああ……
このひとは、ウソをついている。
弱いわけがない。
きっと、今はそれを知られてはいけない、なにかがあるのだ。そうに違いない。
だって……
そうでも思わないと、
自分は……
あなたを殺したくなってしまう。
思考を切り替えよう。兄が、絶対に力を誇示しなくてはいけない機会を作り出そう。
そうすれば、きっと――
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