第25話:冷たい瞳

 歩くたびに床に積もった埃が舞い上がる。

 かび臭い通路をフラクたちは慎重に進んでいく。

 淡い光に照らされた足跡。果たして、それは聖徒会長のものか、それとも……


「……妙だな」


 しばらく歩いたところで、フラクはおもむろに口を開いた。


「どうかしたのですか?」


 立ち止まって周囲を見回すフラクをスチーリアが訝しむ。

 しかしフラクはしばらくその場を動かず、周囲に注意を向け続ける。


「これだけ進んで、遺跡獣ガーディナルの姿も、罠の気配もまるでない……」

「レムナスさん、それっておかしいことなの?」


 レアの疑問に、フラクはようやく後ろを振り返った。


「あくまで俺の経験に基づく話になるが、これだけ潜れば巡回している遺跡獣の一体も目撃してておかしくない……が、ここに至るまで、遺跡獣の姿はおろか、その痕跡すら見かけなかった……加えて、罠の一つも見かけない」


 それこそあっけないほど、フラクたちは順調にここまで進んでこれた。


「それって、悪いことなんですか? 戦ったり、危ない目に遇わずに済むなら、それが一番いいと思うんですけど……」

「バルバス嬢の言うことも尤もだが……視たところ、この遺跡は完全に死んでいるわけじゃなさそうだ。そんな場所に、罠どころか遺跡獣の姿がまったくない、というのは、」

「違和感がある、ということですね」


 スチーリアの補足にフラクは頷く。


 地下遺跡は、最奥に眠る遺物が外部に持ち出されると、その機能の一切が停止してしまう。

 侵入者を拒む罠も、行く手を阻む遺跡獣も消え去る。

 原理はいまだ不明。

 そして、ただの箱と化した遺跡は、フラクたちの足元を照らす灯りさえも消え果て、完全に沈黙する。


 が、フラクたちが進入した遺跡はいまだ古代文明の息吹が感じられる。

 これは、遺跡が生きている証拠に他ならない。


「きっと、まだこの遺跡に眠る遺物は持ち出されていないはずだ」

「しかし、遺跡獣も罠も見当たらない、というわけですか……確かにそれだけ聞けば、妙な話ですわね」


 後方でアリスも遺跡に目を向ける。

 シンと静まり返った鋼鉄の囲みの中、何事もなくここまでこれたことを普通なら喜ぶところ……逆にその静寂が不気味に思えてくる。


「そう聞くと、なんだか余計にここが不気味に思えてきました」


 レアの発言に全員が同意する。フラクは一段階警戒心を引き上げた。

 この中で遺跡に潜った経験があるのはフラクだけ。

 後ろをついてくる彼女たちの生存率を自分が握っていると言っても過言ではない。


 ……本来ならここは一度戻って体勢を立て直すべきだが。


 床に残る真新しい足跡の存在が気がかりだった。

 確実に人間のもの。それも足の大きさからしておそらく女性……なにより遺跡に入っていくあの後姿を思い出してしまうと。


「この先はなにがあるか俺でも分からない。スチーリア、お前たちは一度ここを出て学院に内部の詳細を報告、援護の要請を」

「お待ちなさい、フラク……よもや、お一人で先へ進もうなどと考えてはおりませんわよね?」


 アリスの厳しい視線にフラクは目を伏せた。


「……その方が全体の危険度が下がる」

「あなた自身の危険は考慮しないのですか?」

「俺には剥界こいつがいるし、遺跡獣の対応も、罠の躱し方も心得ている」

「それでも、単独で行動することは、あなたの危険度をより一層跳ね上げますわ」

「……本来なら、ここは引き返すべきなんだ」


 アリスの言にフラクは内心を白状する。


「この遺跡の静けさは異常だ。俺にも経験がない。この先になにが潜んでいるのか分からない以上、探索は中断し、改めて態勢を整える……」


 未知の状態にある遺跡、なにが起きるか予測不可能。

 これはもはや、学院生だけで対応するには荷が勝ちすぎている。

 教官にこの件を報告し、しかるべき対策を講じた上で、この遺跡を探索すべきだ。


 本来なら……


「だが、俺は……」

「あの聖徒会長のような……エンティに似た後姿の女性を、このまま放置、無視はできない、というわけですね?」

「ああ。だが俺のわがままに、お前たちを巻き込めない」


 彼女とは疎遠になってしまったが、エンティは間違いなく血を分けた家族だ。

 きょうだいとして、彼女がこんな場所にいることを看過できるはずがない。


「まだ、あれがエンティである保証はありませんわよ?」

「そうだな……だとしても、」

「捨て置くことは、できませんか」

「……」


 無言の肯定にアリスは「ふぅ」と息を吐いた。


「久しぶりに、お節介でお人好しなあなたを見ましたわ」

「皮肉るな、俺だって自覚している」


 今日まで、他人などどうでもいい、という態度を取っておきながら、今更……


「呆れてはいます。ですが、嬉しくもあります。ようやく、フラクが戻ってきてくれたように思えて」

「……よく恥ずかしげもなくそういうことを言えるな、お前」

「気持ちを偽るのはやめたのですわ」


 真っ直ぐなアリスの視線にフラクの方が顔を熱くした。


「あの~……自分たちを間に挟んでいちゃいちゃしないでもらっていいです?」

「「っ!?」」


 レアの言葉にフラクとアリスはバッと顔を背ける。

 心なしか、スチーリアの頬もうっすらと赤くなっているように見えた。

 ヴァイオレットなどこの中で最も顔を主に染めて「あわわ~」とフラクとアリスの間で交互に視線を行ったり来たりさせている。


「……すまない」

「失礼しましたわ」


 フラクは「ん”ん”~」と強引に咳払いする。


「話が逸れたが、どうする?」

「あなただけで遺跡を探索させるのは論外です。戦力を分散せるのもあまり得策ではないでしょう」


 スチーリアの意見にフラク以外が頷く。

 戻るにしても、ここは全員で。それにフラクという案内ガイドなしで遺跡を歩くのは危険すぎる。


「あなたが先へ進むというなら、あたしたちも同行します」

「そ、それに……あれが本当に会長なら、早くここから連れ出さないと。ここ、なんだかよくない感じがするの……勘、なんだけど」


 ヴァイオレットは大きな体をビクビクと震わせながら、辺りをキョロキョロと見回した。


「私も、一緒に行きます」


 レアも同行する意思を示した。

 最後にアリスが、


「フラク、意見はまとまりました。わたくしたち全員、先へ進む意思がありましてよ」

「……わかった。ただし、本当に危険だと判断した時は迷わずに撤退してくれ」


 全員が頷く。それを見届け、フラクは再び、遺跡を奥へと進んでいった。


 ・・・


 その気配に、フラクとレアはほぼ同時に気付いた。


「止まれ」

「フラク・レムナス?」

「全員、剣を抜いておけ」


 フラクが通路の正面を見据える。ピンと張りつめたカノジョの様子に、全員が静かに武器を構えた。


 すると、


「「「「っ!?」」」」


 通路の奥、明滅する小さな光点が宙に浮いている。

 フラクは「ふぅ」と息を吐きながら腰を低く構え、いつでも飛び出せるように臨戦態勢を取る。


 果たして、通路の奥からソレは姿を現した。


「遺跡獣」


 フラクの一言に、全員の視線が目の前に現れた異質なケモノに注がれる。


 まるでひとのような躰に、鳥の頭と翼ががくっついている。

 金属の外皮……しかし、ところどころ覗く躰の一部、関節は生物のそれ。

 無機物と有機物が融合した歪な姿。

 

 だが、その遺跡獣はフラクをしても一層の警戒心を抱かせた。


 ……なぜああもボロボロなんだ?


 鳥頭の遺跡獣は、フラクたちと邂逅した時点で既に瀕死と思わせるほどに躰が破壊されていた。

 手足からはバチバチと火花が散り、左腕などもはや千切れかかっている。

 半分が金属で覆われた頭部もひしゃげ、赤黒い液体が漏れている。


 とりわけ致命傷と分かるのは、胸部にぽっかりと空いた大きな穴だ。


 ……核が破壊されている。


 空洞の中に見える紅い結晶体。本来は球体であるはずのそれは周りを触手のようなもので本体と接続されている。

 核は抉りぬかれたように、半分以上が欠損していた。


 鳥頭はフラクたちの下へ到達する前に倒れ、動きを止めた。


「フラク・レムナス……これが、遺跡獣なのですか?」

「ああ。だがこいつは」

「明らかに何者かによる攻撃を受けた形跡がありますね」

「こ、これはもしかして、会長が?」


 ヴァイオレットの震えた声。


「どうだろうな」


 フラクは目の前に転がる遺跡獣の成れの果てを見下ろした。


 ……エル、これを本当にお前がやったのか?


 可能性はある。

 だがフラクはその事実に認めがたいものがあった。

 まるで甚振られたような凄惨な骸。

 エンティはかなりの力を持った武霊契約者である。

 だが、相手を嬲り殺しにするような戦い方は決しなかったはずだ。

 しかし、彼女とは随分と距離が離れていた。フラクが知らぬうちに、妹の中に変化があったことは十分に考えれる。


「先を急ごう」


 強い鉄の臭いを放つ骸を置き去りに、フラクたちは遺跡の奥を目指す。

 

 しばらく歩くと、開けた空間に出た。

 そこには、


「誰か、いますね」


 レアの緊張した声。フラクは全員を制止させ、部屋の奥に佇む人影を注視する。

 

 小柄な体格、薄暗い空間にあっても映える真っ白な髪に、学院の生徒であれば誰もが畏怖と尊敬を抱かずにはいられない、純白の制服。


「エル」

「あら?」


 ゆらりと、カノジョは静かにこちらへ振り返った。


「随分と遅かったですね、お兄様」


 その姿は紛れもなく、学院の聖徒会長にして、フラクと血を分けた実の妹……エンティ・バイン・リヴフィーネだった。


「お兄様なら、もっと速くここまでくると思っていたのですが……お荷物が一緒で、動きが鈍かったのでしょうか?」


 しかし、その瞳は淀んだ水のようで、フラクは腰に佩いた神剣の柄に手を掛けた。

 普段と様子の違う彼女に、一行は戸惑いの表情を隠せない。


「お前は、誰だ?」

「妹の顔を忘れてしまうほど、もうろくされたのですか、お兄様?」

「俺の知る妹は、もっと可愛げがあったんだがな」


 途端、パキパキと音を立てて、周囲の壁、床に薄い氷の幕が張られていく。


「では、ワタシが本物であることの証明は、剣を交えることで示しましょう」


 ゆらりと、カノジョは制服の内側から刀身のない、柄のみの得物をふたつ取り出し、両手に構えた。


「さぁ起きて……仕事を始めてちょうだい」


 直後、紡がれた言葉に反応するように、空間に稲妻が奔り、肺を凍てつかせる吹雪が視界を奪う。


 フラクたちは目を覆い、雷鳴轟く吹雪が止んだ先を見据えた。

 そこには、先程まで欠けていた刀身を補うように、青白く輝く氷と、紫紺の光を放つ刃が形成された、二振りの剣を構えたエンティが、悠然とこちらを見据えていた。


極冷王狼フェンリスに、轟疾天雷インジュラ

「あらひどいお兄様。妹のことは忘れたくせに、聖霊この子たちのことだけはしっかりと覚えてるのね」


 やっぱり、神霊なんかに懸想けそうしたせいかしら……エンティの冷たい視線に、殺意が垣間見えた。

 

 静かに切っ先がフラクへと向けられる。


「……本気か、お前」

「ええ、もちろん……むしろ好都合よ。だって、」


 ワタシはお兄様を――


「ずっとずっと!! 殺してやりたかったんだから!!!」


 エンティの持つ紫紺の剣から雷撃が放たれた。

 フラクは剝界を構え、神剣の能力で迎え撃つ。


 体の芯まで震わせるような衝撃が走り、眩い閃光が部屋全体を照らした。


 学院最強の武霊契約者との、戦いの火蓋が切られた瞬間であった。

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